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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
三章・黒炎の騎士
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二十七話・罪の魔王(2)

 


 駆け寄って剣を振り下ろす。

 すると魔王は反応してきた。

 隙だらけの所作から一転、弾かれるように左の剣を振るう。

 アッシュの攻撃を防いで見せた。


「…………」


 その技量は落ちていた。

 先程までよりは劣る。

 だが開戦時から見れば上がっている。

 最初は本当に、ただ棒切れのように剣を振り回すだけだった。


 この差について考える。


 理性のない、獣のようだった敵は、死ぬ度に強くなり続けた。

 並外れた技量を見せ、魔法を使い始めるまでに。

 だが突然元に戻った……かと思われていたが、最初よりは少しだけ強い。


 振り返ってみると、どうも奇妙な変化だった。

 単純に殺す度に力を増す、という訳ではないのかもしれない。

 前の『聖地蹂躙』の怪物とは違い、どこかのタイミングで弱体化するからだ。


 となると、強化の法則と、弱体化の法則を知る必要がある。

 また、どうすれば完全に殺せるのかも。


 だから、様子を見るためアッシュは軽く剣を合わせた。

 そして下がって観察に集中する。

 弱い状態から、強くなる瞬間を見極めたかった。

 すると、アッシュの代わりにノインが前に出た。

 鋭い気合の声と共に渾身の横薙ぎを放つ。

 ガードして、魔王は数歩下がる。

 そこでさらに追撃が来た。

 無数に展開されたシドの『氷矢』が、全方位から魔王に殺到する。


 しかしすぐに、彼の舌打ちが聞こえた。

 魔術が命中しなかったのだ。


「…………チッ」


 押し寄せた『矢』は、全てが双剣により撃墜されてしまった。

 魔王は次々に氷の魔術を切断していく。

 粉々に砕けた氷が、かすかな煌めきを残して消え去っていった。

 そして魔王は低く構える。

 次の瞬間には地を蹴って、前傾の姿勢で駆け抜けてアッシュに肉薄してきた。


「……っ」


 拷問刀と処刑刀による、独特の剣技が迫る。

 低く低く構え、下からの攻撃を放ってきた。

 さらに常に前進し、自らが刺されようとも敵を傷つけるような捨て身を纏っている。

 それは魔王の不死という性質と噛み合っている。

 が、脅威とは別に哀れを感じずにはいられない太刀筋だった。

 体に染み付いたような捨て身の動きから、どんな人生を送ってきたのかが少しだけ分かった。

 なにか悲壮を滲ませる刃だった。


「…………」


 助けてくれと、そう言っていたのだと不意に思い出す。

 感傷も同情も浮かばない。

 躊躇うことなど論外だった。

 だが、それでもこの怪物にとり救済とはなんなのか。

 剣を振る脳裏にそんな考えがちらついた。


 と、そこでノインがうろたえた声を上げる。


「アッシュ様、どうすれば……!」

「すまないが、まだ分からない」


 殺してもいないのに、魔王が能力を増しているのが分かったのだろう。

 シドの『矢』の援護と数の優位が合わさり、今のところは優位を保てていた。

 しかし相手が力を増し続けるとすれば、これから先どうなるかは火を見るより明らかだった。


 魔王を殺す方法を考え続けていると、不意にミスティアが語りかけてきた。


「一応言っておくけど。この魔王に関する逸話とかは何もないよ」

「そうだろうな。分かっている」


 この魔王は、名もないロスタリアの民だったのだから。


「………」


 だが、ふと思い当たりアリスに視線を向けた。

 逸話がないのなら、彼女に読み取らせることはできないだろうか。

 すると、視線を感じ取ったのかアリスがすねたような声で口を開く。


「……なんですか。前見ないと死にますよ」

「別に」

「私になにか意地悪しようとか考えてませんよね?」

「お前は鋭いな、本当に」


 しかしその考えはすぐに捨てる。

 魔王の思考に感応などすれば、どんな悪影響があるか分からない。

 また、狂人の思考など読めるかも定かではなかったからだ。

 無駄に危険な橋を渡らせる意味もない。


 だから、代わりの案を口にする。


「考えがある。魔王に致命傷を与えないようにしてくれ」

「どうするつもりだ?」


 まず言葉を返したのは、予想よりも乗り気な様子のシドだった。

 小さく頷いて答える。


「こちらで魂を奪ってみる。大半の敵は剣で刻む方が早いが、こいつはそうもいかないようだ」


