表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
三章・黒炎の騎士
99/332

二十八話・罪の魔王(3)

 


 不意に頬を、血混じりの風が撫でた。


 周囲にはまだ雷の爆裂が残した名残りの煙が漂っている。

 その奥に、ずるりと音を立てて肉が集い始める。


「……嘘だろ」


 どこか虚脱したようなシドの声が聞こえた。

 アッシュは何も言わず剣を拾う。

 それから固唾を飲んで眼前の光景を見つめる。

 生温い風が、ある一点に集まるのが分かった。

 集まった風の先では、積もった血肉が徐々に何かの形を得ようとしている。


 小さく息を吐いた。

 すぐにミスティアに呼びかける。


「ミスティア、下がった方がいい」

「そんな……こんなのどうすれば」


 しかし返事はない。

 代わりに、取り乱したような声が聞こえた。

 だから言葉を重ねる。


「早く」


 それでようやく動いた。

 冷静さを取り戻したというよりは、魔王を恐れるようにしてこちらに戻ってくる。

 帰還を見届けつつ思考を続ける。


「……跡形もなく消しても再生するのか」


 呟いた。

 この分では、アッシュの命を使っても倒せるかどうかわからなくなった。


 ……無論、絶対に死なない魔王などいるはずもない。

 なんとかすれば倒せるはずだ。

 しかし、その手段を特定するにはあまりに情報が不足していた。


 どうすればいいのかを考えていると、やがて魔王が復活した。


「…………」


 無言のまま赤く瞳を輝かせている。

 黒と紅の刃を構えた。

 そしてなにか……苦しむように身を折った直後、魔王の左半身から闇の塊が翼のような形に伸びた。

 夕日を背に、黒い翼を伸ばし、目を赤く輝かせる姿はどこまでも異様だった。


「あれは……」


 ノインが驚いたように声を漏らす。

 そして、まさに一瞬だった。


 かすかに翼を揺らし、魔王は姿を霞ませる。

 同時に、石畳のいくつかがほぼ同じタイミングで砕けた。

 それが魔王の、見えない速度で駆け抜けた敵の移動の痕跡であると気がつく。

 次の瞬間、何が起きたか理解すらしていないノインの前に魔王がいる。


「えっ……?」


 呆けたような声が漏れるのを聞いた。

 彼女は、肩から腰にかけてをばっさりと斬られて倒れ伏す。

 誰かが呟いた。


「ノインちゃ……」


 誰の声かを判別するほどの余裕はなかった。

 ほとんど反射的に魔王へ向けて地を蹴る。

 追撃させるわけにはいかなかった。


「アリス! ノインを確保しろ!!」

「分かってます!!」


 とどめを刺させない、その一念で魔王に斬りかかる。

 だが無謀な戦いだった。

 すると当然のように受け流される。

 拷問刀の反撃が迫る。

 なんとか弾いたが、弾かれながらも魔王の攻勢は一切揺るがない。


 むしろ、受けたアッシュがたたらを踏んでしまった。

 そうして隙を晒したところで、敵は一気呵成いっきかせいに連撃で畳み掛けてくる。

 右から、下から、斬撃の方向は不規則だった。

 さらに低く薙ぎ払う剣……かと思えば首を狙った攻撃が来たりと、複雑な高低差を組み込んだ独特の剣技は対処がしづらかった。

 すり足を軸とする奇妙な足さばきのもと、舞のような剣閃の嵐が繰り出される。


 とてもではないが防ぎきれない。

 かわしそこねた突きが、アッシュの肩口を深く削る。

 思わず身をこわばらせると、その隙を射抜くように魔王が反応してきた。

 拷問刀に纏う黒を増幅させる。

 そして、左の肩から先を霞ませて、黒い刃を解き放つ。


「クソッ……!」


 避けきれなかった。

 身を翻すも左腕を切断された。

 それにアッシュは低く唸る。

 援護を望んで背後を見るが、シドとミスティアは戦意を喪失しているように見えた。

 自分で切り抜けるしかない。


「『魔人化ディストーション』」


 自らの意思で魔物の封印を緩める。

 封印官による、限定的な力の解放ではない。

 もう二度と元に戻れない覚悟でそれをした。


 瞬間、白銀の鎧が溢れ出した黒の魔力に塗り潰される。

 また、同時に動悸が激しくなり、目眩に揺れる視界から急速に色が失われていった。

 殺害衝動が湧き上がって、疲労しているはずの身体にはかつてない力が満ち溢れる。


 だが恐らく、それでも勝てないだろうということは自分でもよく分かっていた。


 おびただしく血を流す左腕を振り、魔王の目を潰そうとする。

 しかし敵はそれを避けさえしない。

 アッシュは続けて直剣の刺突を繰り出した。


 アリスがなにか、焦ったような声を上げる。

 魔物の封印を壊したのが分かったのかもしれない。


「アッシュさん、あなた……!」


 声に振り返ることもせず……というよりも振り返るような余裕がなかった。

 また仕掛けてきた敵の刃から身を逃し、落ちていた腕を拾い上げる。

 傷口に強く押し付けると、数秒経てばまた動くようになる。


「はっ……」


 今さらながら自らの化物具合に呆れた。

 また、ここまで身を堕としても歯が立たない現実にわらう。


 だが、そこで。

 魔王がアッシュを無視して後衛のもとに向かった。

 少しだけ動きが見えた。

