EST QUASI AURORA そろそろ夜明け
朝方。
マンションに帰ると、ダニエルが出迎えた。
まだ外は暗い。寝ていたところだったのか、シャツをラフにはおった姿で玄関ドアを開ける。
一人で寝ているときも全裸が多いらしいと知ったときには、色気を感じて目を泳がせたが、いまはまあまあ慣れた。
「勝手に入ってていいって言うから入ったけど」
ダニエルがシャツの合わせを片手で雑に留める。
「ああ……」
「何か食べる?」
テーブルと椅子、シンクと最低限の調理設備をそなえた殺風景なキッチン。
壁に作りつけられた冷蔵庫の扉をダニエルが開ける。
バイオポリマー・ジェルのなかに直接埋めこまれたレトルト食品をとり出した。
「いい。寝てろ」
軍服のネクタイを外しながらアレクシスは答えた。
「今日は昼間は寝てるの? 有給とっておけばよかったな」
ダニエルがそう言う。レトルト食品を袋ごとスチームオーブンに入れた。
「有給って教会のほうの?」
「軍のほうは、任務が一通り終わらなきゃとれないだろうね」
ダニエルがくすくすと笑う。
任務か。
軍施設のトイレであったことをダニエルに話しておかなければならないだろうと思う。
ダニエルに漏らした情報がすべて筒抜けらしいのが気になる。
「ダニエル」
寝室にもどろうとしたダニエルを呼び止める。
「今日、施設内のトイレで……」
どこから説明しようか。
あったことを頭のなかで整理しているうちに、気がついたら両腕を伸ばしていた。
ダニエルを背後から抱きしめる。
ほんとうは、彼が行動する先々について行って守ってやりたい。
また銃で撃たれるようなことがあれば、自分が盾になってやりたい。
そうすべきだろうか。
完全に軍を捨てて、彼について行くべきだろうか。
「トイレで何?」
ダニエルが顔をこちらに向ける。
漏らした情報の内容を、なぜ軍の諜報担当は把握していたのか。
人工衛星から音声つきで室内を覗く技術はあるが、グレーゾーンの情報漏洩というレベルでそこまで大掛かりな調査をするだろうか。
単純に盗聴器か、とキッチン内を見回す。
「こちらの軍部の諜報担当が接触してきた。おまえとの関係ももう知られている」
硬い声で伝えるアレクシスに対して、ダニエルが「そう」とだけ返す。
「あとは。何か言ってた?」
「……恋人が心配なら、余計なことはするなと」
とたんにダニエルは声を上げて笑い出した。
さほど広くはないマンションの室内に、愉快そうな声が響く。
アレクシスは、面食らって腕をゆるめた。
「笑いごとか! おまえを盾に脅してきたんだ」
「OK。その諜報担当の言うこと聞いて。アレクシス」
ダニエルがこちらをふり向き上目遣いで見る。
「僕も言ったはずだよ。“指示にしたがって” って。余計なことしようとしただろ」
うっとアレクシスは言葉をつまらせた。
「何をしようとしたの?」
ダニエルが目を眇める。アレクシスの腕をふりほどいてスチームオーブンに歩みよると、とうに温まっていたレトルト食品をとり出した。
作りつけの食器棚から皿をとり出し、袋のなかのフィッシュ・アンド・チップスを皿に盛る。
盛りつけだけはまともなんだなと、アレクシスはどうでもいいことを考えた。
手料理は猟奇的なんだが。
コトリと皿をテーブルに置くと、ダニエルはおもむろに両手を腰にあてた。
「何をしようとした! 答えろ、パガーニ大尉!」
ダニエルがとつぜん「ローズ少佐」に成りすましたときの口調で問いただしはじめる。
「い、いや。おまえのDNAデータを……」
ダニエルが無言で目を眇める。
怖い、とアレクシスは思った。
同じ軍なら上官だ。絶対に逆らえんと思う。
「しつこく検索しようとした……」
テーブルに手をついて後ずさりながらアレクシスは答えた。
それでどうするつもりだったのかまで勘づかれただろうか。
逮捕を覚悟でわざと疑われようとしたなど、この様子だと鬼軍曹の体で怒られそうだ。
「……それだけだ」
アレクシスはそうと答えた。
ダニエルが無言で食器棚からフォークをとり出す。
まさか刺すわけではないだろうな。アレクシスは心臓のあたりを抑えてさらに後ずさった。
ダニエルが皿に盛ったポテトフライをフォークで刺すと、こちらにさし出す。
「あーん」
そう言い口に近づけた。
アレクシスはポテトフライを見つめた。いい具合に湯気が立っている。
食えという意味なのだろうか。
ふつうの恋人同士のいちゃつきのあれと捉えていいのか。
行動のパターンが分からん。
しばらくポテトフライを見つめたあと、こわごわと口を開く。ダニエルの表情を伺うと、真顔でじっとこちらを見ていた。
ポテトフライの先をくわえる。
ふたたびダニエルの表情を伺いながら、もぐもぐと口に入れた。
「おいしい?」
「ああ……」
口をおさえて咀嚼する。
「食べてる顔がかわいいので今回は大目に見る」
何だそれは。アレクシスは眉をよせた。
「……身の安全の面から、言えないことはある。任務を終えれば話せる部分は話すつもりだ、アレクシス」
ダニエルがそうと続ける。
「悪いようにはしないと言ったはずだ」
そう言うと、ダニエルは残りのポテトフライにフォークを刺した。
「ベッド、半分あけとくね」
きびすを返して、寝室へと向かう。
彼の足を引っぱったのだろうか。
アレクシスは冷蔵庫からビールをとり出した。プルトップを開け、ぐびぐびと飲む。
そろそろ夜明けの時間帯か。リビングのカーテンをながめた。




