基礎魔石術学、黄の章
「みなさん、教科書と魔石は行き渡りましたか?」
今日は基礎魔石術学の四つ目、黄の授業だ。担当であるアサスーラ先生が教科書を開きながら教室の生徒を見回す。
「四つの魔石のうち、最後のこの黄の魔石術は吸引や留置という少し変わった力を持っています。前に押す力のある赤の魔石と反対の引く力と覚えるといいでしょう。ですから黄は引力の魔石術と呼ばれています」
引く力……かぁ。あんまり想像つかないね。扉を開けるとか、そんな感じ?
「例えばこんな風に使えます。『サリク』」
アサスーラ先生が教卓に向かって手をかざし黄の魔石の名前を呼ぶ。
「ペンをこちらに」
そう命じると、教卓の上にあった羽ペンがふわりと浮いて先生の手にスポッと収まった。
おお、魔法っぽい!
「このように物を取ることもできますし、こうして……」
今度はその羽ペンを上へ投げる。
「『サリク』……ペンを留めて」
先生が上に手をかざしてそう命じると、羽ペンは空中でピタリと止まった。
羽ペンが浮いてる!
「ペンをこちらに」
続いてそう命じると、羽ペンはふわりとアサスーラ先生の手に戻る。
「このように物を引き寄せたり留めたりするのが黄の魔石術の力です。どれだけの大きさや重さのものを動かせるかは、赤の魔石術と同じく階級によって違いますが、黄の魔石術は特に得手不得手が分かれる魔石術になっています」
そういえばクィルガーやヴァレーリアが黄の魔石術使ってるところあまり見たことがないなぁ。そんなに難しいんだろうか。
「今日はこの小さなボールを机の上に置き、かざした手の中に引き寄せる練習してみましょう」
私は授業の最初に配られた机の上のボールを手に取る。ピンポン玉くらいの大きさの麻紐っぽいもので作られた軽いボールだ。周りの生徒から黄の魔石の名を呼ぶ声が聞こえる。
私もボールを机に置いて黄の魔石を握って名を呼んだ。
「『サリク』」
すると黄の魔石からトゥ——という音がする。
黄の魔石はファの音なんだね。
自分の中のドの音をファの音の上げていって魔石が光ったところで命じる。
「ボールをこちらに」
魔石から黄色のキラキラが少し出てきてボールを包み、ふわっと浮かせるが、そのままストンと机に落ちた。失敗だ。
もう一回やってみよう。
私は魔石の名を呼んでもう一度命じるが、結果は同じだった。
おお、初めて上手くできない魔石術に出会った。
ううむ、どうしたら上手くいくんだろうと周りを見回すが、他の生徒も同じ感じだ。手前に転がってくるけれど浮かなかったり、浮いてもすぐに落ちたりしている。
なんかこう、物を引くイメージがぼやっとしてるんだよね……だから上手くいってない気がする。もっと具体的なイメージができないかな。物を引く力、引き寄せる力、吸い寄せる力……つまり引力、吸引……。
そこまで考えた時に、「吸引力の変わらない……」という恵麻時代に聞いたとある商品のキャッチコピーが頭に浮かんだ。
そうだ! 掃除機!
私は魔石を持って再び名を呼ぶ。そしてボールに向かってかざした手を掃除機のノズルだとイメージする。
この掃除機に吸い込むイメージで……。
「ボールをこちらに」
そう命じると、ボールが手の中にズボン! と飛び込んできた。掃除機のイメージだったからか、ちょっと勢いが良すぎたけれど、成功だ!
