F-2 「文乃が思う生物学的に正しいこと -全年齢版-」
あれは、卒業式を控えた1月のこと。
あたしと、純子ちゃんは。
肌を合わせて抱き合っているところを、純子ちゃんのお母さまに、見られちゃったんです。
仕事の忘れ物をしたらしくって。2階の娘の部屋から聞こえてきた、へんな声をいぶかしげに思ったそうで。
「ア、 アナタたち、なにやって」
お母さまはすごく青ざめていた。
無理もない。娘が、彼氏とイチャイチャしてるかと思ったら、女同士でいやらしい行為をしていたのだから。
しかも、あられもない恰好で。
その瞬間、まるで純子ちゃんの温もりが、遠い世界の記憶みたいに急に冷たくなったんです。背中に感じていた熱が、さっと引いて、皮膚の下がひやりとした。
見られたという羞恥心よりも、非日常が急に日常に引き戻されたことの、強烈な痛みでした。
お母さまの視線が、あたしと純子ちゃんの肌を撫で、なぜか床に落ちてしまった、あのおもちゃにも吸い寄せられるのがわかった。それは、あたしと純子ちゃんだけの、秘密の、甘い蜜の結晶だったのに。光を浴びた途端、ただのみっともない、醜い道具になったみたいで。
あたしの頭の中で、何かの線がブツッと音を立てて切れて、意識が一瞬、白く弾けたんです。
ひどく怒られて、あたしたちは会うことを禁じられたんです。
「女の子を好きになって、なにがわるいの!」
純子ちゃんは泣いていた。
2人でおそろいに買った、リングをした手を、血が滲み出ちゃうくらいに握りしめて。
あたしも家で怒られた。お父さまは頭を抱え、お母さまは涙をこぼした。
お母さまの涙は、あたしの頬に触れて、純子ちゃんの体温とは違う、冷たい雫だった。
純子ちゃんのあの時の熱い肌と、お母さまの冷たい涙。その二つが、あたしの脳裏で絶え間なく、激しく交錯したんです。
純子ちゃんは、この手を離さないでと言っていた。
あたしの体も、頭の中も、純子ちゃんの感触を求めていた。
あの時感じた快感、肌の匂い、甘い熱。あたしの身体は、生物学的になんて正しくない、純子ちゃんの愛を、もっともっとと叫んでいたんです。
でも、お母さまの涙の冷たさは、あたしを──「正しい世界」へと引き戻そうとした。
自分の大事な人が泣いている。
それがあたし、すごくつらかったんです。
純子ちゃんのことは大好き。でも、お父さまもお母さまも──大好き。
その、どちらをも、泣かせてしまって。
その、どちらかを、選ばないといけないのだったら……。
あたしは、純子ちゃんの温もりを、冷たい世間のルールと引き換えることを、選んだんです。
あたし、リングを外さなければいけないのか、すごく迷った。指から抜いてしまうと、本当に純子ちゃんとのすべてが消えてしまう気がして、結局、つけっぱなしにしたまま、別れを告げたんです。
「そっか。そうだよね」
卒業証書が入った筒を、自分の肩に、まるでなぐさめの言葉を誰かにかけられるみたいに、叩いて純子ちゃんは、笑顔を浮かべた。
「わたしたち、──生物学的にいえば──おかしなこと、してたって、そう言われるよね」
「ごめんね、じゅ……」
「謝らないで!」
純子ちゃんは大きな声を出したんです。横を通り過ぎる、同じように卒業証書を胸に抱いた同級生たちが、驚いて振り返るくらいの声量だった。
「お願いだから、……謝らないで」
「ごめ、あ」
言われたばかりなのに、うっかり口に出しかけて。
手で口元を覆ったあたしに、純子ちゃんは言ってくれたんです。
「文乃は悪くないよ。悪いのはわたし」
「純子ちゃんも悪くない。ゼッタイに」
「……そっか。ありがと」
純子ちゃんは言い直した。
「ありがとう文乃。楽しかった」
あたしも。
「楽しかった。あたしも。大好きだよ」
そう言いたかったけれど。
声に出すことができなかった。喉の奥がからっぽで、愛の言葉を絞り出すことができない。
代わりに、昨夜、純子ちゃんの舌が優しく触れた場所が、皮膚の内側から熱を上げてくるのがわかった。あたしの身体が、言葉ではなく、熱と記憶で純子ちゃんにすがろうとするんです。
そんな、身体の裏切りに、あたしは抵抗できず、ただ、コクンとうなずくことしかできなかった。
「元気でね。文乃、お腹出して寝ちゃダメだよ」
「子供じゃないんですー」
2人、笑った。
純子ちゃんは手を伸ばして、手を握ってくるかと思ったけれど。
あたしの指を。
左手の薬指の、ほんの先だけを。たったそれだけを。
キュッとにぎった。
