第4章 探偵の涙
プロローグ 第4章
ボクと真、そして片山さんは、被害者の五十嵐由紀の自室の前にいた。彼女の家は都内の高級マンションにあった。片山さんが右腕に付けた捜査一課の腕章を見せると見張りの刑事はすんなりと規制線を跨がせてくれた。もちろんボクらも腕章をつけているので問題なく通ることができた。
「さ、どこから探そうか。」
被害者の部屋は3LDKだった。いかにも生活感のある部屋だった。
「とりあえず、寝室と書斎、それともう一つの部屋に分かれて調べてみますか。」
「じゃ、私書斎調べるね~。」
片山さんが言った。先ほどまでの片山さんとは違い、なんだか生き生きといて見えた。もしかすると———
「お姉ちゃん。じゃ、私寝室調べるから。」
「分かった。」
そうして、ボクはドアが開けられておらず、何の部屋だかわからない部屋の担当になった。ボクは部屋のドアノブに手を掛け、回そうとしてみる。しかしびくともしなかった。
「あれ、開かない・・・」
「どした~、お姉ちゃん。」真が寝室から顔だけ出して尋ねてくる。
「この部屋、鍵がかかってて開かない。」
ほら、とドアノブを握り、回してみるが、やはり鍵がかかっていて開かない。
「ホントだ。どっかに鍵があるのかな。」
「とりあえず、別の部屋探しておこう。その中で鍵が見つかるかもだし。」
「そうだね。」
「じゃ、ボクはリビングでも探しておくよ。」
*
それからボクたちはかれこれ2時間近く部屋の中を捜査していた。それでもこれといって怪しいものはなかった。事件の解決に繋がるものも。例の組織に繋がるものも。
「何かに繋がりそうなものは何もなしか・・・。」ボクは思わず、ため息を吐く。
「そうだね・・・。」
「あっそういえば、片山さんは?」
「あそこ。」
そういって真は寝室にあるウォークインクローゼットを指さした。みると二本の足が出ている。もちろん片山さんの足だ。
「あっ!!」突然片山さんが声を上げる。
「片山さ~ん、何かありました?」
「うん。あったよ~!」
そういって片山さんはその場で起き上がろうとする。もちろん上には被害者の衣類がたくさん置いてある。クローゼットの中にぶら下がっていた被害者の衣服が崩れ落ちた。片山さんは頭に被害者のものであろうコートを乗っけてこちらを振りむいた。
「あぁ・・・またやっちゃった。」
「〝また〟って片山さん、前もやったことあるんですか?」
「うん。前もというかいつも。いつもやっては、蔵前先輩に怒られてる。」
アハハと片山さんが笑った。その時、ボクは思った。ボクが感じていた違和感というのは、これから来ているのではないのだろうか。この捜査に対する異常なまでのやる気。それが空回りしてボクに違和感を覚えさせたのではないのかと。
「で、何があったんですか?」真が尋ねる。
「コレ」そう言って片山さんが差し出してきたのはお菓子の缶だった。
「これだけ変に置いてあってさ、クローゼットなのに。で、開けてみたら、あったっていう訳。」
そして、片山さんが缶のふたを開けた。
第4章 探偵の涙
*1*
ある冬の夜。ボクは夢を見た。
*2*
ピピピッ ピピピッ ピピピッ
朝の6時にセットしたアラームが鳴りだす。
ボク———石綿 真帆は、布団の中から腕を突き出し、枕もとでもぞもぞと動かす。けれども、目的のアラームにはなかなか届かない。そうこうしているうちにアラーム音が消えた。あぁ、5分経ったのか・・・。ボクはそう思いながら、再び夢の世界へ———
「真~帆。真~帆。お~い、真帆ちゃ~ん。」
そんな声が聞こえたと思うと急に体が寒さを感じた。多分、お母さんがボクの掛け布団をはいだのだろう。起きなきゃ・・・。
「ふぁぁぁわぁぁぁぁ、おはよう。」
「はい。おはよ。やっと起きたわね。ていうか女の子がそんな大口開いてあくびしてはいけません。」
「はいはい。分かったよ。」
「もう、絶対昨日夜更かしたでしょ。」
「えへへ。ちょっと、読んでた小説が面白くて・・・。」
お母さんがボクのベッドの枕元にあるサイドテーブルの上の本を手に取った。
「へぇ~。〝女子高生探偵 嶋崎佑菜 ~海を渡った名探偵~〟か・・・。ほんとに真帆はこのシリーズが好きだね。」
「うん。トリックが面白いんだよね。」
そんなことを言いながら、ボクは自室を出て、洗面台へ向かう。蛇口をひねり、流れてくる水で顔を洗う。