 剣で刻んでも死なないのなら、魂を引き抜いて殺す。

 そんな言葉に、ミスティアが驚いたような声を漏らす。


「魂を奪う……? そんな禁術があるんだね……」


 驚きの中には、どこか呆れのような色もあった。

 何も答えず、アッシュは魔王へ向けて走り始めた。


「……『六式ドレイン』」


 剣を収め、詠唱を済ませたところで両の手は禁術の光を纏う。

 そのまま魔王に肉薄すると、ノインとミスティアも援護のため並んできた。


 シドの、うんざりしたような声も聞こえる。


「……ミスティア、今の詠唱は忘れろよ」


 どうやら、この魔術は彼にとっては忌むべきものに感じられたようだ。


 それはともかく戦いは始まる。

 魔王の、大振りの縦斬りを半身になってかわした。

 続く横薙ぎを二歩ほど引いて空振らせる。

 しかし攻撃は次々に繰り出される。

 ふらりと避けながら隙を伺っていると、ミスティアの援護が来た。


「『星落とし』」


 雷の飛び蹴りが放たれる。

 同時に、ノインの大剣も振り下ろされた。

 魔王は蹴りを右の剣で、大剣を左の剣で受け流す。

 だがまだ終わりではない。

 ミスティアは着地して正拳を繰り出した。

 ノインは素早く斬り上げを重ねる。


 二人はそのまま苛烈に攻め立てていた。

 だが、魔王は見事な足さばきと巧みな剣さばきで柔軟にやり過ごす。


 アッシュは機を伺うために傍観していたが、やがて魔術師の一手により決定的な機会を得た。


「『氷走フロストチェイス』」


 氷の波が戦場を駆け抜ける。

 ノインとミスティアが退いた。

 すぐに状況を把握した魔王は、両の剣を交差するように構える。

 そして地響きと共に迫る氷の波を、凄まじい連撃で斬り刻む。


 だがそこで、シドが鼻で笑った。


「……あまり舐めるなよ、魔王」


 そして、次の魔術の名を唱えた。


「『氷矢フロストアロー』」


 砕かれた氷の波の破片が、いくつもの『矢』に変わる。

 完全な不意打ちだ。

 まさか、砕いた魔術が別の魔術になるとは。

 そしてその『矢』の全てが足へと向けられている。

 予想外の攻撃に反応しきれず、魔王の足はズタズタに引き裂かれた。


 彼に称賛の言葉を送る。


「いい腕だ」


 氷の矢は刺さった後も砕けていない。

 だから、刺さった矢が邪魔して足を再生できていない。

 アッシュは今ならやれると判断し、即座に魔王の前に立つ。


 拷問刀で斬りつけてきたが、足が動かないせいか踏み込みが足りていない。

 遅い刃を、右手の鎧の装甲で軽く流す。

 いま、鎧の騎士の姿で戦っているからできることだ。

 続いて魔王の腕を取って、関節を固めて投げ飛ばした。


 敵はすぐに立ち上がろうとするが、顔を膝で蹴って動きを潰す。

 そして仰け反った相手の、無防備な腹に赤い光を纏う掌底を押し付けた。


 だが、禁術を使用した手応えにアッシュは眉をひそめる。


「くっ……」


 出力を全開にしてなおわずかしか削れない。

 魔王の魂はあまりに強かった。


 しかし零でないのなら望みはある。

 そう信じてさらに連撃を重ねる。

 体勢を整えた魔王を蹴って、肘打ちと手刀を続けざまに打ち込む。

 徒手空拳の連打により、禁術の光を命中させていく。

 これで少しずつ魂を削り、死に至るまで奪おうと攻撃を続けていた。


 が、その時。


「…………!」


 不意に、魔王の右の剣が動く。

 紅い光を纏っていた。

 それを、敵は自らの首に突き立てた。


 ノインが声を上げる。


「自分で……?」


 信じがたいとでも言うような声だった。

 魔王は、自らの魂を喰らうという理解不能な現象を引き起こした。

 そして力を失い、音を立てて倒れる。


「…………」


 魂を失った抜け殻だ。

 立ち上がるはずもないその姿を見つめる。

 すると、動くはずのない体がぴくりと動いた。


「まさか……」


 思わず声を漏らす。

 魔王の器には、再び魂が満たされていた。


 刺さっていた氷の矢は粉砕され、魔王の傷は瞬く間に埋められていく。

 その姿を見てようやく、何が起こったのかを理解した。


 つまり魔王は、足に刺さった『矢』が邪魔だったから自殺したのだ。

 蘇生を引き起こせば、より強い再生により氷の矢も排出できる。

 そして、その手段が偶然『自らの魂を喰らう』という行為だったというだけだ。

 こいつは状況を仕切り直すために、あっさりと自殺するような存在なのだ。


「……化け物が」


 アッシュは呟いた。

 肉体も、精神も、余りにも理解の範疇を超えた存在だった。

 さらに、魂を奪っても死なないことが確定した。


