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新聞記者でございます(後編)

煙草ぷかぷか後編です。

「はぁー…」


 敷牧は溜め息を吐いた。

 口の中で飴玉を転がし、利き手でボールペンをクルクル回すが落ち着かない。

 どちらも煙草の代わりだが、代わりになっていない。

 手持ち無沙汰は解消されていなかった。


「いつ以来だろうな…」


(…煙草が手元にも無いのは)


 彼に取って煙草は人生だった。

 よくある話だ。

 学生時代に悪い先輩に誘われて初めて吸った。

 喫煙以外でも親とよく喧嘩をした。

 その内、売り言葉に買い言葉で家を飛び出した。

 その後は色々なアルバイトを転々とし、高校の先輩の伝手で新聞記者になった。


(国民的芸能人のゴシップ記事をすっぱ抜いた時は痛快だったなあ…)


 芸能人は後ろめたいネタに事欠かないが、誰にでも取れるネタでは無い。


(あれが俺の人生のピークだった。…政治家は不味い)


 芸能人で味を占めた彼は、調子に乗って政治家を次のターゲットに決めた。

 新聞社の先輩が止めるのも聞かず、一人で勝手に張り込んだ。

 海外への転勤を言い渡されたが、納得がいかず、フリーになっても構わないと辞表を突き出して張り込みを続けた。

 翌日、気付いたら中東の海外支社のソファーの上だった。

 会社の仕業かと思って恨みもしたが、そこで言われた現地の先輩の言葉が忘れられない。


「お前、うちの会社で良かったな。余所だったら東京湾で魚の餌だぞ」


 彼が手を出した相手は、それほど危険な相手だったのだ。

 その後、先輩も同じ境遇だと聞いて共感し、日本での愚痴を肴に、現地の酒を浴びるほど飲んだ。

 記事のネタに溢れる日本の都市部に比べれば何も無い土地。

 一時は煙草を止めようかとも思ったが、その煙草のお陰で寝込みを蛇に襲われずに済んで、その後も蛇避けを兼ねて結局止められなくなった。


 アルバイトの休憩時間、記事の推敲中、飲み会の場、張り込み中の社内、彼の傍には何時でも煙草があった。


(それが今では強制的に禁煙か…)


 彼は胸を抑えた。

 海外支社での態度と成果が認められて日本に戻ってからは、会社の意向に反するような真似はしなかったが、それでも色々と無茶をした。

 その結果がペースメーカーである。


(若い頃に無理をし過ぎて…ははっ、どれが原因か見当も付かねーな。…まぁ、後悔はしてねーけどな)


 敢えて後悔を挙げるなら、今煙草を吸えないことかもしれない。

 それでも後悔とは言わない。

 それが新聞記者…ブンヤとしての彼の誇りだからだ。


***


「うぐっ!」


 ベッドで上体を起こして新聞を読んでいた敷牧は、急に息苦しさを感じて、胸を抑えて蹲った。

 苦しみに耐えようと、きつく目を閉じて歯を食いしばる。

 必死に手探りでナースコールボタンを探すが中々見つからない。

 新聞、雑誌、ボールペン、PHS、カップ…ベッドや机の上の物が次々に落下していった。

 そうしている間にも、どんどん呼吸が苦しくなっていく。


(こんなことなら、さっさと謝っておくんだったな…)


 彼が死を覚悟した直後、


 バタンっ!


「どうしたざますか?!」


 病室のドアが物凄い勢いで開いて壊れ、婦長さんが姿を見せた。


(なんで…?)


 敷牧は疑問に思ったが、深く考える余裕は無かった。

 婦長さんは彼に駆け寄って脈を確かめると、直ぐにナースコールを押して彼の症状を伝えると、周囲を見渡した。

 計器類は全て正常。

 テレビにも問題は無い。

 床には彼のPHSが転がっていたが、今更使用上の注意を間違えたとは考え難い。


「―――っ!」


 ダッ!


 婦長さんは急に窓に向かって走り出した。

 彼女が窓を開けて身を乗り出して見ると、上の部屋の窓が開いていた。

 彼女は窓枠の上に手を掛けると、逆上がりの要領で回転し、足から真上の部屋に突入した。


「?!」


 上の部屋に居た若い男が驚く。

 室内のテーブルやベッドには、トランシーバーが幾つも置かれていた。

 トランシーバーは一般的に、基地局を通す携帯電話より強い電波を出す。

 しかも無指向性である。


 バキッ! ベキッ! グシャッ!


