いくつになっても勉強は大事
リツコは夕食の片付けが終わったテーブルに文房具を並べ、青空教室の準備をする。
拾い集めた羊皮紙の表面を薄く削いで再利用したノート。大きめ鳥の羽根を拾って芯を尖らせた羽ペン。
アドラメレクを悩ませたお土産の中に入っていた新品のインク壺。
静かに席についたリツコは学生時代の自分もこの位熱心だったならば、などと詮もないことを考える。
「キィ」
リツコの頭上では、すっかり馴染みになった子蜘蛛が足をたたんで丸くなっている。
『テディも準備万端ですね』
テディというのはリツコがつけた子蜘蛛の名だ。
由来は彼女のかつての友人の「タランチュラってふわふわしたテディベアに似てて可愛いよね」という言葉だ。
どのような経緯でそんな話題になったのかは思い出せないが、虫嫌いのリツコには衝撃だった為深く印象に残っている。
『俺の分は無いのか?』
草むらから姿を現した一匹の狼が机の上の勉強セットを指して、不満そうに鼻を鳴らした。
『チャッティに筆記用具は必要ないでしょう?』
彼の肉球のついた前脚では、字を書くことはおろかペンを持つことも出来ない。
『気分ってやつだよ。こうやってお前たちと同じことをしてれば人間になった気分を味わえるだろ』
用意してあった椅子にすまし顔で座るチャッティに、リツコは首を傾げる。
『チャッティは人間になりたいんですか?』
とんでもない、と若い狼は首を左右に振る。
『いやいや。あんな鈍くさい生き物になったら生きていけねぇよ』
人間であるリツコを前に酷い言い草である。
『森に来る冒険者みたいのと戦う時には人間のことを知ってた方がいいんじゃねえかと思ってな』
彼を知り己を知れば百戦殆うからずというやつだろうか。
リツコが気まぐれに読んだビジネス書に載っていた偉い人の言葉だが、この世界にも同じような概念があるのかと感心した。
『チャッティは勉強家なんですね』
その教師になるのが冒険者のデレクだというのが皮肉だが、お互いを知ることで共存の道が開かれることもあるかもしれない。
期待半分にリツコたちが言葉を交わしているとエヴァンやアドラメレク、少し遅れて先生役のデレクがやってきた。
「今日は魔女の話の続きを少しと、神聖騎士について話そうかな」
いつの間にか増えた生徒には触れず、デレクは本日の授業を開始した。
魔術師であるデレクの授業は内容もさることながら、飽きさせない演出が素晴らしい。
文字の読み書きが出来ないリツコとエヴァンの為に、彼は黒板に文字を書く代わりに魔法で作った魔女や魔物の幻像を動かして映像として見せてくれる。
解説のついた人形劇のようで、視覚と聴覚から入る情報は分かり易く生徒たちを楽しませた。
「魔女が歳をとらないことは先日話した通り。ただし、寿命は契約した魔物の寿命に依存する。魔女が死んでも魔物は死なないが、魔物が死ねば魔女も命を失うからだ」
目の前で動いていた魔物の幻が苦しみだし、ばったりと倒れると後を追うように魔女の幻が倒れた。
「……魔物の平均寿命ってどのくらいで、アドは今何歳なんですか?」
平均寿命が20歳で今年19歳になりますなどと返されたらどうしようかと、リツコは余命宣告を受ける気分で尋ねた。
「魔物って人間が一括りに呼んでるけど、色々居るんだよ。聞いて回ったこともないし、平均寿命は知らないなぁ。まあ、でも僕はこの2人より長生きするよ」
アドラメレクの回答に、リツコは反対隣りに座るエヴァンを見上げる。
出会った頃は殆ど同じだった身長に随分と差がついている。
「そう、ですか」
成長速度に個人差がある為だと思っていたのだが、自分が大人になれない体だと知った今は嫌でも意識してしまう。
元の世界の、もう会えないかも知れない人々が自分より先に逝ってしまうという事実。
この世界で出会ったこの幼い少年ですら、自分は見送る立場なのだ。
そう考えるとリツコの胸に寂しさがこみ上げる。
「次に、魔女の天敵とも言える神聖騎士について」
リツコが感傷に浸っている内に、デレクの講義は別のテーマへと移っていた。
「神聖騎士とは簡単に言えば魔女を倒すことを専門とする傭兵集団だ」
始まりは100年戦争中。魔物の軍勢に滅ぼされた国の生き残りたちが復讐と祖国の復興を掲げて集まったのだという。
時間と共に傭兵団は大きくなり、各国に支部ができた。国には所属せず、他の傭兵団と違って人同士の争いに参加することは無い。
人間側の勝ちに終わった100年戦争だったが、神聖騎士団の祖国は魔の領域となり復興は果たせなかった。
戦後から現在に至るまで、組織の形が変わることはあったが魔物から人を守ることを使命として活動を続けている。
「俺は実際に見たことは無いが、彼らは魔物に協力する魔女を狩ることにかけてはエキスパートだ。リツコたちはとにかく彼らに遭遇しないこと、居場所を知られないことを一番に考えた方がよいと思う」
馬にまたがる鎧姿の騎士像が現れ、魔女の像へと突進する。魔女が騎士のもつ槍に貫かれ、そのまま幻は消え去った。
「既にデレクさんのお仲間に知られてしまっているのですが?」
幻の魔女と自分の姿を重ね、体を震わせたリツコが不安そうにデレクを見上げる。
友好的な関係であるジャネットやベイジル達と違い、デレクと共にいた2人の冒険者は積極的に神聖騎士団にリツコの情報を渡すのではないか。
