音出しを叩く者
ギィ……と扉を開けて革屋さんの中に入ると、中には誰もいなかった。棚になめされた革が並べられていて店内に革の匂いが広がっている。
「お客さんいないですね」
「夏の昼間に来る客は珍しいからな」
クィルガーとそう話していると、店の奥から一人の男性が現れた。白いターバンに黒い口髭を生やした真面目そうな人だ。
「いらっしゃい……ご新規さんですかね?」
「ああ。この店の主人か?」
「ええ、そうですが」
「実は少し聞きたいことがあってきたんだが、少しいいか?」
「……なんでしょう?」
クィルガーの言葉に店の主人が訝しげな顔になる。
「ここに古い音出しがあるというのは本当か?」
「……!」
「シルばあさんに聞いてここにきたんだ。俺たちは古い音出しを探している。もしここにあるのならそれを見せてくれないか?」
「シルばあさんに……そうですか。それなら断ることはできないですね……」
店主はそう言って私たちの脇を通り抜け、店の入り口の扉の鍵を閉めた。
「今日は私一人しか店にいないので……。あの、一つだけ約束してください。この店で見たものは誰にも話さないと」
「もちろん約束するが、口約束でいいのか?」
「……見たところ高いご身分の方のようなので、こちらから契約書を用意しても結局どうにでもできるでしょうから」
店主は私とクィルガーを交互に見てそう言った。平民の格好をしているが、どうやら貴族だとバレているらしい。平民の作った契約書は貴族がその気になれば力ずくで無効にすることができるのだ。
私はともかくクィルガーはどう見てもその辺の平民には見えないから、見る人が見たらわかるんだろうね……。
「人の見る目はあるようだな」
「うちには様々なお客様がいらっしゃるので。ではこちらへどうぞ」
客の中には貴族もいるということを匂わせて店主は店の奥に案内した。クィルガーが周りを警戒しながら私を守るようにして進んでいく。
店の奥には皮を加工する工房があったが、その前を通り過ぎて廊下の突き当たりの扉の前まで進む。そして扉の鍵を開け、店主はその奥の階段を下りていった。どうやらここから先は地下になっているらしい。
「地下か……」
クィルガーが一瞬後ろを振り返り、なにかを確認したあと私と一緒に階段を下りていく。多分退路を確認したのだろう。さすが騎士だ。余念がない。
「こちらです」
階段を下りた先にある扉を潜ると、少し広めの部屋に出た。
「わぁ! 太鼓がたくさんある!」
そこには大小様々な太鼓が床や棚の上に並べてあって、私は思わず声を上げた。店主が私の反応を見て驚いている。
「音出しに興味があるのですか?」
「はい!」
「これを見にきたいと言ったのはこいつなんだ」
クィルガーが渋い顔をしながら私の頭をポンポンする。
「あの、触ってみてもいいですか?」
「え、ええ。乱雑に扱わなければもちろん……」
「繊細な音出しを乱雑に扱うなんてできませんよ」
私はそう言ってまず床に置かれてある背の高い太鼓に近付く。和太鼓を立てたような形をしていて、表面の革が綺麗に伸ばされて鋲のようなもので留められている。見たところ古いものではない。
「……これってもしかしてここで作ったものですか?」
「……! なぜそれを」
「革の状態も胴の木も新しいからです。これは古い音出しではありませんよね?」
「……それは古い音出しを参考にして作ったレプリカです」
「レプリカ! ああ、なるほど。すごい、作れるものなんですねぇ」
私が感心しながらそう言うと、店主は少し緊張が解けたらしい、ここにある音出しについて喋り出した。どうやらここに運ばれてくる古い音出しは、状態の良いものがほとんどないらしく、ひび割れていたり革が破れていたりしているんだそうだ。この部屋にあるものはそれを参考に店主が作ってみた複製品らしい。