「早くしなさ~い。カナちゃん来ちゃうよ。」
「はぁ~い。」顔を洗う手を止め、返事をする。
*
食卓につくと珍しく父も席についていた。
———ボクの母、石綿遥香は、警視庁捜査一課強行犯2係係長の警部だ。料理がうまくて、仕事が落ち着いたときはいつも手料理を作ってくれる。それに加えて手芸も得意で、ボクのマフラーと手袋は母お手製だ。ボクの父、石綿颯太は母と同級生だが、若手のころに上の指示を無視して捜査したことがきっかけで昇進が遅れ、今は警部補として母の下で捜査一課強行犯2係に所属している。父曰く「あの時指示を無視したおかげであの事件は迷宮入りを免れた」そうだが、実際のところはよくわからない。そんな父は人一倍仕事熱心な人で毎日朝の6時には家を出て、警視庁に向かっている。———
「珍しい。どうしたの?二人そろって。」
「今日から私と颯太さん、張り込みするから、しばらく帰れなくなるの。ごめんね。」
「いいよ。いつものことじゃない。」
「まあ、そうだな。でも今回のヤマはでかいから、2週間ぐらいはかかると思うんだ。」お父さんが付け加える。
「分かった。行かなくて大丈夫なの?もう7時半だけど。」
「そうだな。じゃ、行こうか。係長。」
「ねぇ、だから家でその呼び方やめてって言ってるでしょ。」
笑いながら母と父は家を後にした。
ボクはその時うすうす感づいていた。今回のヤマは本当に厄介なもので、もしかすると本当に2週間以上帰ってくることができないのだろうと。
しかし、ボクの勘は外れることになる。それも最悪の形で。
*
二人が張り込みを始めてから5日後のことだった。当時中学で陸上をしていたボクは同じく陸上部のカナと杏と3人で家に向かって歩いていた。当時はまだボクたち3人の家は近所で、特にボクと杏の家は隣同士であった。そして、その当時はまだカナの秘密のことも知らなかった。
「さすがに5000のインターバルはきついよねぇ・・・。」杏が疲れた声で言う。
「だね。ちょっと晩御飯作る元気ない・・・」思わず本音を漏らしていた。
「まだお母さんとお父さん、帰ってこないの?」
「うん。たぶんもう少しかかるんじゃないかな。」
「大丈夫?」カナが心配そうに尋ねてくる。
「慣れっこさ。」
「あっじゃあお嬢ちゃん、今夜家来る?ごはん食べてきなよ。」杏がボクの肩に腕を回しながらちょっとチャラい感じをイメージしたようなしゃべり口調で言ってくる。
「いいよいいよ。どっかに食べに行くから。あるいは出前とか、仲いい洋食屋もあるし。」
「そう?」
「うん。大丈夫!」親指を立ててグーサインをする。
「そういえばさ、真帆のご両親が追ってる事件ってあの誘拐事件なのかな?」
「あぁ、女子中学生ばっかり狙ってるやつ?黒のワンボックスに乗った4人の覆面の犯人のやつだよね。」カナが続ける。「怖いよねぇ。まだ被害者、5人とも誰も見つかってないんだよね。」
「いやぁ、違うと思う。お母さんたちが所属してるのは強行犯係。誘拐事件なら別の係がやるはずだから。」
「そっか、」
その時だった。歩道を歩いていたボクたちの前に黒いワンボックスカーが止まった。ドアが開き、覆面をかぶった4人が降りてくる。
「2人とも逃げるぞ!!」咄嗟に叫んだが、すでに2人は走り出していた。覆面をかぶった4人も追いかけてくる。
しばらくボクたちは犯人たちから逃げようと、今しがた歩いてきた道を全速力で走った。一応、中学生ではあるけれど、陸上をやってたおかげか、少しずつ犯人たちとの差は広がっていったように思えた。そして、角を曲がり、住宅街の入り口に差しかかった。するとどこからかカチャっという音がかすかに聞こえた。次の瞬間、バンという音がして前を走っていた杏が数歩進んでから倒れた。
「杏!!」
「いいから逃げて!」見ると右足から血が流れていた。
「いや、でも、」
すると、カナが杏を担いだ。
「すぐそこに交番があるから、行くよ!」
「うん。」
交番という単語を言ったからなのか、後ろを追っていた犯人たちは追うのを諦めたらしい。時間にしてわずか2・3秒、それまで振り返りながら見ていた犯人からふと目を逸らしていただけなのに、いつの間にか4人の姿は無かった。
「杏、大丈夫か?」
「うん・・・たぶん、かすっただけかな・・・?」そう話す杏の顔からは血の気が引いていた。
「カナ、走れる?」
「行けるけど・・・なんで?」