 婦長さんはトランシーバーに駆け寄り、その全てを握り潰した。


「なっ!?」


 男が呆気に取られたのも束の間。

 次の瞬間には、背後に回った婦長さんの手刀を首筋に受けて意識を失った。

 婦長さんはその後、気絶した男を後ろ手にシーツで縛り、床に座らせるような形でベッドの足に固定すると、下の部屋に戻った。


***


「ぐごごご……すー……ぐごごご……」


 敷牧は安らか(?)な寝息を立てていた。

 トランシーバーの電波が原因だったのだろう。

 意識はまだ戻っていないが、呼吸は安定している。

 ナースコールで到着した看護婦と一緒に彼の容態を確認するが命に別状は無く、緊急手術は準備の完了を待たずして不要となった。

 婦長さんが彼を看護婦に任せて上の部屋に戻ると、ベッドの足に縛られた男は意識が戻って胡坐をかいていた。

 昏睡と違って気絶は数秒から数分で意識が戻るのだ。


「何でこんなことを仕出かしたざますか?」


 男は親の仇でも見るかのように婦長さんを睨むと言った。


「あいつが悪いんだ! 妹はあいつのせいで気管支炎になって今も苦しんでるんだ。同じ目に合わせて何が悪い!」


 男が言うには、敷牧は彼の妹が働いていた弁当屋の常連だったらしい。

 窓口でも煙草を吹かし、彼の妹が嫌がっても煙を吹き付ける有様。

 時給が良い弁当屋を辞められなかった彼の妹は、気付いた時には気管支炎になっていた。

 医者からは煙草の影響を示唆されたが、彼の家や妹の交友関係では誰も煙草を吸わない。

 原因は考えるまでも無かった。


「妹が今も苦しんでるのに、あいつはのうのうと病院で煙草を吸ってる。こんなことが許されていいのかよ!?」


 男が恨むのも当然だろう。

 しかし、


「貴方は勘違いしているざます。敷牧さんは既に懲役待ちざます」


「…は?」


 男は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。


「ですから、敷牧さんは既に有罪判決を受けていて余罪の調査中。退院後は服役予定だと言ったざます」

「…マジ?」

「マジざます」

「…それじゃあ、オレのやったことは…」

「無駄ざますね」


 婦長さんに断言されて男は項垂れた。

 立っていたら膝を落として思いっきり床に打ち付け、痛みに転がっていたところだろう。


「あんたの妹もだったのか」


 男が声のした方を見ると、看護婦に肩を借りた敷牧が部屋の入口に立っていた。


「済まなかったな。俺がもっと早く謝るべきだった」

「今更謝られても遅過ぎる…遅過ぎるんだよ……」


 敷牧の謝罪に対して、男に怒りは無く、只、壊れて床に転がるトランシーバーを見た。

 彼は既に罪を犯してしまったのだ。

 罪には罰を。

 それは彼自身が求めたことだ。

 彼自身、罰を受ける覚悟はあったが、敷牧が公的に断罪されるなら、男のしたことは妹を悲しませるだけの無駄な罪だった。


「…何のことだ?」


 何となく察した敷牧がとぼける。


「? 何のことってオレはあんたを…」

「俺? そう言えばさっきまで調子が悪かったけど、何故か急に良くなったな」

「こらっ! 暴れないで下さいっ!」


 敷牧が元気をアピールしようとして急に肩を回し始めたので、支えていた看護婦に文句を言われた。


「なあ、何かあったか? バ…婦長さん」

「さあ、何のことざましょ?」


 失言を眉一つ動かさず聞き流して話を合わせた婦長さんに、敷牧は感嘆の息を漏らした。


(このババア、鉄人かよ…)


***


 翌日、敷牧は男の立ち合いの元、彼の妹に会って頭を下げた。

 彼の妹も最初は戸惑ったが、敷牧にもう煙草を吸わないことを約束させて許した。

 尤も、病院では禁煙が当たり前であり、喫煙による他者危害で逮捕される敷牧が刑務所で吸えるはずも無いのだが、それは言わぬが花であろう。


 めでたしめでたし。

明日も08:00頃投稿予定です。

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