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トシとちひろと百眼の巨人  作者: 夏木カズ
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■第15章『彼女の手紙』

 それから一週間後、物事がわずかながら動き出そうとしていた。


 一年生代表である大磯さんとトシは、昼休みの間にA組から順番に一日ひとクラスを回ってアンケート調査しようと決め、そして、すぐ実行に移した。


「すみませーん」


 教室に入り、教壇に立つ。違うクラスの二人の姿に自然と注目が集まる。彼は、みんなの視線を確認してから、一度軽くお辞儀して挨拶した。隣にいる大磯さんもいっしょに頭を低くする。


「これから、制服についてのアンケートをさせていただきます。みなさんの声をぜひ聞かせてください。お願いしまーす」


 アンケート用紙を持って、二人はA組の生徒にインタビューをして歩いた。制服委員会の先生やPTAの人たちに生徒の生の声を聞いてもらうために、カセットレコーダーに録音した。いろいろな意見があった。集約すると「私服よりも制服のままがいい。でも、制服ならば男女統一のブレザーがいい」という声が非常に多かったと思う。


 そして、四日目。トシのクラスD組でアンケート調査することになった。いつものように挨拶から始めた。


 最初に、親友の恵太に尋ねてみた。が、返事は友好的なものではなかった。


「制服審議委員ってエライのか。制服など、オレは興味ないな」


 もうひとりの親友、カツが割り込んできた。前輪を上げて走るウィーリーのように勢いをつけて、ドリフトするようにひねくれた顔つきになっていた。


「女の子は水着がいいな。やっぱ、び、ビキニだろ」


 彼らは、まじめに答えてはくれない。彼は隣に立っていた大磯さんの足元から髪の先までなめるようにして言い放った。


「何よ、その眼つき!」横にいる彼女が憤慨した。


 たぶん、カツは大磯さんの水着姿でも想像していたのだろう。もしかすると、惚れたか? 彼女に興味がなければカツはジロジロと見たりはしない。もういちど視線を彼女へ向けたり何らかのアクションを起こせば脈アリだ。トシはそんなことを考えていた。


「そうそう。あそこの彼女に尋ねてみるのがいいんじゃないか」


 恵太が指差した方向を見た。トシをからかったのか。それとも、気を利かせてくれたのか。そこにはカレンがいた。トシは彼女と眼が合った。何となくどんよりとした表情をしていた。それはまるでチューインガムがダラリとのびた感じだ。どうしようか、と躊躇していた彼より先に大磯さんが向かおうとしたので、カツが割り込み、それを制した。


「トシ、おまえが行け」


 唾をグッと飲み込む。噛み過ぎて味のしなくなったガムのような気持ち悪さ。カレンと話すのが怖かった。親友、いや、悪友のススメで、トシは仕方なく話を聞くはめになったのだ。


「あのー。制服審議委員会のアンケート調査ですが」


 恐る恐る、よそよそしく、話しかけた。傷口に触れるような気分だ。お互いが、あの帰り道での気まずい関係から抜け出せないでいた。彼女の眼はうつろでもあり、普段とは異なり、精彩がない。それは「あなたとはもう関わりたくない。関係ないのよ」という意思表示なのか、とさえ思えた。


「トシ君。私は、私服自由化に賛成よ。ほかに何も答えられない」


 彼女はそう言ってカバンの中から何やら一通の封筒を取り出して、彼に手渡した。素直にトシはそれを受け取った。


「後で読んでください」


「ありがとうございます」


 変にかしこまったおかしな言い方で、その場を後にした。渡されたのは四角い薄茶色の封筒だった。制服についての意見書だと思い、トシは平然と学生服のポケットにそれをしまった。そして、大磯さんといっしょにほかのクラスメイトらに聞き歩き、アンケート調査を無事に終えた。


「現行のままで別に問題ない」「私服だと毎日何を着ていいか迷う」「学校の方針に従ったほうがいい」「私服になると奇抜な格好をする生徒が現れるかも」「男女の区別がないからブレザーがいい」「ブレザーのほうがおシャレ」など、いろいろな意見が出された。


 私服自由化を求める声は、意外に少ない。制服反対、などと発言すると学校側の強制処分を受ける、とみんなが恐れたからなのかもしれない。あるいは、気持ち的に制服から私服へという急激な変化は多くの生徒が好まなかったのではないか、とも思えた。みんなの気持ちにブレーキがかかったようだ。それでも、制服は悪くないがブレザーがいい、と絶妙なバランス感覚が働いたのであれば、前に述べたとおり、中立性、柔軟性・共有性の中で、みんなが導いたひとつの答えだった。


