二話三節『金は命より重い……!』
ファルア鉱山は、鉱山としてはまだ歴史が浅く、開かれてからほんの十年程度でしかない。
元々、ファルア地方では良質な鉱石や石炭が採れることで知られてはいた。
しかし、ファルア地方は周囲を険しい山々に囲まれた陸の孤島であり、掘った鉱石を運び出す術がなかった。
それを変えたのが鉄道である。およそ八年にも及ぶ大工事の末に、山肌を削り、谷に橋を架けて線路が通り、機関車での運搬が可能になると、ようやく本格的な採掘が始まった。この地方が一気に潤ったのは、それからだ。
今では大都市から出稼ぎ労働者が来るほどである。
ただその分、盗掘者の存在は年々問題となっており、現在では専属の鉱山警察隊が常駐しているほどだ。北門の彼も、その一人である。
そんなファルア鉱山に、アリアは難なく侵入した。
色仕掛けで。
聖女にあるまじき行動である。
その後ろを、ティアがきょろきょろと辺りを見回しながらついていく。父の姿を探しているのだろう。その目は、落ち着きなく揺れていた。
北門をくぐってしばらく歩くと、まず一軒の木造の小屋が姿を現す。
その奥、砂利道の坂の上には石造りの平屋。さらにその向こうには、巨人が大口を開けたような坑口が見えた。
アリアは砂利道の手前で足を止めると、まずは小屋の窓から中をそっと覗き込む。
見えてきたのは、吊るされた予備の黒い制服と、壁に掛けられた小銃が一丁だけだ。
(警察隊は出払っている……)
アリアが、詰所がもぬけの殻である理由を推察している、まさにその時――
パァン! パァン!
連続で、鼓膜を打ち付けるような破裂音が坑口から響いてきた。音は坑道の中で反響し、遅れて山肌から跳ね返ってくる。
アリアは、坂の下で狼狽えているティアの元へ駆け寄る。
「え? 何、爆発?」
(違う。これは……)
「ティア、奥で何かあったようです。貴女はここにいなさい」
「何かってなんです? 私も――」
「聞こえなかったんですか。今のは銃声ですよ」
「銃声? ええと……とにかく、私も……」
状況が把握しきれていないティアは、父親が心配な一心で、アリアについて行こうとする。
しかし、アリアは声を低くし、それを制した。
「邪魔です。足手まといです。鬱陶しいです」
「そ、そこまで言わなくても……」
アリアはそれには答えず、ティアの手を引いて詰所まで連れていき、中へ押し込む。そして、ヒールの高いブーツでスキップしながら坂を登って行った。
「お酒、お酒〜♪」
鼻歌まじりの、場違いなほど明るい声が、砂利道の坂に弾む。
だが、登りきる直前。ティアに背を向けたアリアの顔からは、すっと笑みが消えていた。
*
アリアが坂を登り切ると、先程見えていた石造りの平屋、おそらく事務所だろう。それが視界に広がる。
玄関前には幾人かの鉱夫が木箱に腰掛けていた。煤で汚れたその表情は、顔の黒ずみよりも暗い。誰も口を利かず、ただ地面の一点を見つめている。
中には、気分が悪いのか、地面に横たわっている者すらいる。
アリアは、にこやかな表情で近づくと、手前で倒れている鉱夫の顔を覗き込む。
(瘴気病……)
倒れている鉱夫の目尻は墨を塗ったように黒く、かと思えば唇は紅でも塗ったかのように赤い。
呼吸は浅く、額からは脂汗が玉のように噴き出している。ティアの祖母と、同じ症状だ。
すると、一人の鉱夫が怪訝な顔で近寄ってきた。
「アンタ、シスターか? なら魔法か何か使えないのか?」
その見た目からイメージしたのか、どうやら治療を期待したらしい。
しかし、アリアの返答は決まっている。
「致しません」
即答。表情を変えず、アリアはにこやかに、そして冷徹に言い放つ。
「んだよそれ! こっちは人が倒れてんだぞ!」
アリアが治療を渋っていると思ったのか、鉱夫の語気が強まる。アリアは半瞬、目を細め、周囲に流し目を送った。
(皆、目尻が微かに黒い)
アリアは瞬時に、大なり小なり全員が瘴気に侵されていると判断する。
瘴気は魔物から発せられる、魔の『気』である。それに侵された者は皆凶暴化し、最悪、異形と化す。
そこに、人や動物の区別はない。目の前の鉱夫の苛立ちも、あるいは、その兆しかもしれない。
「勘違いなさいませんよう、付け加えます。わたくしは神聖魔法の類は使用できません」
「……っ! ならそう言えよ!」
鉱夫は舌打ちをすると、頭を掻きむしってその場にしゃがみ込み、拳を力一杯、地面に打ちつける。
「ならアンタ、何が出来んだよ!?」
その問いに、アリアはしばらく頬に指を当て、考える素振りをする。
「魔物退治、でしょうか」
「シスターじゃないのか? 魔物払いか?」
「どちらでも。わたくしはもぐりですので」
「ハイエナかよ……!」
毒づく鉱夫を前に、アリアはくすりと笑う。そして、坑口ではなく、事務所の玄関へと足を向けた。
(まずは、報酬の交渉から、ですね)
アリアは玄関の戸を叩き、事務所の中へ入っていく。
「ごめんくださいな」
中に入った瞬間、アリアは思わず『あらぁ♡』と声を漏らす。
木の床には毛足の長い赤い絨毯が敷かれ、奥には大理石の暖炉、壁には立派な角の鹿の剥製まで見える。
