第三部 第三十六章 未来の未来?(一)
五枚のコイン。
それを、悠斗と結月はただ見つめていた。
「ゆーくん……」
何も聞かない。
けれど、その表情だけで分かった。
悠斗がどれだけの別れを越えてきたのか。
結月はそっと、悠斗を抱きしめる。
「ゆーくん、ありがとう……」
「あぁ」
その温もりが、擦り減った心を静かに修復していく。
終わっていない。
みんなの絆。
そして――結月の望みも。
「結月、ありがとう。落ち着いたよ。でも……」
優しく身体を離す。
目は、もう迷っていない。
「まだ終わっていないから」
「うん。お母さんを、お願い、ね」
「あぁ、任せろ。行ってくる」
コインを握りしめ、悠斗は跳んだ。
サイトとレナが待つ時代へ。
・・・
視界が晴れる。
はずだった。
真っ白だ。
水の流れる音。
「どこ……?」
「悠斗!?」
「レナ?」
目の前には――湯気。
そして、風呂。
レナが、なぜかミラのポータルと一緒に浴槽に入っていた。
どうやらポータルを洗浄中らしい。
問題は。
レナ自身も、生まれたままの姿で、全身泡だらけということだ。
「キャー!!」
「どわーっ!!」
全力で背を向け、風呂場から飛び出す悠斗。
「見たの?」
「見えてない」
「見たかったの?」
「見れるのなら」
「見せてほしいの?」
「それは遠慮しておく」
妙に息の合った応酬。
その時。
ピンッ、と音が鳴る。
エリスティアに案内されたサイトが現れ、首を傾げた。
「……何をしているんだ?」
「事故だ」
「事故よ」
声が重なる。
サイトは一瞬だけ沈黙し、すぐ本題へ。
「悠斗。コインを見せてくれないか?」
観測していた。
悠斗がどんな思いで受け取ったのか。
だからこそ、何も聞かない。
「これだろ?」
机の上に並べられる、五枚のコイン。
サイトは一枚ずつ確認する。
刻印。摩耗。共鳴値。
「……問題ない」
小さく呟く。
その声には、確信があった。
サイトは五枚のうち一枚を手に取り、端末へと取り込んだ。
モニターに、無数の数字と記号が走る。
「うわ……」
悠斗は顔をしかめる。
「数字だらけで、何が何だか分からないな」
「私も専門外だから分からないわ」
レナも肩をすくめた。
だがサイトは違う。
流れる羅列の中から、特定の数値だけを素早く抜き出し、別ファイルへ保存していく。
同じ作業を、五枚分。
抽出されたデータは統合され、小型のポータルへと転送された。
淡い光が装置を包む。
「今から十年後の時間軸。それに座標はこの家。……間違いなさそうだ」
「じゃあ……」
「飛べるぞ。ミラのいる時代へ」
「やったね」
レナが小さく拳を握る。
サイトは小型ポータルを悠斗へ差し出した。
「これを握れ。お前の想いをナノマシンが汲み取り、お前のポータルにこの情報を落とし込むはずだ」
「……分かった」
受け取る。
冷たいはずの装置が、手の中でじんわりと温かい。
――未来さんのいる時代へ。
その想いを乗せた瞬間、悠斗の身体が淡く発光した。
だが、すぐに光は消える。
「……これで、行けるように?」
「なったはずだ」
自分の身体を見下ろす。
外見は変わらない。
鼓動も、体温も、いつも通り。
だが。
確信がある。
――飛べる。
サイトが静かに続ける。
「これから飛ぶ先には、恐らく俺やレナもいるだろう。その俺たちは、時間軸が違う“別の俺たち”だ」
「事情を知らない、ってことか?」
「それは分からないわね」
「え?」
レナは指を立てる。
「十年後の私たちも、別の時間軸の悠斗に会っていて、十年後に飛んでくることを知っている可能性があるわ」
「あぁ」
サイトが頷く。
「俺たちが十年後に会う悠斗は、今ここにいる悠斗ではない、ということだ」
「……相変わらず難しいなぁ」
頭を掻く悠斗。
だがサイトは、珍しく柔らかい声で言った。
「時間軸が違えど、俺たちは俺たちだ。そう大きくは変わらない」
「頼っていいわよ」
レナがにっと笑う。
「私も十年後の悠斗を全力で助けるんだから」
その言葉に、悠斗は小さく笑った。
「分かったよ。ありがとう、二人とも」
五つの世界で繋いだ絆。
そして今、この世界の仲間。
深く息を吸う。
「――行ってくる」
十年後。
未来へ向かって、悠斗は一歩を踏み出した。
悠斗は、結月の母――未来の姿を強く思い描いた。
十年後。
あの人が裁かれるはずの、あの時代。
光が、身体を包む。
「頑張れよ」
「頑張ってね」
サイトとレナの声を背に、悠斗は時代を越えた。
・・・
広い空間。
声が遅れて返ってくる。
視界はまだ白い。
「来たか……」
「ゆーくん!?」
「やっとね。待ちくたびれたわよ」
聞き覚えのある声。
だが、二人ほど年季が混じっている。
やがて、視界が鮮明になる。