 トシは、アンケート調査をして良かったという満足感と、同時に『みんなの声を聞く』ということはとても重要なんだ、と確信した。


 一方、カレン自身は、自分の意志を決して曲げることはなかった。それはそれで、学校側の圧力がかかっても、周囲に惑わされずに気持ちを貫くという意味で、彼は無視すべきではないと考えた。そして、手紙の内容を早く知りたかった。が、彼女の手紙は制服に関するものではなかった。それに気がついたのは放課後、こっそりトイレの個室に入ったときだ。


 誰にも見られたくないがために、トイレの個室に入り、中で学生服のポケットから手紙をそっと抜き出した。封筒にはハートマークのシール。意見書なのにハートなんてちょっと変だ。一体、彼女がくれた手紙は何だろうか。


「ラブレターじゃないだろうな」


 便所の中でニヤニヤ笑っている場合ではない。ハートマークを破かないように、そっと開いてみる。手が少し震えた。それは英文の筆記体のように斜めにかしいでキレイに書かれていて、トシの場合はいつも自分にしか読めないヘンテコな文字でしか書けなかったから、彼女らしいと感心した。「どれどれ」。手紙の冒頭は、前略とかあいさつとか、決まり台詞のないものだった。が、最初の一行を読んだ彼は仰天した。便箋を危うく便器の中ヘ落としそうになったのだ。


――――『私、死にたい。


 トシ君に嫌われて、学校側とトラブルを起こし、お母さんに怒られ、私はこの世にいても仕方ないかもしれない。今に疲れ、今を生きられないでいます。 あれから、いろいろ考えてみました。そう。あれから……。 トシ君は、教室の中では目立たない存在で、授業中はボヤっとしているし、昼休みはいつも寝ているし、髪の毛はボサボサだし、カッコ悪いけれど。 それから私のために、ラジオの深夜放送にリクエストしてくれてどうもありがとう。学校中で噂になったときは驚いたけれど、とてもうれしかった。

 あの帰り道、ゆっくり話しができなかったのが心残りです。正直、野球部の上級生と比べてしまったこともありました。でも、やっぱり私はトシ君が好きです。私は、ときどき倒れそうになるときがあります。そんなときそばにいてくれたら、と思います。見えない大きな波に流されそうになったとき、あなたの力で私を守ってほしいです。

 それから、制服審議委員会の代表になったと聞きました。みんなのためにがんばってください。トシ君だったら、いろいろな意見をうまくまとめてくれると信じています。あなたが見ているほうへ、進むほうへ、私もいっしょについていきたい。できることならば。今、制服のことで活動しているあなたがいちばんステキに見えます。カッコいいです。

 夢は何ですか。トシ君のことだから、でっかい夢があると思います。もういちど二人で帰りたい。いっしょにいたい。トシ君の好きな夕やけをいっしょに見たい。それが私の小さな夢です。

 ヤツのことは、もうキッパリと忘れようと思います。

                                                  さようなら』―――― 


 彼女からの手紙を読んで、『死にたい』という文字が頭から離れなかった。さらに、手紙の最後にも『さようなら』の五文字。胸騒ぎがする。何だか不吉だ。イヤな予感がした。できることならば、あの帰り道で関係を修復しておくべきだった。もっと前へ時間を戻せないだろうか。もういちどやり直したい。しかし過去を消すことも直すこともできないし、時間はどんどん過ぎていくばかりだ。


 そういえば、教室にいた彼女は何となくプレッシャーを受けていて、とても苦しみ、敏感になり、傷つきやすく弱々しくなっていた。自制しなければいけないという風に。彼女を苦悩させているのは、一体誰だ?