革屋さんだからこそできることだよね。
店主は太鼓の他にも穴がいくつか空いた笛のようなものや、旅芸人が使っていたラッパのようなものも作ってみたらしいのだが、満足いく出来にはならなかったんだそうだ。それで結局、太鼓専門のようになっているのだという。
「じゃあここにやってくる古い音出しの愛好家さんたちは、このレプリカの太鼓を買っていくんですか?」
「はい、そうです」
「太鼓を買ってどうするんだ? 家で叩けるわけじゃないだろうし」
「主に皆さま観賞用に買ってくださいます。このように革を皺なく伸ばした形の置き物というのはあまりないので」
「わかります。太鼓は芸術品ですよね。こんな風に綺麗に仕上げるのはかなりの技術者でないと無理ですよ。ただ、叩かないのは勿体無いと思いますけど」
「そうなんです! 古い音出しの魅力はその音なんです!」
私の言葉に店主が興奮して身を乗り出す。
「私がその魅力に取り憑かれたのはその音を聞いてからです。最初は昔の音出しはどんな音がするのだろうという好奇心から作り始めたのですが、完成したレプリカを叩いて驚きました。その音は今まで聞いたことがないほどいい響きをしていたのです」
「そうなんですね。あの、ここにある太鼓たちを叩いてみてもいいですか? ぜひその音を聞きたいです!」
「もちろんですとも!」
機嫌を良くした店主にお願いして太鼓を叩かせてもらう。渡された棒を持って私は目の前の和太鼓のような太鼓を叩く。
ドォン……。
と、少し低めの音が響く。
これは音も和太鼓そっくりだね。
「こっちはどうかな」
私は棚の上に乗っている少し小さめの樽型の太鼓を叩く。
タンタンッタンタンッ。
「さっきと音が違うな」
「太鼓の中の響く空間の違いで高い音になったり低い音になったりするんですよ」
「な……! お嬢様は太鼓の構造もご存知なのですか?」
「細かいところまではわかりませんが、大体は……あ、この形は」
部屋の隅に並べて置かれていたのは胴が陶器でできた太鼓だった。胴の真ん中がくびれていて杯のような形をしている。
「あ、それは陶器の部分だけ残っている古い音出しがありまして、それを模して作ってみたのですが革の留め方が難しくて試行錯誤しているものです」
「陶器だから鋲で留めることができないんですね」
革と陶器は紐のようなもので繋げて固定されている。
「どうしてこのような形になっているのか不思議なのですが、美しい形をしているので作ってみたのです」
「これは多分、抱えて叩くんですよ」
「え?」
私はそう言ってその太鼓を持ち上げて脇に抱える。
う……陶器なので重い。
「どこか座れる場所はありますか?」
「あ、少々お待ちください」
店主はそう言ってさらに奥の部屋から小さなスツールのような椅子を持ってきた。「すみません、綺麗なものがこれくらいしかなくて」と申し訳なさそうに言って私の前に置く。私はその椅子に座って持っていた陶器の太鼓を横にして膝の上に乗せ、胴の部分を左の脇で押さえるようにして構える。
「こうやって手で叩くんだと思いますよ」
私はそう言って両手でポコポコと表面の革を叩く。
ポンポン、ポコポコ。
トコトコトコトコ、ポンポン……。
柔らかな太鼓の音が部屋に響く。
いいねぇ、やっぱり手で叩いた方がいろんな音が出るなぁ。ドラムのようなものが欲しいと思ってたけど、これはこれで有りかもしれない。
そんなことを思いながら真ん中やヘリの方を叩いていると、店主が口を開けたまま固まっているのに気付いた。
「な、なんという素晴らしい音だ……! こんな風に使うなんて……! お嬢様はなぜこれの叩き方をご存知なのですか⁉」
「あ、ええと……知っていたというか、そうではないかなと思っただけで、ほほほほ」
横でクィルガーが盛大なため息を吐いている。