天井のガス灯の器具も銀が贅沢に使われ、外の鉱夫たちの煤けた顔とは、まるで別世界だ。
「もしもーし」
二度目。今度は明るい声で。
すると、奥の扉から、黒い制服を着た警官を二名引き連れた、赤いコートの男性が出てきた。
「何者だ、騒がしい」
赤いコートの――五十歳程の、口髭を蓄えた恰幅の良い男性が主人なのであろう。彼を守るように、着剣した小銃を持った中年の警官が応対をする。
当の主人はというと、表面にびっしりと露を浮かせたビールグラスを手にしている。
(あらぁ……美味しそうですねえ)
アリアは、左手で唇を軽く拭う。
「わたくしはアリア、シスターでございます」
「シスター? 布教でもしに来たか」
「いいえ。わたくし、布教は致しません」
「ならなんだね!? 遊びなら帰りたまえ」
のらりくらりと話すアリアに苛立ったのか、警官の声がうわずる。
アリアは後ろ手を組むと、振り返って窓の外へ視線を向けた。
「いえ。あちらが、お騒がしいと思いまして……ふふっ」
声こそ穏やかなままだが、アリアの目付きが鋭くなる。
警官二人には、心当たりしかないのだろう。狼狽した態度を見せ、主人の顔色を窺う。主人は、グラスのビールを一気に飲み干すと、それを警官に押しつけて下がらせた。
「警部殿、警部補殿、よい」
主人は咳払いを一つ落とすと、コートの下から覗く艶のあるネクタイを直す。
「ここの鉱山を管理している。町長で子爵のゼニスだ」
「アリアですわ」
「アリア殿、貴女はどこまで出来る」
ゼニスの問いに、アリアはすぐには答えなかった。しばらく喉を鳴らすと、後ろの警官が持つ空のグラスを指さした。
「それを貸してくださいな」
アリアがグラスを受け取ると、露の冷たさが指に伝わる。
アリアは右手の人差し指――焦げた指サックの先にグラスを乗せると、目を鋭く細めた。
すると、指の上でグラスが、キィィ、と微かな音を立てて激しく振動しだし――
「な、何!?」「おお……!!」
ゼニスと警官が目を見張る。アリアの指の上のグラスが、熱した鉄板に水滴を垂らしたかのようにジュッと蒸気をあげ、表面の露が一瞬で消える。次の瞬間、グラスは一気に砂のような粉になって、さらさらと崩れ落ちた。
「これぐらいですね」
ニコリと微笑むアリアに、ゼニスは手を叩く。上機嫌に笑っている。
「素晴らしい。いい腕のシスターだ。雇おう、いくら欲しい」
「前払いです」
「……っ。足元を見おって。いくらだ」
「いいえ。お金は要りません。お金など、すぐにお酒に換わるだけ。ですので、お酒でください」
「わはは! それなら安いものだ。すぐにビールを持って来させよう」
「いいえ。ぬるいビールはもう飲みました。冷えたものを」
『冷えたものを』
その一言に、男たちの顔が強ばる。ゼニスは咳払いをすると、両腕を広げながら、わざとらしく肩を竦めてみせた。
「ハハハ、残念だがそれは出来かねる」
「あら? どうしてですの?」
「もう氷がないのだ。氷室の氷は夏の間に全て無くなったよ」
ゼニスは薄ら笑いを浮かべながら、芝居がかった調子で言う。
アリアは微笑みを崩さない。だが、その瞳の奥は冷たい。
(では、先程のグラスの露は何でしょうねえ)
口には出さず、アリアは床に散らばったガラスの粉に、ちらりと目を落とした。
「ふふっ。ならば、冷蔵庫を使えば良いではないですか。街で見たことがあります」
「なんだと……!?」
「大都市に行けば電気があります。そこで冷蔵庫を借りれば良いでしょう。氷もあるでしょうから、それを機関車で運んでくださいな」
アリアの言葉に、ゼニスの顔が一気に赤く染まり、拳が振り上がる。後ろの警官が止めに入るが、ゼニスはそれを振り払い、怒りが収まらない。
「あれを一日動かすのにいくらかかると思っている!! 教えてやる!! ここの鉱夫全員を一週間遊ばせられる程の金だ!! しかも機関車も使えだと!?」
「それが何か?」
「なにぃっ!?」
「それで事態が収拾し、人の命が助かるのならば安いものでしょう。死ねば冷蔵庫が百個あろうが生き返りはしません」
「馬鹿馬鹿しい! 貴様の言っていることは偽善だ! 貴様の道楽のために金を捨てろというのか! ふざけるな!!」
「払えないと?」
「当然だ! 出ていけ! このたかり屋めが!」
ゼニスはますます激昂し、ついには警官から銃剣付きの小銃を奪い取ると、その切っ先をアリアに向けて威嚇する。銃口が、小刻みに震えていた。
「撃つぞ! 消えて失せろ!」
「好きになさい」
アリアはもう笑っていない。ゼニスを冷たく、睨みもせず、ただ見ているだけだ。路傍の石でも眺めるように。
その不気味さに気圧された警官が、慌ててゼニスの腕を押さえる。
「貴方たちも、警官ならば、本当に守るべきものは何か、お考えなさい」
アリアはそれだけ言い残し、踵を返した。
戸を閉めた直後、パァン、と乾いた音が響き、内側から窓ガラスを銃弾が突き抜けた。
砕けたガラス片が平屋の前の砂利道に散らばるが、誰もそれを見なかった。
─────────
続く……