「できました」
「あら、もうできたの。ではボールではないものを引き寄せる練習もしましょうか」
アサスーラ先生はそう言って私の机の上を指差す。机の上にはつけペンとインク壺、教科書とノートが置いてある。
「軽いものから順に引き寄せていってください」
「はい」
私はまずつけペンを机の真ん中に置いて手をかざす。「サリク」と呼んで掃除機をイメージする。
さっきは強すぎたので、今度は掃除機の弱のイメージで「ペンをこちらに」と命じた。するとペンがスポンと手の中に収まった。
うんうん、掃除機作戦いいかも。
次はノート。これは掃除機の中の強さで成功した。ただ手のひらにビタンと吸い付く感じで飛んでくるので、なんだか格好悪い。先生みたいにふわっと持てないのだ。
インク壺は中と強の間くらいの力で手のひらに収まった。
最後は教科書だ。まあまあの重さがあるので掃除機の強のイメージで命じる。最初はなかなか浮き上がらなかったが、掃除機パワーを強めるイメージをすると途端に手のひらにビタン! と音を立てて吸い付いた。
引き寄せられてるからいいんだけど……なんか優雅じゃないね、これ。
掃除機じゃない方がいいのかなぁと唸ってる私に、ファリシュタと先生が声をかける。
「やっぱりすごいねディアナ。これ初めてやったんでしょ?」
「最初の授業で黄の魔石術を使える人は本当に少ないのですよ、さすがですね」
「でもアサスーラ先生みたいにふわっと引き寄せられません……」
「魔石術のコントロールは一番時間のかかるところですからね。焦らず努力すればできるようになりますよ」
「そうでしょうか」
「ディアナは優秀ですし」
そう言ってアサスーラ先生はふふっと笑う。褒められるのは嬉しいが、そう言うと必ず突っかかってくる人が……と思ったけれど、今日はあの甲高い声が聞こえてこない。
私はちらっと目線だけ動かして三段目の席を見る。ティエラルダ王女は魔石を握りしめてムスッとしている。
それに気付いたファリシュタがコソッと私に話してくれた。
「この前の授業でディアナに助けてもらったんだって周りから聞いたみたいだよ」
「だから今日はなにも言ってこないのかな」
「そうじゃないかな。でも助けてもらったんだからお礼くらいあればいいのにね」
「いやぁ王女様からお礼を言われても……放っといてくれるんだったらそれでいいよ」
アサスーラ先生に次は物を空中で留める魔石術の方もやってみなさいと言われたのだが、そっちは全然できなかった。まず落ちてくる物体に向かって魔石術をかけるのが難しい。どうしても焦って集中できないのだ。
それに空中で物を留めるというイメージも掴むことができなくてボールはそのまま落ちてきた。
留める魔石術難しぃ——!
うはぁーと手元のボールを見て挫けそうになるが、苦労してるは私だけではない。
他の授業では時間をかければ成功する魔石術がほとんどだったのに、この黄の魔石術に関しては生徒全員が苦しんでいた。その様子を見るだけで黄の魔石術の難しさがわかる。
そんな生徒たちにアサスーラ先生は微笑みながら話し出した。
「今みなさんが実感している通り、黄の魔石術は四つの魔石の中でも難易度がずば抜けて高いです。そして難易度が高い割にペンを引き寄せたり空中に留めたりするだけで、今一つこの魔石術の効果がわからない人も多いでしょう」
確かに、部屋でダラダラしてて動くのが面倒臭い時に使うくらいしか思いつかないな。
「でもみなさんは、その黄の魔石術の力の素晴らしさをすでに体験しています。それがなにかわかりますか?」
「体験している?」
「なにかしら?」
アサスーラ先生の言葉に生徒たちがざわつく。そんな私たちを見て先生は目を細めた。
「ふふ、この学院です。この学院はここアルタカシークの王アルスラン様が作られたと聞いたことがあるでしょう。この校舎も教室も、みなさんが今まさに座っている席も、全てアルスラン様が黄の魔石術を使って作ったものなのですよ」
ええ————!
その言葉に教室中がどよめいた。
「こ、ここを黄の魔石術で?」
「嘘でしょう⁉」
「どうやったらこんな……!」
すご……マジですか。黄の魔石術でこんなの作れるの? どうやって?
信じられないという衝撃と、どうやればこんなものが作れるのかという疑問で頭がいっぱいになる。
「驚くことはそれだけではありませんよ。この国を救った十年前の『黄光の奇跡』で使われた魔石術も、黄の魔石の力だったと言われています」
「ええええ」
「その日は王都全域が黄色の光に包まれましたから」
「それは黄の魔石から出てきた光ってことですか?」
「そうでしょうね」
私の質問にニコリと笑ってアサスーラ先生が答える。
私が普段使う魔石術では人一人包むくらいのキラキラしか出ていない。一人分の力に抑えてるっていうのもあるが、クィルガーが覚醒で使った力だって体育館一個分くらいの大きさだったのだ。
じゃあうちの王様は王都全域の規模の魔石術を使えるってこと?
