PRO ARIS ET FOCIS 祭壇と炉のために I
ジンデル准将の執務室。
アレクシスは勤務中に呼び出され、敬礼し入室した。
准将がデスクの引き出しをさぐるあいだ、緊張しながらそのしぐさを見つめる。
恰幅がよく、重厚感のある動き。たたき上げの軍人の典型という感じの人だが、呼び出されるたびに感じる敵対心のようなものは何なのかと思う。
「これをハミルトン司祭に」
渡されたものは、いつもとおなじような封筒だった。
なかに小さく硬いものがあるのが手ざわりで分かる。またUSBメモリか。
福音書は四種類あるとダニエルから聞いたが、彼から一つ一つ借りているのだろうか。
それとも聖典すべてか。
もしや資料と見せかけてダニエルに口説きの文でも送っているのでは。
そんなことにふと思いいたると、モヤモヤと嫉妬を覚えた。
「以上だ。退室してよろしい」
准将が引きだしを閉めつつ告げる。
「は……」
准将の厚みのある手がデスクの上に置かれた。
ダニエルの肌がその手でなで回されるのをつい想像してしまい、アレクシスは一瞬、精神をかき乱された。
「何だ?」
准将が手を組みこちらを見上げる。
「あ……いえ」
何でそんな考えになるんだ。あわてて敬礼の体勢をとる。
不意にドアの向こうの秘書室から、女性秘書のやや興奮した声が聞こえた。
何かを問いかけているようだ。
複数の靴音と、秘書のものと思われるハイヒールの音が近づき、入口の自動ドアが開く。
「准将、あのっ、参謀部の方が」
「退いていろ」
女性秘書を軽く押しのけて入室したのは、軍服姿のダニエルだった。
軍帽をかぶり黒い上着をはおっているので、ものものしい雰囲気に見える。
うしろに二人の軍人を従えていたが、そのうち一人はアレクシスには見覚えがあった。
コールドウェル大尉。
なぜダニエルにつき従っているのか。たまたまの応援か。
ついまじまじと見てしまったアレクシスを、コールドウェルは完全に無視していた。
「モーガン・ジンデル准将。スパイ容疑で逮捕状が出ている。逮捕理由の詳細を送るので確認して同行するよう」
胸ポケットから小型のディスプレイをとり出すと、ダニエルは親指の指先で操作した。
准将のデスクにあるPCの起動パネルから、受信の機械音が鳴る。
「スパイ容疑……?」
そう復唱したアレクシスに、ダニエルが目線を向けた。
「その封筒は? 准将から渡されたものか」
「え、ああ……」
ついいつもの調子でそう答えてから、アレクシスは場違いかと思い「はっ」と答え直した。
「だいじな証拠品だ。よこしたまえ」
そう言いダニエルが手を差しだす。状況がいまいち呑みこめないまま手渡すと、懐にしまった。
「ご苦労だった、パガーニ大尉。情報参謀部への協力のむねは、上にもしっかりと報告する」
ダニエルがまるで他人行儀な口調で言う。
准将はデスクに肘をつき、手を組んだ。
にやりと口の端を上げる。
「やはりおまえは性悪だ」
「確認を。ジンデル准将」
ダニエルが威圧的な口調で告げる。
准将は鼻で笑った。
「スパイ行為をした隊員が、参謀部の人間にハメられて逮捕にいたった例が過去にもあるのは知っている」
准将は口の端を上げた。
「参謀部の手口を徹底的に調べた。油断しないようにしたつもりだったが、それでもハメる腕は見事だな、ローズ少佐」
ダニエルは冷たい目で准将を見下ろしていた。
「見事なハニートラップだった。脚を開いて淫猥にあえいで、私の下でいやらしく腰をふって」
胸のなかに、一気にいやな感情が押しよせるのをアレクシスは感じた。ついダニエルの顔を凝視する。
任務でさぐっていたのは准将だったのだと察したものの、その過程の肉体関係の事実を考えるのはギリギリまで避けていた。
「パガーニ大尉だったか」
准将がアレクシスのほうを見る。
「きみがローズ少佐の本命かね?」
アレクシスは戸惑い、もういちどダニエルのほうを見た。
ダニエルも彼の後方にいる隊員二人も、眉すら動かさず直立している。准将の話の内容など微塵も問題にしていないというふうだ。
あからさまに動揺しているのは自分だけか。
そのために准将のターゲットにされているのだと気づいた。