「……そうだね」
やや間をあけて返ってきたデレクの返事に、リツコは首を傾げた。
「彼らが2人だけで無事に町へ戻り、冒険者ギルドに君の存在を報告出来たとするならば、今すぐにでもここを離れた方がいと思う」
やや引っかかる言い回しをしたデレクは、リツコの訝し気な表情を無視して続ける。
「急いでいるからと言って闇雲に移動するのは危険だ。人里に近づくのは以ての外だが、離れて森の奥に行けば行くほど黒の大森林に近くなる」
静寂の森の北側には古代文明の名残である墳墓があり、その更に北に黒の大森林と呼ばれる魔の領域が広がっている。
黒の大森林は魔の領域の中でも土地に含まれる魔力の量が多く、静寂の森とは比較にならない程に強力で好戦的な生物が住んでいるのだとデレクが解説を加える。
「現在地より北にはいかない方がいい。黒の大森林まで行かなくとも墳墓の近くにはアルコナやスコルよりずっと危険な魔物が住んでいる。移住を考えるならば……」
デレクが杖を振ると、空中をキャンパスに魔法の光が地図を描き始める。
ヴァーラス王国と隣接する土地の一部を描いただけの限定的なものではあるが、リツコにとってはこの世界で初めて目にする地図である。
「この森は北以外の3方をヴァーラス王国の領土に囲まれている。一番近い魔の領域は黒の大森林だが、先程述べたように移住するには危険すぎる。人の領域を越えた東にある星の砂漠は昼夜の寒暖差が激しい上に食料も少なく、とても人の生きていける環境じゃない」
デレクは地図上の北西にある森へと杖の先端を向ける。
「この蛇沼の森が妥当だろうな。静寂の森よりは危険だと聞くが、黒の大森林程じゃない。知性のある魔物が多いらしいから、彼らと話が出来るリツコやアドラメレクなら上手く共存できるかもしれない」
彼の提案に、アドラメレクが渋面を浮かべた。
「あんまり気が進まないね。蛇沼の森はとても安全とは言えないし。知恵が回るってことは性格の悪いやつも多いってことだよ。蛇沼の森の方が黒の大森林に近いし、こっちより妖精と会いやすい」
妖精という言葉にリツコとデレクが同時に反応した。
「妖精に会ったことがあるのか?」
問いかけるデレクの瞳が知的好奇心に煌めいている。
「蛇沼の辺りだと君たちがエルフって呼んでるのが出るね」
エルフは人に似た姿で非常に見目麗しく、歌や踊りが得意な陽気な種なのだそうだ。
美しい容姿や心地よい音楽、楽し気な笑い声に誘われた者がどれだけ近づこうと歩いても彼我の距離が縮まることは無く、やがて道を見失い遭難するらしい。
「狩り目的で迷わせることもあるんだけど、大体は遊び目的だから、飽きたら獲物は放り出されるんだ」
エルフ達が楽しんでいる内は高頻度で食べ物や安全な寝床を見つけられるが、彼らに飽きられた途端に運に見放されるようになる。
「結構性悪でさぁ。肉食獣の巣とか、底なし沼の真ん中とかに誘導されるんだよね」
「怖っ」
童話や神話によってリツコの中に形作られていた、可愛らしく優雅な妖精のイメージが音をたてて崩れていく。
「成る程……まあ、焦らなくても一番近い神聖騎士団の支部からでもここまでは距離があるからすぐに危険が迫ることは無いと思う。移住先はよく話し合って決めたらいい」
エルフについてメモを取っていたデレクが手を止めて話を締めくくる。
『そういえば、冒険者ってのは何なんだ?神聖騎士とは違うものなのか?』
授業が一区切りついたので、リツコが今の内容をテディ達に翻訳して伝えるとチャッティから質問が出た。
「神聖騎士は魔女と戦う専門家で、冒険者は何でも屋だな」
『何でも屋?』
リツコを通訳として、デレクとチャッティの間で質疑応答が交わされる。
「冒険者ギルドに属しているから冒険者と一括りに名乗ってはいるが、冒険らしい冒険してる奴なんかほんの一握りだ」
デレク曰く、冒険者ギルドの前身は地図を作る為に世界を巡っていた旅人たちの寄り合いだったそうだ。
それが魔の領域に踏み込んだり資金を確保したりする過程で傭兵や商人などを取り込んでいき、今ではインドア派な冒険者すら存在しているらしい。
「ギルドが斡旋する仕事も何でもありで、工事現場の手伝いから魔物退治、留守の間のペットの世話なんてのもあるな」
今回デレク達が受けたような魔の領域の調査や魔物退治は命の危険がある分だけ賃金も良く、人気のある仕事なのだという。
「職業斡旋所みたいな感じですか?」
冒険者ギルドというとリツコには聞き慣れない言葉になるが、ハローワークや人材派遣会社だと思えば理解がしやすい。
「仕事の紹介だけならもっと良い機関があるさ。どちらかと言えば日雇い労働者の管理機関かな。冒険者の中にはまともな仕事に就けない奴や訳アリな人間もいて、かつては一般市民とトラブルになることが多かったんだ。だから国や民間が経営しているギルドがルールを決め、身元を保証し、仕事を与えて所属の冒険者たちが犯罪者に身を落とさないように管理してる。良い奴も勿論いるけど……冒険者を名乗っている奴にはあまり近づかない方がいい」
民間のギルドにはグレーな依頼を引き受けるところもあるからな、とデレクは肩を竦めた。
「座学はこのくらいにして、明日からはちょっと体を動かしてみようか」
デレクが杖で軽く地面を打つと、船を漕ぎ始めていたエヴァンが慌てて顔を上げた。