 次の手を考えなければならない。

 だが考えつく前に、魔王はこちらへと刃を向けていた。

 その処刑刀は、強烈な赤の光を纏っている。

 魔王が自分の魂を喰わせたからだ。

 仕切り直して再生するのと同時に、処刑刀への生贄が成立したことになっているのだろう。


 爆発的に膨らんだ、赤の光が放たれる。


「『氷盾フロストシールド』!」


 しかしその光はシドが作った氷の盾が防いだ。

 当然、壁は粉々に粉砕される。

 だがほんの一瞬でも攻撃を防いだことで、なんとかアッシュは逃げ出すことができた。


「っ……」


 間一髪防御が間に合わなければ、死んでいただろう。

 転がるように避けたあと、すぐに立ち上がる。

 戦線に復帰しようとした。

 すると、そこで魔王の動きが止まる。


「『拘束バインド……!』」


 またシドの魔術だ。

 追撃を仕掛けようとした魔王を、なんらかの方法で止めている。

 とはいえこれも二秒ほどで振り切られた。

 しかし、その二秒でアッシュはミスティアやノインと合流できた。

 また三人で戦うことができる。


「大丈夫ですか?」


 ノインが問いかけてきた。

 短く返す。


「問題ない」


 それから言葉を続けた。

 魔王の魂は奪えないということ伝えるために。


「悪いが失敗した。魔王はどうやら、魂ごと復活するらしい」


 自分の魔法に喰わせて、蘇ったのだ。

 アッシュの手で削り切ることはできなかったが、試みる意味がないことは明らかだった。


 そんな報告に、ミスティアが腹立たしげに答える。


「嘘でしょ? ……全く、一体どういう手品なの」


 彼女の声をよそに、剣を構える魔王の姿を見ていた。

 だが、やはり蘇生の仕掛けは読めそうになかった。


 そこで、ノインが張り詰めた声を上げる。


「……来ます!」


 同時に、魔王が駆けてくる。

 右の剣に紅の魔法が宿っていた。

 アッシュは小さく舌打ちをして口を開く。


「このままでは埒が明かない。……シド、あれを跡形もなく消し飛ばせるか?」


 三人で、なんとか相手をしながら問う。

 すると彼は、一瞬の間を空けてアッシュに答えた。


「……ギフトを解放して、ミスティアと二人なら」

「ギフト。そうか、君にはそれがあるのか」


 使徒が神より授かる固有の能力だ。

 これが彼にもあるのだ。

 シドは言葉を続ける。


「詳しく説明する暇はない。実演してやるからそこを退け」


 すぐにアッシュたちは退く。

 独り言のようにアリスが呟いた。


「さて、どんなものですかね。クソガキ……あっ」


 彼女は、その声が虫に拾われているとは思わなかったのだろう。

 うっかり全員に聞こえてしまったようだ。

 取り繕うように咳払いをしていたが、誰も反応はしなかった。


「行くぞ。……『詠唱破棄フルバースト』」


 シドがギフトを発動する。

 直後、とてつもなく巨大な蒼い雷の塊が目の前を横切った。

 魔王に命中する。

 一拍遅れて、衝撃が巻き起こす風が頬を撫でた。


「…………」


 そこで、ようやくあの塊の正体に気がつく。

 数え切れないほどの数の『雷杭』の群れだったのだ。


「この通り、僕はしばらくの間詠唱なしで魔術を使える。……だが、肝心なのはそこじゃない。このギフトを使えば、僕は遺失した魔術をも使うことができる」


 唐突な攻撃に対応しきれず、雷に打たれた魔王は焦げ付いていた。

 しかしまだ死んでいないようだった。

 弱々しくもがく姿を横目にしつつも、追撃はしないことにする。

 下手に殺してまた強くなったら作戦に支障が出るかもしれない。

 魔王の動きを警戒しながら、さらに問いを重ねる。


「それはどういうことだ?」


 どうして、詠唱を破棄することが遺失した魔術を使うことにつながるのか。

 分からなくて尋ねると、すぐに答えが帰ってくる。


「簡単に言うと詠唱が必要ないからこそ、詠唱が不明の魔術も使えるということだ。そして、この力で僕は『薄氷はくひょう』を使う」


 するとそこで、アリスが若干驚いたような反応を見せた。


「薄氷ですか……」



『薄氷』はかつて剣騎士と呼ばれた古い英雄が使ったのだと謳われるルーンだ。

 ルーンの形のみは知られているものの、使える者がいないため詠唱は失われ、詠唱の再発見も為されていない。

 故に遺失魔術であるとされている。

 そして、それを使えるとシドは言う。


「とはいえ、ほとんど情報のない魔術を再現するんだ。無理があるから、消費はオリジナルとは比べ物にならない。……だから僕が術を組んで、自前の力で身体強化したミスティアに使わせるって訳だ」


