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マリーネは震える心を律して笑顔を振りまいていた。
王室主催のお茶会は王族が懇意にしている、それなりの家柄の方々が招待されるものであり、その様な催しにマリーネが参加することがいかに畏れ多いことかマリーネ自身も分かっていた。
いくらシリウスが配慮して作ってくれたドレスでも隠しきれない、乞食のような浅黒い肌と売春婦のような容姿…自分の姿が場違いであるとは百も承知だが、臆すれば臆するだけの理由があると深読みさせてしまう。
マリーネはシリウスに恥をかかせない様にと、いつもよりも意識して丁寧に振る舞った。
しかし、若くして伯爵の位を継ぎ、見目の良い容姿をしたシリウスと彼にエスコートされる見るからに卑しい女、注目を集めない訳が無かった。
幸いなことにマリーネはシリウスから連れ出された夜会などでそういった不躾な視線も慣れていたが、内心はシリウスの評判を貶めるのではないかという不安は尽きることはない。
そんな悪目立ちするマリーネとシリウスの前につかつかとやって来た人、それは誰よりも清らかで正統派な美しさを持つ女性で、この茶会の主役の一人でもあらせられるお方、この国の王女だった。
「貴女が図々しくシリウスに付きまとう阿婆擦れ女?」
美しくもはっきりとした声が会場に響き渡り、その場にいた誰もが振り返り、阿婆擦れと呼ばれたマリーネにピリピリと肌を焼く程の視線を突き刺す。
「…お言葉ですが、わたくしの妻は阿婆擦れございません。」
シリウスは引き攣るように笑顔を浮かべ、王女に言葉を返した。
「あら、貴方が言っていた言葉じゃない?売女のように下品で股も頭も緩そうな女だと。むしろ、売女の方が清純に見えるくらいだと言っていたのは貴方じゃない。」
シリウスの反論にも王女はシリウスの酔って友人に愚痴った過去の言葉、そのままを暗記したようにスラスラと話し、流石のシリウスも返す言葉を失う。
あまりに直球過ぎる言葉にマリーネは驚いたように目を見張ったが、すぐに落ちたように目はその光景を見据えていた。
震えを隠すようにキュッと両手を胸元で握りしめ、瞳は哀しく揺れたが涙は溢さなかった。
その手が緩むと、スカートの裾をつまみ、挨拶をするように首を下げた。
「初にお目にかかります。…そう言った話は事実ではございません…が、わたくしの見た目が清純とはかけ離れていることは確かでございます。また、このような容姿のわたくしがシリウス様に相応しく無いということは重々承知しております。」
マリーネは頭を下げたまま、静かに言葉を返す。
「ならば、辞退なさっては?」
王女は明るい顔に明るい口調で、おどけたように言った。
マリーネはそれでも顔を上げることはない。
「わたくしは…自身の心よりもシリウス様のお心を尊重したく思っております。」
許されるのであればその限り側に居たい、マリーネの言葉の真意は伝わることはなく、貴女には関係ない、そう言われたように感じた王女が顔を歪ませて怒りを見せた。
「貴女には慎みと言うものがないのね?頭が軽いのは本当じゃない。どうせ…」
「わたくしがこれからも自分の側に居て欲しいと懇願したのです。」
シリウスもマリーネに習い、お辞儀をしたまま王女の言葉を遮った。
「あら?貴方まで頭が軽くなったの?頭がお花畑かもしれないけれど早く目を覚ました方がいいわよ。最悪だから。」
王女が今どういう表情をしているのか、周りがマリーネにどういう表情で見ているのか、マリーネには察しがついていた。
侮蔑の表情、それはシリウスからもよく投げつけられていた表情だ。
何度も人前に出たならば投げつけられると頭の中で準備をしていたが、いざ向けられるとマリーネは震えて一瞬動けなくなってしまった。
怯える心を押し隠して、マリーネは淑女の仮面を被せる。
「…本日は皆様にご迷惑をおかけいたしましたので、わたくしたちはこれにて失礼いたします。」
シリウスがこれ以上マリーネが暴言に晒されないように話を切り上げ、主催である国王と王妃に謝罪の言葉を申し上げると、マリーネの手を取って会場を後にして行く。
「もう、笑わなくていい。」
馬車に乗り、二人きりになっても表情を崩さないマリーネにシリウスが声をかけた。
「はぁ…」
マリーネはそう言われても表情を上手く操ることが出来ずにいた。
「マリーネ…」
シリウスの口からは謝罪の言葉がぽろぽろと出てきている。
そのことにマリーネも気づいてはいたが、よく聞き取ることが出来ない。
上滑りするかのように、マリーネの耳から言葉が逃れて行く。
ガラス一枚隔てて全く違う世界にいるような、そんな感覚さえする。
マリーネは口を動かすシリウスを仮面を被ったまま、見つめていた。
マリーネは差し出されたシリウスの手を取ることを忘れ馬車から降りて、そのままトボトボと上の空で歩き、部屋に着いた途端にベッドに倒れこんだ。
今着ているドレスもシリウスが作ってくれた素敵なドレスだった。
お茶会前は宝物だったドレスも今はなんだか脱力して脱ぐことが出来ない。
シワになってしまうと頭では分かっていても、ドレスを大切にする程の余力をマリーネには残ってはいなかった。
扉をノックする音も今日は遠くに聴こえて、マリーネは返事をするのをためらう。
そのままやり過ごそうとするマリーネの予想とは違い、返事を待たずにドアが開く音が聞こえて、マリーネは慌てて瞼を閉じた。
一歩ずつ近く足音に心は焦ったが、重くなった身体は眠っているように動かない。
「すまない、マリーネ…」
何度も言われた言葉は馬車の中と同じように、上滑りしてマリーネの心には響かなかった。
自分の頰に触れる手もまるで何か自分では無いものに触れられているような、そんな感覚だった。
立ちすくみ、様子を見ている感覚を感じながら、早く部屋から出て行くことを待つ。
いつもは引き止めたかったのに、今日はどうしても一人で居たい。
扉の閉まる音を聞いた瞬間、ダラリと力無く放っていた四肢に力を入れて丸くなる。
ひくひくと子どものように止まらない嗚咽を漏らしながら、マリーネは涙を流しはじめた。
いくら嫌われようとも我慢できていた痛みが今は胸が張り裂けそうになるぐらいに痛い。
過去が黒く塗り潰すように、今のマリーネの心はただ絶望に染まっていた。




