ママ友でございます(前編)
二人とも今回の主賓です。
名前は後編で。
しゃーっ! しゃーっ!
軽快に金属が擦れる音を立てて、二台のママチャリが並んで走っていた。
乗っているのもママチャリに相応しい若い母親たちだった。
「わっ!」
正面から歩いて来る歩行者が慌てて道を開ける。
二人はあっと言う間に空いた歩道を走り抜けた。
「気持ちいぃー!」
「だねー!」
次は前を歩く歩行者が見えて来た。
二人は目でコンタクトを取り、左の女性が呼び鈴を鳴らす。
ちゃりちゃりーん!
歩行者は驚いて何事かと思って振り返ると、間近に迫った彼女たちの自転車にびっくりして大きく横に飛び退いた。
彼女たちが歩行者を悠々と抜き去ったのも束の間、少し前方に見える歩行者用の信号機が点滅を始めた。
勿論、彼女たちは止まらない。
彼女たちはペダルを踏む足に力を籠める。
横断歩道を渡っている途中で歩行者用の信号機は赤に変わったが、車両用の信号機が変わったのは渡り切る直前だった。
「いぇーい!」
「いぇーい!」
彼女たちは並走しながらハイタッチをした。
今朝は近くのスーパーで特売なのだ。
家計を預かる主婦にとって、特売は全てに優先される。
お一人様一パック限り10個入り10円の卵を見逃しては主婦が廃る。
惜しむらくは子供が人数に含まれないことだと、彼女たちは常々不満に思っていた。
次の赤信号で止まって愚痴り合う。
「なんで自分で買えないとダメなのよ」
「そうよね。うちの子たちはまだ3歳なんだからズーユー利かせてくれてもいいじゃん」
子供たちは買い物の邪魔なので連れていなかった。
格安卵が買えるならグズっても連れて来ただろう。
二人とも猫可愛がりで育児も母親に任せっぱなしだが、流石に三歳児だけで家に放置はしていない。
「あー、そこの自転車に乗ったお姉さん方。ちょっと宜しいですか?」
「「は~い?」」
彼女たちが若い男性の声に釣られて振り返ると、そこには若い警察官が居た。
自転車から降りて、自転車用道路の端に止めている。
(げっ!)
彼女たちは面倒な相手に返事をしたと後悔した。
その予想通り、道路交通法違反について注意される。
若い男性と言うことでギリギリ耐えて聞いていた彼女たちは、名前と連絡先を尋ねられた途端に切れた。
「なんでそんなこと言わなくちゃいけないのよ?! まるで犯罪者みたいじゃない!?」
「まるで、ではありません。道路交通法違反は立派な法律違反で、歴とした犯罪です」
「ちょっとくらいイイじゃない!」
「皆やってるじゃん!」
ざわざわ、ざわざわ。
何時の間にか三人の周囲には遠巻きに人が集まっていた。
「もうイイでしょ! 行きましょ!」
「う、うん!」
居た堪れなくなった彼女たちが警察官を振り切って、自転車で人混みに突っ込むと、人集りは蜘蛛の子を散らすように散って、彼女たちは無事に逃げ果せた。
***
「あぁーっ、ほんと腹が立つ! ちょっとイイ男だと思って話を聞いてあげたら付け上がって!」
「だよね。男のくせに細かいことをグチグチと。ああいう男はきっと一生独身で風俗通いよ」
「きゃははは。ありそうありそう!」
警察官を振り切った二人は、何時もと違うルートでスーパーを目指して自転車を走らせながら愚痴った。
当然、自転車用道路を無視して歩道を走って。
もし特売に間に合わなかったら、帰り道の愚痴は倍増することだろう。
「帰りに魅玲遊のお見舞い寄ってく?」
「いいわね。退屈してるだろうし雑誌でも買ってこうか?」
若い警察官に捕まったことを除けば、彼女たちにとって全て日常茶飯事だった。
***
――日和見病院。
某県某市の片隅にある、ごく普通の総合病院。
そこには、ごく普通の建物があって、ごく普通のお医者さんが居て、ごく普通の診療が行われていました。
ただ一つ普通と違っていたのは…婦長さんは――だったのです!
