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清流の蛇姫  作者: 海山 紺
第四章
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第28話 守護の一閃

「どうして君がここに……!」


 唖然とする増美の声が聞こえ、蓮夜はおずおずと顔を持ち上げた。

 眼前には、弓と刀を携えた麗しい少女。ずっと心配していた友人がそこにいた。


「佳弥!」


 無事でよかったと、蓮夜は立ち上がって彼女に駆け寄ろうとする。


「待って蓮夜くん!」


 咄嗟に増美が彼の腕を掴み、背後に庇った。


「増美さん? どうしたの?」


 困惑する蓮夜をよそに、増美は最悪の事態に苦悶を滲ませる。


「ねえ、どうして佳弥に銃を向けているの?」


 蓮夜が増美の肩を揺さぶる。その声音は震えを帯び、今にも彼は泣きだしそうだった。


「増美さん! 銃を下ろして!」

「蓮夜くん」


 ふと、たおやかな響きが耳朶をくすぐった。


「わたしと一緒に来て」


 佳弥が打刀を落とし、弓弦に手をかけようとした時、増美は彼女の頭に狙いを定めて引き金を引く。


「やめて!」


 だが、蓮夜が佳弥を庇うように銃口の標的となった。

 銃口を逸らそうにももう遅い。炎弾は放たれ、蓮夜の頭部を焼きつくそうとした。しかし神の加護が凶弾を打ち払う。


「お願い、増美さん」


 透明な雫が頬を伝う。蓮夜は短剣を創成し、躊躇いがちに増美にその切っ先を向けた。


「銃を下ろして」


 震える声と手が増美の判断を鈍らせる。

 蓮夜の懇願に応えることはできなかったが、再度引き金を引くことはしなかった。


「ねえ、佳弥」


 おそるおそる振り返り、蓮夜はぎこちない笑みを浮かべて問う。


「その刀、どうしたの?」

「嵐慶様にお渡しするために、東青殿――皇宮の東側にある宝物殿から持ってきたんだ」


 佳弥はいつも通り魅惑的な微笑をたたえたまま答えた。


「嵐、慶?」

「蓮夜くんだって、もうわかっているくせに」


 切なさを含んだ自嘲が蓮夜の揺らいだ視界に溶けこむ。


「わたしが沈丁花の間者だってこと」


 酷薄な事実が佳弥の口から直接告げられ、蓮夜の顔がぐしゃりと歪んだ。

 嘘だ。嘘であってほしい。だが、その願いは冷暗とした花顔によってあっさりと砕け散る。


「ごめんね。蓮夜くん」


 佳弥は雪矢を番え、増美に狙いを定めた。増美もまた迎撃しようとし、蓮夜は咄嗟に懐から苦無を取り出してそれを佳弥に向けた。

 短剣は増美を、苦無は佳弥を牽制する。絶望に打ちのめされた少年の、薄弱とした意志の表れに増美は息を呑む。


「何で……何でだよっ! 佳弥!」


 腹の底から湧いて出た慨嘆が徐々に蓮夜を蝕んでいき、ついには頬に禍々しい黒鱗が浮かび始めた。


「蓮夜くん!」


 増美が迎撃体勢を崩し、蓮夜に手を伸ばしたところで、佳弥は瞬時に雪矢を消滅させて弓弦を勢いよく弾く。鳴弦が両者の鼓膜をつんざくと同時に、低く玲瓏な声音が降りかかる。


「〈細雪(ささめゆき)〉」


 どこからともなく繊麗な雪華が舞い落ち、蓮夜と増美に降り注いだ。〈細雪〉が両者に染み入ると、彼らはぷつりと糸が切れたように意識を失い、その場に伏した。

 催眠効果のある神技が両者を包んだところで、佳弥は〈緑爪〉を広い、腰に差す。そのまま弓を肩にかけ、蓮夜を両腕で抱えた。同時に役目を終えたかのように〈細雪〉は降り止む。