「交番に急ごう。それで救急も呼んでもらおう。」
「分かった。」
ボクとカナは走り出した。最寄りの交番まではあと500メートルぐらいだ。それなら2分とかからず着けるだろう。それぐらいなら杏も大丈夫なはず・・・。
「頑張れよ、杏!」思わず叫んでいた。
「・・・。」しかし、杏からの返事は無かった。
「杏?杏?」ボクはカナに担がれた杏の肩をゆすった。しかし反応はない。
「真帆?どうしたの?」カナは背中に杏を担いでいるので様子が見えない。心配そうに声を掛けてくる。
「杏の意識がない!」
「えっ!?」
「とにかく急ごう!」
「分かった。」
ボクとカナが交番に駆け込んだのは、それから1分後だった。
*
その後、杏は病院に緊急搬送された。搬送されたときにも杏は意識を取り戻さなかった。一方、ボクとカナは警察署で取り調べを受けることになった。パトカーで警察署に向かうと、そこには不安そうな顔をした母がいた。
「真帆!大丈夫だった?」
「うん。お母さんこそ大丈夫なの?捜査中じゃないの?」
「まあ、大丈夫よ。颯太さんが張り込んでるから。」
「叶汰ちゃんも大丈夫?」
「はい。私たちは・・・。」
「あっそうそう。杏ちゃんなら、さっき病院で意識を取り戻したって。」
「ホント?!」「本当ですか?!」ボクとカナが同時に聞き返す。
「うん。あとは傷の手当てをするって。やっぱり弾は当たってなかったみたいだよ。」
「良かった・・・。」
「そうだな。」
「じゃ、悪いけど事情聴取、こっちでするね。」
そういうと母は警察署の中を進んでいった。
*
「じゃあ、事件の時の話を聞かせてほしいんだけど。」取調室に入ったボクとカナは母の後輩だという川岡千速刑事の取り調べを受けていた。
「えっと、ボクとカナと杏の3人で帰っていたら、急に目の前を塞ぐように黒いワンボックスカーが止まって、後部座席から4人の男が降りてきたんです。」
「それでいかにも怪しい感じがして、ニュースでやってた連続誘拐事件の犯人の特徴にも似てたので、とっさに逃げたんです。そしたら、少し走った後に男の一人だと思うんですけど、銃を私たちに向けて撃ってきて・・・、その一発が杏の右足に・・・。」
「なるほど。」川岡さんが頷く。「犯人の顔は見た?」
「いえ・・・目出し帽をかぶっていたので・・・。」ボクが答えた。
「あっでも、背はみんなまちまちでした。特に一人だけとても背が高い人がいました。」
「なるほどね。ありがとう。じゃ、次なんだけど———」
その後、川岡さんはボクたちにいくつか質問をしてきた。そして、
「じゃ、また何かあれば連絡するから、今日は帰ってもらって大丈夫だよ。」
「分かりました。では・・・。」
ガチャ
すると、取調室に母が入ってきた。
「お母さん。どうしたの?」
「お疲れさまです。遥香先輩。」
「お疲れさま。どうだった?」
「いやぁ、さすが遥香先輩の娘さんだけあって、やりや———」
「私が聞きたいのはそういうことじゃなくて、聴取の内容よ。まあ、真帆が優秀なのは認めるけど。」
やめてくれ、そう思った。母はどうも親バカな節がある。
「う~ん。これと言ってという感じですかね・・・。あぁ、でも身長の話は出てきました。一人だけすごく背が高かったと。」
「それだけじゃ、あんまり特定にはつながらないか・・・。」
「ねえ、お母さん。やっぱりこの事件、お母さんも関わってるの?」
「うん。まあね。あんまり詳しいことは言えないけど。」
「あの、ボクも捜査、手伝ってもいいですか?」
「ダメ!今回のヤマは危険だって言ってたでしょ!」
いつもより口調がきつかったように感じた。
「じゃあさ、一つだけ教えてくれない?杏の足の傷の方向、分かりませんか?」
「足の傷の方向?分からないわよ。そんなこと。」
母がつっけんどんに言い返す。
「な~んだ、残念。せっかく犯人のアジトの目星がついたのに。」
「「「えっ?!」」」母と川岡さん、それにカナが驚きの声を上げる。
「まあ、でもその仮説が成り立つかどうか判断するには、傷の方向が大切だったのになぁ。分からないならしょうがないか。カナ、帰ろ。」
そう言ってボクは署の玄関に向けて歩き出した。カナが追いついてきて耳打ちする。
「仮説、聞かせて?分かったんでしょ。犯人。」
「いや、まだ犯人までは分からないけど、もう一人共犯者がいる。」
「えっ?」
