DILECTUS TUUS ITALIAN MASTIFF あなたの愛しい軍用犬 I
昼過ぎ。
ブレインマシンに通知があったとの知らせが入る。
開いてみると、ダニエルからだった。
寄るところがあるので、さきに帰ってていいよ、と。
軍施設の廊下で、アレクシスは肩透かしを喰らった気分で立ち止まった。
もうすぐ退勤時間なので教会にむかえに行こうと思っていたのだが。
“アンブローズ・ダドリー” についても確認したい。
こちらの軍を除隊になった人間が、なぜダニエルの「元同僚」なのか。
たまたま同姓同名とか。
あるのか、そんな偶然。アレクシスは眉をよせた。
「パガーニ大尉」
落ち着いた靴音がする。
黒髪短髪の男性隊員が近づき呼び止めた。
たしか別フロアのオフィスの大尉だったか。
大尉までは、ほぼ全員が出世するものなのでともかく多い。
少佐くらいから出世の率はどんどん低くなるので大尉のまま退官という人もめずらしくはない。
「ジンデル准将がお呼びです」
そう告げられる。
「ジンデル准将……」
アレクシスはつい復唱した。
上官にあたるとはいえ、何段階も上の階級の人だ。ほとんど話したことはない。
階級や年齢がちがっても教育機関の時代から親しい隊員というのはいるが、ある程度上の年齢になると軍で育てられるという制度のはじまる前の人だ。通常の士官学校出身という人が多いので、接点は非常に少ない。
ローズブレイドのように、かかえていた任務にストップでもかけられるのか。
それともスパイへの情報漏洩を糾弾されるとか。
アレクシスは立ち止まり顔をしかめた。
准将が直々にか。
落ちつけ、と自身に言い聞かせる。
上級の将校がわざわざそんなことはしない。国家反逆と判断されたなら、逮捕に現れるのも尋問をするのももっと下の者だ。
アレクシスは、准将の執務室のほうをながめた。
それより、准将のIDを盗むチャンスなのでは。
眇めた目が、知らせにきた大尉の黒い目とかち合う。
とたんに気まずくなり目をそらした。
「分かりやすい人ですね、パガーニ大尉」
知らせにきた大尉がクスッと笑う。
アレクシスは、つい眉をよせて相手を見た。
「第六フロアのコールドウェルです」
軽く会釈して相手が名乗る。
「コールドウェル大尉……」
「大尉なのは知っていましたか」
ああ、まあとアレクシスは返した。
おなじ施設内で別フロアというくらいなら何となくは。
「人を覚えるのは苦手な方なんだと思ってました」
コールドウェル大尉がそう言って微笑し、その場を立ち去る。
どういう意味だ。
アレクシスはふたたび顔をしかめた。
どこかで会ったことがあったのだろうか。遠ざかる姿勢のよい背中をながめた。
ジンデル准将の執務室まえ。
入口ドアに設置されたパネルに手を触れると、遺伝子や虹彩、指紋、汗の成分等チェックする画面が現れる。
アレクシスの氏名と入室を許可するむねがパネルに表示され、自動ドアが開いた。
入室してすぐにあるのは秘書室だ。
女性秘書がデスクについたまま軽く会釈をする。そのまえを通りすぎ、アレクシスは奥のドアのまえで立ち止まった。
もういちどドアのパネルに触れ、あらためてチェックを受ける。
自動ドアが開く。
アレクシスは足をそろえ、室内に向けて敬礼した。
「アレクシス・パガーニ大尉。参りました」
「うむ」とも「おう」ともつかない返事が聞こえる。
大きな窓を背に執務机に座るのは、五十歳手前の恰幅のいい男性だ。
大柄、肉厚で筋肉質。がっちりとした体型は、いかにも昔ながらの叩き上げの軍人といった感じだ。
白い色の少々混じる太い眉をよせ、アレクシスを一瞥した。
モーガン・ジンデル准将。
上官にあたるが、直接にはほとんど話したことはない。
アレクシスはかなり緊張して直立していた。
「まあ、私的な用事だ。固くならなくていい」
そう言うと、准将は執務机の引き出しを開けた。
私的とは。
アレクシスはつい軽く目を見開いて准将の動きを目で追った。
「歴史建物地区の教会によく通っているそうだな」
准将が尋ねる。
「……ええ」
「カトリック信者なのか?」
どういった意図の質問だろうとアレクシスは思った。
宗教については自由だが、職務に支障をきたすほどの教義や思想のものは厳しく注意を促されている。
「……知人が司祭をしておりまして。厳密には信者というわけでは」
「ダニエル・ハミルトン司祭か」
アレクシスは大きく目を見開いた。心臓が跳ね上がる。
ほんとうに情報漏洩を糾弾するために呼んだのだろうか。
さきほど通ってきた秘書室と、向かって左奥にある准将の私室。
いずれかに自身を逮捕するための人員が待機しているのか。
ダニエルは。
だが、とくにだれかが飛び出してくる気配もなく、ジンデル准将はアレクシスに一枚の封筒をさし出した。
「これをダニエル・ハミルトン司祭に渡してくれ」
アレクシスは、ぎこちないしぐさで前に進み出た。封筒を受けとる。
いまどき封筒とは古風な。
軍施設の売店にもあったかどうか。そんなことを考える。
なかに何か固いものが入っているのが手触りで分かった。USBチップだろうか。
「福音書を資料としてお借りしていた」
准将がそう説明する。
ああ……と頭のなかでつぶやき、アレクシスは小さく息を吐いた。
それだけか。
「今日は彼とは会う約束をしていないのですが……明日になっても?」
「けっこう」
准将はそう短く返すと机上で手を組んだ。
「以上だ。ご苦労だった、パガーニ大尉」




