12.
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騎士として仕えてくれていたシエルはいつも、私の三歩ほど下がった斜め後ろを歩いていた。
それが妖精女王と騎士の適切な距離だということは、頭で理解していた。
だけど、心の中では残念に思っていた。
(昔は……、お役目がなかった頃は、隣を歩いていたのに……)
だけど、私達の関係に“恋人”という名前がついてからは、シエルは隣を歩いてくれた。
女王と騎士ということで他の神々の目もあるから、表立って隣を歩くことはなかったけれど、神々の目を盗んでは隣を歩くだけでなく、手を繋ぐこともした。
昔と同じようで、違う距離。
楽しくて、そわそわして、恥ずかしかったけれど。
とても幸せで、心地が良かった。
この時間が永遠に続けば良いのに、と。
そんな馬鹿みたいなことを、考えていた。
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「城内を巡っていかがでしたか?」
妖精女王と騎士でなくなった今世では、シエルがさりげなく私の歩幅に合わせて隣に並んでくれることさえも嬉しく思ってしまう自分がいることに嫌悪しながら、それを表に出さないよう努め、返事をする。
「とても広大で、そして素敵だったわ。建物ももちろんだけど、特に、仕えてくれている人々が」
「! ……たとえば?」
「いつも美味しいご飯を作ってくれる料理人達も、温室で素敵な花々を育て和ませてくれる庭師も、愛情を込めて馬のお世話をする馬番の人達も、寒い中城を四六時中警護してくれている騎士達も。
それから、今日も城内を分かりやすく説明してくれたジーナを始めとした親切な侍従達。
改めて、ここにいる人々は温かい人達ばかりだと……、そしてそれを率いているのがあなただということを知ることが出来て、嬉しかったし誇らしかった」
「……エレオノーラ様」
目を丸くするシエルを見て、私はハッとして慌てる。
「わ、私ったら凄く偉そうだったわね。気を悪くさせてしまっていたらごめんなさ」
「いえ」
「!」
シエルが不意に立ち止まり、両手を握られる。
向かい合わせのようになり、正面に立つシエルは微笑んで言った。
「エレオノーラ様にそう仰っていただけたことが私の誇りであり、何より嬉しいです。
……苦労した甲斐があった」
「え……?」
ポツリと呟かれた言葉に目を見開けば、彼は私の手を離し、顔を見られたくないのか、先を歩き出しながら言った。
「聞いても決して楽しい話ではないし、長くなるし、引かれたくないので詳細は省きますが。
何とか国王の座に着いたは良いが、どうしていけば良いか分からなくて。
そんな時に真っ先に浮かんだのが、妖精女王であらせられたエレオノーラ様でした」
「! ……」
「エレオノーラ様の堂々としながらも謙虚にも見えるその姿勢は、間違いなく妖精達に好かれていました。
そう考えた私は、エレオノーラ様のようにこの国を……、ラーゴ王国を導こうと思ったのです。
そして、十分に環境を整えたら……、ファータ王国で人間として生まれ変わっているエレオノーラ様を迎えに行くんだと、心に決めて頑張りました」
シエルが振り返る。その真剣な眼差しを受け、私はその場で足を止めた。
シエルは一歩私に近付くと、伺うように尋ねる。
「……エレオノーラ様は、この国に来て幸せですか」
「……!」
シエルの言葉に息を呑む。
その質問に対し、どう返すべきかを逡巡してしまう私にシエルは「やはり」と眉尻を下げて言う。
「ご迷惑、でしたか……?」
(違う。そんな顔をさせたいわけではない)
私は意を決して、自分の正直な気持ちを口にする。
「そんなわけがない。私は、この国に来られて幸せだわ」
「……エレオノーラ様」
シエルの顔が、私の言葉を受けて綻ぶ。
その表情を見て、私の胸はズキリと痛む。