しまった。これは余計なことをしてしまったかもしれない。
「素晴らしいです! まさか抱えて叩くものとは思っていませんでした!」
「あ、あくまで予想ですけれど……」
「いいえ、その叩く姿を見ればこれが正解だと私は思います! なるほど、こうやって使う音出しだったのか!」
店主はそう言って感激している。あまり不審には思われてないようでホッ胸を撫で下ろす。
「旅芸人の使い方を真似て、今まで棒で叩いていたんですが手でも多彩な音が出るんですね」
「そうですね。手だと叩く面積やスピードを自在に変えられるので、いろんな音が出るんだと思います」
「……あの子の言ってることは本当だったのか」
「え?」
「いえ、なんでもありません……」
と、店主が答えたその時、私の耳に太鼓の音が届いた。トコトコトコトコというリズムを刻む小さな音が部屋の奥から聞こえてくる。
「……誰か太鼓を叩いてますね」
「え⁉」
私の声に店主がギクリと体を強張らせる。
「俺には聞こえないが」
「聞こえますよ。この部屋の奥からです。あの、ご迷惑じゃなければ聞きに行っていいですか?」
「ええ⁉ いや、あの、でも……」
「ここで見たことは誰にも言いません。私は音出しの音が好きなのでもう少し近くで聞きたいだけなんです」
音楽が禁止されている世界で音出しを積極的に使う人はいないと思っていた。けれど今聞こえたリズムは明らかに叩き慣れている人のものだ。
私は少しだけでいいからとお願いして、強引に部屋の奥に連れて行ってもらった。続きの部屋に入ると、その奥の扉からさっきよりはっきりと太鼓の音が聞こえてくる。
私は後ろのクィルガーにしー、と指を立ててソロソロと音を立てないように扉に近付く。
そしてじっくりとその太鼓の音を聞いて、私はこれ以上ないくらい目を見開いた。
トントントントン、トコトコトコトコ。
トントン、ポコポコ。
トンタントンタン、トントンポコポコ。
トントントントン、トコトコトコトコ。
トントン、ポコポコ。
トンタントンタン、トントンポコポコ。
わぁぁ! 同じリズムを繰り返し叩いてる! しかも音色を変えた組み合わせだよ!
こんなの、こんなの、音楽以外の何者でもない!
太鼓のリズムを聴きながら感動で体を震わせていると、その異変に気付いたクィルガーが私の肩を掴んだ。
「落ち着け、ディアナ」
と小さな声で注意されるが、興奮を抑えることができない。
だって音楽だよ⁉ とっくの昔に滅びて忘れ去られていたものが今ここに存在してるんだよ⁉
しかも私以外の人が演奏してる!
こんなの感動するなという方が無理だ!
太鼓の音はそのあとも違うリズムを刻みながら鳴り続ける。
ポコポコポコ、トントン。
ポコポコポコ、トントン。
トコココトントン、トコココトントン。
気がつけば目に涙が溜まっていた。
ただの賑やかしで無造作に叩く音でもない。定期的に合図として叩かれる音でもない。確かなリズムで鳴る音だ。これは音楽だ。音楽がここにある。それが嬉しくて仕方なかった。
これ……どんな人が鳴らしているんだろう。
涙を拭いながらそう考えていると、太鼓の音がちょうど止まった。そのタイミングで私は思わず扉をノックする。
「お嬢様っ」
慌てて店主が声をかけるが、私はその声を無視して扉を開けた。
「馬鹿!」
扉が半開になったところで後ろからクィルガーに抱き抱えられる。
「誰⁉」
中から警戒する声が聞こえてそちらを見ると、部屋の奥にスカーフを目深に被った女の子が椅子に座っていた。女の子の周りには様々な太鼓が置いてある。
「すまない、音出しを見にきたお客さんがお前の太鼓の音に気付いて、近くで聴きたいというものだから」
「勝手にお邪魔してごめんなさい! あの、私さっきの演奏に感動して……」
「演奏? わ、私そんなことしてません!」
