T-2 「ちょうどいい」
シャオとの会話は楽しかった。
口調を設定し忘れたせいで、実際の波瑠とは違って、シャオは淡々と話すが、その初々しさがかえって良かった。すぐ赤面するのも萌える。
こんな青春、送りたかったな。
思い返すと──反吐しか出ないが──土屋の青春時代は青ではなく灰色だった。
子供時代。体育の時間はサッカーボールを追いかけることなく、コーナーの辺りで立っているだけだった。「好きな人同士でペアになって」と言われると、必ず余った。男女ペアになると、女子生徒から表情が消える。
机の中に手紙が入っていた事もあった。放課後の理科室裏で暗くなるまで待ったが、誰も来なかった。翌日、土屋が教室に入ると何がおかしいのやら、爆笑が起こった。
学生時代に、好きな人に告白した回数は3回。悲鳴をあげて泣かれた。大笑いされて蹴られた。無視。それ以来、土屋が告白する事はなかった。
カップルらしい同級生を見るたびに悔しく思っていたが、大人になり、結婚した同級生を見るたびに冷めた気持ちで祝儀を払った。
恋をするだけ無駄なのだ、と悟っていた。
けれど今は──
シャオとの会話が楽しすぎる。セクハラしてみても怒りもせず蹴る事もなく、シャオは赤い顔をするだけ。少しぐらい触っても大丈夫。
ずっとシャオと一緒にいたかったけれど、そうもいかない。土屋は起き上がるとDDAを脱ぎ、目覚まし時計を止めた。会社に行く時間だ。
*
*
昼に会社で牛丼を食べていると、事務長の馬場が話しかけてきた。
「あのー土屋さん。もう少し静かに食べていただけると、助かります」
土屋はスプーンをくわえたまま首を傾げる。オレは一人で食べているのだ。誰かと話しているわけじゃない。「静かにしろ」と言われても、どだい無理な話だ。
「気をつけます」
と、社会人らしい対応をしたが、頭がおかしい連中の言う事はよく分からない。固まって弁当を食べている事務員の方を見た。その中に佐岡波瑠もいた。今日も可愛い。ランチのウィンナーだけじゃなく、オレのも食べてもらいたかった。シャオなら「すけべ」とか言って、赤い顔してポコスカ叩いてくるところだろう。
ふふん。土屋は鼻で笑って、牛丼の残りをかき込んだ。
*
シャオは道士という職業だった。
中華ファンタジーは詳しくはなかったが、衣装はとびきり似合っていた。頭に二つ付けた丸い布が幼く見せていたが、体つきはしっかりと女性だった。何かにつけて接触してみるが、シャオはどこもかしこも柔らかかった。現実の波瑠はどうなのだろうか。
「ディディは、おかしい」
「何が?」
「普通の男は、そんな風に、触ってこない」
「オレは特別だからな」
「異常、の間違い」
軽口を叩いたシャオの臀部を、パァーンと叩いてやる。顔を真っ赤にして追いかけてくるシャオ。土屋は笑顔を浮かべて逃げ回った。
やっぱり。
シャオといるのは楽しい。
*
土屋が給湯室に入ると、佐岡波瑠がいた。来客用の茶碗を洗っていたのだ。人の気配を感じたか、波瑠は顔を上げると、土屋を見て頭を下げた。
「あ。お疲れ様です」
「おつかれーおつかれー」
今日は暑かったよね、と言いながら土屋は冷蔵庫を開ける。保管してあったペットボトルのお茶を、ちょっとだけ飲んだ。残りは少なかったが、喉の渇きに任せて飲みあげるわけにはいかなかった。空になってしまうと、給湯室に居座る理由が無くなってしまう。
波瑠は手際良く、洗剤をつけたスポンジを動かしている。泡よりも白い指先が、水を弾いている。
「大変だよねー」
「え?」
「そういうの、女の子がやらされるんでしょ。トイレ掃除とかタオル交換とか。古いんだよなーうちの会社。そういうのはいい加減、やめた方がいいのになー」
オレは分かってる男ですから。土屋は声にこそ出さなかったが、そうアピールする。