そのたった指先の接触に、あたし、過去に純子ちゃんと肌を合わせた、全身の熱が、皮膚の下から一気に再燃するような、錯覚を覚えたんです。
「ばいばい」
そう言って身をひるがえして、歩いていった。観客にインパクトを残して、ランウェイを堂々と去る、モデルさんみたいだった。
その背中を、あたし、ずっと見えなくなるまで、見ていたんです。
*
*
卒業式から、一週間が経った。
あたしの毎日は、すっかりと色を無くしていたんです。灰色の空、黒い雲、薄汚れた街並み、暗い顔の人々。何をやっても、どこにいても、あたしの世界に純子ちゃんがいない。純子ちゃんがいない。
あたしが選んだ事だけど。
あたしが望んだ、セイブツガクテキに正しい事──だけど。
朝、目が覚めると、あたしはまず、自分の手を、確かめるんです。
左手の薬指。そこには、純子ちゃんとお揃いのリングがある。あの、血が滲み出ちゃうくらいに握りしめられていた、愛の証。
本当は、純子ちゃんに言われた通り、「正しいこと」を選ぶのなら、このリングも外すべきだったのかもしれない。でも、どうしても外せない。肌に張り付いて、皮膚と一体化しているような、そんな錯覚を覚えるんです。
指輪がなければ、純子ちゃんとの「熱い日々」が、夢だったと──ただの淫らな幻だったと、認めてしまう気がして怖かった。
だから、あたしは、毎朝、左手薬指の、ほんの先だけを、そっと撫でて。
純子ちゃんの記憶の残り香を──
身体に必死で繋ぎ止めているんです。
今日、学校に行ったんです。お世話になった先生がたにアイサツして、せっかく来たんだからこのまま帰っちゃうのも残念な気がして。
あたし、ちょっと、こないだまで学んでいた教室に行ってみた。他の階では下級生が授業を受けているから、音を立てないように、そーっと。人目をさけて。バレないように。
そこは──無人の空間。誰かの笑い声がいつも満ちていた、素敵な時間。もう少しすれば、進級してきたコウハイたちが、この場所で新しい思い出を作ってしまう予感。
その前に。
あたしは──。
純子ちゃんが座っていた椅子に、あたしはそっと手を触れてみる。冷たい。純子ちゃんの背中にあった、あのまぶしいくらいの白さと、体温の温もりが、嘘みたい、に。
ただの冷たいプラスチックがあるだけ。
ここに純子ちゃんが座っていた。隣にいる神宮文乃サンを見て、いっつもニコニコしていたんです。席替えがあっても、あたしは純子ちゃんの隣に。
純子ちゃんはあたしのそばに。
あたし、おもわず純子ちゃんの席に座った。何か──柑橘みたいな香りや、宝石みたいな汗の面影。体温、熱を帯びた湿り気。そういったモノが、少しでも──残っていないかな。
そう祈ったけれど。
やっぱり、空っぽだったんです。
やわらかさもあたたかさも。
何にも、なくなっちゃってて。
「……そりゃそうだ」
机の上に載せた手のひら。
その薬指に、あたしはチュッとキスをした。金属の冷たさが、けれどヤケドしそうなほど、熱かった。
*
*
あたしは、大学進学のために隣県に引っ越してしまったのもあって、それ以来、純子ちゃんの姿を見ていなくって。
次に純子ちゃんと会ったのは、大学2年生の時だった。
新入生歓迎コンパに向かう途中だったんです。
だから、あまりは話せなかったんだけど。
久しぶりにあった純子ちゃんは、
髪の毛を茶色く染めていて、長い足を見せびらかすように短いスカートをはいていて、オトコの人といっしょだったんです。
あたしの顔を見て、
最初は気付かなかったみたいだけれど、すぐにわかって、けれど、組んだオトコの人の腕を離そうとはしなかった。
「久しぶり文乃」
「……純子ちゃんも、元気そうでよかった」
「なにこれ。だれこの子。だれだれ?」
純子ちゃんよりも、茶色い髪をしたオトコの人が言った。その頭を軽くたたいて、純子ちゃんは言ったんです。
「このうるさいのは……彼氏」
「純子の彼ピッピの、伍如田でーす」
彼氏さんは、両手にピースサインを浮かべた。
ピッピってなんだろう。
「で、こっちが、わたしの……」
純子ちゃんはあたしの顔を見て、笑顔を浮かべた。
以前に見た、よく見ていた笑顔と、まったく変わらなかった。
「わたしの、大切な、……トモダチ」
その時、先に行っていたサークルの部長があたしを呼んだんです。「早く来なさいよー」
「ごめんね純子ちゃん。あたし行かないと」
「うん。またね」
「また、ね」
彼氏さんに会釈して、純子ちゃんに手を振って、あたしはサークルのみんなに合流した。その日に飲んだ、オサケの味はよく、覚えていない。