あ、演奏って言ったらまずいよ。ここでは禁止のものなんだから。
「あ! 違うんです、その、素晴らしかったと言いたかっただけで!」
「……⁉」
女の子は警戒心を露わにして身構えている。まずい、めちゃくちゃ不審がられている。
「あ、あの、よかったらもう一度叩いてくれませんか?」
「……嫌です」
「え」
「これは誰かに聞かせるために叩いてたものじゃないし……」
「あの……」
「申し訳ありません、お嬢様。ここで見たものはお忘れください。お願いします」
店主が私とその女の子の間に入って跪いた。
「こちらこそ急にすまなかった。ディアナ、行くぞ」
「あ……」
私はクィルガーに抱えられたままそこから出て音出しのある部屋まで戻された。私の体を下ろしたクィルガーに無言で睨まれて私は俯く。
「ごめんなさい……感動してしまってつい……」
「知らない場所で勝手な行動をするな。馬鹿」
「すみません……」
私が怒られているのを見て店主が肩の力を抜いている。
「さっきの娘はお前の子どもか?」
「は……あ、いえ、知り合いの子どもです……」
「驚かせてすまなかったと伝えておいてくれ」
「え? あ、はい!」
貴族からそんな言葉を言われるとは思っていなかったのか、店主は驚きながらも頷いた。
「別に音出しを鳴らしていたからって咎めることはない。それなら最初からここに来ていないしな。しかしこいつにとっては予想以上のことがあったらしい。で、どうするんだ? ここの音出しを買うのか?」
クィルガーにそう聞かれ私は頷いた。
「買いたいです。こっちの高い音のなる太鼓と、それからさっきの陶器の太鼓も」
「なんと! 買っていただけるのですか?」
「ここで見たことは秘密なんだろう? だったら俺たちが買ったことも誰にも言わないでくれ」
「も、もちろんです!」
店主が会計の書類を取りに行っている間に私は改めて部屋にある音出しを見た。他にも面白いものがないか眺めていたら、可愛いサイズの小さな太鼓を見つけた。両面が叩ける直径十センチくらいの太鼓だ。
これ、小さい子が持って叩いたら可愛いだろうな。
そう思いながら持ち上げて叩いていると、ふとある玩具が頭に浮かんだ。
そうだこれ、でんでん太鼓になるんじゃない?
頭の中でその構造を思い浮かべる。柄と玉をつけたら簡単に作れそうだ。
「お父様、これも買っていいですか?」
「それも劇に使うのか?」
「いえ、これは赤ちゃん用です」
「は?」
説明はまた帰ってからすると言ってそれも加えてもらう。太鼓は大きいし隠して持ち運ばないといけないため、家の方に配達してもらうことにした。そこで初めてクィルガーの名前を聞いた店主は、驚きのあまりしばらく意識がどっかに飛んでしまった。
店を出て馬車の停留所まで歩く。いつの間にか夕方になっていて、人の姿も増えている。私はクィルガーの横を歩きながら後ろを振り返った。
「さっきの子って平民……ですよね」
「店主の知り合いの娘らしいからな」
「……せっかく音楽の素晴らしさを分かち合えそうな子に出会ったのに」
「おまえ完全に嫌われてたじゃねぇか」
「ちょっと最初の挨拶を失敗しちゃっただけです! 音楽の話をしたら絶対仲良くなれると思うのに」
平民だと会う理由も時間もない。
「仲良くなってもどうしようもないだろ」
「そうですけど……」
例え仲良くなって一緒に音楽を作れても、演劇クラブに活かすことはできない。
「じゃあせめて私の心の安定剤として仲良くしてくれないですかね」
「向こうにとったら面倒で迷惑この上ないだろうな。貴族の相手なんて」
「ですよねぇ……」
せっかく見つけた希望の光が一瞬でどこかへ消えてしまった気がして、私はガックリと肩を落とした。
衝撃的な出会いをしたものの、これ以上は踏み込めませんでした。
彼女は何者なんでしょうか。
次は 贈り物、です。