第7話 晴れ間に降る、雨あられ。
「 あれ? 」
たまたま入った店の二階で、飯田和美〔いいだ かずみ〕は見覚えのある二人の影に気づいて、目を瞬いた。
偶然って、あるのね。
「どうかした?」
と、隣で由良湊〔ゆら みなと〕が不思議そうに訊く。
答えようと口を開きかけた時、相手も和美に気づいたらしく驚くくらい大きな声で「あー!」と叫ばれた。
叫んだ「彼女」の口を、一緒にいた「彼」がすかさず手で制して「落ち着いて」とでも囁くみたいに穏やかに彼女を見る。そうして彼女がようやく解放されると、困った顔で彼は頭を和美に向けて下げた。
彼女も慌てて周囲を見回して頭を下げ、駆け寄ってきた。
「ご、ごめんなさい! ビックリしちゃって」
そうでしょうとも、と和美は微笑んで、相変わらず可愛い娘だなあと眺めた。
クリクリとした瞳と、艶のあるぽってりとした唇にフワフワの長い髪は少し明るい色をしていて白い肌によく似合う。
隣の彼はそんな見るからに目立つ容姿の彼女には少し地味な男性で、けれど誠実そうな好青年だ。
「すみません」
と、彼女のあとにやってきて丁寧に頭を下げる。
「お邪魔じゃありませんか?」
どうやら、和美もデートの最中だと思って(実際 そう なのだけど)気を遣ってくれている。
「少しも。わたしも驚いていたところだったし……お客様と こんなところ でバッタリなんてね」
「ですよね!」
弾んだ彼女の声が和美の言葉に同意を示して、整ったパーツが綺麗にほころんで輝いた。
家具やインテリア雑貨などを集めた広い店内は一見倉庫のようで飾り気は少ない。その分、人の通るスペースは広く、極力人件費をかけない仕組みになっていて値段も良心的となっている。これから結婚を考えているカップルなら、見に来ていてもおかしくない。
と、ついつい和美の目は細く笑んだ。
「順調そうで嬉しいわ。マリッジリングはまだ?」
「そうなんですよ! イチってば、やれ挨拶がどうとか式場がなんとかってもう! 一緒に住んでるんだし一緒なのにね」
「だから、一緒なんだったらゆっくり準備してもいいと思うんだよ? 一生に一度の思い出なんだし、婚約はしてるから」
「だーかーらー! わたしは早く「一之瀬」になりたいんだってばっ。で、イチを「あなた」って呼ぶんだー」
うっとり、となった彼女は、頬を染めて自分の世界に入ってしまった。
そんな彼女を愛しいと微笑んだ彼が、苦笑いを浮かべる。
「ニノはこうなると止まらないので。近々伺うと思います」
「そうね、早く安心させてあげるといいと思うわ」
微笑んで、和美は「お待ちしています」と頷いた。
「和美さん」
背後で聞こえた声にそういえば説明する前に話し込んでしまったことに気づく。
「あ。一之瀬様、こちら由良湊です。――で。ええっと、湊。こちらは一之瀬様と二宮様でお店のお客様なの」
「サラリーマンですよ」と自己紹介した湊に、二宮穂乃香〔にのみや ほのか〕は「えー、ウソウソ! 絶対見覚えあるもの」と食い下がり、「ねえ、イチ?」と隣の一之瀬聖也に同意を求めた。
「確か、朝の天気予報じゃないかな?」
と、彼が彼女のうろ覚えの記憶を補足するように答えると、「そう! ソレソレ」と嬉しそうに跳ねる。
「ほらあ! やっぱりあの由良さんでしょ?」
と、何故か形のいい胸を張る。
「ええ、まあ。でも、サラリーマンも嘘じゃないでしょう?」
にっこり笑う湊に、彼女は目を瞬いて「そうなの?」と驚いてみせる。
「気象予報士もしがない雇われ人ですから」
「そっかあ、働くって大変だよねえ」
しみじみと言って、仰ぐ表情は本当に守ってあげたくなるような甘い顔をしている。
それから、彼らの会話は彼女の職業に移ったらしく今度は湊が訝しむように訪ねていた。彼女が普通のOLだとは驚きだろう。
和美だって、何度も確認したくらいだ。しかし、確かに芸能界に彼女は在籍していないのだから、もったいない話だと思う。
クルクル変わる華やかな表情も、メリハリのある抜群のプロポーションも一介のOLとしては目立ちすぎるだろう。
「ホント、別世界って感じねえ」
「そうですね」
と、少し離れたところで彼ら二人を眺めていた和美に、穏やかな彼の相槌が入った。
目線を上げれば、そこには一之瀬聖也がいて彼の目も絵になる二人を映している。
「妬ける?」
少し意地悪をするように訊くと、逆に聞き返された。
「飯田さんはどうですか? 彼に何か言いたいと思います?」
「思わないわね」
キッパリと言って、微笑む。
それは年の差のせいなのか、その特殊な彼の職業柄か……湊相手に不安になったことは まだ ない。いつか、感じるようになるのだろうか?
やだわ、想像できない。
「一之瀬様も?」
「飯田さんの心境と同じかは分かりませんけど……僕の場合、彼女に救われていますから」
「あー! イチっ。飯田さん、ズルいです。抜け駆けですっ」
ダッと駆け寄ってきた彼女は、彼の腕にくっつくと「くわっ」と和美を渾身の目力で威嚇した。
「たとえ飯田さんでも、イチは譲りませんから!!」
思わず、和美は吹き出した。
確かに、ここまでベタ惚れされていれば妬く暇などないだろうな、と可笑しくて仕方ない。おそらく半端なくモテているだろう彼女と付き合う上で、彼女のこの 一途なまでの 素直さに彼は何度も救われているに違いない。
「いいわねえ、お幸せに」
和美が言うと、お返しとばかりに聖也の言葉が返ってきた。
「飯田さんも、でしょう? お幸せに」
勘違いも甚だしい。とは思うものの、ベッド売場に来ていればそう思われても仕方がないのかもしれない。
でも、誤解よっ!
「ありがとうございます」
密やかに思考停止していた彼女の代わりに湊が応え、さりげなく肩を抱き寄せたから和美は狼狽えて「ちがう、ちがう」と首を振って恥ずかしくなる。
(ああー、お客様の前で失態だわ。絶対、顔、真っ赤だもの!)
顔を困ったと顰めて、和美は湊を恨めしく睨もうとして――できなかった。
(な、なによ? なんで……そんな怒ったみたいな、傷ついた表情〔かお〕するのよっ)
ドキッとして、ビクゥとくるじゃない。心臓に。
何か……わたし、悪いこと言ったかしら?
のんびり更新になると思いますが、続きます。
よろしければ、お付き合いください。