 しかし攻撃に対処するので精一杯で、不意打ちのような狙いの変化に対応できなかった。


「しまった……!」


 魔物の力を開放してなお、今のアレには追いつけない。

 シドに向けて走っていく。

 アリスがブレスで狙撃を試みた。

 だが、凄まじい速さで機動する魔王の影にすら当てることができない。


「シド様!」


 が、最悪の事態に陥る前に、ミスティアが自分を取り戻した。

 護衛として彼の前に立ち塞がり、魔王の強襲を引き受けたのだ。

 しかし、とはいえやはり、彼女では相手にならない。


「ぐ……う、う…!」


 ギフトで身体強化されているはずの彼女の抵抗すら、全く問題にされなかった。

 魔王は拷問刀で彼女の腹を貫く。

 次の瞬間には乱雑に刃を引き抜く。

 ミスティアは流石に膝をつくが、それでも倒れはしなかった。

 シドが、歳相応の子供のように悲痛な声で叫ぶ。


「ミスティア!!』


 動揺して、へたり込んだまま彼が叫ぶ。

 アッシュも走るが、紙一重で間に合わないと分かった。

 振り上げられた処刑刀が無慈悲に振り下ろされようとして……寸前で、魔王が何者かにより吹き飛ばされた。


 ノインだ。


「……ノイン?」


 呼びかけた声は思わず疑問になった。

 何故なら、最大強化の代償にノインは再生能力を失ったはずだからだ。

 血を操れるため失血死こそしないはずではある。

 しかし、傷を塞げない彼女がここに立っているはずはなかった。


 加えて、その様子が余りに先程までとは違っていたからだ。


「…………」


 大剣で上半身を粉砕され、力を失った魔王がぐらりと倒れる。

 対してノインは、剣を振り抜いた残心の姿勢を保つ。

 そして炎の翼がその背で神聖な輝きを放っている。


 これはまるで……かつて見送った彼女の家族、ツヴァイが操る奇跡のようだった。


「…………」


 あの、最後の時のことを思い出す。

 そういえば魂を見ることができるアッシュに、なにやら口止めするような目配せをツヴァイがしていた。

 彼はなにかをノインに仕込んだ……いや、遺したのか。


 そんなことを思いつつ味方と合流した。

 肉を集めて再生する魔王を見つめる。

 すると、ノインが口を開く。


「大丈夫です。あたしより先には死なせません」


 どうやらシドにそう言ったようだ。

 彼は何も答えなかったが、それでも眉をひそめて立ち上がる。

 続いて、代わりのようにしてミスティアが笑う。

 かすれた笑い声だった。


「ははは……」


 彼女は貫かれた腹を抑えながら立ち上がる。

 再び戦意を取り戻し、魔王に立ち向かう姿勢を見せる。


「……そうだね、ありがとう。シド様を守らなくちゃね」


 そう言って、彼女は雷を纏うガントレットを傷口に押し付けた。

 右手で腹を焼き焦がすことで、乱暴に止血してみせる。

 悲鳴を噛み殺し、血をぽたぽたと垂らしながらも肉を焦げ付かせたのだ。


 その彼女に、ノインが心配そうな視線を向けた。


「それは……」


 アッシュから見てもかなり無茶な手段だった。

 というより、長期的に見ればむしろ悪手の部類に入る処置である。

 しかし拷問刀による裂傷と、出血による敗死を避ける必要があったのだ。

 だから、この場においてはやむをえないことだった。


「もう大丈夫。ありがとう」


 顔を青くしながらも、彼女は気丈に笑う。

 冷や汗を流しながら拳を構えた。

 鋭い視線でガントレットを向ける先は、すでに再生した魔王だ。

 けれど次の瞬間、表情に動揺の影が差した。


「……どういうこと?」


 魔王が退化していた。

 黒の翼も左右の剣の魔力も消えた。

 再び、知性を感じさせない所作で立ち尽くしていたのだ。


「…………」


 余りに不可解な現象に、思わずアッシュも舌打ちを鳴らす。

 命拾いをしたと言えばその通りだ。

 しかし理解が追いつかない。

 理解ができなければ死ぬ。


 そんな思考に時を割いていると、やがて天井から異形が降りてきた。

 衝撃に膝を折って着地している。

 だがこれまで通り無視した。

 軋む理性を押さえつけながら、魔王へ向けて駆け出した。


「アッシュさん、あなた大丈夫なんですか……?」


 アリスの声が聞こえる。

 実のところ答える気力はなかった。

 それでも必死に理性を保ち、短い相槌を打った。


「……ああ」


 脳を揺らす殺戮の衝動を押し込める。

 なんとか自我をまとめて次の手を思案する。

 敵の力について頭の中で考察する。


 まず、跡形もなく消しても再生する能力。

 さらに殺すたびに強くなり、しかしある程度経つと巻き戻される奇怪な現象。

 最後に自らの魂を生贄に捧げても、一度死ぬだけで蘇ってみせた姿。


 これらの意味について考えて、やがてアッシュは一つ仮説を立てる。

 すなわち魔王の蘇生停止条件には、損傷の程度や死因は含まれないのではないかと。


 つまり、初めから生き返れる回数は決まっているのだ。

 その数だけ殺傷しなければ、どれほどのダメージを与えても無意味なのかもしれない。

 こう考えれば跡形もなく消し飛んだり、魂を失っても蘇生したことに一応の納得は可能だった。

 そしてあの強化は、生命のストックが減った危機に対する、一時的な防衛反応だと考えられないだろうか?

