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トシとちひろと百眼の巨人  作者: 夏木カズ
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■第13章『自由化問題』

 コーヒーの中に砂糖を少し。スプーンでゆっくりかき回してからミルクを入れてみる。そして、ほんの数秒間。白色がコーヒーに溶けていく様をじっと見つめる。夢とはそんなものかもしれない。ちょっぴりスウィートで、苦みのあるやつ。いつしか、気が付くと毎日欠かさぬものになっていた。


「夢って、コーヒーみたい」 


 カレンの言葉を思い出す。


夏休みの間、普通ならば遊び通すのに、おかしなことに英語の勉強に集中できた。働きアリのように忠実に、そして休みなく。あるいは目標を定めたときの鋭い鷹の眼。そういったものが彼を支配していた。


 しかし、今は何も手がつかない。


「おもしろいことないかなぁ」。いつのまにか口癖になっていた。そして次には、あの用務員さんの言葉を思い出す。


「夜明け前がいちばん暗い」


 トシは、午前四時の駅を知っている。彼女の家がある井の頭線沿線だ。始発はまだない。外灯の明かりを反射させて、レールがマンモスの牙のようなカーブを描いて吉祥寺駅の方向へ伸びている。釣り針のようにシャープで冷たい曲線。その先には駅のホームが引っかかってる。でも、何も見えない。誰もいない。彼女はどこにいる。どこにもいない。


 小さな喪失感。


 自分の場合、ずっと夜明け前かもしれない。やがて夏は過ぎていく。カレンと仲直りできるだろうか。あれから三週間以上も会話をしていない。ほとんど無視されていた。何もしなければ、何も始まらない。彼女との仲もまた、改善できなければ進展もなかった。毎日がつまらなかった。特筆すべきことがないまま時間だけが通り過ぎて行った。


 大きな虚脱感。


 起きて、学校行って、飯食って、寝て、また起きて。同じことの繰り返し。彼のため息の大きさの分だけ、時間の経過も早かった。一ヵ月半が経ち、季節は秋。文化祭のシーズン。みんなはウカれ、はしゃいでいたけれど、彼としては、あくびが出そうなくらい興味もヤル気も起きない。


 ところが、その最中、テンヤワンヤの大騒ぎとなる大問題が勃発した。校門近くで制服廃止を呼びかける生徒たちが現れたのだ。


 校門の袖壁に『自由を我らに!』『制服廃止を!』という二つの手書きでかかれた紙の横断幕が掲げられている。模造紙を何枚もセロハンテープで張って作った手製の横断幕だった。マジックインキの文字がちょっと荒くて下手くそでダサい。白い模造紙はしわくちゃになっていて、いかにも徹夜してみんなで作ったような手作り感があった。前者のスローガンは、どこかで聞き覚えの台詞だ。


 その横を行き交う生徒らの大半は、チラリと横目を流すだけ。なかには、立ち止まり、横断幕とそばに立つ生徒数名を値踏みするかのように眺める者もいる。何か演説が始まるようだ。


 ひとりの男子生徒が手に持った拡声器のスイッチを入れる。最初、キーンという耳障りな音が鳴り、本人はちょっと驚いた様子だが、気を取り直すように小さく咳払いをして発声練習を始めるのだった。ほかの数名は、行き交う生徒にビラを配布したり、署名活動をして『自由化』を訴えた。


 活動が学校中の話題となり、生徒らの自主的な活動である文化祭にもかかわらず、ついに学校側が動いた。先生らがビラや署名ノートを押収。活動していた生徒ら全員、さらには『制服廃止』に賛同し署名した生徒も処分することで、押さえ込もうとした。「みんな、退学処分になるかもしれないわ」などと、生徒らの話題となったことは言うまでもない。


「全然、興味ないね」


 最初のころ、トシは他人事のように思っていた。誰がどうなろうと関係ない。 ところが、彼女、カレンが署名したひとりだったから驚いた。それを親友の恵太から知らされたのだ。大変なことになってしまった。彼女は、退学になってしまうのか。その処遇が心配で、内心ジリジリした。外見は平静を装っていた。でも心の中で、アリさんのように右往左往していた。


「彼女さ、自分の主義・主張を押し通す性格だから、保守的な学校側の態度にイライラしていたんじゃないのか」「うーん、恵太の言うこと分かるけどさ、もう関係ないんだ」「どうした。別れたのか」「そんな感じかな。気楽なほうがいいよ」親友の前でも本当のことは言えなかった。内心は心配で心配で。


 この騒動は、文化祭の後に『自由化問題』として生徒会執行部の重要な議題となった。生徒会は、執行部と委員会の二つの組織によって形成されている。その生徒会執行部の書記長が戸沢さんだった。


「あの、この前はゴメンナサイ」


 数日後、登校途中で戸沢さんと偶然、会った。学生たちのパレードが続く道の片隅で、二つの影は寄り添った。


「いいんだ。別に気にしなくて」


 自分のほうが気になっていた。階段の踊り場でカレンとどんな話をしたのだろうか。あのときと大きく異なる点は、既にお互いが長い付き合いのある親友のようになっていたことだ。ご近所づきあいだって、こうは上手くいくまい。彼女か。カレンだ。普通ならば、三角関係(それは決して普通ではないにせよ)は、当事者間で込み入ったグチャグチャした関係にもつれる場合が多い。なのに、あいつ、人と人を結びつける変な特技を持っている。政治的配慮というやつかもしれない。