「あの時、走っていたから気が付きにくかったけど、あの男4人組が拳銃を持っていたとは思えない。そして、あの後ろから撃つ音がしていたのに、弾丸はかすっただけだった。」
「杏の傷が足の横をかすめるようなものではなく、前側か後ろ側についていたとしたら・・・後ろから撃たれてないってこと?」
「そう。あの状況で横から撃てる人間と言えば、ほかの共犯者。っていう訳。」
「でもそれでも犯人は分からないんじゃ・・・。」
「いや、あの道の右側は用水路になっていて奥には会社の社宅がある。あそこの中に入っていたのなら防犯カメラに写っているだろうし、仮に左側から撃たれたのなら、撃たれたところの近くにある民家から発砲されたっていうことだけど、あそこに民家は3軒しかない。だから、探すのには大して骨は折れないと思うんだ。だから、その3軒のうちの一つが犯人のアジトって訳。」
「なるほど。でもそれを調べるには大人の協力がないと厳しいのでは?」
「大丈夫。どうせお母さんのことだから今ごろ、追いかけてきてるだろう。」
「真帆~!」後ろから母の声が聞こえてきた。
「ほらね。」
そう言ってボクは後ろに振り向いた。カナは苦笑いしていた。
「真帆。さっきの話、詳しく聞かせてくれない?」
「はいはい。分かったよ。その代わり、ボクが言うところの調べを進めてよ?」
「あまりに現実性に欠けていたら、その時は容赦なく切るからね。」
「現実性はあるさ。あの時、走っていたから気が付きにくかったけど、あの男4人組が拳銃を持っていたとは思えない。そして、あの時、後ろから撃つ音がしていたのに、弾丸はかすっただけだった。もし、杏の傷が足の横をかすめるようなものではなかったとしたら・・・。」
「後ろから撃たれてないってこと?」
「そう。で、あの状況で横から撃てる人間と言えば、ほかの共犯者、っていう訳。あの道の右側は用水路になっていて奥には会社の社宅がある。あそこの中に入っていたのなら防犯カメラに写っているだろうし、仮に左側から撃たれたのなら、撃たれたところの近くにある民家から発砲されたっていうことだけど、あそこに民家は3軒しかない。探すのには大して骨は折れないと思うんだ。だから、その3軒のうちの一つが犯人のアジトって訳。」
「なるほどね・・・。確かに可能性はあるわね・・・。分かったわ。捜査員を向かわせて周辺を調べるわ。」
「じゃ、今度こそ帰るね。」
「うん。あっ待って。二人とも一応もう一度狙われる恐れがあるのでしばらくは警察の監視下で生活してもらいます。刑事を付かせるから。ちょっと待ってて。」
そう言うと母は署内に走って戻っていった。
*
ボクとカナは覆面パトカーの後部座席に乗っていた。運転しているのはさっき取り調べをしていた川岡千速刑事だった。
「二人とも今日は遅くまでありがとね。」
時刻は11時を回っていた。「親御さんには連絡してあるから。まあ、もっとも遥香先輩は駆けつけてきたけどね。」
「ははは・・・すみません。母、結構お転婆なので。」
「お転婆っていうより、過保護かな。あっそうそう。全然話変わるけど、真帆ちゃんって一人称〝ボク〟なんだね。」
「えっ、まあ。」突然、一人称のことを言われ、思わず口ごもってしまった。
「真帆は小っちゃいころからそうなんです。そういうところが可愛いんですけどね。」カナが言った。
「可愛いってなんだよ。」カナの小腹をつつく。
「本当に仲がいいんだね。」川岡さんが笑いながら言う。
「えぇ、まあ。幼馴染なので。」
「幼馴染かぁ・・・。私もあいつが生きてれば・・・。」
「〝生きてれば〟?」
「あっ、ごめん。忘れて?」
「聞かせてください。」カナが言う。「辛くなければですけど。」
「うん。分かった。ちょっと長くなるけどいい?」
「じゃ、うちでお茶でも飲みながらどうですか?ボクの家、すぐそこなんで。」
「じゃ、お言葉に甘えようかな。」
「はい。あっ、そこの角、右に曲がったところの門の前に止めといてください。」
*
「川岡さん。コーヒーがいいですか?それとも緑茶ですか?あっ、ほうじ茶もありますよ。カナもどうする?」ボクは台所から声を掛ける。
「じゃ、私ほうじ茶で。川岡さん、真帆のね、淹れるコーヒーめっちゃおいしいんですよ。」
「へぇ、そうなの?じゃ、コーヒーをお願いしようかな。」
「分かりました。」
「私も手伝おっか?」川岡さんが腰を浮かせながら言う。
