ROSARIUM PRECATIONIS──MILLENNIUM ADVETUS ロザリオの祈り──千年紀カウントダウン I
新年のカウントダウンがはじまる。
オフィスの大きな窓からは、たびたび花火が上がるのが見えた。
アレクシスはデスクに頬杖をついて、ブレインマシンの時計を空中に表示させた。
コチコチコチと内臓された機械音を立て、秒針がアナログの文字盤をすすむ。
オフィス内には同僚が十数人ほど。
それぞれの方向を向き、書類のチェックをしたり外をぼんやりとながめてコーヒーを飲んでいたりしている。
大きな祝いごとのある日は、暴動やテロにそなえて待機人数が増員される。
たいていは保安局がおさめるので軍隊まで出動ということはないが、特殊保安部隊が出動するさいには、輸送と情報収集、国会の承認手続きという仕事がある。
新年になった瞬間までに何も起こらなければ、交代して帰れる。
ブレインマシンが表示する時計の秒針を横目で見つつ、アレクシスは打ち上がる花火をながめた。
ダニエルは新年の礼拝で深夜まで教会だ。
さっさと帰って寝たい気持ちもあるが、彼を一人で帰途につかせるのは心配だ。礼拝が終わるまで待っていようと思う。
こう考えると、彼に寝返ったのが正解な気がしてくる。
少なくとも以前のように水をとりかえるふりをして姿を消されるということはない。
自身の手に落ちた手先として、居場所だけは明確にしてくれる。
「三、二……一」
窓ぎわでコーヒーを飲んでいた同僚がつぶやく。
窓のそと。ビル街の向こうから、ひときわ大きな花火が上がった。
「Happy New Century!」
パァン、とクラッカーの音が鳴る。
数人の同僚が、小さな三角のパーティーグッズをたばね天井に向けている。
おい……とつぶやいてアレクシスは苦笑した。
新年の瞬間の勤務は二年ぶりだが、この瞬間だけは軽い悪ふざけが容認されている。
まえもこうだった。相変わらずだなと思う。
オフィスの自動ドアが開き、こちらとほぼ同じ人数の同僚が入室する。「交代です」と声を上げ敬礼した。
待機していた全員が立ち上がり敬礼する。
簡素な交代のあいさつを返して、いそいそと帰宅の準備をはじめた。
窓のそとでは、大小の花火が切れ目なく上がっている。
繁華街のほうから、たびたび歓声が聞こえていた。
だれかが、オフィス内の共用のPCで空中にローマ教皇の新年のあいさつの様子を映す。
話している言葉がイタリア語に似ている気がする。今年のあいさつの言葉はラテン語だろうか。
ダニエルはむしろこれからの時間帯が忙しいのか。そう思いながらアレクシスはロッカー室に向かった。
教会の礼拝堂のドアを開ける。
アレクシスがついたときにはローマ教皇の新年のあいさつはすでに終わり、祭壇に置かれた機材の電源は落とされていた。
年配の司祭が説教をしている。以前、「だれかの警護か」と問いかけてきた司祭だ。
来る途中から降りはじめた雪が、開けた扉の隙間から吹きこむ。
身体を滑りこませるようにしてなかへと入り、アレクシスは扉を閉めた。
以前のように席にもつかず壁ぎわにいてはまた不審がられるだろうかと思ったが、神妙に手を組む信者たちのあいだを歩いて邪魔するのも気がひける。
外套を脱いで腕にかけ、そのまま立っていることにした。
説教が終わりしばらくすると、ダニエルが聖書を手に祭壇に歩みよる。
年配の司祭に軽く会釈をして交代すると、おもむろに聖書を開いた。
「主よ」
しずかに新年の祈りの言葉を読み上げる。
「あなたの憐れみによって、わたしたちの人生は新しい世紀へと引きつがれました」
信者たちがわずかに頭をたれる。
「この世紀のかなたに、すべての可能性をそなえてくださったことを感謝いたします」
ダニエルの澄んだテノールの声が響く。
「おおきな混沌、恐怖、絶望に直面するとき、わたしたちに知恵と勇気と洞察とをお与えください」
一、二人の信者が、組んだ手にゆっくりと額をつけた。
「救い主の誕生によりはじまった世界のあたらしい創造を。きのうも今日も、とこしえに変わることのない主イエス・キリストの御名により」
やがて祈りの言葉が終わり「アーメン」とつづく。
清廉な雰囲気で祈りの言葉を読み上げる御使いのような司祭が、たった一日まえ、敵軍の施設に堂々と入りこみ不敵な笑みを浮かべていたスパイとは。
ここにいる信者たちは想像もつかないだろうなとアレクシスは思った。
ましてほぼ毎晩、淫らな言葉をささやき白い脚をからめてなんども恋人を誘うとは。
ダニエルの官能的な様子をつい生々しく思い出してしまい、アレクシスは顔を伏せた。
荘厳な祭壇と純真な祈りの風景をまえに、よくこんなことが連想できるなとわれながら思う。
徹底して清廉な司祭を演じているダニエルは、こちらと目を合わせることすらしない。
いったいどんな精神構造をしていたら、あそこまで見事に人格を使い分けられるのか。
それが諜報に向いているということなのか。
いまだどの部分が本性なのかも分からない恋人だが、そこもすべて含めて離れられないのだと思った。
この年の終わりに、いっしょにいられるのかも分からない相手だろうに。