「彼女、いろいろ大変だったみたい」


 生徒の処分という学校側の強硬手段は、すぐにPTAに伝えられた。父母らは、『思想・表現の自由』を盾に学校側に対して猛抗議。その結果、生徒らの処分は何とか見送られたようだ。


「最悪の事態は免れたみたいだね」「うん。カレンちゃんの処分も厳重注意だけで終わったそうよ」「そうか……」


 もしかすると、戸沢さんら生徒会が動いて事態の収拾に努めたのではないだろうか。そんな気がした。すべてが救われたのだ。彼女の機転によって。晴れ渡った空を見上げてふと考えた。


 果たして、女同士どこまで打ち解けたのだろうか。


 見上げた空は果てしなく青かった。どこまでもどこまでも。しかし、空にだっていろいろな表情がある。晴れ、曇り、ときどき雨、たまに嵐だって吹き荒れる。友だちのつながり、結びつきも同じだ。いろいろなことがある。良かったり、悪かったり、助けたり、助けられたり、喧嘩したり。太く深く強いつながりは、困難を乗り越え、この空のように果てしなく広がっていく。男の友情は知っている。彼は学校でいちばんの親友である恵太とカツの顔を思い浮かべてみた。男同士の場合、熱い血潮が体内を駆け巡る。そういう感覚になれるのだ。ちょっと大げさかもしれないけれど、こいつのためなら何でもできる、死ぬことだって。たぶん。きっと。いや、絶対的に。果たして彼女たちの場合はどうなのだろうか。女性同士の友情ってどうなんだろう。


 彼は、言葉を選ぶようにして尋ねた。


「えーと、戸沢さん、きみも大変だったんじゃないか。いろいろあって……」


 彼女は下を向いたまま、少し思案した後にポツリと呟いた。


「ちょっと、ね」


 やっぱり。勘は当たった。彼女もまた、言葉を選んでいたのかもしれない。


「そうなの、大変だったのよ」などと自慢げに話すこともせず、かと言って「全然大変ではなかったわ」とうそぶくこともしない。言葉ひとつに、彼女の性格が垣間見れたような気がした。その向こう側にカレンへの思いもチラリとのぞかせていた。彼女は学校の成績だけではない、何て知的な子なのだろう。万事を解決の方向へ向かわせる知性と知力を持った女子。そのときトシは、『サンダーバード』に登場するペネロープを思い浮かべてしまった。


 混乱はおさまったものの、学校中で、制服についての意識・関心が高まったのは言うまでもない。高校のみならず、別の敷地にある付属中学の生徒らにも飛び火した。一度燃え上がった炎はそう簡単に消せるものではなく、学校側は依然困惑していた。


 ペネロープは言った。「辻堂君、相談なんだけれど……」。


 これまでの経緯についていろいろ話を聞かされたとき彼はゾクゾクした。他人事ではなくなったのだ。


 生徒会の執行役員会と委員会の二つの組織から、制服審議委員会なるものを立ち上げた。彼女も参加して、制服について生徒の声を拾い集めて集約する作業をしようとした。が、生徒会から一般学生へというトップダウン的な発想はやめて、民主的に、一年から三年生まで各学年の代表者に、声をまとめてもらおうということになった。みんなの声を集約して制服審議委員会に報告する役だ。


「私ね、あなたにやってもらいたくって。適任だと思うの」


 代表者は、生徒会の委員や特定の部活にも入っておらず、学校の中で割りと中立的存在の生徒が代表者に選出された。三年生に関しては進学・就職活動中という理由でメンバーから除外された。


「よそよそしく、辻堂君っていうのやめてくれない。トシでいいよ」


 彼女から笑みがこぼれた。


 一年生代表は、男子がD組の彼で、女子はC組の大磯美紀(おおいそみきさんの名前があがった。推薦したのは戸沢さん自身だった。


「トシ君、お願い」


「代表かぁ。みんなにアンケート調査するのか」


「そう。みんなのためにお願いしたいの」


 大変そうだけれど、つまらない毎日を打開するにはいいきっかけになるかもしれない。しばし考えた末、口を開く。


「分かった。ちょうど何かやりたかったところなんだ。みんなのために」


 学生服でも私服でも、何でも良かった。どちらかというと、私服のほうがいいかもしれない。その程度の見方しかしていなかった。自分にとって重要なことは何かをすること。カレンとの仲が今イチだったこともあって、一歩前へ踏み出せる何かが必要だった。『自由化問題』は、そんな彼を後押ししてくれた。


「よし、サンダーバードだ」と言って、肩を軽く回してやる気を見せると戸沢さんはほくそ笑んだ。


「国際救助隊になる」


「トシ君、期待しています」


 メガネの奥の笑顔は、まるで少女漫画のヒロインのように生き生きしていた。

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