***
「あ~、またあいつらだー…」
「え? 何々?」
若い看護婦の一人が、自動ドアから入って来た二人組の見舞い客を見て、小声で嫌そうに言うと、隣のもっと若い新人看護婦が興味を惹かれて尋ねた。
すると待っていましたとばかりに若い看護婦は答えた。
「前に言ってたでしょ? 自転車暴走おばさん」
「あれが噂の?」
「うん。歩道を走る、信号を無視する、危険運転を繰り返すの数え役満。あれは普段から何やってるか分かったもんじゃないわね」
「うわぁ…」
罪状を並べた側も聞いた側も呆れていた。
「患者や見舞い客を悪く言うものではないざます」
「でも今日も病院の敷地内の歩道を走っていましたよ」
後ろから現れた婦長さんが二人を諫めようとしたが、更に後ろから来たやや年配の看護婦が反論した。
「そのことで確認したら、警備の人に監視カメラに残ってるの見せて貰えたし」
「それなら話は別ざます」
そう言うと婦長さんは暴走おばさんたちの方へ歩いて行った。
残された三人の看護婦はこれから起こる惨劇を予想し、こっそり耳栓の準備をした。
***
「少し良いざますか?」
「うわっ?!」
婦長さんに声を掛けられた女性二人は振り向くと、思わず目を見開いて大声で叫んだ。
「ぎゃーっ! ヘンターイっ!! 犯されるーっ?!」
「男がナース服着てる!!?」
周囲の患者は慣れたものだ。
婦長さんを見て納得する者もいるが、大半は見るまでも無く、新しい患者や見舞い客が来た時の恒例行事と考えて気にも留めなかった。
「誰が男ざますか!」
婦長さんも手慣れたもの。
逃げようとした二人の襟首を掴み、多少の怒気はあるものの冷静に窘めた。
「「え?」」
二人は女性の声で返事をされたことに気付いて我に返った。
落ち着いたと見た婦長さんが手を放す。
二人は婦長さんをマジマジと見て首を傾げた。
「「…女性?」」
「…他の何に見えるざますか?」
彼女たちの旦那たちより高い身長。
彼女たちの旦那たちより太い腕。
彼女たちの旦那たちより太い足。
彼女たちの旦那たちより分厚い胸…板?
彼女たちの旦那たちより精悍な輪郭。
彼女たちの旦那たちに劣っているかもしれないのは腰回りくらいだろうか。
そうだとしても、ナース服の下の腹筋が劣ることは無いと思われた。
「ナ、ナース…?」
流石にもう男とは言わなかった。
婦長さんも何故疑問符なのかとは敢えて突っ込まなかった。
「貴女たち、病院の敷地内の歩道を自転車で走っていたざますね?」
まだショックから立ち直っていなかった彼女たちは意味を理解できず首を傾げた。
「歩道は歩行者の為の道ざます。今後は自転車で走らないこと。良いざますね?」
婦長さんは必要なことだけを言って去ろうとして、
「「はぁ~?!」」
不満の声を聞いて足が止まった。
「何かあるざますか?」
二人は婦長さんの迫力に気圧されるが、納得がいかず、持ち前の気丈さで反論をした。
「皆やってるじゃない」
「皆が行っても犯罪は犯罪ざます」
正論だ。
「何で私たちだけ怒られてるのよ!」
「そうよ! 贔屓よ贔屓! あんた何様のつもり!?」
「贔屓では無いざます。同じことをした相手は全員注意しているざます。あと、私は婦長ざます」
「婦長なら何言ってもイイとでも思ってるの!」
「法律や道徳の話であって婦長は関係無いざます」
「じゃあ言わないでよ!」
立て板に水とはこのことだ。
感情的な二人は元より、婦長の注意…と言うか突っ込みも止まらない。
この場合、微妙に会話が噛み合っていないのは、二人が感情で言葉を並べているからであって、内容は伝わっているので特に問題は無い。
「歩道は歩く。自転車は歩行者ではない。子供でも知っていることざます」
「バカにして! それくらい知ってるわよ!」
「知っているのなら、どうして守らないざますか?」
「問題ないからイイのよ!」
「危険な真似ばかりして、子供やお年寄りが避けられなかったらどうするざますか」
「その時はちゃんと避けるわよ!」
「普段出来ていないことが、いざと言う時に出来るのなら、野球選手はどんな球でも百発百中ざます」
スポーツ選手や格闘技選手にとって反復練習は日常だ。
囲碁や将棋の棋士も、他人の譜面を検討して将来に備える。
それは自分への厳しさが求められる行為であり、プロがプロたる所以かもしれない。
しかし彼女たちにはそう言った泥臭い努力や積み重ねとは縁が無かった。
婦長さんは感情的に早口で捲し立てても怯まず、詭弁にも騙されずに正論を言う。
いつもの根拠の無い勝利宣言で勝ち誇っても無視されることは、彼女たちも薄々気付いていた。
言い負かすことも勝ち誇ることも出来ないのなら、プライドの高い彼女たちに残された手段は一つしか無かった。
「きぃーっ! 何なのよもう!」
「あー! うるさいうるさいうるさい! わかったわよ! 気を付けるわよ! それでイイんでしょ!?」
『仕方なく相手の言い分を認めてあげた』というアピールである。
彼女たちは捨て台詞を吐いて、去って行ってしまった。
待合室にいつもの病院独特の静かさが戻ると、婦長さんは周囲を見渡して、
「お騒がせしたざます」
と、深々と頭を下げた。
他の看護婦たちも頭を下げた。
周りで事態を見守っていた患者や見舞い客たちは、肩を竦めたり苦笑を漏らしたりした。
後編は09:00頃投稿予定です。




