その旅路は長く遠く①
訳者注:この物語は、我々との世界とは異なる「異世界」にて書かれたものである。
本書の読者のため、かの世界独自の距離、重さなどを示す単位は、すべてわたしたちの世界のものとしている。
(凡例:8ラヒット→10m)
振り注ぐ暖かい日差しにふと、影が差した。
ごうごう、と魔動機音が煉瓦造りの建物の壁に反響しだす。
白いつば広帽をかぶり、ドレスを身につけた若い女性が空を見上げた。
彼女の視線の先には、銀色の鯨をおもわせる天翔ける飛行船があった。
ヴェルイーンと呼ばれる都市の街路から、しばらく悠然と航行する飛行船を見つめていた女性は、ふと気づいたようにハンドバッグからパンフレットを取り出してから、女物にしては無骨な腕時計を確認する。
パンフレットに書かれた式典の開始時刻には、まだ時間がある。
少々時間潰しが必要と判断し、木陰に身を寄せた彼女の瞳は、パンフレットに綴られた説明文へと吸い寄せられていった。
……エルフのおさめる国、エルフィラントに、かつてとても賢いエルフの女王さまがいらっしゃいました。
エルフの国は、賢い女王さまのおふれや、女王さまが取り立てた技術者の発明品でどんどん成長して、やがて大陸を統一してしまいました。
すばらしいエルフの女王さまのもとで、これから千年の長きにわたる黄金時代がやってくる、とみんなが思ってました。
でも、わざわいはとつぜん訪れたのです。
帝暦9135年。新年を祝うエルフの国の都、エルフと人間が暮らすコーモゥスにとつぜん、異界の「門」が開いたのです。
そこからあらわれた「偉大なる指導者、ファフニール」と自称するバケモノは、ひとびとを次々とその牙にかけていくと、あっというまに都を占領してしまいました。
それだけではありません。
命からがら逃げたひとびとは、かつての都だった地から魔族の軍勢がぞろぞろと出てきて、ひとびとをさらっていくのにおびえることになりました。
でも、女王さまやひとびとはくじけませんでした。
みんなは第二の都、空を飛ぶ都市ヴェルイーンに集まり、魔族に対して戦争をはじめました……。
時計の針が巻き戻っていく。
ときは帝暦9145年。人とエルフの都から、主が魔族へと移り変わったコーモゥスにて。
暗闇に、光が灯った。
光は、鋼鉄で作られた壁に灯る文字だった。
おぼろなその光により、壁面に触れている細く白い指が映し出される。
続いて、ささやくようなしかし、よく通る透明な女性の声により、古歌のような旋律をもって詠唱が始まる。
「古き盟約に従い、沈黙せし汝よ。
命に従い、その身を目覚めさせよ」
「我が名は、シグルドリファ」
言の葉が紡がれていくたびに、鋼鉄の壁面に灯る文字は多くなっていく。
「操縦手、魔動機を起こせ」
「エンジン始動!」
鉄と油の香りが漂う車内に、壮年の男の声が響く。
同時に風が巻くような音が車内に響いた。後方からのごうごうという音はやがて、巨人の鼓動を思わせる響きに塗り替わっていく。
「すげェ、このデカブツを一発で叩き起こすとは。さすがエルフの高級将校だ」
感嘆したような低い女性の声に、まだ少年の面影を残した声が答える。
「当然ですよシノ軍曹、隊長どのは戦争前から戦車を乗りこなされていたのですから!」
後方からの魔動機の音が高まっていくなか、まだあどけない少女の声がかぶさってくる。
「こんなに大きな戦車を? すごいなあ」
「ズィーちゃん、人間用だけどこれをかぶってね。魔動機の音を聞き続けると、耳が遠くなっちゃうから」
「パウルくん、ありがと。うう、耳が縦になっちゃう」
砲手席のパウル、と呼ばれた少年から差し出されたヘッドセットを少女がつけると、人間の耳を覆うように作られたであろう、ぶ厚いパッドから長く伸びた耳がはみ出す。
車内灯のおぼろな光に照らし出されるズィー、と呼ばれた少女の顔や肌には、どこかまがまがしさを感じさせる青く光る紋様が浮かび上がっていた。
「操縦手、準備が出来しだい発進。砲手、車体前面に魔術障壁を形成する。扉を破ったあとの突発戦闘に備えよ」
「「了解しました、隊長殿!」」
重なるふたりの男の返答を確認すると、命令を発した黒衣の指揮官は頭上の司令塔の鋼鉄のハッチを開け、上半身を乗り出す。
