■第14章『制服委員会』
トシは、制服審議委員会の一年生代表メンバーになることを快諾した。
推薦してくれた金本さんのためにも。民主的にやりたい、という彼女らの姿勢に共感したので、彼は制服審議委員会にひとつの提案をしてみた。
「PTAの方々にも参加してもらったほうがいいと思います。制服廃止活動の当事者や付属の中学生らも呼びましょう」
こうした会合は、そのメンバーがとても重要となる。とかく他人の意見を聞かずに自分の主張を押し通したり、その逆に何も言えなかったりする人が多い。右から左まで様々な意見を集約し、まとめられる人物が求められる。
提案は、PTAの人たちの招聘は了承されたが、しかし、事の発端となった当事者や中学生らを入れると、まとまりがつかなくなるとアッサリ却下されてしまった。会のメンバーに、カレンも呼びたかったので非常に残念でならなかった。結局、先生二人とPTAからも二組の父母を、同委員会に招くことになった。金本さんを通じて学校側もPTAもこの案で了承していただいた。
制服審議委員会のメンバーは、生徒会から二名(金本さんを含む)。一、二年生男女代表計四名(トシと柳田さんを含む)。学校側の先生とPTA合わせて、合計十二人となった。議長役は二年生の生徒会長。名前は知らない。でも、生徒会長で十分だった。
噂では、彼は吉祥寺駅から歩いて一〇分くらいのところにある武蔵野の領家に住むお金持ちの息子らしい。都内で中規模の病院を経営する父と母。代々、医者の家系であり、祖父は軍医だったという。四人兄妹の長男は都内有名大学の医学部に在籍し、長女は既に両親が経営する病院の看護婦で、次女もヨーロッパの大学へ医療留学を果たしている。そして、末っ子で高校三年の彼も近い将来は医者になるだろうと言われている。いわばエリート人生のレールの上をまっすぐに突き進んでいるのであった。
金持ちの息子。秀才。そうしたボンボンの生徒会長の印象は、漫画で言えば『巨人の星』に出てくる花形満であり、スポーツマンタイプ。あるいは人気アイドルになれる顔立ちをしている。実際、一部の女子からモテはやされているわけだけれど、世の常というか、当然というか、反対にほとんどの男子からは完全にそっぽを向かれている。
さて、教室を会議室に見立て、みんな教壇を囲うようにカタカナの『コ』の字型に机と椅子を配列した。向かって左の教壇からいちばん近い席には教頭先生。その隣にはトシのクラス担任である眞鍋先生。二年生代表の男女二名。右手奥にはPTAの父母二名、そして、右側には父母二名、一年生代表の柳田さんと彼。書記の金本さんは、黒板がよく見えるようにと議長と対面するいちばん遠い席だ。指示された通りに席へついたのはいいけれど、金本さんとトシが隣同士なのを見て、教壇に立つ生徒会長が怪訝な笑みを浮かべたように思えた。ただの錯覚だろうか。もしかすると、二人の関係を知っているのかもしれない。まさか。しかし、そんな考えを払い飛ばすかのような鋭い視線が別の所から光っていた。生徒会長の表情を教頭先生が見逃すはずはなかった。
「金本さんの、えーとその隣のキミは、名前はなんて言うのじゃ」小さな笑みを浮かべてトシのほうを伺う。彼はどぎまぎした。「あの分からず屋の教頭がこっちを見ている」と、心の中で呟きながら椅子から転げ落ちそうになった。
隣の柳田さんが眉間にしわを寄せて軽蔑の眼で見つめている。
「シー、静かに」トシはチラリとうかがう。彼女はキリッと見返す。
柳田美紀。おかっぱ髪で眼が線のように細い。まるで人形のような表情をしている。文句のつけようのないほど、完璧に梳かされたつややかな黒髪。少し上を向いた鼻。唇は薄く、肌は透き通るように白く、中肉中背の女の子。まさに日本人形だ。表情も無地の紙のように白かった。白色は染まりやすく、どんなものにも合うかもしれないけれど、それだけでは何ら特徴を持たなかった。あまり目立たない存在の子だ。
そんなことを考えている間にも、教頭先生の矢のような視線がトシのほうへ貫いていた。
「どうかしたかね?」
トシは何も言おうとせずに、ただそこにじっと座っていた。ほかの人の視線も、こちらに注がれているのが分かった。
「大丈夫?」と、眞鍋先生。
幸いなことに、自分のクラス、D組担任で英語担当の眞鍋先生が会のメンバーに入っている。身も心もとっぷり学校側につかってしまっている教頭先生なんかより、生徒みんなの気持ちや立場も分かってくれる彼女がいるだけで、少しはマシな話し合いができそうだった。年齢は三〇半ばだと聞いている。アメリカ帰りの独身バイリンガル先生だ。
「だ、大丈夫です。先生、よろしくお願いします」
「佐藤君が代表メンバーだから助かるわ。よろしくね」
「ふむ。佐藤君か。佐藤、何ていうんだね」
「教頭先生、彼は、敏生君です」
眞鍋先生が自分の代わりに答えてくれた。が、教頭先生に自分の名前を覚えられてしまうくらいならば、大きな名札を背中に掲げて吉祥寺を歩くほうが気が楽だった。