 自前の力……つまり、使徒の眷属たるミスティアのギフトだ。

 どうやらそちらは身体能力の強化らしい。

 これを使って術の負荷に耐えるということだ。


 手はずは十分理解できた。


「なら、頼んだ。準備の間は俺とノインでなんとか抑え込む」


 アッシュの答えを聞いて、ノインが口元を引き結んだ。

 過酷な戦いになると考えているのかもしれない。

 そんな彼女をよそに、またシドが声をかけてくる。


「三分でいいぞ。自分で使うなら詠唱は要らないが、ミスティアとの調整にそれだけかかるんでな」

「分かった」


 と、そこで。

 ちょうど再生を終えた魔王が剣を構える。

 同時に、ミスティアが準備のために下がって行った。

 アッシュは前を向いたまま彼女に語りかける。


「こちらは任せてくれ」


 ノインも続いた。


「なんとか、時間を稼ぎます」


 直後に魔王が動いた。

 二人になったのを好機と見たのかもしれない。

 左の剣に闇を纏わせて、こちらへ駆けてきた。

 アッシュは、ノインとタイミングを合わせるために声をかける。


「行こう」

「はい!」


 ノインを見て、次に魔王を見た。

 続けて一瞬だけ思考し、アッシュは彼女に声をかける。


「俺が前に出る。君は一歩引いてカバーについてくれ」

「えっ」


 虚をつかれたような声だった。

 もしかすると、彼女に魔王の相手は任せられない……などと判断したように思われたかもしれない。

 だから一応、もう一言付け足しておく。


「……信用してない訳じゃない。俺の方が堅いからだ」


 今は三人ではなく二人だ。

 この状況でノインを前に出すことは、戦力の損耗に繋がりかねないと判断した。

 装甲を持っていて、場数も踏んでいるアッシュが前に出るべきだった。


 しかしもう話している暇はなさそうなので、最後の言葉を伝えておく。


「とにかく二人で、三分間生き残る。機会があっても不用意には攻め込むな」

「わかりました」


 返事を聞き届けた。

 戦いが始まる。

 眼前に迫る魔王に、まずは魔術を放つ。


「『炎杭ファイアステーク』」


 爆炎が視界を遮るのを恐れて出力は抑えた。

 魔王を一瞬でも見失うのは怖い。

 だが出力を抑えた魔術でも、魔王の足を少しだけ遅らせることができた。

 その隙にアッシュは剣を捨て、『土』のルーンを刻んだ槍に持ち替える。

 やはり守りに徹するのなら、剣の間合いでは不安があった。


「…………」


 槍を構え、魔王の前に出る。

 得物には既に『構造強化』を施してあるので、攻撃を受け流すだけなら多少は耐えられるだろう。


 そんなことを思いつつ、次々に繰り出される刃をかわす。

 右から、左から、かと思えば下から。

 変則的で、かつ高度差のある優れた連撃だった。

 それを後ろに下がってやり過ごしながら、槍の先でも剣をあしらってしのぐ。


 とはいえ、本来一人で前に立ち続けることなどできるはずもない。

 だがノインが上手く動いてくれた。


「援護します!」


 血の刃が飛んだ。

 一歩引いた位置から、的確に援護してくれていた。

 魔王は、血の刃自体はたやすく回避してみせる。

 しかしかすかに立ち回りが乱れる。

 その隙を利用し、すぐに波状攻撃を仕掛けた。


「……っ」


 だが、槍の刺突は左の剣で防がれてしまった。

 反撃を予感してアッシュは下がる。

 だが魔王は踏み込んできた。

 左手の剣の闇をぞわりと蠢かせる。

 そのまま大振りに構え、魔法を纏う刀身から闇の刃を解き放った。


 そして斬撃が飛んでくる。

 地を抉り、音よりも速く飛来してくる。

 なんとかかわした。

 すると魔王は地を蹴った。


「なっ……」


 思わす声を漏らす。

 何故なら誰もいない、離れた場所に魔王が去っていったからだ。

 意図を図りかねていたが、すぐに気がつく。

 魔王の目の前には一体の異形がいた。

 アリスが始末しきれていなかったものだろう。

 その体に、右の剣が突き立てられる。