「ここは……?」
「裁判所だ」
目の前に立つのは、サイト。
だが十年分の時を重ね、さらに渋みを増している。
「さっきまで十年若いあんたと話してたんだけど……」
思わず笑う。
「ちょっと〜、嫌なこと言わないでよ〜。私もいるんだから〜」
肩をバンバン叩くレナ。
こちらも少し大人びている。
「その言動がもうオバサンだよ、レナ」
「誰がオバサンよ!」
「ゆーくん……」
その声。
悠斗は振り向いた。
「未来さん。迎えに来ましたよ」
ほんの数日前まで、結月の家で顔を合わせていたはず。
だが悠斗にとっては、数週間ぶりの再会のように感じられた。
「君が証人かね?」
厳かな声が響く。
「え?」
「私がこの場を取り仕切る裁判長である。今回は実際の事件から十八年が経過した案件だ」
空気が張り詰める。
「裁判長。彼は状況を理解できておりません。少し時間を」
サイトが静かに進言する。
「ふむ。その前に一つだけ」
裁判長の視線が悠斗に向けられる。
「悠斗殿。君はかつて、そこのサイト君に殺害された被害者であったと記録されているが?」
静寂。
サイトは、真っ直ぐ前を見ている。
――真実を語れ。
そう言っているようだった。
「……俺には、その自覚はない」
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「でも、こうして今、俺は生きている。その後の人生において、その事件は俺自身の欠点を見直すきっかけになった」
未来を見る。
「確かに辛い時期はあった。でも……今の俺は、感謝している」
「悠斗……」
サイトの声が、わずかに揺れた。
「彼は二十年前、殺人罪で無期懲役相当の判決だった。しかし被害者を蘇生させ、人命救助に尽力。監視付き仮釈放、さらに時空警官としての功績も加味されている」
裁判長の視線が鋭くなる。
「だが……」
「もう、罪は十分過ぎるほど償っています」
悠斗ははっきりと言った。
迷いはない。
「分かりました。サイト君の最終判決は追って通知いたします」
木槌が鳴る。
ひとまず、休廷。
重苦しい空気が、わずかに緩んだ。
未来は、涙を堪えるように悠斗を見つめていた。
「未来さん。無事でよかった」
悠斗がそう言うと、未来は肩をすくめた。
「心配かけたわね、ゆーくん」
「結月が心配しています。……帰れそうなんですか?」
「どうかしらね?」
あっけらかん。
らしい、といえばらしい。
「お姉ちゃんは毎回行き当たりばったりよね」
レナが呆れたように言う。
サイトが淡々と補足した。
「ミラは父親を追ってタイムトラベルをした。そして十八年後、自力で戻って来た父親――そのタイムパトロールに捕まった」
「は?」
「九年前にお父さん、帰って来たのよ。ほんとに自力で」
「笑っちゃうわよね。私が探しに行かなくても戻ってくるんだから」
未来はけらけらと笑う。
どうやら父ローヴァンの調書は既に取られており、この場にはいないらしい。
「……じゃあ、俺が見た黒い影って」
「ローヴァンさんの船だな」
「何だよ。とんだ茶番じゃないか」
「ほんとよね。お父さんもお姉ちゃんも、そっくり」
サイトは腕を組む。
「それでな。ミラは今、タイムトラベルの罪と、過去の時代で家庭を持った“歴史改竄”の罪で裁かれている」
「タイムトラベルと……歴史の改竄」
「本来なら結構な罪なのよ〜。困っちゃうわよね〜」
「自業自得ですよ」
未来は「ひどいわぁ」と口を尖らせる。
「タイムトラベルの罪は、帰らない父を探すという理由で情状酌量の余地があると判断されている」
「そうですか」
「だが問題は、歴史改竄だ」
サイトの声が低くなる。
「改竄になるのか、ならないのか。意見が割れている」
「……どういうことだ?」
「本来その時代に存在しなかったはずの人物が家庭を持ち、子を成した。これは歴史への介入だ」
つまり――結月の存在。
悠斗の胸がざわつく。
「じゃあ、どうするんだ?」
「そこで、あなたの出番なのよ」
レナがにやりと笑う。
「意外と早く来てくれて助かったわ〜」
「ミラが家族を作った時代の“当事者”。その時代を生きた人間の意見が必要だ。つまり、悠斗の意見だ」
「俺が来れなかったら?」
「その場合はローヴァンさんが悠斗の時代へ飛び、意見を聞く予定だった」
「それなら――」
「信用度が違う」
サイトは即答した。
「悠斗の時代の一般人に、我々の存在を明かすわけにはいかない。事情を伏せたままでは、まともな意見は得られない」
だからこそ。
すべてを知る悠斗が必要。
未来が、静かに悠斗を見る。
「ゆーくん。あなたの思うがままでいいのよ」
歴史改竄か。
それとも――
ただの、ひとつの人生か。
法廷の空気が、再び重く沈んだ。




