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清流の蛇姫  作者: 海山 紺
第二章
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第9話 初任務

 輪東北部に位置する新越(しんえつ)――。


 幕府が構えられていた花の都の武京に比べ、新越は豊かな自然に囲まれ、牧歌的で長閑な田園風景が目立つ。それもそのはず、新越は輪東有数の農耕地帯であり、上質な米を始めとした数多の食料が生産されていることから、幕府直轄の食料庫として知られていた。


 桜夜たちは伊織が風の力で創成した巨大な烏――〈大烏(おおがらす)〉に乗って、わずか二時間足らずで輪東に上陸し、新越の地を踏んだ。


「ここなら地形を利用していくらでも潜伏できるし、昔は幕府の息がかかっていた場所だ。長期戦をするうえで食料に困ることもないから、奴らがここを拠点の一つにするのも必然」


 沈丁花が隠れ潜んでいるという山麓の奥地へ向かう道中、先導していた増長が滔々と述べる。彼の後ろには桜夜と伊織、第三部隊所属の親兵数十人。そして、隊長と肩を並べて歩いているのは――


「だから、沈丁花にとって重要な分拠地であることに間違いない。ここを叩けば沈丁花全体の戦力を大幅に削ることができる。そうでしょ? 兄貴」


 第三部隊副隊長、雑賀(さいか)増美(ますみ)が涼しげな目元を増長に向けて、淡然と問いかけた。兄と同色の髪はおさげにされ、腰に帯びた朱色の二丁拳銃が目を引く。どうやら兄妹そろって銃の名手かつ神器所有者らしい。


「そういうこと。流石は俺の妹、わかってんな」

「ふふん。もっと褒めて」

「偉い偉い」


 妹の頭をぽんぽんと撫でる増長。そして、朴訥とした面持ちのままだったが満更でもない様子の増美。敵地に赴いているとは思えないほど緊張感のかけらもない仲睦まじい兄妹に、桜夜は呆気にとられつつもわずかに親近感を抱いた。


「あれでも一端の隊長と副隊長やからな。今はアホみたいにじゃれあってるけど、戦場ではボクに引けをとらんほど強なるから」


 隣を歩いていた伊織が雑賀兄妹を見つめながら言う。


「お前はあの兄妹と付き合いが長いのか?」

「そうやな。二人の実家――雑賀家は烏賀陽家に仕える〈三眷族〉の一家で、ちっちゃい頃から面識あったから」


 あの二人はボクの幼馴染で親友。


 珍しく柔和な笑みをたたえる伊織に目を瞠りつつも、桜夜はすぐに兄妹に意識を戻す。


「ということは、あの兄妹の師匠が私たちが世話になっていた猟師ということか」

「お、ボクがゆってたこと覚えてたんや。まあ、師匠である前に(だん)さんはアイツらのおじいちゃんやけど」


 伊織の話によると、猟師こと雑賀弾は先代の雑賀家当主にして、今の増長と同じ第三部隊の隊長だったらしい。また、雑賀家は優れた銃士を多く輩出する名門なのだと。


「ボクとあの兄妹は負け知らずやから、桜夜ちゃんは今日入ったばかりの新人さんやし、今回は見学でいいで」

「抜かせ」


 冷淡に一蹴すると、伊織はまたもやからからと笑う。


 ――本当に、調子が狂う。


 御庭番に属していた頃はいつも気を張っていて、周りの誰かが楽しそうな笑顔を見せることなど微塵もなかった。

 生死の境界線上に立たされていることに変わりはないはず。それなのに、今はまるで物見遊山にでも出かけるかのような緩い雰囲気に包まれていた。だが、増長の一声で緩んでいた空気が一転、ぴんと張りつめる。


「毎度のごとく今回も忠告しておくが、死傷者は極力出さないようにな。寧子様は敵であっても犠牲が出ることを嫌う」


 増長の指令に、桜夜と他の親兵たちが首肯する。


「戦に犠牲は付き物やのに。ほんと、あの人ときたらとんだ無理難題をボクらに課したもんやなあ」

「おい、伊織。ちゃんとわかってんだろうな」

「はいはい、わかってますよ」

「はいは一回だ」

「はーい」

「……あのな、お前が寧子様の言いつけを破ったら、お前と一緒にいる俺たちも大目玉を食らうんだよ」


 頼むからちゃんと自重してくれ、と増長は額に手をやりながら懇願する。


「わかったって。流石にこれ以上、マスらに迷惑かけるわけにはいかへんし。でも――」


 ふと、伊織の双眸に宿る光が暗澹とした翳に覆われて、冷然とした空気を纏う。


「マスらに何かあった場合は遠慮せんから」


 背筋が凍り付くような得も言われぬ覇気に、桜夜は思わず身震いした。それは第三部隊の面々も同じで、伊織の冷酷さに気圧される。


「あいつらは寧子様が治める世の中を乱そうとするクズ中のクズや。今まで何人も仲間が殺されてきたし、当然今回もボクらを殺す気満々で襲ってくる。やのになんで、こっちはあいつらの命を保証せなあかんねんって話」

「気持ちはわかるが、簡単に殺してしまえば得られたかもしれない情報も消えてしまう。奴らを捕縛することは、沈丁花に関する情報を掴んでいち早くこんな不毛な争いを終わらせることでもあるんだ。そうすれば、仲間が犠牲になることも、一般人が戦乱に翻弄されて心身を疲弊させることもなくなる」


 軽薄な笑顔の裏に隠れていた、底冷えするような憤怒と怨嗟。己が抱き続けてきた深くて冷たい闇を抑えきれなくなった伊織に、長年の付き合いである増長は極めて冷静に言い諭した。


「ていうか、俺らに何かあるなんて状況を、そもそもお前は作らせないだろ?」

「確かに。それもそうやな」


 闇が霧散し、いつも通りのへらりとした生意気な面様と艶美な紫光が戻る。

 白い歯を覗かせる伊織に、雑賀兄妹だけでなく桜夜もほっと安堵の息をつく。そんな自分に驚きつつも、桜夜は待ち受ける一戦に気を引き締めた。

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