「クソっ……!」


 悪態をつく。

 生贄の魂を取り込み、右の剣から赤い光が溢れ出した。

 血のように赤い光が爆発し、眩いほどの極光となる。

 そこで、左手の闇の魔法も呼応するように勢いを増す。

 魔王はその、黒と赤の刃を交差するように解き放った。


 アッシュは目を見開く。


「ノイン、避けろ!」


 狙いはノインだった。

 身動き一つ取ることもできていない。

 敵の魔法が速すぎるのだ。

 だが、停止した彼女を間一髪で付き飛ばすことができた。


「おい、アリス。異形の始末は任せたはずだ」


 ノインを庇った後、立ち上がったアッシュは苦言をていする。

 アリスは実に面白くなさそうに答えた。


「いや。数多くなってますでしょ、どう見ても。私一人で次から次に始末しきれるはずもないじゃないですか」


 言われて、アッシュは冷静になった。

 確かに彼女を責める場面ではなかった。

 自分はいま焦っていると自覚する。


「……確かに、悪かった。すまない」


 確かに、降りてくる異形は数を増やしている。

 彼女も真剣に対応しているのだろう。

 無闇に責めるべきではなかった。

 謝罪し、すぐに敵へと視線を向ける。


「…………」


 すると魔王はその場に立ち尽くしていた。

 魔法を放った場所から一歩も動かず俯いていた。

 だが不意に顔を上げたかと思うと、唐突に不吉な絶叫の声を上げた。


「ぅあ、ぁ……アアアアアアア!! アアアアアアアアアアア!!!!!」


 アリスがまたうんざりしたようにため息を吐く。


「……うるさいですね」


 空気を震わすような叫びに対してなのか。

 あるいは、別のなにかに対してなのか。

 そんなことを尋ねる間もなく、やがて魔王の叫びが止んだ。


 何かが起こるような……不吉な予感がして、アッシュは思わず声を荒立てた。


「今度はなんだ……!」


 この疑問の答えはすぐに明らかになる。


 魔王の叫びが止むと、ふらふらと彷徨っていた異形たちの様子が変わった。

 明確な目的を感じさせる、統一した動きをとり始めたのだ。


 すなわち、魔王のもとへと一斉に集い始める。


「…………」


 無言になった魔王が、その赤い瞳でアッシュを見据える。

 なんの感情も感じられない目だった。

 ほんの一瞬だけ視線を合わせたあと、魔王が地を蹴った。


「どうします、アッシュさん?」


 アリスの声だ。

 恐らく、誤射を恐れての発言なのだろう。

 魔王の周囲に異形たちが集まってきた以上、閃光で薙ぎ払えばアッシュたちも巻き込まれる可能性が出る。

 魔王の一番近くで戦っているからだ。


「…………」


 余裕のない頭を必死に回す。

 そしてアリスに一応の返事をした。


「竜以外の召喚獣で、なんとか対処を頼む」


 竜でなければ誤射はない。

 影の兵隊を出して物量で対抗してもいいし、影の巨人の拳で叩き潰してもいい。


 だが、細かい説明を口にする余裕はなかった。

 魔王が剣を振りかざし、闇の刃を飛ばしてきた。

 かと思えば、今度は接近して斬り合いを挑んでくる。


「っ……!」


 苦しい声を漏らす。

 集まってきた異形が邪魔だ。

 しかし、魔王の気を引くためにも逃げるわけにもいかない。

 シドの方に行かれたら、それこそ最悪だ。

 だからノインと二人で、じりじりと追い詰められていくしかなかった。


 しかしそこで、ノインの動きが変わった。

 異形の群れを、巨大な血の刃で一息に斬り払う。

 さらに何度も魔王と剣を合わせた。


 アッシュは息を呑んで名前を呼ぶ。


「ノイン、君は……!」


 見れば彼女は、例の最大強化の魔術を使っているようだった。

 白い肌をひび割れさせ、長大な血の大剣で魔王へと斬りかかっている。


「…………!」


 大剣と双剣のぶつかり合いは、人外の怪力の衝突によって壮絶な音を伴っていた。

 そこにアッシュも肩を並べる。

 大剣の連撃の隙間を塗って、槍の刺突を浴びせかけていく。


