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薬術師リーンは騎士団長の監視対象です ~隣国のスパイ容疑をかけられましたが、なぜか最強騎士に囲われています~  作者: 空乃葉
第二部/第1章 炎の国グランシェル

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ep.71 魔導師の遺した書と日記帳


――すごい


リーンは、目の前に広がる光景に息を呑んでいた。


天井まで届く書棚には、数え切れないほどの書物が整然と並んでいる。


革装丁の分厚い学術書から、古びた羊皮紙の束、見たこともない紋様が刻まれた石板まで。その種類も年代もさまざまだ。


「ふふっ。そんなに目を輝かせてもらえると、お兄様もきっと喜ぶわね」


リリアーナが楽しそうに目を細めた。


「それじゃあ、簡単に案内しておくわね」


「はい!お願いします!」


リーンが勢いよく頷くと、隣に立つレオンハルトが小さく口元を緩めた。


「……随分と嬉しそうだな」


「だって、レオ……あ、レオン様!こんなに貴重な研究書、見たことがありません!」


リリアーナの前だからと慌てて丁寧な呼び方に改めるリーンに、レオンハルトは左手でそっとその頭を撫でた。


「分かったから、落ち着け」


軽く窘められ、リーンは少しだけ頬を膨らませた。


リリアーナは微笑ましそうに二人を眺め、書棚の一角を指し示した。


「こちらは主に魔法理論と術式の研究よ。お兄様は魔導師だったから、やはりこの分野が一番多いわね」


魔力構築理論、複合術式、属性変換。


難解な背表紙が並ぶ棚から、リーンはそっと一冊を抜き取ってみた。


ぱらり、とページをめくる。


「…………」


複雑な魔法陣と、数式のような記号がびっしりと書き込まれていた。


(……うん。さっぱり分からない!)


そっと本を棚へ戻す。

その素直な反応に、リリアーナがくすりと笑った。


「ふふ、お兄様の理論は宮廷魔導師でも頭を抱えるものばかりだから無理もないわ。……あなたが興味を持ちそうなものは、こちらよ」


案内された先には、精霊学と薬学の書棚が並んでいた。


「精霊の性質やマナとの関係を調べた研究書と、その隣が薬草や調合に関する資料よ。お兄様のものだけでなく、わたくしが集めた資料も混ざっているけれど」


「……薬術!」


ぱっと声が弾む。


見慣れた薬草図鑑のほか、魔力を帯びた希少植物の生態、薬効の変化に関する詳細な記録がずらりと並んでいた。


「それから、一つだけ気をつけてほしいことがあるの」


リリアーナが棚の最上段や奥まった箇所を指差す。


「この部屋には、お兄様の強固な封印が解けていない書物がまだいくつか残っているわ。手に取っても表紙が開かないだけだから危険はないけれど、無理にこじ開けようとしないでね」


「分かりました」


「帝国の機密に関わる資料には、わたくしが別に封印を施してあるわ。それ以外の読めるものは、自由に調べて構わないから」


「ありがとうございます、リリアーナ様!」


深々と頭を下げるリーン。


(絶対に、レオの右手を治す手がかりを見つけるんだから……!)


こうして、リーンの知の宝庫との格闘が幕を開けた。


◇


――それから数日


リーンは、一日の大半をこの研究室で過ごすようになっていた。


「……うーん」


机に広げた羊皮紙を前に、思わず唸り声が漏れる。


ラウルが遺した魔力循環の論文。薬草に含まれる微細なマナを、外部魔力によって活性化させる術式だ。


「なんでここで術式が三重になるんだろう……?」


属性干渉を抑える補助術式に、均一化の調整術式。さらに薬草そのものの性質を変化させる術式まで組み込まれている。


魔導師としてのラウルの知識は、リーンの常識を遥かに超えていた。


けれど、別の研究書を開いた時、思わず手が止まった。


「……あれ?」


そこには、精霊の力を借りて薬草の性質を引き出す独自の手法が記されていた。


火の精霊の熱、水の精霊の浄化、風の精霊の循環と拡散。


それぞれの特性を利用し、薬草本来の薬効を高め、不安定な成分を鎮める調合法。


単に魔力として精霊の力を利用するのではない。


精霊の意思と性質を尊重し、その働きを邪魔しないよう魔力を細やかに寄り添わせる――そんな思想が、行間から滲み出ていた。


(……まるで、精霊たちのことを友達みたいによく知っている書き方)