美しい妖精の女性だった。
将校用にあつらえられた制帽をかぶり、みじかくまとめられた銀髪がさらさらと肩から流れ落ちる。側頭部からはつんと伸びた尖った耳が見え、戦車兵をあらわす黒い制服に身を包んだ細い肢体が淡い光に照らし出された。
しかし、その顔には生気がなく、大理石で掘られた彫刻のような印象を見るものに与えている。
さらに無機質な印象を増すかのように右目は、美麗な顔にそぐわぬ黒い眼帯が深淵のように覆っていた。
彼女の片方の瞳が見下ろす視線、その先には、鋼鉄の「塊」があった。
まるで弁当箱を積み重ねたような角張った車体に、ごてごてとハッチや観測装置を備え、さらには工具や武装をくくりつけたその姿は武骨、という言葉を体現している。
そして、前方に向かってひときわ長く、太古に滅んだ猛獣の牙をおもわせる砲身が伸びていた。
砲身から車体にかけ、蒼い光が集中しているのを確認すると、彼女は車内に体を戻しハッチを閉める。
「魔術障壁の展開は完了した。これより出撃する」
「了解です、隊長殿」
操縦手をつとめるブルグミュラーはクラッチをつなぎ、動力を足回りに伝える。ぎちっ、ぎちっと起動輪がきしみ、小さな小屋ほどもある鉄の塊、その大重量をものともせず、履帯が動き出す。
エルフの将校は、女物にしては無骨な腕時計を確認する。
そして、車内に凛とした声が響いた。
「戦車前進!」
時を少しだけ巻き戻す。
ひとの気配が失せた、煉瓦で造られた街並みに、凶暴な声が響いた。
「Urooooooooof!!!」
建物の壁を揺るがすような喚声とともに、粗末な軍服からのぞく肌を黄緑色に妖しく光らせ、銃剣をきらめかせながらゴブリンと呼ばれる亜人らが路地を通り、前方の巨大な建物に殺到してくる。
しかし、その「突撃」は悲しいほど統制が取れておらず、やみくもに走ってきているだけだ。
それゆえに。
建物からたん、という銃声が響き、先頭の小鬼の額に穴があいてその中身をあたりの仲間にまき散らしたとき、集団はあっさりと恐慌状態に陥った。
かれらの足が止まったそのとき。
雷のような轟音が連なり、周囲に立ち並ぶ建物の壁に反響して響きわたる。
目視もかなわぬ、連続して打ち出される弾に絡め取られたゴブリンたちは、あっという間に集団でなぎ倒され、その体は花火のように弾け塵となっていった。
かろうじて鉛の雨から逃れた少数の幸運なものらは、慌てて逃げて行く。
官公庁のひとつなのか、エルフィラント様式の特徴である赤い煉瓦で造られたがっしりとした建物の入り口、その両開きの扉の前にはふたりの影があった。
「とりあえず、撃退できたようですね」
そのうちのひとり、褐色に近い金髪の頭に戦車兵用の略帽をかぶり、小銃を構えた兵士がかたわらのもうひとりに話しかけた。
その小柄な姿や声はまだ、少年の面影を残してはいるが、どこか澱のように淀んだ老人のような雰囲気がある。
「しかしパウルよォ、これじゃ完全に雪隠詰めだ。タマだって限度があるし、さっさと腰をあげて転移門まで行かないと押し切られっぞ」
野戦帽をかぶったこうべを上げてそう答えたのは、少年のかたわらで腹ばいになり、軽機関銃を構え、特徴的な斑点模様の迷彩服を身にまとった大柄な女性だった。
しかし、そのからだは明らかにひとと違っている。
肌は煉瓦のような赤みを帯び、引き締まった身体は鋼のような筋肉で覆われている。
厳つくも顔立ちは整っているが、時折口元にのぞく肉食獣を思わせる尖った歯、そして額から突き出た角は、彼女が勇猛果敢をうたわれ、種族全体が戦士階級とされる「オーガ」と呼ばれる種族である、と無言で語っていた。
「そうですねシノ軍曹。作戦は成功したのに、敵さんの首都でおいてけぼりを食らったのではかないませんから」
そう、僕たちは成功させたのだ。パウルと呼ばれた少年は思い返す。
十年も続いた魔族との戦争で、滅びかけた祖国の一か八かの回天の策を。
長きにわたる戦争の末、1年半前からの「偉大なる指導者」と名乗る魔軍の王、ファフニール自らが参加した魔軍の大攻勢の結果、エルフと人、オーガやドワーフといった人々の国、エルフィラント帝国は首都であるヴェルイーンまで追い詰められていた。