「頼む、死ぬなよ」


 一刻も早く彼女を見つけないといけない。トシはトイレから飛び出した。廊下で、顔見知りの誰かと会った。が、名前を思い出せない。それどころではなかった。相手は、挨拶しようとして声を出そうとしていたようだったけれど、何も言わずに素通りだ。後で謝ればいい。でも、理由は言えない。辺りを見回す。いつもと変わらぬ放課後。みな下校途中だ。当たり前だ。自分は何てバカなんだろう。そんなことを考えながら教室へ入ると、恵太とカツの二人を見つけた。しかし、彼女の姿はない。


「トシ帰るぞ。昼休みの件、怒ってねぇー……」


 恵太の呼びかけが終わる前に、再び廊下へ飛び出した。


「おーい。ま、待てよ」


 カツが叫ぶ。そして、二人とも慌てて彼を追いかけた。トシには後ろのほうからバタバタする音が聞こえていた。「どうした。血相変えて。怒ってるのか!」


 トシは、それどころではなかった。親友を無視した。


 カレンを救えるかどうか。


 ほんの一足違い、あとわずか一、二秒早ければ、ということだって考えられる。人生においても、人の運命についても一歩の差が大きな違いを生むわけで、いても立ってもいられなかった。「あってなるものか!」。彼は心のなかで叫んでいた。


 どこへ行く。


 分からない。


 彼女と過ごした楽しい日々が思い出された。心がズキンとうづいた。何かが波のように押し寄せては砕け散る。失われていくすべてのものが、今はとてもいとおしく感じていた。


 ある日の昼休み、寝ていた自分のところへ突然やってきた。そして、二人っきりの体育館。ラジオでリクエストカードが読まれたこと。野球部の上級生との関係。戸田さんの存在。あの帰り道での出来事。いろいろな思い出が頭の中によみがえってくる。もういちど、思い出をやり直したかった。そうすれば、こんな事態にはならずに済んだかもしれない。


 焦り。不安。苛立ち。


 少し、ほんのわずかの間だけ弱気が勝った。こんなことになるのであれば、遠くから見ているだけにすればよかった、と。


 ダメだ。そんなことを考えても仕方がない。手紙に何か手がかりはないのか。ふと、そう思い階段の手前で立ち止まった。


 親友らが彼に追いつくやいなやトシの正面へ回り込み、顔色をうかがう。息が荒れていた。


「お、おい、ど、どうしたっていうんだ」


 彼らの質問に答えるより先に、学生ズポンのポケットから手紙を取り出した。二人もそこに注意を向けた。彼は手紙を斜め読みしてから、親友に告げた。


「彼女がヤバイ。捜しているんだ」


「えっ!」


 一瞬の沈黙。


 そして、彼らの顔色が変わった。それは、今まで見せたことがないような変な表情だった。たった一、二秒のなかでこんな複雑な顔つきができるものかとさえ思えた。驚きの次に疑惑に満ち、笑いから心配へと移り、最後に恐怖心がすべてを支配した。


「上級生だ。上だ。階段の上。三階、四階……」


 彼らは、もういちど顔を見合わせた。


「上だ、頼む」。まさか、と思ったが、付け加えた。「いや、屋上から探してくれ」「わ、分かった」


 交わした言葉よりも、三人は多くの事柄を共有し合っていた。心の中で会話が進行し、状況を分析し、行動を起こそうとしていたのだ。


 恵太とカツは、車のギアをシフトダウンしてエンジンをふかすように二段跳びで勢いをつけて駆け上がる。烈風のように力強く階段を蹴っていく。その後ろ姿を見て、これほどまでに親友らが頼もしく思えたことはなかった。


 事は一刻を争う。トシのほうは車のハンドルを回転させるように体の向きを大きく変えた。


 そして、階段の下へ意識を移してみる。階段の踊り場が見える。戸田さんの姿が瞳の向こうでゆらゆら揺れていた。彼女から告白されたあの雨の日、放課後のことを思い出す。彼女ならば何か知っているかもしれない。でも、時間がない。カレンを探すほうが手っ取り早い。


(早く!)と、もうひとりの自分が急かす。


「待て。ちょっと考える」


 急いであせったりすると、時間までも急いで進む。なぜか時計の針は気分しだいだ。駆けると早くなり、歩くとゆっくりになる。あせるな。考えろ。昼休みのこと。渡り廊下。そして、体育館……。そうか、あそこか。右手で太ももの横を強く叩いた。


「僕は体育館へ行く!」


 既に親友らの姿もないし、足音も聞こえない。頼もしく去っていった彼らの余韻へ向けてトシは大きく叫んだ。


「急げ!」


 階段を駆け下りるとき、転びそうになった。玄関を駆け抜けるとき、スノコにつまづきそうになった。でも、体育館へ続く渡り廊下は、猛スピードで走り抜けることができた。すれ違った数人の生徒は、まるでヒッチコックの映画を見ているような顔つきだった。が、そんなことおかまいなしだ。


 三分後には、トシは体育館の前で息を荒らして立っていた。


 そして、事は大きく動いた。

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