ふと、リリアーナが語ってくれた言葉が蘇る。


ラウルが愛し、命懸けで守ろうとした『精霊と心を通わせる聖女』の存在。


(もしかしてラウル様自身も精霊が見えていたのかな……それとも、その聖女様から教わったのかな)


胸に去来する小さな疑問を抱えながら、リーンは貪るように記録を読み進めた。


◇


「……精霊が見えていた、か」


その日の夕方。


研究室の応接スペースでリーンの話を聞いたレオンハルトが、静かに呟いた。


「はい。単に魔力を借りるんじゃなくて、精霊の性質を深く理解していないと書けない調合法なんです」


ソファに座るダイアナが、ぴょこんと前脚を上げた。


『ふーん、なかなか分かってるじゃない、その人! 精霊の力って、ただ魔力をぶつければいいってもんじゃないのよ。相性もあるし、無理強いしたら反発するんだから』


「やっぱりそうなんだ。エリーから見てもそう思う?」


『当然よ! でも、だからってそのラウルって魔導師自身に精霊が見えていたとは限らないわね。仲良しの誰かから詳しく聞いて書いたのかもしれないし』


「……そっか」


エリーの言葉に、リーンは納得したように頷いた。


「リリアーナ様も、ラウル殿下に精霊が見えていたとは仰っていなかったな」


レオンハルトの言葉に、リーンは声を潜める。


「はい。だから、まだ私の勝手な想像です。……なんとなく、このことは今は私たちだけの秘密にしておきたくて」


「ああ、分かっている」


レオンハルトはそれ以上詮索せず、左手でリーンの頭を優しく撫でた。


「焦らなくていい。少しずつ解き明かしていこう」


『あたしも手伝ってあげるわよ! 難しい字を読むのはリーンの仕事だけどね!』


「そこは手伝ってくれないんだ!?」


ふふっと笑い声が零れ、張り詰めていた空気がふわりと和らいだ。


◇


――その夜


湯浴みを終え、部屋着に着替えたリーンは、どうしても気になった資料の続きを確かめるため、再び静まり返った研究室へと足を運んでいた。


大切なペンダントは、湯浴みの際に外したまま、寝室の小箱にしまってある。


「……ええっと、確かこの棚の……」


手元の小さな魔導灯で照らしながら書棚を辿る。


「あ、あった!」


目的の書物に手を伸ばした、その時だった。


「……ん?」


棚の奥深くに、何かが挟まっているのが見えた。


背表紙を揃えて並ぶ本たちの隙間。一番奥へ押し込むように、一冊だけ横向きに置かれている。


(……何だろう?)