学徒兵まで動員した国民突撃隊が絶望的な防衛戦を郊外で繰り広げるなか、エルフィラント帝国軍はある作戦を立てる。
帝国の臨時首都である空中要塞ヴェルイーンの魔力炉、その大半の容量を使い、魔族の首都となり果てたコーモゥスに大規模な転移門を作成。
形成された門に、ヴェルイーン防衛を担っていた精鋭部隊からなる「特別挺身隊」を投入、魔の根源である異界につながる魔力門を破壊する。
作戦名は「大嵐」。
「愚連隊の殴り込みのようだ」とエルフィラント帝国軍参謀本部に嘆かれた、この無謀極まりない作戦は、結果として成功した。
送り込まれた挺身隊の奮闘の末、コーモゥスにあった異界とこの世界をつなぐ門は破壊され、そこからあふれ出る魔力を利用して体を形成していた上級魔族は、つながりを失い塵となった。
挺身隊の誤算は、魔界とつながりが深い上級魔族は存在できなくなり消滅したが、ゴブリン、コボルト、オークなどの「この世界に根差した」魔族は存在し続けたこと。
統制は取れていないながらも、圧倒的な敵の物量に押され挺身隊は分断された。いま、建物に立てこもっている自分たちも、持ち込んだ戦車が破壊され、途中で一緒になったシノ軍曹とともに、歩兵となって戦うことを強いられている。
そう、パウルがかれらの置かれた立場を思い返したとき。
こつ、こつ、こつ、と硬い靴音が聞こえてきた。
その音に、パウルは思わず背筋が伸びる。
「状況を報告せよ。パウル・ミュラー伍長」
澄んでいるが、しかし抑揚のない声が背後からかけられた。
「隊長どの」
振り返ると、そこには美しい妖精の女性がいた。
窓から差し込む光によって、制帽からこぼれた銀髪がきらめいている。
その輝きはしかし、右目にかけられた黒く無骨な眼帯や、人形のような表情のもとではどこか虚ろに見える。
彼女の名は、シグルドリファ・ヴォン・ヴァルナー。
階級は大尉。エルフの貴族にして女王陛下より「西方の守護騎士」を拝命した武門の一族のひとりであった。
「はっ、敵部隊の撃退には成功。残弾は小銃がマガジン3つであります」
「軽機はドラムマグ2個分だな」
間髪入れず返ってきたふたりの報告を聞き、シグルドリファは軽くうなずく。
「悪い知らせがある」
「おいおい戦車の指揮官さんよ、こういうときはいい知らせと悪い知らせがある、どちらから聞く、とたずねるのが定番だろ」
女オーガ、シノが軽口をたたくがそれを歯牙にもかけず、シグルドリファは続けた。
「我が軍の無線によると、転移門が止まった。現在復旧に全力を尽くしている、らしい」
「はぁ!? それってどういう……」
シノの声を遮るかのように、廊下につながる一室から声がかけられる。
「大尉殿、みんな、聞いてくれ。敵の通信を傍受した」
顔を出したのは、眼鏡をかけ、無精ひげを生やした人間の中年の男だった。
パウルと同じように、長年蓄積されたのであろう疲労が感じられるが、それでも本質的な人の良さをただよわせている。
ボリュームがあげられたのであろう、その部屋に据えられた無線機から、不吉さを帯びた怒声が響きわたる。
「Ostavshimsya v zhivykh komissaram: Beyte fashista!」
後半は聞き慣れたフレーズだった。いや、むりやり聞き慣らされた、というべきか。
ファシスタを殺せ
人間やエルフ、そして彼らに与した亜人を表す、魔族側の蔑称だ。
「魔軍は生き残った部隊を再編成中だ。将校たる上級魔族が軒並み消滅したとはいえ、やつらも馬鹿ではない」
「それでは、早く脱出地点まで移動しないと」
パウルの進言に、将校帽をかぶったエルフは首を振った。
「弾薬も武器も兵員も不足している。この状態では転移門のある『緑の広場』に辿り着くまでに殲滅される」
「じゃあどうするんだよ!」
「建物を捜索する。どうやらこの建物は軍の重要拠点のようだ。使える物資があるかもしれない」
半ば怒声と化したシノの問いかけを冷然と見返しながら、シグルドリファは命令を下した。
その冷たい気迫は、勇猛果敢をうたわれるオーガ族すら怯ませるものがある。
彼女の眼帯に覆われた右目からはこころなしか、うっすらと青白い光が漏れているように見えた。