 たがそうして保たれていた、束の間の均衡はすぐに破れた。

 魔王が周囲の異形を利用し始めたからだ。

 異形を斬って赤の刃を解き放つ。

 さらに、これに闇の魔法をも重ねてきた。

 魔王は手数と攻撃範囲、そして火力をもってアッシュたちを圧倒し始める。


「はぁっ……はぁ……!」


 荒い息を吐きながら、なんとか足止めを続けた。

 アリスも異形を処理してはいる。

 人影や、さらに巨人やらなにやらが集まって処理に奔走しているのだ。

 だが、どうしても魔王の周囲の異形が枯れることはなかった。


 そうして、拷問刀が黒を放つ。

 処刑刀が赤を振るう。


 この、尋常ならざる速度と切れ味を誇る魔法は、なによりも動作の手軽さが脅威だった。

 一撃を放った後に、あるべき隙が全くなかった。

 まさに撃てば撃つだけ有利になるような魔法だ。

 それでいて、一撃当たれば即死する威力を秘めている。

 こんな代物を剣技に交えて速射するのだから、もはや手がつけられなかった。


 アッシュたちはなす術なく追い詰められていた。

 しかし、そこでようやくシドの準備が整ったようだった。


「……悪い、待たせた。全力を叩き込む」


 声に振り向くことはできなかった。

 だがそれでも、肌を刺す膨大な魔力の蠢きが魔術の完成を知らせていた。


 そばにいた、傷だらけのノインに声をかける。


「引こう」


 なんであれ魔術師の切り札だというのなら、巻き込まれれば命はない。

 示し合わせて全力で退却した。


 当然、魔王はその後を追おうとする。

 しかし、それより先にミスティアが前に出てきた。


「……!」


 そして、その瞬間アッシュは見た。

 ミスティアの右腕が、巨人の剣のように鋭く大きな蒼い雷光を纏っているのを。


 彼女がシドに呼びかける。


「シド様、お願いします!」


 ……『薄氷』、当然ながらその魔術を見たことはなかった。

 しかしあの腕を覆う雷光は、伝説に語られるだけの力を信じられるような輝きを秘めていた。


「『薄氷一閃はくひょういっせん……!』」


 魔術が発動する。

 魔王を前に、正拳の構えで振り抜かれた。

 その一撃は雷を破裂させて、広間を真っ白に漂白する。


「っ……!」


 生まれるのは音を超えた音と、衝撃を超えた衝撃だった。

 もう知覚できるような域ではない。

 ただ白く染まった光景の中で、余波で吹き飛ばされないように耐えるのが精一杯だった。


 爆風が、広間の中でひたすらに荒れ狂っている。

 解き放たれた雷の熱量は、離れた場所のアッシュたちすら刺すような痛みに感じられた。


 そして、それから十秒ほど経過するとようやく蹂躙が終わる。

 かすかな痺れと耳に残る甲高い雷鳴の名残りを残して、まるで天災のような雷が広間から消えた。


「…………」


 光の氾濫が収まり、まず目に入ったのはミスティアの背中だった。

 漂う煙の中で膝立ちになって、全ての力を使い果たしたように肩で息をしている。


 アッシュは軽いふらつきを感じつつ口を開いた。

 目や耳など、色々と感覚がおかしくなっている。


「……やったのか?」


 その問いには誰も答えない。

 答えないまま時が過ぎる。

 誰もが無言のまま、煙が晴れるのを待っていた。

 そして待った先で、やがて明らかになった視界の中に……もうすでに魔王はいなかった。


 凄絶なまでの破壊の痕跡の上に立っていたものは、全てが肉片一つ残さず消えた。

 異形も、そして魔王もだ。

 見れば、信じがたいことに塔の壁にまで大穴が穿たれている。


 随分久しく感じる、本物の夕陽の光が差し込んでいた。


「良かった。……やっと終わった、ね」


 荒い息の中でミスティアが微笑む。

 アッシュがそれに答えようとしたところで…………。




 ――――ふと頬を、血混ざりの風が撫でた。




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