「君にふだんどんなことを言っているか知らんが、こいつは甘えた言葉と手慣れたセックスで何人もハメてきた性悪だ」
アレクシスはつい唇を噛んだ。
うすうす勘づいてはいた。
任務の上でそんなことはあるのだろうと。
あえて考えないようにしていたのだ。
「君を受け入れている箇所でほかの男のものも楽しませて、男が好むような卑猥な言葉を口にして」
ダニエルに対する気持ちは不思議とゆれなかった。
むしろ准将に対する嫉妬心で目が回りそうだ。
殺意とダニエルに対する侮辱的な言葉を黙らせたいのとで、アレクシスはいまにも准将に殴りかかりそうだった。
准将はそれを狙っているのだ。
参謀部の協力者にただの色恋で不当な暴力をふるわれたと、少しでも裁判を有利にする要素を作るつもりだろう。
「何だその顔は。パガーニ大尉」
ダニエルが落ちつき払った口調で言う。
「きみは裏切り者の話を真に受けるのか。裏切り者が最後の足掻きで口走っているセリフと、僕とどちらを信じる」
アレクシスは複雑な気分で目線を泳がせた。こんな問われ方をされたら、答えは一つしかない。
「……おまえ……」
「よろしい」
ダニエルが高圧的な態度でそう返す。
「聞くまでもないことだ。スパイなどその場を有利にするためならどんなウソの話でもする」
自分のことは思いきり棚に上げて、ダニエルは黒を白と言いきるような論法に持ちこんだ。
「書類を確認する気がないなら、このまま同行していただくが? ジンデル准将」
ダニエルが冷たく言う。
「同行? 男娼にか」
「いい加減にしたほうがいい。あなたのさきほどからの態度は、上層部も見ている」
ダニエルが、自身の胸の氏名章のあたりを指す。
フラットカメラか何かを仕掛けているということか。
「パガーニ大尉を利用して何か行動でも起こさせる気なんだろうが、その経緯もすべて筒抜けだ」
ダニエルはゆるく腕を組んだ。
「すでに法務士官が手続きを終えている。おとなしく同行して軍事弁護士の選定に入ったほうがいい。その他の権利は同行後にあらためて説明される」
ダニエルは軽く目を眇めた。
「説明されるまでもなくご存知だろうが」
「やはりおまえの戯れ言なんかに乗らず、むこうの大使館に身をよせていればよかった」
ジンデル准将が口の端を上げる。
「あなたがチェルカシア大使館に流した情報は、すべて擦りかえていた。いまごろ大ウソだったのがバレて、あなたはあちらでも裏切り者あつかいされているところだ」
ダニエルが顎をしゃくり、准将を見下すように見る。
「駆けこんで裏切り者として処刑されるのを防いでやったんだ。むしろ感謝してほしい」
准将が無言で立ち上がる。
二人の隊員が出入口に促すしぐさをした。
コツコツコツ、と重々しい靴音を立てて准将がダニエルの横を通りすぎる。
「アバズレが!」
ダニエルの真横に差しかかったとたん、准将はダニエルに向けて大きな手をふり上げた。
「准将!」
アレクシスはとっさに准将の肩にしがみつき、腕がふり下ろされるのをおさえた。
准将の肉厚の腕がググッと動き、アレクシスの腕を振りほどこうとする。
この腕が、ダニエルを抱いた。
ついそう考えてしまい、アレクシスは目眩のしそうなほどの嫉妬を覚えた。
愛情などまったく介入していなかったのは分かっている。
ダニエルが任務上の作戦としてしたことなのも、受け入れるつもりだ。
ただこの男が、ダニエルを単なる性処理の道具として扱っていたのだと思うと、このまま殺してしまいたい気持ちがおさえられない。
「准将……」
力づくで准将の腕をおさえながら、アレクシスはそう呼びかけた。
本来ここで言うべきことは「裁判を不利にするようなことはするな」。そんなところだろう。
しかし、ダニエルを抱いていた男を気遣うようなセリフは、たとえ職務上の定型文といえど言いたくはなかった。
「准将……これ以上は」
かすれた声で、やっとそこまでを言う。
ダニエルが、スッと准将のまえに立つ。准将の顔を冷たい目で見上げた。
「書類の確認を。それを拒否されるなら、このまま同行を」
准将が憎々しげな目でダニエルを睨みつける。ダニエルは平然とそれを見返すと、連れてきた隊員二人に指示した。
「連れて行け」




