生物学の授業
翌日から授業が始まった。ファリシュタと授業のある教室に向かいながら、私は疑問を口にする。
「なんで一番最初の授業が生物学なんだろ?」
基礎魔石術学でもなく一級魔石術学でもない、生物学が一番初めに行われる授業なのだ。
「教科書は今日の授業で配られるみたいだから……全然想像つかないね」
「いきなり難しい話になったらやだなぁ」
恵麻時代の高校では生物学は習わなかったので、私の人生で初めての生物学だ。
まさか異世界で生物学を習うことになるとは思わなかったな……。
今日も教室は地下の大教室だ。一年生は基本的に全員一斉に履修する教科が多いので、大教室を使う頻度も高い。
教室に入ると、昨日と同じような位置にラクスとハンカルがいるのが見えた。他の新入生を見てもなんとなく席は決まってきてるようで、私たちも二人の横に並んで座る。
それから本鈴がなると、教室の扉からもじゃもじゃ頭をした先生が入ってきた。
「あ、あれって副学院長?」
「そうだね」
入学式で挨拶していた副学院長が生物学の先生らしい。副学院長は壇上を進んで、懐から紐のついた棒のようなものを出して首にかけた。
「新入生のみなさん、おはようございます。生物学を担当するオリムです。まずみなさんに教科書を配りますので、順番に流していってください」
どうやら首から下げた棒はマイクの魔石装具らしい。手に持たなくても喋れるピンマイクみたいな魔石装具のようだ。
副学院長の後ろから入ってきた職員の人が教科書がたくさん載ったワゴンを教室の中に入れ、それを階段脇の席にいる生徒に渡していっている。
私たちの列にも配られ、私はファリシュタから受け取った教科書の束から一冊抜き出して隣のラクスに回す。
厚みのある表紙に「生物学」と書かれている。ペラペラっと本を捲ると、びっしり埋まった文字と、人体や動物の解剖図みたいな絵があった。
「う……結構不気味な内容だな」
ラクスが口を歪めてそっと教科書を閉じた。
「みなさんの中にはなぜ生物学が一番最初の授業なのか、疑問を持った人もいると思います。早く魔石術に関する授業を受けたいと思っている人もいるでしょう」
副学院長はそう言いながら壇上を行ったり来たりして、新入生たちに話しかける。
「ですが、魔石術を使うにはこの生物学を知っている必要があります。なぜなら魔石術を使う仕組みが生物学で解明されているからです」
そう言うと、副学院長は丸っこい緑の目をキランと輝かせる。
「突然ですが、ここで問題です。なぜ我々は魔石術を使えるのでしょう?」
にこやかな笑顔のまま、副学院長は新入生たちを見回して、一人の生徒に話し掛けた。
「一番前のそこの君、わかりますか?」
「えっええと……我々は魔石使いだから、です」
「ではなぜ魔石使いは魔石を使えるのでしょう?」
「え…………と、魔石の音が聞こえるから?」
「なぜ魔石の音が聞こえるのでしょう?」
「…………わかりません」
そう答えた生徒に副学院長は優しげな目を向けて頷く。
「今から千四百年以上前に魔石術を発見したフィヤトは、生涯をかけて魔石術の研究をしました。結局彼が生きていた時代にその仕組みを解明することはできませんでしたが、フィヤトの意志を継いだ弟子たちがその偉業を成し遂げました」
そう言って副学院長は白板に「魔石」と書いた楕円形の丸と、その横に簡単な人体図を書きだした。
「魔石の中に詰まっている力の塊を『マギア』と呼びます。魔石は鉱物に見えますが、その中にはマギアという魔力の細胞が生きて存在しています」
「え、生きて?」
その説明に生徒たちがざわつく。
あ、そっか、だから魔石の中が液体みたいに見えたんだ。それに透明の魔石が温かくなっていた理由もわかった……生きてたんだ、この中の。
私は服の上からネックレスの透明の魔石を押さえる。
「そして私たちが魔石術を使える理由、それは、私たちの体の中にもこのマギアの塊があるからです」
そう言って先生は、白板の人体図の胸のところに小さな丸を書いた。
「えっ! 俺の体の中にもそんな塊があるのか?」
「……初めて知りました」
ラクスとファリシュタが驚きの声をあげる。副学院長が書いたのはちょうど心臓の上あたりだ。私も周りの生徒も自分の胸に手を当ててみる。
へぇ……ここに魔石の中身と同じものがあるんだ。魔石術を使うための器官がちゃんと存在してるんだね。
意外と物理的な仕組みだったことに驚く。異世界だからなんとなく使えるものなのかなとか思っていた。
「体の中にあるマギアの塊のことを『マギアコア』と呼びます。このマギアコアの大きさの違いが各階級の違いでもあります。つまり、一級の魔石が使えるものは一級の魔石と同じ大きさのマギアコアを持っている、ということです」
副学院長が何か言うたびに教室内のざわめきが大きくなる。
じゃあ私の中には、特級の魔石と同じ大きさのマギアコアがあるってことか。
面接の時に触った特級の魔石の大きさを思い浮かべながら、自分の胸を見る。
……あれ結構大きかったけど、それがここにあるの? う、ちょっと怖いな……。
胸をまじまじと眺めていると、隣でラクスとハンカルが話してるのが聞こえた。
「ハンカルはさっきから全然驚いてないけど、もしかして知ってたのか?」
「ああ、俺の国では学院に入る前に少しだけ勉学の予習をするからな」
「うわぁ、さすが少数精鋭のウヤト国。優秀すぎる」
「人口は少ないが高位の魔石使いが多いからな。魔石術に関する勉強は当たり前のようにさせられたよ。ただマギアコアが中にあるってことまでしか知らないけど」
その会話を聞きながら周りを見ると、知ってる学生より知らない学生が多いように見えた。