「誰かがやる仕事ですから」
カチャカチャと音を立てて、洗い終えた茶碗をかごに並べていく波瑠。ふきんで水気を取り、積み重ねていく。え? もう終わっちゃう。土屋はなんとか会話の糸口を探す。
「手際いいよねー」
「そうですか? 普通ですよ」
「いやいや。すごいと思った。家でもちゃんと家事やってる感じがした。うん」
「そんな、してないですよ」
「いやいやいや。こんなあっさり洗い物を片付けるなんて、佐岡さんは女子力高いんだなー」
「いえ、そんな別に」
「きっと、彼氏さんも感謝してるんじゃないの? ──いるかいないかは知らないけどさー」
さりげない感じで土屋は言った。ずっと聞きたかった事だ。彼氏の有無。この会話の流れだったら、変には聞こえなかったはず。大丈夫! 土屋は自分の心臓の音がうるさすぎて、立ちくらみを起こしそうだった。
「彼氏なんていないですよ」
そう言って波瑠は頭をぺこりとさせてから、給湯室を出て行った。土屋は手にしていたお茶を一気に、カラカラにかわいていた喉に流し込んだ。よっしゃ。内心でガッツポーズを取る。
彼氏いないって!
付き合えるとは思っていないけど、少なくとも可能性はゼロじゃない。空になった容器を適当にゴミ箱に突っ込み、土屋はスキップしたくなる気分を抑えて、つとめて冷静に給湯室をあとにした。
*
「何を、ニヤニヤしてる?」
訝しげな表情を浮かべたシャオ。眉をしかめさせた姿も可愛い。
旅の同行者が一人増えていた。ユェと言う名の幼女で、今はシャオの背中で眠っている。子供とはいえ小柄なシャオには負担だろう。重いだろ代わるよ、と何度進言しても、シャオは頑なに断った。
「ディディには、預けられない」
「どういう意味だろ?」
「何かあった時には、魔法が使えるディディが、身軽な方がいい」
あっ、なーる! シャオの言う事ももっともだ、と土屋は理解した。「じゃあ急ごーぜ」
夢の中の世界には、温度と湿度もあった。雨の気配がある。雲の色もおかしい。降り出す前に今夜の寝床を確保したかった。土屋はシャオがいればどこでも良かったが、できたら屋根がある所。さらに言えば個室が良い。
とは言うものの、山間の道は曲がりくねっていて、先が見通せない。人の手が大きく入った様子もないから、次の村まではまだあるのだろう。
「ここにしよーぜ」
土屋は大樹の下を指差した。大きく枝が張り出しており、雨も防ぎそうだった。シャオは同意し、ユェを下ろすと、幹にもたれるように座らせる。鞄から取り出した竹筒で、中に入れていた果汁をユェの口元から流し込む。
ユェはまったく目を覚まそうとしない。助け出した時に比べると、顔色はよくなった気がするが、それでも、意識を取り戻さないのは気になる。
周囲に結界を張り、安全を確保すると、土屋はシャオの隣に座った。そっと肩を抱き寄せる。指に伝わる、シャオの感触と温度。
「何をやってる?」
「いや。寒いかなーって」
「いらない。飲ませにくい」
「まあまあまあ。そう言わないで」
「指を動かすな。言っておくが、今ディディが触れているのは、ギリギリで、肩だ。それより下に手を動かしたら──」
ボン、だ。シャオが睨んだ。
なんだよそれー。土屋はそう笑って、大袈裟に飛びすさってみせた。シャオも小さく笑う。
「あ。降り出した」
*
「あ。出来ました」
そう言ったが、佐岡波瑠の目はモニターから離れなかった。関数のチェックをしているのだ。その隣に土屋は立って教えていたのだが──
土屋はモニターを見ていない。視線だけで覗き込むように、波瑠を見ていた。
制服の1番上のボタンが外れているのだ。青いスカーフを巻いているので本人は気付いていないようだが、その隙間から、奥に白い何かが見えている。
なんだろうなあ?
