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時は宋。
県衙の裏庭で、男が地面に転がっていた。
その名は
宋江
義を重んじ、財を軽んじ、誰に対しても公平であり、郷里の誰からも慕われた色黒の小役人――のはずであった。
しかし今は違う。
顔が腫れていた。
袖が裂けていた。
靴が片方なかった。
そして何より。
引くほどボッコボコにされていた。
⸻
原因は単純である。
いや、単純すぎるほど単純である。
西門邸の風呂場の塀の近くを通りかかった。
それだけである。
ただそれだけであった。
しかし。
西門邸の主人は――
西門慶レイ(193cm)
であった。
⸻
「最低ですのだぁ!!」
雷鳴のような声が庭に響く⚡
宋江は顔を上げた。
そこには――
両手を胸の前で押さえながら震える巨体がいた。
「吾輩のお風呂を覗きみるとはぁあ!!」
完全に被害者の顔である。
しかも妙に恥じらっている。
「うむ!許さんのだぁ!」
そして振り下ろされる拳。
どすっ
宋江は再び地面に沈んだ。
⸻
周囲では西門家の使用人たちが並んでいた。
しかも全員やる気があった。
理由は明確である。
給料がきちんと出る。
食事がうまい。
量が多い。
冬は暖かい。
夏は涼しい。
つまり――
忠誠心が高い。
番頭が言った。
「旦那様がお怒りだ」
下男が言った。
「これは大変だ」
台所の婆が言った。
「覗きはよくない」
宋江は叫んだ。
「誤解だ!」
だが誰も聞かない。
⸻
レイは震えていた。
本当に震えていた。
「のだぁ……」
肩を抱く。
「怖かったのだぁ……」
誰も信じていない。
だが全員慰める。
潘金蓮が近づいた。
「大官人、大丈夫です」
李瓶児も言った。
「驚かれましたね」
孟玉楼も頷いた。
「恐ろしいことです」
三人とも困惑していた。
だが一応慰めていた。
夫だからである。
⸻
宋江は立ち上がろうとした。
しかし。
立ち上がれない。
なぜなら。
使用人がさらに殴ったからである。
ぼすっ
「やめろ!」
がすっ
「話を聞け!」
どすっ
「私は――」
さらに殴られた。
⸻
レイは言った。
「のだぁ……」
涙目である。
「怖かったのだぁ……」
番頭が頷く。
「さぞ怖かったでしょう」
下男が頷く。
「恐ろしい事件です」
料理人が頷く。
「塩を多めに振っておきます」
意味はない。
だが忠誠心は高い。
⸻
宋江は必死に言った。
「私はただ通りかかっただけだ!」
しかしレイは首を振った。
「嘘なのだぁ」
断言である。
「吾輩は感じたのだ」
何を感じたのかは不明である。
「明確な覗きの気配を」
存在しない概念であった。
⸻
その場にいた古参の使用人が小声で言った。
「……この人、宋江じゃないか」
別の使用人が答えた。
「梁山泊に行く前の?」
「そうだ」
三人目が言った。
「義の人だぞ」
四人目が言った。
「でも旦那様が怖がってる」
終了である。
完全終了である。
⸻
レイはさらに言った。
「のだぁ!」
指を突きつける。
「しかも!」
一呼吸置く。
「吾輩の肩より低いのだぁ!」
宋江は沈黙した。
どうしようもない事実であった。
⸻
レイは妻たちの間に隠れた。
193cmの巨体である。
隠れられていない。
だが本人は隠れているつもりだった。
「守ってほしいのだぁ……」
潘金蓮が言った。
「大官人、ご安心ください」
李瓶児が言った。
「私たちがいます」
孟玉楼が言った。
「恐れることはありません」
三人とも視線を合わせた。
(どういう状況なのこれ)
完全に一致していた。
⸻
その間にも宋江は殴られていた。
ぼすっ
どすっ
がすっ
ついに座り込んだ。
そして言った。
「……義とは」
誰も聞いていない。
「……どこへ」
さらに殴られた。
⸻
レイは満足した。
「うむ」
腕を組む。
「反省したようなのだぁ」
宋江は何も言えなかった。
反省というより
理解不能だったからである。
⸻
レイは最後に言った。
「今回は特別に許すのだっ♡」
特別でも何でもない。
すでに十分すぎるほど殴っていた。
「次からは覗かないようにするのだぁ」
宋江は地面に座ったまま頷いた。
そして思った。
(梁山泊に行こう)
歴史が
ほんの少しだけ
早まった瞬間であった。