すごすぎるっていうか……もう人間じゃないっていうか……。
あまりの王様の力の大きさに生徒全員がポカーンとしている。
「先生……その、力の差が大きすぎて黄の魔石術の重要性がわかったようなわからないような……」
「あら、あまり参考にならなかったかしら? ふふふ」
先生はそう言って悪戯っぽく笑う。
「確かに、今この世界で黄の魔石術の一番の使い手であるアルスラン様の話はあまり参考にならないかもしれないですけれど、黄の魔石術は難しい分、使いこなせるようになれば想像もつかないようなことができるようになります」
想像もつかないような使い方、かぁ……。
「上級生でも黄の魔石術には苦労していますから、焦らずじっくり取り組んでください」
そしてその授業では結局、ボールを空中で留める魔石術を成功させることはできなかった。
ぐぬぬ……王様アドバイスプリーズ!
「あー黄の魔石術か、確かに難しいなあれは」
夕食のあと、たまたま会ったラクスとハンカルを誘って談話室でお茶をしていると、黄の授業の話になった。
「ハンカルでも難しいんだね」
「使いこなそうと思ったら時間がかかりそうだな」
「俺らはそんな段階でもないけど。な、ファリシュタ」
「う、うん……」
魔石術の授業で苦労しているラクスとファリシュタがそう言って遠い目をしている。ラクスは二級でファリシュタより音合わせは速いらしいが、全て感覚でやっていこうとするので力にムラが出るらしい。
「大雑把な人間にあんな細かい調整なんて無理だよ」
「自分で大雑把って言っちゃうんだ」
「ラクスはそうやって初めから諦めるからダメなんだ」
「むぐぐ……っ」
「わ、私も全然できないから一緒に頑張ろう? ラクス」
「ファリシュタは優しい!」
感激したラクスがガバッと手を広げてファリシュタの方に身を乗り出したので、私はサッと横のファリシュタの前に手を伸ばしてガードし、ハンカルが素早くラクスの頭をはたく。
「いてぇなハンカル!」
「女性にいきなりそんなことするんじゃない」
「俺の国では大丈夫なのに……文化の違いツラい……」
そう言っていじけるラクスは放っておいて、私は気になっていたことを聞く。
「そういえば二人はどこかのクラブに入ったの?」
「いや、俺はまだどこにも入ってない。ラクスはシムディアクラブに仮入部中だ」
「仮入部?」
そう聞くと、ラクスは紅茶を一口飲んで頷く。
「シムディアクラブってさ、やっぱ体力的にかなりキツいクラブらしくて、入っても続けられない学生が出るんだって。だから仮入部ってことにしといて、自分には無理だなって思った時点でささっと辞められるようにしてるんだってさ」
「ふーん。どれくらいの期間が仮入部になるの?」
「年末までだったかな」
「結構長いんだね。ラクスは続けられそう?」
「どうかなー。今は基礎練習しかやってないから体動かせていいけど、実戦が始まるとビビっちゃうかもな」
へぇ、それは意外だ。
「ラクスは実戦も平気なタイプかと思ってた」
「むぅ……ディアナに俺はどんな風に映ってんだ……。俺は楽しいことが好きで体動かすのが好きだけど、戦いが好きなわけじゃないよ。むしろハンカルの方が実戦向きじゃないか?」
「え、そうなの?」
「俺も実際に戦うのは好きではないよ。ただ戦術とか対策とか考えるのは嫌いじゃないな」
「ああーわかる、参謀タイプだよね、ハンカルって」
「よく言われる」
そう言ってハンカルは肩をすくめた。
談話室でのひと時が終わって男子二人と別れ二階への階段を上っていると、ファリシュタが小声でコソッと囁いた。
「ディアナ、あの二人も誘ってみたらどうかな……」
「ん?」
「ラクスとハンカルにも演劇クラブの話してみたらどうかなって思って」
「あの二人に?」
「うん。ラクスは明るい性格で人前に出るのが苦じゃなさそうだし、ハンカルはどんな場面でも落ち着いて行動できそうだし、さっきの二人のやりとりも息があってたというか」
「確かに完全なボケとツッコミだよね」
「ボケ?」
「あ、ううん、なんでもない」
確かにセリフの掛け合いの面白さを見せるにはいい二人かもしれない。あの二人をモデルにするなら私でも脚本を書けそうだ。
あの二人に演じてもらうのはいいかもしれない。
「そうだね、今度話してみる」
「うん」
初めて上手く使えない魔石術に出会いました。
王様の力は桁違いでポカーンです。
次は一級魔石術学、です。