(……違う。私は、幸せになってはいけない……。
あなたの優しさに、甘えて良い立場ではないの)
「……シエル、もうここで大丈夫よ。あなたは鍛錬場に戻って」
「駄目ですよ、エレオノーラ様」
「!」
先ほど離れた手が、再び私の片方の手を繋ぐ。
そして、彼はそのまま有無を言わさず歩き出しながら言った。
「エレオノーラ様はいつもそう言って、一人で迷子になってしまわれるのですから。
知っていますよ、神々の中でも随一の方向音痴だったこと。
しまいには、妖精達に案内してもらっていましたよね」
「も、もう城内の場所は頭にいれたわ!」
「では、後で試験をしてみましょうか。お渡しする予定だった城内の地図も、もういりませんね?」
「……いじわる」
「ははは」
シエルが声を上げて笑う。
前世では考えられなかったその表情も、恋人だったからこそ繋ぐことが出来た手も。
信じられないことに、今その両方が叶ってしまっている。
(浮かれては、駄目よ)
そう自分に言い聞かせても、いつもより鼓動が早くなってしまう自分に呆れ、そして嫌悪する。
(だって私は)
他でもない、今この瞬間繋いでいる手を、前世で自ら振り払った。
何も告げることなく、全てを彼に押し付けて『さようなら』をした私が、この手を握る資格が……、幸せになる資格なんて、ないはずなのに……。
(どうして、こんなことになってしまっているのだろう)
「着きましたよ、エレオノーラ様」
終わってほしくて終わってほしくない時間は本当にあっという間で。
繋がれていた手は、他でもない彼によって呆気なく離される。
その瞬間にも外気に晒されて冷たくなっていく手を無意識に片方の手で握りしめてから、言葉を発する。
「ありがとう、シエル。結局送ってもらってしまって」
「エレオノーラ様のためなら、いくらでも」
「……っ、そ、そういえば、私、すっかり鍛錬場にいた騎士達にご挨拶をしそびれてしまったわ」
「あぁ、そういえばそうですね。ですが、別に挨拶しなくても良いです。
というかさせたくないです」
「えっ」
思いがけない言葉に驚いてしまう私に、シエルは「あー」と、前世では見たことがない、頭をガシガシと乱暴にかきながら言った。
「分かりました。今度時間を作ります。
今日はたまたま私が赴いた日だったので、また私がいる日に」
「そんな、無理をしなくても一人でも大丈夫よ?」
「一人では絶対に駄目です!!」
「!?」
今度は両肩を掴まれ、その近さに息を呑んでしまう私に、シエルはその手を離し、距離を置いてから言った。
「……エレオノーラ様は本当に。もう少し自覚してください……」
「……?」
「……何も分かっていらっしゃいませんね。本当に無防備で心配になる……」
シエルは、時々よく分からない話をする。
察してほしいと言われるけれど、何を察すれば良いのか分からない私は、とりあえずおずおずと口にする。
「で、では、もし、鍛錬場に一緒に行く時は、今度は近くであなたの剣を振るう姿を見ても良い?」
「……!?」
「あ、全く強制ではないから気にしないで」
「み、見たいんですか? 俺が剣を振るう姿を??」
「……!」
(そ、そうだわ。私、勢いに任せてなんて大胆で図々しいお願いを……)
やっぱりなかったことに、と言おうとしたけれど、それを阻むように、シエルがかしこまりながら自分の胸に拳を当て言った。
「エレオノーラ様のお望みのままに」
「……!」
それは、天界で私の騎士をしていたシエルの臣下の礼で。
騎士として仕えてくれていた頃のシエルと錯覚し、一瞬眩暈を覚えたけれど、シエルには幸い気付かれなかった。
「それでは、私はこちらで失礼致します」
踵を返し、颯爽と行ってしまう彼のその背中に向かって、お礼をと口を開きかけたけれど……。
「っ……」
視界が歪み、身体が傾ぐ。
視界が暗転する寸前、シエルがこちらを振り返り名前を呼びながら走ってくる姿を最後に、私は情けないことに、そのまま意識を手放した。