「大丈夫です。座っててください。」
「じゃ、お言葉に甘えて。」そういうと川岡さんは席に再び腰を降ろした。「・・・私の幼馴染のコーヒーもおいしかったな・・・」
川岡さんは静かに語りだした。
「私の幼馴染はね、城塚愛由菜って言ってね、スポーツ万能で博識で、それはもう非の打ち所のない人間だったの。私と彼女は、生まれた病院も一緒で両親が仲良かったから、一緒に育ったんだよね。」
ボクは台所でコーヒーを入れながら、耳を傾けていた。カナの顔は真剣そのものだった。少ししてボクは川岡さんの分のコーヒーと、カナとボクの分のほうじ茶を食卓に置いた。
「小学校と中学校は同じところに通って、まあ、高校は別々だったけどね。愛由菜には到底及ばないからね。」
「そんなに賢い人だったんですか?」
「うん。私の地元一の賢い高校に行ってた。でも、別の高校に行ってからも、私たちは結構な頻度で会ってたんだ。」
「川岡さんって地元、どこなんですか?」
「山辺市。まあ、端っこのほうだけどね。」
「てことは、地元一の高校って、もしかして。」
「そう、都立山之辺高校。」
「あの高校に行ってたんですか?東京一の偏差値の。」
「うん。そんなある日のことだった。知ってる?今から8年前にあった奥山辺連続殺人事件って事件。」
「いえ。」カナが答える。
「知ってます。大体なら。うちに当時捜査にかかわっていた母が書いたノートがあったので。」
「そっか。あの事件も遥香先輩なんだ・・・。遥香先輩でも解けなかったんだ。あの事件。」
「確かまだ未解決でしたよね。」
「うん。被害者は愛由菜含めて6人。全員女子で、うち4人は小柄な高校生だった。愛由菜は一番最初に狙われてね。刃物で腹部と胸部を3か所刺されて、ほぼ即死だった。あの日も、私は愛由菜と会う約束をしてたんだ。でも、電車が遅れてて、確か5分ぐらい到着が遅れたんだ。その間に・・・愛由菜は・・・。駅について待ち合わせ場所に行くと人だかりができていて、その中央に愛由菜が倒れてた。思わず、駆け寄って抱き上げたんだけど、もう事切れた後だった。」
そこで川岡さんは下を向いた。彼女はつらい過去を背負って生きてるのだった。その時のボクにはまだその辛さを理解することはできなかった。
「いい加減忘れて立ち直らなきゃいけないって思うんだけど・・・私が乗る電車が遅れてなければ、愛由菜は生きてたかもしれない、って思うことがあるんだよね。それでまだ未解決のあの事件を解決したくて警察官になったの。」
「・・・。」
部屋全体が重々しい空気に覆われていた。やや経ってからボクは口を開いた。
「川岡さん。ボク思うんです。確かに、その愛由菜さんは、川岡さんが来たら助かってたかもしれません。でも、一番悪いのは、今も逃げ続けている犯人だと思うんです。」
「そうだね。」
「犯人なら母さんがまだ捜査を続けてますから、いつか絶対捕まりますよ。」
「えっ・・・。」
「ボクの母は未解決事件、あの一件しかないので。相当悔しかったみたいです。さっき話したノートの最後のページには、〝この事件の犯人は絶対、私の手で検挙する!〟って書いてあるんです。」
「遥香先輩が・・・?」
「はい。それに、・・・。」果たして言っていいものかと、一瞬悩んでしまった。
「それに?」
川岡さんがまっすぐこちらを見てくる。その瞳を見て、ボクは言わずには居られなかった。
「忘れちゃダメですよ。死んだ人との思い出が良いものなら尚更です。死んでしまっても人は誰かの思い出の中には生きられると思うんですよね。だから、忘れないで川岡さんの中には愛由菜さんを残してあげてください。辛いかもですけど。」
「真帆ちゃん・・・。」
「辛かったらいつでも言って下さい。話聞きますから。」
「ありがとう。」
「真帆、時々いい事言うでしょ。」カナが言った。
「そうだね。」川岡さんが同意する。
「時々は余計だよ。」
「ふふふ、ほんとに二人は仲いいね~。」
「えぇ、まあ。幼馴染なので。」
「大事にするんだよ。お互いにね。」
「はい。」
「分かりました。」
「遅くなっちゃったね。じゃ、そろそろ叶汰ちゃん帰る?」
「あっいや、今日は真帆ん家に泊まっていこうかと。」
「分かったわ。こちらとしても好都合だし。」
「えっ?」川岡さんの口調に思わず聞き返してしまった。
「あっ、いや深い意味じゃなくてね。一か所のほうが警護しやすいから。」