指先を伸ばし、引っ張り出してみる。


手のひらより一回り大きい程度の、薄い革装丁の本。題名も装飾もなく、使い込まれた手帳のようだった。


「日記帳……?」


何気なく表紙を開こうとした。

けれど、ぴくりとも動かない。


「……ああ、これも封印されてるんだ」


リリアーナの言っていた、未解除の封印が施された書物。


「……見ちゃいけないものね」


リーンは小さく苦笑し、手帳を元の場所へ戻した。

そして、目的の研究書へ手を伸ばした、その時だった。


「リーン」


「ひゃっ!?」


背後から低く響いた声に、肩が跳ねた。


振り返ると、腕を組んだレオンハルトが呆れ顔で立っていた。


「……やはりここにいたか」


「レ、レオ……!」


二人きりの空間で、思わず普段の呼び名が零れる。


「もう夜も遅い。今日はここまでにして戻れ」


「えっ、でも、あと少しだけ……」


「その『あと少し』を、今日だけで何度聞いた?」


「うっ……」


ぐうの音も出ない。


「研究熱心なのは結構だが、お前が倒れては元も子もないだろう」


「……はい」


しょんぼり肩を落とすリーンから、レオンハルトは左手でそっと研究書を取り上げた。


「これは明日だ。……そんな顔をするな。明日は好きなだけ付き合ってやる」


「本当ですか!?」


「ああ。ただし、食事と休息を怠らないと約束するならな」


「約束します!」


途端にぱあっと表情を輝かせるリーンに、レオンハルトは堪えきれずに小さく吹き出した。


「現金なやつだ」


そう呟く彼の声と眼差しは、どこまでも甘く優しかった。


◇


――翌朝


リーンは屋敷の一角にある作業室で、乳鉢を手にしていた。


ラウルの論文にあった「精霊の性質を活かした安定化の理論」を応用し、薬草の抽出液を調合しているのだ。


「……うん、さっきより成分が安定してる!」


手応えに頬を緩ませていると、アイリスが部屋を訪ねてきた。


「リーン、少しよろしいですか?」


「あ、アイリス!どうしたの?」


「実は、屋敷の侍女の方々から少し気になるお話を聞きまして」


「気になる話?」


「最近、この辺りでは風邪をひく方が増えているそうなんです。屋敷でも、喉の痛みや咳を訴える方が何人かいらっしゃるとか。そのため、最近流行り出した『ソレアの実』という滋養」


「……風邪が?」


「ええ。季節の変わり目ということもあるのでしょうが、少し流行り始めているようです」


「そっか……」


リーンはしばらく考え込んだ。


そして、ぱっと顔を上げる。


「それなら、風邪薬も作っておこうかな! 喉を潤す薬草と、熱を和らげる調合ならできると思うの」


「まあ、よろしいのですか? 皆さん喜ばれると思います」


「もちろん!誰かの役に立てるのが一番嬉しいもの」


リーンは早速、別の薬草を取り出した。


昨日読んだラウルの研究を、こちらにも応用できるだろうか。


(……うん。試してみる価値はありそう!)


そんなリーンの様子を、アイリスは微笑ましそうに見守っていた。


そこへ、机の上のダイアナが楽しそうに飛び跳ねた。


『リーン!あたし、ルイードのところへ行ってくるわね!今日もルフトと遊ぶ約束なの!』


「あ、そっか。仲良くなったんだね」


『ふふん!あたしが色々教えてあげてるんだから!』


「そうなんだ。じゃあ、よろしくね。でも、エリー。くれぐれも人前でお喋りしちゃ駄目だよ?」


『分かってるってば!行ってきまーす!』


ぬいぐるみとは思えない素早い身のこなしで飛び出していくダイアナを見送り、リーンとアイリスは顔を見合わせて笑い合った。


「……大丈夫かなぁ」


「ふふっ。ルイード様も、きっと喜ばれますね」


「うん。そうだといいな」


リーンは再び調合器具へ向き直った。


目の前の薬液が、ゆっくりと色を変えていく。


その様子を見つめながら、リーンは小さく微笑んだ。


◇


――その日の午後


風邪薬の調合をひと区切り終えたリーンは、胸を高鳴らせて再び研究室を訪れていた。


「さて、どこから読もうかな……」


書棚を見上げていたリーンの脳裏に、ふと昨夜の出来事が過った。


棚の奥深くに、隠すように押し込まれていた、あの薄い革装丁の手帳。


(……どうして、あんな奥に置いてあったんだろう)


気になって、昨夜の棚へと足を向ける。


奥へ手を伸ばすと、指先がすぐにあの古びた感触を捉えた。


引っ張り出し、手のひらの上に載せる。


飾り気のない、色褪せた革の表紙。


「……やっぱり、開かないよね」


独り言を呟きながら、何気なく表紙の端に指をかけた。


その瞬間――


――ふわり。


温かな光が、胸元から零れた。


「……え?」


 リーンは思わず胸元に手を当てた。


 服の下に隠れていたペンダントが、淡い光を放っている。


(……これ、前にも……?)


 ふと、あの丘の大木の下で倒れたときのことが頭をよぎった。


 けれど、考える間もなく――


 カチリ。


 手の中で、小さな硬質な音が響いた。


 表紙の革に、極細の光の筋が幾重にも走る。

 複雑な封印術式が一瞬だけ浮かび上がり、やがて光の粒となって消えていった。


「……嘘、開いた……?」


昨夜はびくともしなかった表紙が、まるで長い眠りから目覚めたかのように、静かに開いた。


リーンは目を瞬かせた。

何が起きたのか、分からない。


ただ、確かに封印は解けている。


恐る恐る、最初のページへ視線を落とした。


「…………え?」


そこに書かれていた文字を見た瞬間、息が止まった。


この世界のどの国の文字とも違う。

何度も夢に見て、記憶の奥に焼き付いている、あの懐かしい文字。


最初の一ページには、見慣れた横書きの文字で、こう記されていた。


『私の異世界生活パート2』


――日本語!?


リーンは震える指先で、ページの端に触れた。


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