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清流の蛇姫  作者: 海山 紺
第一章
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第5話 女皇への謁見

 輪国で最も尊く、崇敬される一族が住まう皇宮。かの宮は親兵局から少し離れたところに位置する。そもそも親兵局自体がその性質上、輪皇がもつ神器の権能によって周囲から隠されていた。


 親兵局を守護するように囲んでいる森林。そのなかに一際大きな樹木があり、太い幹には黄金色の渦輪があった。先導していた額が渦のなかに手を伸ばすと、まるで吸いこまれるかのように眼前から姿を消した。


 桜夜と蓮夜は唖然とし、得体の知れない物象に警戒心を抱く。


「そんな怖がらんでも大丈夫やって。この『ねじれ』は親兵局と皇宮を行き来するための出入り口やから」

「出入り口……」


 桜夜の鸚鵡(おうむ)返しに、伊織は「そ」と頷く。


「いわば空間と空間の繋ぎ目。さ、二人ともボクの手握って」

「なぜお前の手を握る必要がある」

「『ねじれ』は寧子様が許可した人間しか通さへんのよ。それ以外の人間が立ち入るには許可者の体の一部に触れて一緒に入らんとあかんねん。ほら、早く。何やったらボクに抱き着いてくれてもええから」


 伊織が言い終えた瞬間に姉弟は伊織の手を握った。それはもう強く、しっかりと。


「いたたたた。二人とも握力強いなあ。わざと?」

「普通に握っているだけだ」

「そうだよ。普通に握ってるだけ」

「ほんまに? いでででで! 痛い痛い」

「うっとおしい。早く連れていけ」

「横柄! 横柄やわ桜夜ちゃん! まったく、親兵局副長を顎で使おうとすんの桜夜ちゃんぐらいやで」


 やれやれと言わんばかりにわざとらしく溜息をついて、伊織は両者を引き連れ『ねじれ』に踏み込んだ。たちまち黄金の渦に呑みこまれ、眩い閃光と妙な浮遊感が身を包む。しかしそれは刹那の間で、桜夜と蓮夜は『ねじれ』に押し出されてたたらを踏んだ。


「な。何もなかったやろ」


 伊織は手を離し、桜夜たちは辺りを見渡す。視界には思わず気圧されてしまうような景色が広がっていた。


「ここが皇宮です」


 先に着いていた額が眼前に構えている広大な宮城を見据えて言う。

 汚れ一つない純白の城壁に、威厳ある灰黒の瓦と檜皮葺(ひわだぶき)の屋根。他とは一線を画す聖域として仕立て上げている白砂。初見なら一歩踏み出すことを躊躇(ためら)ってしまうほどの荘厳な美が遺憾なく放たれている。


「すごい……!」

「すごいやろ~。ボクらが今から行くのは、真ん中にある黄央殿(こうおうでん)。そこに寧子様――輪皇陛下がいらっしゃる」


 蓮夜の感嘆に続いて、伊織が説明する。


「行きましょう。寧子様がお待ちです」


 親兵が普段出入りする裏門を潜り、皇宮中央に厳然と構えている壮麗な宮殿へと歩を進める。黄央殿はその名の通り黄金色の柱や装飾が光り輝く殿舎で、ところどころ神々の紋様が施されていた。


 回廊を渡り、輪皇の御座(みくら)がある謁見の間で桜夜たちは正座する。しばらくすると、御座の傍に控えていた宮仕えの女性が口を開いた。


「寧子様の御成です」


 輪皇の到着を告げると同時に、額と伊織がすぐさま叩頭した。輪皇に対する絶対的な忠義が垣間見える行動の速さに驚きつつ、桜夜と蓮夜もおずおずと首を垂れる。

 衣擦れの音と規則正しい足音が姉弟の耳朶に響いた。その洗練された所作に、周囲の空気が瞬く間に得も言われぬ緊張感に包まれる。


「顔をあげてください」


 神楽鈴を思わせるような、神秘的な美声が頭上に降りかかる。言われて、桜夜たちは視線を御座に戻した。


 花も恥じらうような、見目麗しい女性が御座に腰を下ろしていた。

 黒曜石の如く清純な光沢を放つ睛眸(せいぼう)に、射干玉(ぬばたま)の長髪は上品に編み込まれて一つに括られている。華奢な体躯を包むのは真白の小袖に京紫の袿、緋色の切袴。まさしくこの国の至尊に相応しい凛々しさと美しさを兼ね備えている。