 だから時間経過で強化が消えたのだ。


 もちろんこの考えに明確な根拠はない。

 けれどどんな強力な力にも、必ず条件や縛りがあるはずだ。


 それを思えば、これまでの戦いには意味があった。

 跡形もなく消し飛ばしたことで、肉体の損傷の程度では死なないと分かったからだ。

 さらに魂を削ったことで、魂の消失でもないと理解できたからだ。


 であれば、アッシュは次の条件を探るだけだ。

 この魔王の不死に本当に弱点があるのかは知らない。

 しかしそう考えるべきだった。

 ただ諦めて膝をつくのではなく、本気で魔王を殺す気があるなら。


 ……と、思ってみたはいいものの、正直不安もある。

 あれが単純に規定数殺せば、それだけで済むような相手には思えない。

 もっと複雑な条件を抱えている気がする。

 というより、すでに最悪のケースには思い当たっていた。

 だからアッシュは、その予感に基づいた言葉を伝達する。


「ミスティア、考えがある。君はアリスと二人で……異形を始末してくれないか?」


 異形の処理をミスティアに任せた。

 アリスではもう手が回っていないためだ。

 だがミスティアは、怪我を気遣われたとでも考えたらしい。


「怪我のことなら……」


 気にするなと、言おうとした声を半ばで遮る。


「違う、そうじゃない。それもあるが、魔王にあの化け物を殺させたくないんだ。あいつはアレから魂を奪っているからな」


 言いながら、アッシュは『炎剣』を付与した剣で刺突の構えを取る。

 もし魔王が来たら、狙い澄ました刺突で殺すために。


 ともかく、構えたまま言葉を重ねる。


「推測だが、魔王には死ねる回数のようなものがある。もしかすると、奪った魂でそれを回復させているかもしれない」


 直後に、シドが声を被せてくる。

 焦ったような様子だった。


「それじゃあキリがないだろ」

「ああ」


 アッシュは肯定する。

 肯定しつつ、眼前に駆けてきた魔王に渾身の刺突を繰り出した。

 突き出した刃に、反応すらできずに魔王は喉を破られた。

 さらに纏う炎で焼かれる。


 返り血を浴びながら話を続けた。


「その通りだ。だから、完全に異形との接触を封じ込める。魔王を削り切るには現状それしかない」


 魔王が死んだ。

 やはり互いの状態を鑑みれば、今はアッシュが一枚上手だろうか。

 魔物を暴走させたこちらに対し、魔王は先ほどまでの力を失っている。


 冷静に状況を見極めつつ、悶える体から素早く剣を抜いた。

 さらに、火で燃えて燻る敵を広間の床に蹴り倒した。


 損傷より回数を重視する以上、攻撃は殺すための最低限で良いだろう。

 早くも再生し始める魔王の姿を見ながら、アッシュは小さく言葉を付け足した。


「……多分な」


 それは、撤退も視野に入れたアッシュの弱気の現れだった。

 ゆらりと立ち上がる魔王の、鋭くなった構えを見た。

 ……恐らく今度の推測が外れていたのなら、その時はもう撤退するしか手はないだろうと考える。


「ミスティア、頼むぞ」


 かけた言葉は、異形の始末を頼む……という意味だ。

 ここからが本番だからだ。

 また魔王は強化され、赤い光で生贄を殺し始めるだろう。


「…………」


 だから目を向けると、彼女は頷いた。

 走り去って、異形たちを蹴散らし始める。

 アリスだけでは対応しきれていなかったが、これなら少しはマシになるだろう。


 もちろん、代償としてこちらの負担は増す。

 二人で魔王に対処するのだから。