しかし、眞鍋先生がそばにいてくれるだけで、それは雲の上を歩いているかのような気持ちになれた。彼女にだけは嫌われたくなかったので、会議中はメモを取りながら優等生のふりをして過ごしていた。
会議は、生徒会会長が議長・進行役、金本さんが書記となり、学校側、PTA側の意見を聞きながら、黒板を使って議長がそこに書き込み、それを黒板に対面して座る金本さんがノートしながら進められた。彼らの進行はスムースかつ完璧だった。議長は、会議の進捗状況を黒板に事細かに書き記していた。カッ、カッと黒板にチョークが当たる音が心地よい。が、力を入れすぎてチョークがポキッと折れてしまうと、爪でひっかく音に変わる。思わず身震いして鳥肌が立つ。あの音はいつ聞いても嫌なものだ。
机の上には、長期出張で同席できなかった校長先生が前もってみんなのために用意した資料(イギリス、フランスなどヨーロッパ諸国やアメリカ、オーストラリアなどの学校事情――――普通ならば国内の学校を対象にするのだろうが、この学校は海外留学に力を入れている)や書類、筆記用具や飲みさしの湯呑みやカップがあり、雑然としている。
資料に目を通しながら、フムフムと納得したり驚いたり理解に苦しんだりして、門外漢のトシも一年生代表として隅の席に座っていろいろな意見を聞き、埋め尽くされては消され、また埋め尽くされていく黒板の項目をいそいそとメモした。ほかの面々も真剣な様子で、ときおり楽な姿勢に変えようとしたり、脚を組み直すときに椅子が軋ったりもして、誰かがそうするとあちこちで同じように椅子が鳴った。 会議は、熱湯のような勢いのあるものでも、冷え冷えとしたつまらないものでもなかった。ただ、学校側の意見、全く融通のきかない一方的な主張・考えを、教頭先生が政治家のように自分でも意味の分からぬ、説得力に欠ける言葉で演説するのには閉口してしまった。これまで三回、制服審議委員会の会合が開かれ、いろいろな話し合いが続き、夜七時ごろまで会議が長引くこともあった。
以下は、会議のメモから抜粋したものだ。
●「制服問題」における意見は、大きく三つに分かれる。
1.「学生服存続」(現行のまま。男子は、学生服。女子は、セーラー服)
2.「ブレザー統一」(学生服を廃止。男女ともブレザーで統一)
3.「私服自由化」(制服を廃止。私服で登校)
●解決するためにどうするか、という意見もまた大きく三つに分かれる。
1.学校とPTAの話し合いで決着
2.制服審議委員会における採決
3.全校生徒による無記名投票
それぞれの意見にはメリットとデメリットがある、という意見がPTAサイドから出された。例えば、経済的には存続がいちばん望ましいが、一部の生徒らの欲求を満たすことはできずに問題解決に至らない。ブレザーに変更したときは、制服の延長線上で問題は少ないが、経済的負担が大きい。私服にした場合、自由化を望む生徒の要望はかなうが、校内の風紀や安全面に問題がある、などが露呈した。また、制服審議委員会は議論する場であり、全校生徒らに強要する立場ではない、などの意見も出された。これは、学生服の存続を固辞する学校側への忠告だったかもしれない。
制服審議委員会でいちばん大変だなと感じたことは、様々な意見を聞き、調整し、ひとつの方向へ導くことの難しさだった。自分の意見、つまり、自分の視点や立場を第一に考えるのではなく、多くの人たちに納得してもらえるように、中立性、柔軟性・共有性を欠いてはいけないことだ。授業よりもこちらの会議のほうが数段おもしろかったし、勉強になった。
ただし、柳田さんだけはいつもトシが隣の席につくたびに、いぶかしげな表情でにらむのだ。最初の会議の冒頭で変なパフォーマンスをしたために、それ以来、なにか怒っているような軽蔑の眼差しだ。
「あのー」
話しかけようとしても顔を背けるばかり。まずいな。困ったな。と、そんなとき金本さんが優しく声をかけてくれるのだった。
「同じ一年生代表として、二人ともがんばってくださいね」
柳田さんの表情が和らいで軽くうなづく。トシもホッと胸をなでおろす。金本さんの瞳がキラキラ星のように輝いて見えた。カレンとの三角関係はちょっと問題があるけれど、会議を通じて彼女の良さというか魅力がしだいに分かってくるようになって、彼の気持ちの中で複雑な思いが芽生え始めようとしていた。
(おまえ、天秤にかけようとしていないか)もうひとりの自分が黙ってはいない。
「そんなことないよ」と言いながら、左側にカレンの顔、右側に金本さんの顔があって互いが上がったり下がったりシーソーをしている場面を思い描いていた。
あー、ダメだ。ダメだ。髪の毛をかき乱しているトシを見て、意外にも柳田さんが心配してくれた。少しは気にしてくれているのだろうか。
「大丈夫?」
すると、彼の代わりにもうひとりの自分が優しく微笑みながらこういうのであった。
(こいつに、騙されるな)
「バカ」
「えっ、私のこと」
「違う。これからいっしょにがんばろうね」
気を取り直し、一年生代表としてトシは柳田さんといっしょにみんなの意見を拾い集めることにした。