 特筆すべきは、彼女が首から下げている拳大の黄玉。おそらくあれが輪皇に代々継承される〈空間〉と〈天〉を司る神器だろう。


 ――この女性ひとが、輪皇……。


 自分と二つしか年が変わらないというのに、浮世とは隔絶された佇まいと威光が桜夜の目を釘付けにする。蓮夜も惚けた面持ちで可憐な女皇を見つめていた。


「寧子様。ご姉弟をお連れしました」

「ありがとう、額。伊織もご苦労様でした」

「いやいや、労われるほどのことでは」


 輪皇相手でも飄々とした態度を崩さない伊織に、桜夜は呆れを通り越して感服する。対して額は不服そうな視線を投げつけていたが、当の本人はどこ吹く風とにこにこしたままだった。

 寧子は桜夜と蓮夜に視線を戻して、天女の如き美麗な微笑をたたえる。


「もうわたくしのことを知っているかもしれないけれど、改めて名乗りましょう。わたくしは輪ノ宮寧子。気軽に寧子と呼んでちょうだい」

「清水桜夜です」

「お、弟の蓮夜です!」


 緊張して声を上擦らせる蓮夜に、寧子はくすくすと鈴を転がすように笑みを零す。


「そんなに緊張せず伊織みたく楽に構えてと言いたいところだけど、やっぱりそれは難しいわよね。それぞれ下の名前で呼んでも?」

「はい。もちろんです」


 桜夜の首肯に続き、蓮夜も顔を激しく縦に振る。


「恐れながら寧子様。あの者は楽に構えるどころか御身に対して不敬極まりない態度を改めようとしません。ここはいま一度、相応の厳罰を下していただきたく」


 すかさず額が進言する一方で、伊織は虚空に向けてぴゅうと口笛を吹いていた。相変わらず馬が合わない二人に、寧子は困った風に眦を下げる。


「まあ、伊織の奔放さは今に始まったことではないし、わたくしがああしろこうしろと言ったところで、彼が反省して日頃の行いを改めるとは思えないわ」

「ですが……!」

「額。反対にあなたはもう少し肩の力を抜いてもいいのよ。前にも言ったでしょう。輪皇になったからといって、そんな堅苦しい姿勢をとる必要はないわ」

「……お気遣い、痛み入ります」


 なおも恭しく頭を下げる実直な額に、寧子は頬に手を添えて困ったふうに言う。


「額も伊織も両極端なのよね」

「ははは、ほんまですねえ」

「誰のせいでわたくしが頭を悩ませていると思っているの」


 わずかに柳眉を逆立てたところで、寧子は嘆息し桜夜と蓮夜に向き直った。


「話が逸れてしまったわね。ごめんなさい。本題に入りましょう」


 寧子が凛とした面持ちに切り替えたと同時に、自然と桜夜たちの背筋もぴんと伸びる。

うら若き女皇の澄んだ黒瞳が、桜夜を真っ直ぐに見据えて離さない。


「突然、見ず知らずの者たちに同行を強制され、挙句こんなところに連れてこられて困惑しているでしょう。あなたたちには申し訳ないことをしました。でも、どうしてもあなたたちを見過ごすことはできなかったの」


 寧子は一息おいて、自身の意向を打ち明ける。


「単刀直入に言います。桜夜と蓮夜には、これから皇宮(ここ)で暮らしてほしい」

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