「あぁ、なるほど。こちらこそ変な所に突っかかってすみません。」
「いやいや、大丈夫だよ。じゃ、本部に連絡してくるね。」
そう言うと川岡さんはリビングを出て、電話をかけ始めた。
「ね、カナ。今日本当にウチに泊まって行って大丈夫なの?」
「うん。どうせ、うちの親、今日二人とも仕事だから。」
「そういえばカナのご両親って何してるの?」
「殺し屋。」
「えっ?!」
ボクの返事にハッとしたようにカナがこちらを見てくる。そして慌てた様子で言った。
「ウソウソ。冗談。不動産関係の仕事してる。」
「嘘じゃないんでしょ?」
「・・・。いや、冗談だよ。ごめんって。変なこと言って。」
「カナはそんな悪い冗談を言うような子じゃないだろ。本当なんでしょ?大丈夫。ホントだとしても警察には言わないからさ。」
「実は・・・うちの親・・・。」
カナが口を開こうとしたその時だった。
「真帆ちゃん!叶汰ちゃん!早く来てっ!!」
川岡さんが血相を変えてリビングに飛び込んできた。
「どうしたんですか?」
「落ち着いて聞いてね。二人のご両親が拳銃で撃たれた。」
「「・・・えっ。」」
パリィィィン
ボクの持っていたコップが床に落ちて割れた。
*
ボクとカナは川岡さんが運転する車に飛び乗った。———ボクたちの両親が撃たれた。にわかにはまだ信じられなかった。川岡さんもよほど動揺していたらしい。覆面パトカーなのに赤色灯を点灯させずに一般道で80キロを出していた。カナは後部座席で何かにおびえるように震えていた。ボクはもはや無表情になっていた。そしてなぜかそれを俯瞰し、客観的にとらえているボクがいた。
僕らの両親が運ばれるのはボクらの家の近所の救急病院だった。病院にボクらが着いたとき、まだ母たちは病院に着いていなかった。病院の人に許可をもらい、病院の救急患者搬送口の前でボクたちは一言もしゃべらずただ立っていた。遠くから救急車のサイレンの音が聞こえた。
「来た・・・。」
川岡さんがつぶやく。救急車4台がこちらに向かって走ってきた。そして、救急車4台がボクらの前に止まる。後ろのドアが開き、ストレッチャーが降りてくる。
*
前2台からボクの両親が降りてきた。ボクは何の考えもなしに二人に近づく。ボクの前には鮮血に身を染めた母・遥香と父・颯太が横たわっていた。すでに父はこと切れていた。それはすぐに見てとれた。母も、もう危ない。ボクの直感がそう言っていた。隣でカナが泣いているような気がした。
「母さん!父さん!嘘だよね?!嘘だ!死んじゃいや!ボクを一人にしないでよ・・・。」
思わずボクは叫んでいた。母のストレッチャーに駆け寄り、母の右手を握る。そして、母の首に自分の顔を押し付ける。その時、母がボクの頭を撫でた。
「・・・母さん?」
「真帆・・・。顔を・・・見せて・・・?」
ボクはうずめた顔を上げて、母の顔を見た。
「うん・・・。やっぱり・・・かわいい・・・。」
何を言ってるんだ。このバカは。
「今ぐらい自分のことを考えろよ!」
「ごめんね・・・。真帆・・・。もう・・・わ・・・た・・・し・・・、無理・・・みたい・・・。」
「そんなこと言うなよ!生きてよ!!あきらめないでよっ!!」
その時、母が毛布から手を出し、左手を出してきた。そして、泣き崩れるボクの手を握り、手の中のものを押し付けてきた。———ガラケーだった。
「母さん!お願い。生きて!死なないで。また、美味しいご飯、作ってよ・・・。一緒にどっか行こうよ・・・。買い物しようよ・・・。マフラーの編み方教えてくれるって言ってたじゃん・・・。ねぇ、だから・・・、生きてよ・・・、っ・・・あ、っ・・・、ぅあ・・・っ・・・。」
「真帆。ごめん・・・ね・・・。で・・・も、真帆・・・・なら・・・大・・・丈夫・・・。」母さんが今にも消え入りそうな声で話す。「なん・・・てっ・・・たっ・・・て・・・、私・・・と・・・颯・・・太・・・さ・・・ん・・・の・・・む・・・す・・・め・・・だから・・・。この・・・ガラケー・・・の音声・・・ファイル・・・に・・・自白・・・が・・・はい・・・ってる・・・。それ・・・と・・・悲・・・しく・・・なっ・・・た・・・ら・・・、つ・・・ら・・・く・・・なっ・・・た・・・ら・・・、こ・・・の・・・ガ・・・ラ・・・ケーの・・・メー・・・ルボッ・・・ク・・・ス・・・を・・・。」