「この『マギアコア』の不思議なところは、これは遺伝で受け継がれるものではない、ということです。一級同士の夫婦の間に必ずしも一級の子が生まれないことはみなさんご存知でしょう。逆に二級と三級の夫婦の間から一級の子が生まれることもありますね」
……そうなんだ。あ、そういえばヴァレーリアの継母がヴァレーリアより階級が上の子を産んだって言ってたのは、そういうことなんだろうか。
「大きなマギアコアを持つかどうかは、その子どもがマギアを溜めやすい体質かどうかで決まります。ですから平民の子にもたまに魔石術を使えるマギアコアを持ったものが生まれるのです」
「へぇ……平民にも魔石術を使える子がいるんだね」
「それも知らないんだな、ディアナは」
「うん」
「魔石術が使える平民の子は特別に貴族に格上げされて『特殊貴族』って呼ばれるんだ」
「そうなんだ。ありがとラクス」
そっか、そういやエルフだって魔石術を使えたんだから、平民が使えることだってあるよね。
そんなことを思っていると、ハンカルがさっと手を挙げた。
「オリム先生、質問です」
「はい、なんでしょう?」
「マギアを溜めやすい体質が大事だということですが、では我々は一体どこからマギアを吸収しているのでしょう?」
「いい質問ですね」
副学院長はそういうと、白板に地層の断面図らしきものを書いていく。
「魔力の細胞であるマギアは実はそこら中に漂っているもので、一番濃度が高いのが土の中です。魔石は土の中にあるマギアが自然と集まり固まってできるものです。マギア濃度の高い土や魔石が多く取れる場所で魔石使いの子が多く生まれることからそれがわかりました」
「なるほど……だからウヤトに魔石使いが多いのですね」
「その通りです。ウヤトは国土は小さいですが、良質な魔石が取れる採掘場がありますからね。ウヤトの大地はマギア濃度が高いので、魔石使いが多く生まれるのです」
それを聞いて私は首を傾げる。
ん? つまりマギアの濃い場所で、なおかつマギアを溜めやすい体質に生まれると、体の中にマギアコアができて魔石使いになれるってこと?
それってエルフも同じってことでいいのかな? となると私もそういう場所で生まれたってことなんだろうか。
……私、一体どこで生まれたんだろね。
「魔石術は魔石と自分の中のマギアコアが互いに反応しあうことで使えるものだとわかったのですが、そこでなぜ音が出るのか、なぜ音を合わせないと使えないのかについては、まだはっきり解明されていません」
「なんだ、まだわかってないこともあるんだな」
ラクスの言葉に私も頷く。千年以上前に発見されたものなのに、まだまだ謎があるものらしい。
「しかし自分の中の音がそこから出ているとわかれば、魔石術を使うときにきっと役に立つでしょう」
……なるほど。確かに音が出てる位置がわかれば、音合わせする時にイメージしやすいかも。特に透明の魔石は自分の中の音を魔石に移していく方法だからね。
「おっと、ついついこっちで喋りすぎましたね。せっかく教科書があるのですから、今説明したところを教科書で確認しながら進めましょう」
そう言って副学院長が指示したページを開いて、授業らしい授業が始まった。
私は授業を聞きながら要点をノートにまとめていく。
「人の体の中にマギアコアがあるとわかったのは、フィヤトが魔石術を発見してから何百年も後のことです。それがなぜかわかりますか?」
「……解剖学が発達していなかったからですか?」
先生に当てられた生徒が自信なさげに答える。
「いえ、解剖は魔女時代からあった学問ですから、フィヤトの時代にはすでに解剖学もある程度進んでいたと思います」
解剖する手段があったのにわからなかったってことは……。
「解剖する体にはマギアコアはなかったってこと?」
私がそう呟くと、それを聞きつけた先生がこちらを見て目を輝かせる。
「その通りです! それまで解剖というのは遺体に対して行なわれてきたのですが、フィヤトの死後に麻酔草が発見され、生きたまま人間の胸を開けることができるようになりました。そこで初めてマギアコアを発見したのです」
「ということは、マギアコアは生きてる人間の中にしかないってことですか」
「ええ、ええ、その通り! マギアコアは生きている間はここに存在していますが、死ぬと同時に体内に吸収されなくなってしまうということがわかったのです」
ハンカルの言葉に先生が胸を指差しながら嬉しそうに答える。
先生は生物学というより手術の大好きなお医者さんタイプなのかな。
私とハンカルは先生の話を普通に聞いているが、ラクスとファリシュタは気持ち悪そうな顔をしている。ちょっと人を選ぶ話だね、これ。
「マギアコアはその性質のため、発見には長い年月がかかりましたが、そのおかげで魔石術の仕組みを知ることができました。みなさんはこれから魔石術の使い方を教えられますが、この仕組みを知ることで魔石術への理解をより深めることができると思います」
先生はそういうと、教科書を閉じて新入生を見つめる。
「魔石術は大きな力ですが、それを武器として使った結果、先の大戦で多くの魔石使いが死にました。大きな力というのは毒にも薬にもなるのです。たくさんのものを失ったその歴史を我々は繰り返してはなりません。みなさんが魔石術を学ぶことで、その力をみなのために使おうとすることを期待しています」
それは生物学の先生ではなく、副学院長としての言葉だった。
今まで武力として使っていた魔石術をもっと他のことに使おうってことなのかな。
……もしかして今ってその変換期にきてるってこと?
私は先生の話を聞いて「魔石術の新しい形とは」とノートにメモした。
魔石術を使う仕組みについての授業でした。
胸の中にマギアの塊があると知って驚きです。
次は基礎魔石術学 緑の章、です。
しばらく授業の話が続きます。
魔石学院に入った気分で楽しんでください。