*
*
「あ」
突然、指をさされて、あたしはアタフタしちゃったんです。
わけもわからないまま、肩まで抱かれてしまった。
思わず、ヒーッとなって、あたしは全身をこわばらせてしまう。
「文乃ちゃんじゃーん、おひさー」
伍如田さんだった。
純子ちゃんの、彼ピッピさん。
駅前で再会してから、純子ちゃんとは3回くらいオサケを飲みに行ったけれど、その全部に、伍如田さんはついてきたんです。
距離感が微妙に近い人で、酔っぱらうとシモネタがよりひどくなって、ハナシの半分も理解できなかったあたしは、
ずっと愛想笑いをするしかなかったけれど。
「悪いヤツじゃないから。ごめんね文乃」
純子ちゃんがそう頭を下げる姿を、思い出した。
アルバイトの面接に行った書店に、偶然、伍如田さんが働いていたんです。
面接をした店長室から出たあたしを、たまたま通りかかった伍如田さんが見つけて、
仕事中にも関わらず、あたしに抱きついてきた、というわけなんです。
あたしは伍如田さんを押しのけた。
「文乃ちゃん、ここで働くの?」
「はい、採用されました。来週から来ます」
「やった。オレも嬉しい」
そう言って、顔を歪める伍如田さん。
アイツ笑い方がヘンなんだよね、と純子ちゃんも言っていた。
「オレの後輩ってわけだな。ビシバシ鍛えてあげるからね」
「はい。よろしくお願いします。センパイ」
「手取り足取り、なんだったら腰までとっちゃうよオレ」
「腰って」
「オレ、腰には自信、超アリ。試してみる?」
「もうっ」
あたしは手を振った。
「純子ちゃんに言いつけますよ」
肩をすくめて、伍如田さんは仕事に戻っていった。
なにはともあれ。
知ってる人がいる、というのは、心強いことだった。
生れてはじめてのアルバイト。大好きな本に囲まれたお仕事は、あたしの、やってみたいことのひとつだった。不安もあるけれど、より期待の方が多い配分で、あたしの胸はドキドキしっぱなしだったんです。
*
*
伍如田さんに抱かれたあと。
「文乃ちゃん。処女だったんだ」
そう言われて、ビックリしたんです。
てっきり、純子ちゃんに処女は捧げたと思っていたから。
ヒリヒリする股間を見て、今度は伍如田さんのを見た。今は元気なくグッタリしているけれど、さっきまでは興奮して固くなっていた。
アレ純子ちゃんにも入ったことあるんだよね。
そう思うと、やっぱりあたしの処女は、純子ちゃんに破いてもらったような気がして、あたしは、にやけてしまうんです。
「嬉しいの?」
「嬉しい、のかな。よくわからないです」
「オレは文乃ちゃんのハジメテの男になれて、最ッ高にハッピーだよ」
伍如田さんはあたしを抱きしめると、キスをした。
ベロチューは、まだ少しだけ気持ち悪かったけれど、きっとすぐに慣れてしまうんだろうな。あたしは同じようにベロを動かした。
純子ちゃんと別れた伍如田さん。付き合おう、って言われた。
誰かの代わり、なんて。
イヤがる人もいるだろうけど。あたしは。
純子ちゃんの代わり。純子ちゃんになれる。
そう思うと、嬉しかったんです。
はしたないけれど、思ってしまったんです。
伍如田さんは毎日うちに来た。
毎晩あたしと愛しあったんです。
そうするたびに。
あたしのカラダから。
純子ちゃんしかさわったことがない場所や、純子ちゃんしか見たことがない場所が、ドンドンとぬり替えられていく。
それをけっして、あたしはイヤじゃなかった。
むしろ、嬉しかったんです。
セイブツガクテキには。
卒業式の日に純子ちゃんが言った、その言葉。
生物学的には、正しい、こと。
伍如田さんとキスをする。抱きしめられ、肌を重ねて。
あたしは、声をあげる。激しく揺さぶられる。胸がちぎれそうになる。
あたしの中の、満たされない何かを、彼が埋めてくれた。
満たされてしまうシアワセに、
あたしのカラダは、ぬり替えられちゃったんです。
彼が喜ぶから。彼が悦ぶから。
女のヨロコビを、あたし、知っちゃったんです。
伍如田さんが、くれた手紙や、2人で撮った写真。露店で買ってくれたシュシュや、1か月記念のペンダント。選んでくれたパンツに、キャスケット。遊園地や映画の半券まで。タカラモノが日に日に増えていった。
それを見て、DDAをかぶって眠りにつくのが幸せだったんです。
DDAは、あたしに幸せな夢を見せてくれた。
伍如田さんの夢だ。
次は「H-2」。全年齢版をアップし、通常版はミッドナイトへ。