そこまで言うと、ボクの手に押し付けられていた母さんの手から力がスッと抜けた。
音もなく、ボクと母さんの手からガラケーが地面に落ちた。
「母さんっ!!!!!!!!」
*
後ろ2台から私の両親が降りてきた。私は何の考えもなしに二人に近づく。私の前には鮮血に身を染めた母と父が横たわっていた。隣から真帆の叫び声が聞こえてきた気がした。
「お父さん!お母さん!」
思わず叫んでいた。すると。母が顔をこちらに向けてくる。
「・・・叶汰。奴ら・・・よ。奴・・・ら・・・が・・・私・・・たちに・・・気・・づい・・たん・・・だわ。」
私は母に近づき、左手を握った。
「お母さん!そんなことは今いい———」
「ごめんね・・・。叶汰・・・。もう・・・ダメ・・・み・・・たい・・・。結局・・・一度組織に入ったら最後・・・どこ・・・まで・・・も・・・追い続けて・・・くる・・・のね・・・。叶汰はまだ・・・組織の仕事には・・・加担して・・・ないんだから・・・真っ当に生きなさい・・・。分かった・・・?」
「うん。組織には関わらないから。だから、お願い!!そばにいて!!」
「・・・多分・・・今回の・・・スナイパーは・・・天使・・・よ・・・。」
「えっ・・・?!どういうこと?」しかし、母はそれには答えなかった。
「・・・ハァハァ・・・。」母の息が荒くなる。もう長くはないと素人目にでも分かった。
「お母さん!死んじゃ嫌っ!!お願いだから、頑張って!!!」
「本当にごめんね・・・叶汰・・・。」そこまで言うと、母は目を閉じた。私が握っていた手から力が抜ける。
「お母さんっ!!!!!」
*
お坊さんがお経を読み上げているのが聞こる気がする。
「真帆ちゃん。真帆ちゃん。」
隣に座っていた母方の祖母に呼ばれる。
「へ?」
「お焼香。私たちの番よ。」
「あっ・・・はい。」
ボクは椅子から立ち上がり、仏壇の前に出る。無意識のうちにボクの手は焼香を進めていく。なんだか不思議な感覚だった。自分の頭はほぼ動いてないのに、自分の体は勝手に動く。どこか自分の体であって自分のものでないようだった。
両親が死んで2日。今日は通夜だった。ボクは2日間、一睡もできないでいた。2日経ってもまだ受けいれられない自分がいた。昨日の夜まではまだ涙が出ていたが、もう今は涙は流れてこなかった。本当に涙が枯れることがあるんだなと思ったものだ。
体が勝手に動き、焼香を済ませる。次に気づいたときには自分の席に座っていた。参列者席には多くの警察官がいた。なかには知り合いの刑事や両親が特に気に入っていた刑事なんかもいた。皆が下を向き、うつむいていた。
———母、石綿遥香。警視庁捜査一課第三強行犯捜査 - 殺人犯捜査第1係係長。
殉職により2階級昇進、警視正。享年43。
父、石綿颯太。警視庁捜査一課第三強行犯捜査 - 殺人犯捜査第1係。
殉職により2階級昇進、警視。享年44。———
「今日はありがとうございました。」ボクは葬儀場の入り口で参列者に頭を下げていた。ほとんどの人は会釈をして会場を去っていく。
「この度は、ご愁傷さまでした。」両親の部下である刑事が声を掛けてくる。えぇと、確かこの人は・・・
「栗原さん。こちらこそ、お忙しい中ありがとうございます。」
「大丈夫かい?真帆ちゃん。」
「えぇ、まあ。まだ実感が湧かないんですけど。」
「なんかあったらすぐに連絡してきていいからね。ご両親にはよくしてもらったし。」
「はい。ありがとうございます。」
「ホントに君はしっかりしてるな。」
〝しっかりしてる〟か・・・。そんなことはない。ただ、〝しっかりしてる〟風を装ってるだけだ。誰にも迷惑を掛けないように。小さいころからボクの家には警察の関係者が大勢来ていた。いつからかボクは周りの大人たちに〝しっかりしている〟だとか〝大人びてる〟だとか言われるような行動をするようになっていた。多分、両親が仕事で家を空けることが多かったのもあるのだろう。両親やその他の大人に心配を掛けないようにと、それだけを考えて行動するようになっていた。
「そんなことないですよ。」
「謙遜しちゃって。では、申し訳ないけど、捜査があるから、そろそろ行かせてもらうよ。明日の告別式は欠席させてもらいます。」
「母さんと父さんの事件、よろしくお願いします。」
「うん。絶対犯人を捕まえるから。約束する。」
そう言うと栗原さんは斎場を後にした。しかしその顔はどこか暗いものだった。