 氷矢で撃ち砕いた窓から出ようとすると、勢いよく扉が開かれる音がした。おもむろに振り返ると、紅葉と囚われの身になっていた同僚たちが目に入った。


「先を越されたか」


 見えぬ口から低く玲瓏な声が発せられ、佳弥は花笑む。


「そちらも無事に救出できたようで良かったです」

「ああ。桐南は?」

「先に『ねじれ』で待っていると思います」


 佳弥が答えた時を同じくして、回廊から足音が響く。

 一行が扉を振り返ると、桜夜と伊織が部屋に足を踏み入れた。


「流石は異端の剣士たち。足が速いな」


 紅葉が淡然と言ってのけるも、桜夜の意識は佳弥の腕の中で眠る蓮夜に注がれた。


「蓮夜っ!」

「増美!」


 桜夜は掌中の珠へと伸ばし、伊織は倒れていた増美に駆け寄る。

 紅葉は桜夜に狙いを定めて抜刀し、目に見えない速度で間合いを詰めて桜夜の組紐を断ち斬った。


「桜夜ちゃん!」

「しばし蛇女との戯れを愉しむがよい」


 伊織は舌打ちし、片翼を引き抜いて一閃する。だが、紅葉は易々とそれをかわした。


「先ほどより太刀筋が乱れておるな」

「うるさいわ!」

「それでは蛇女にすぐ喰い殺されてしまうぞ」


 紅葉の冷徹な言葉を皮切りに、背後から空を裂く鋭利な音がした。

 反射的に振り返ると、すぐ隣を異形の爪が駆けた。


「ちっ!」


 金切り声に近い蛇女の咆哮が耳朶を打つ。同時に爪と翼が交じり合い、苛烈な余響が室内を揺らした。

 伊織が蛇女に刀を向けたのを確認し、紅葉たちは窓から撤退した。


「くっそ!」


 蛇女の猛攻を捌きながら、伊織は苛立ちを含ませて叫ぶ。


「こんな時に内輪揉めしてる暇ないねん桜夜ちゃん! はよ邪神を斬れ!」


 意図せず引きずりこまれた濃藍の淵底では、桜夜も焦燥を落ち着かせる余力がないまま荒御魂と交戦していた。


 ――ここでケリをつける!


 桜夜は腰を落とし、柄に手をかけた。


 ――思い出せ。


 師の手本を想起し、桜夜は深呼吸する。


 ――明鏡止水。心は凪のようにあれ。


 父の教えを反芻し、何度も脳内で抜刀の瞬間を思い描く。


 ――刀身に宿る神力の流れを感じろ。敵をよく見て、ぎりぎりまで引きつけろ。


 邪神の強靭な顎が迫る。


 ――その時が来たら、一思いに斬れ。


 柄を強く握りしめ、桜夜は素早く抜刀した。


「〈鯉跳〉」


 流麗な水刃が閃き、邪神を穿つ。だが斬撃が浅く、首を刎ねるまでには至らなかった。

 速度や時機を意識しすぎて、振り薙ぐ膂力が刀身に乗っていなかった。


 邪神は痛苦に悶えながらも、桜夜に向けて業火を吹く。

 桜夜はそれを回避し、体勢を整え直して邪神が突進してくるのを待った。


 ――今度は必ず斬る!


 こんなところで躓いている時間はない。

 大切な人たちを守るために、私は強くならなければいけない。


 もう、自分の弱さには嘆かない。


 邪悪な神籟が深淵に轟く。

 桜夜は再び呼吸を整え、右足を軸として左足を後ろに下げる。


 ――父上。どうか、力をお貸しください。


 長年、己が身に巣食ってきた赤黒の龍蛇が襲い来る。

 桜夜は『守護』の信念を盾に、『破壊』の化身を迎え撃った。



「〈鯉跳〉」



 鯉口を切り、流水一閃。堅い鱗と肉を抉る生々しい感触は刹那に過ぎ去り、桜夜は己が牙を振り下ろした。

 ぼとりと首が落ちる鈍い音が残響する。桜夜は血振りして静かに納刀すると、深淵の中心から霊妙な光が煌めいてやがて自身の視界を覆った。

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