もう少し、見えてくれないかなあ。
会話しながらもしきりに土屋は確認を続けていたが、ふと視線に気付いて顔を上げた。
向かいの席の若狭が、隙間からこっちを見ていた。まずい! 土屋は自然な動きでモニターを指差し、オレは教えるのに夢中でしたよアピールをしてみたが──資料を取りに土屋が席を外すと、若狭がこそこそと波瑠に近寄ったのが見えた。大柄だから、身を屈めていてもバレバレだ!
土屋が戻った時、波瑠のボタンは止められていた。なんだよもうっ!
……絶対バレた。絶対バレた。なんなんだよあの女。下品な茶髪のくせに、佐岡さんにいらん事言ってないだろーな! 巨女は巨女らしく、オーガとでも付き合っとけ。人間様の恋路を邪魔すんなよ!
土屋は2本目の発泡酒を飲みあげると、3本目を開けた。炭酸で腹がいっぱいだったが、飲まずにはいられない。明日も仕事だったが、アルコールが無いと、今夜は怒りで眠れそうにない。
酩酊した頭で、今夜もDDAをかぶる。
*
「シャオってどんな男が好み?」
先を行くシャオは首だけで振り返り、ついでに背負ったユェの位置を直した。左目の下にある泣きぼくろがチラリと見えた。
「考えた事、ない」
「まあまあ。考えてみてよ」
「……そうだな。まず、強さは必要」
道士として、人々の問題を解決すべく旅を続けるシャオにとって、強さは必須だった。夜は『僵尸』と呼ばれる亡者が跋扈する世界。だけでなく、山賊や追い剥ぎといった輩にも、対応できないといけない。土屋は掌に出した火球をシャオに見せつけた。
「次は、優しさ、だな」
「疲れてない? ユェを背負うのを代わるよ。足マッサージしようか? 肩揉むよ」
土屋が手を伸ばしたが、肩に触れる前にシャオがはたいた。
「あとは、背中を預けられるだけの、信頼に足る男かどうか」
「その条件ならオレがピッタリだと思うな」
「隙あらば、人の尻を触ろうとする男は、論外」
ピシャリと言われてしまったが、シャオの言葉に土屋は疑問を思った。
「それって──オレが尻を触ろうとしなければ、OKってこと?」
「……そう、は言ってない、はず」
「へー。ふーん。なるほどねー」
「なんだその目は」
「べっつにー」
土屋は話をそらそうとしたが、思い直した。ふと、聞いてみたかった事を口にする。
「……外見とかは?」
「特に気にしない」
「たとえば──お腹がポッコリ出てて、前髪が後退し始めてて、服装には無頓着で、風呂にも入らなくて、オデコが油でテッカテカでも?」
自分で言ってて悲しくなってくる。こんな客観的な自己評価は普段なら絶対にしないが、ここは夢の中だ。土屋はあえて現実の自分の姿を言ってみた。
シャオの反応が知りたかった。
佐岡波瑠の反応が知りたかった。
ふむ、とシャオは考え込むそぶりを見せたが。
「風呂は入れ」
シャオが笑って言った。「どんな姿であろうと、その人がその人であろうとするなら、私は外見は気にしない」
シャオは佐岡波瑠をモデルにしている。外見は完璧にトレースできたが──もちろん見える範囲でだ。見えてない部分の確認もいずれは、なるべく早くしたい、と土屋は常々考えている──、性格は外面しか分からない。佐岡波瑠が職場で見せる態度。それのみで構成されている。
実際の参考になるとは考えていなかったが、シャオの言葉は、土屋の心をときめかせた。
「オレ、頑張る!」
「何をする気?」
「シャオ。オレ精一杯、頑張ってみる」
「……まあ、ほどほどで頼む」
丘を越えると、視界に密集した建物の姿が入った。目的地である県城がある街だった。