「真帆ちゃん・・・。」
「綾さん・・・。」次に声を掛けてきたのは、母さんが特に天塩を掛けて育てていた蔵前綾さんだった。ボクの幼馴染、蔵前杏の実の姉でもある。
「今日はありがとうござい———」
突然綾さんがボクを抱きしめてきた。
「あっ綾さん?」
「辛かったね。大変だったね。」泣きながら綾さんが言う。大粒の涙がこぼれている。徐々にその泣き声が大きくなっていった。
「綾さん・・・。」
綾さんにつられてボクの目からは枯れていたはずの涙がどこからか再びこぼれた。しばらくの間、ボクと綾さんは抱き合いながら大号泣していた。どうも綾さんの前では〝しっかり〟出来ない。
「っ・・・、あっ、綾さん。」
「どうした?」
「今夜泊ってもいいですか?」
「えっ?」
「なんか一人であの家にいたら、もう無理な気がして。」
「そっか。分かった。いいよ。どうせ私、今日も明日も君の保護の担当だし。じゃ、終わるまで待ってるから。」
「ありがとうございます。綾さん。」
「いいよいいよ。こういう時こそ、子供は甘えなきゃね。」
「綾さん・・・。」
じゃ、ちょっくらトイレ行ってくるわと言って綾さんは廊下の奥へ消えていった。ボクは再び、参列者に頭を下げ始めた。
「ありがとうございました。お気をつけてお帰りください。」
大号泣したからだろうか、どこか声が軽くなった気がした。
*
「お邪魔します。」
「いらっしゃい。」
当時の綾さんの家はこぢんまりとした1DKのアパートだった。
「ごめんね。狭くて散らかってて。」
そう綾さんが言うように部屋には服やら雑誌やらが転がっていた。
「大丈夫です。」
ボクはダイニングの座布団の上にそっと座った。制服のまま、一応着替えを家から持ってきたが、それに着替える元気はもう無かった。
「真帆ちゃん。寝ちゃってもいいからね。」
「はい。」
綾さんが心配して声を掛けてくれるが、とても寝られない。もはや起きているのか寝ているのかわからなかった。ボクの中にぽっかりと穴が開いてるように感じた。
「はい、真帆ちゃん。」
気づくと綾さんが隣に座っていた。泣きそうなのを必死にこらえて微笑みながら、はいと冷たいお茶の入ったコップを渡してくる。ボクはそっと口元にコップを持っていき、少しだけ口を付けた。久しぶりの飲食だった。ふと綾さんがボクに向かって口を開いた。
「真帆ちゃんって、本当に不器用だよね。人の目ばっかり気にして、自分の気持ちはずっと奥に隠してさ。」
「えっ?」
綾さんの言葉に思わずボクは聞き返していた。
「でもね、それが苦しいって、ちゃんと伝えていいんだよ。誰かに頼ることは負けじゃないよ。むしろ、自分の限界をちゃんとわかってるってこと。辛いときに無理して笑わないで。もう少し、自分に優しくしてあげて。私はずっと、真帆ちゃんの味方だから。」
「あっ綾さん・・・。」
ポタポタとボクの瞳から涙が落ちる。その涙は徐々に強くなっていき、ボクの制服に水たまりを作っていった。
「あっ綾さん・・・ボク・・・ボク・・・うっ、うわぁぁぁぁぁん。」
ボクは綾さんに抱き着いていた。大声をあげて、まるで子供のように泣くボクの頭を綾さんはそっと撫でてくれた。
「大丈夫。大丈夫だよ。私がいるから。」
綾さんはボソッと言った。そしてしばらくたった後。
「真帆ちゃん。なんか食べよ。もう3日も食べてないんでしょ。今度は君が倒れちゃうよ。」
ボクは力なくうなずいた。綾さんは台所に立ち、何か作業を始めた。しばらくして、綾さんがテーブルに丼を置いた。
「はいよ。うどん。油揚げと牛のこま切れ肉、ねぎを甘辛醤油で炒めたものを上に乗っけたやつ。大したもんじゃないけど。」
「ありがとう、綾さん。」
ボクは箸に手を伸ばし、うどんをすすった。
「美味しい。」
ボクは思わずしみじみと言った。今までに食べたどんなうどんより美味しかった。
「良かった。」
「ありがとう。綾さん。」
「いいよいいよ。」
「なあ、綾さん。カナはどんな様子?」
「直接会ったわけじゃないから何とも言えないけど、やっぱりショックは大きいと思う。」
「通夜はいつやるの?」
「明日の夜。」
「告別式の後、行ける?」
「滞りなく終われば行けると思う。」
「分かった。」
ボクと綾さんは残りのうどんを食べ、風呂に入り、寝床に入った。
その夜。ボクは3日ぶりに眠ることができた。




