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第十六章

「この……大馬鹿者が……!」


皇甫軻は歯を食いしばり、即座に自身の針箱を開いた。


迷いのない神速の指先が、謝問の丹田の下、頸椎、両肩など、十箇所に及ぶ要穴へ寸分違わず銀針を滑り込ませていく。


まずは奇経八脈の繋がりを物理的に断ち、暴走する二つの真気の衝突を強引に抑え込む。


さらに、自らの純粋な真気を謝問の体内へ流し込み、巣食う凶悪な寒気を一点へ集め、少しずつ外へ絞り出していった。


――丸一日。


実に十二刻にも及ぶ治療の末、謝問の体内から、あの凍てつく寒気はようやく完全に駆逐された。


しかし、本当の苦難はそこからだった。


寒気が消え去ったことで、今度は堰を切ったように過剰な陽気が体内を支配し始めたのである。


乱れ切った呼吸。


激しい動悸。


寒気なら内功で追い出せる。


だが、この鬱積した灼熱の陽気だけは、鍼灸や丁寧な推拿、そして薬物によって、数日かけて気の流れを調和させるしかなかった。


正午――一日の中で最も陽気が盛んになる刻。


謝問の身体は再び限界を超えた熱を帯び、意識を失ったまま苦しげに喘ぎ始めた。


皇甫軻は熱が体内へ籠もるのを防ぐため、謝問の衣を一枚ずつ丁寧に脱がせ、冷水へ浸した手拭いで燃え盛る肌を何度も拭っていく。


若くして父と共に戦場を駆け巡ってきた謝問の身体は、健康的な小麦色に焼け、無駄な脂肪など一切ない、美しく引き締まった筋肉に覆われていた。


厚い胸板。


鋭い陰影を描く腹筋。


それは、あまりにも生々しい「雄」としての生命力の象徴だった。


皇甫軻は、生まれつき人より体温が低い。


手拭いだけでは追いつかぬほどの高熱を前に、彼は一瞬だけ逡巡した後、意を決したように自らの白衣を脱ぎ捨てた。


雪のように白く、しなやかで清冽な身体。


その裸身のままベッドへ滑り込み、背後から謝問の灼熱の身体を細い腕で抱き締める。


自らの冷たい体温を直接肌へ伝え、熱を奪おうとしたのだ。


意識の底で漂っていた謝問は、不意に訪れた心地よい冷たさへ、本能的に縋りついた。


背後の身体を貪るように抱き寄せ、その大きな腕で強く掻き抱く。


「っ……!」


皇甫軻は息を呑み、その力の強さに一瞬顔を強張らせた。


本能的な恐怖に襲われ、反射的に突き放そうとする。


だが、謝問は頑なに腕を緩めようとしなかった。


まるで頑固な膠のように皇甫軻へ密着し、その細い腰を壊れそうなほど強く抱き締めながら、熱い吐息混じりに掠れた声を漏らし続ける。


「師尊……行かないでくれ……」


「俺を……置いていかないで……」


謝問の目は固く閉ざされ、長い睫毛が痛々しいほど震えていた。


薄い唇から絶え間なく熱い息が漏れ、胸を締めつけるような掠れた囈言が繰り返される。


普段はあれほど男らしく、不敵な気概に満ちた顔立ちだというのに。


病に身を窶した今の彼は、まるで世界へ捨てられた仔犬のように儚く、脆かった。


皇甫軻の胸の奥で、何かが音を立てて崩れ落ちた。


結局のところ、彼はこの弟子に対して、どこまでも甘かったのだ。


心を鬼にすることなど、最初からできはしなかった。


皇甫軻は静かに抵抗をやめ、謝問の逞しい胸へその身を委ねる。


抱かれるまま、自らの冷たい肌を差し出し続けた。


「師尊……師尊……っ」


荒い呼吸の合間にも、謝問は狂おしいほどその名を呼び続ける。


それが、生涯禁欲を貫き、道に殉じてきた皇甫軻にとって、どれほど苛烈な責め苦であるかも知らずに。


突き放すには忍びなく、かといって、自らの心が侵されていく恐怖にも耐え切れず。


皇甫軻は奥歯を強く噛み締め、暗闇の中で理性を保とうと必死に葛藤し続けていた。


そうして張り詰めた時間が一刻ほど流れた頃。ようやく謝問の呼吸は穏やかさを取り戻していった。


熱が完全に引き、深い眠りへ落ちたのを見届けると、皇甫軻はそっとその腕を抜け出した。


疲れ切った身体を引きずるようにして部屋を出る。


冷たい夜気を吸い込み、乱れ切った真気をどうにか鎮めた。


やがて再び寝室へ戻った時。


謝問は何も知らぬまま、安らかな寝顔で眠り続けていた。


皇甫軻はその枕元へ立ち、未だ微かに痺れの残る己の身体を自嘲するように、小さく苦笑を漏らす。


そして、赤みの引かない下唇をそっと噛み締めながら、消え入りそうな声で、愛おしげに呟いた。


「……不埒ものめ」


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