突然変異
所長は保管庫から薬ビンのうちの一本を手にしてもどってくると、刑事たちに中身の緑色の液体をかざして見せた。
「トマトにはこれを使っておる」
「そうでしたか。それで、はじめに話した気になることなんですが」
吉村刑事があらためて問いかける。
「どういうことかな?」
「あくまで仮定の話なんですが。たとえば虫が、その薬を飲むとどうなります? もしかしたら大きくなるとか?」
「ありえんな。腹をこわすのがオチだろう」
所長はビンを軽く振ってみせた。
細かな泡がビンの中で数知れずできる。さらにそれは薬液内を浮き上がり、表面で緑の小山を作った。
「ですが、先ほどは虫に作用すると」
「あちらの薬はな。だが、この薬は植物にしか作用せんのだよ」
「それでありえないと」
「虫を大きくしたって、害はあっても何の意味もないではないか」
所長が薬を戸棚にもどしに行く。
その背中を追って、吉村刑事はここに来た目的を切り出した。
「じつは今朝方ですね。同じような事件がまたあったんです。で、その被害者の子どもが、怪獣のようなものを見たと……そう話したものですから、つい気になりまして」
「怪獣? 子どものことだ、おそらく夢でも見たんだろう」
所長が肩をゆらして笑う。
「ですが、これまでの連続した事件は奇妙なことばかりでして。犯人は突然どこからか現れ、どこかへ消えるというふうにですね。さらに意味もなく、大量の血液を抜き取るときています」
「そりゃあ、なんとも手ごわい相手だな」
「で、それが蚊の大きくなったものではないか、そう思ったものですから」
「ほう、蚊が巨大になったか。それでさっき、薬で虫が大きくならないかと聞いたのだな」
所長は苦笑いを浮かべ、次の研究室へ向かって歩きだした。
二人の刑事もあわててあとについていく。
「ひょっとしたらと思いまして」
「いや、待てよ」
所長がふいに立ち止まる。
「まったく可能性がないわけでもないかな」
「では、あるってことですか?」
「そうじゃない。わたしはたんに可能性の話をしただけのことだ。万にひとつのね」
「ですが」
根っからの刑事は、万にひとつの可能性であれ、あればそれをとことん追及しようとする。
吉村刑事はさらに食い下がった。
「その万にひとつによって、蚊が巨大になったとは考えられませんか?」
「言っておくがな、ふりかけてすむようなもんじゃないんだ、ここの薬品は。だから蚊が飲んだからといって、どうこうなるもんじゃないんだよ」
博士が顔をしかめて説明する。
「では、万にひとつというのは?」
「突然変異だよ」
「と、いいますと?」
「君たちも知ってるだろう。生物の種類が何百万とあるのも、過去の長い間に、突然変異を繰り返してきたからなんだ」
「それなら知っておりますが、薬品とどう関係してるのかが……」
「誘発したのでは、チラッとそう思ったんだよ。だがよく考えれば、それもありえんことだ。薬で突然変異が起こるなど聞いたことがないからな」
「ですが万が一、それが起きていたとしたら?」
「まあ、大変なことになるだろうな」
「どういうことです?」
「蚊というヤツは大量の卵を産んで、どんどん増え続けるではないか。そんな怪獣のような蚊が何匹もいたら、いったいどうなると思う」
「たしかに……」
二人の刑事は早々に見学を切り上げ、県警の捜査本部に引き返したのだった。