 しかし今のノインがいれば、まだなんとかできるだろうと踏んでの判断だった。


「これからは、より多く殺す方針に切り替える。殺すのに最低限の損傷でいいことを念頭に置いてくれ。……ノイン、行くぞ」


 最後にノインに呼びかけた。

 これからは余計な消耗は避けて、最小限の傷で死なせていく。

 そんな方針を共有して、二人で魔王へと斬りかかる。


 まず、初撃はノインに任せた。

 炎の翼が揺らいで素早く駆け抜けていった。

 これは、奇しくも先ほどとは逆だった。

 今の魔王には反応しがたい速度で、彼女は一瞬で肉薄した。

 続けて、大剣を小枝のように振り回す。


 その連撃は、まるで小規模の嵐のような勢いだった。

 魔王はなすすべもなく防御の構えを崩され、大きく仰け反ってしまう。


「…………」


 ノインの想像以上の戦闘能力に舌を巻いた。

 だが手は止めない。

 アッシュは、すぐにとどめを刺そうと動き始めた。


「『偽証イグジスト』!」


 魔王の背に壁を作り出した。

 ノインの圧力に押され、退こうとする動きを阻害したのだ。

 さらに敵に鎖を投げる。

 停止したところで首に巻きつけて捕まえて、力任せにその体を引きずり寄せた。


「……死ね」


 引き寄せると同時に前に出る。

 そして交錯した瞬間に胴を切断した。

 それでも魔王は動こうとする。

 だが、シドが放った『雷杭』により頭部を吹き飛ばされる。


「助かる」


 血すら流さず、焼き飛ばされた首の断面を見ながら礼を言った。

 しかしそこでノインが張り詰めた叫びを上げた。


「アッシュ様……!」


 また立ち上がった魔王の手には、赤と黒の魔法を纏う刃が握られていた。

 強化されたということだ。


「…………」


 思えば、戦闘の序盤と比べれば……なにか違和感を覚える。

 リセットから魔法を使い始めるまでが早くなっているような気がする。

 これを好意的に捉えるなら、アッシュたちが多くストックを削ったことによる防衛反応の強化なのかもしれない。


 しかし、そこで思考が途切れる。

 もう少し考えたかったが、魔物の力の精神汚染のせいで頭が回らなくなっていた。

 ため息を吐いて、飛びそうになる意識の中でノインに語りかけた。


「今の君は強いが……慎重に、な」


 さっきは先行しすぎていた。

 初撃は任せたつもりだったが、一人で戦いすぎているように思った。

 これから強化を重ねる魔王を相手に、あの立ち回りは危険だった。

 だから、狂っていく息を押さえつけてそう言った。


「うっ、ぁ……」


 不意に頭痛がして、呻き声が漏れた。

 ……思ったよりも早く悪影響が出始めている。

 どこか他人事のように思った。

 しかし。


「!」


 息をつく間もなく、魔王が左の剣を振る。

 拷問刀から黒い刃が迸った。

 アッシュとノインは、それぞれ右と左に分かれるように動いて刃をかわす。


 そして目配せを交わして、ほぼ同時に魔王へ向けて駆け出した。

 今度はタイミングを合わせる。


「シド、援護を。風か氷がいい」


 そう伝えた。

 雷の爆発は、煙で視界を遮る。

 だからそんな要望を出すと、彼は短く了承の言葉を返した。


「ああ」


 それから、二人で左右から魔王に近づく。

 アッシュが右から、ノインが左からだ。

 すると二人の間を通るようにして、シドの魔術が駆け抜けていった。


 『氷走』を追いかけるようにして、いくらかの『氷杭』が放たれる。

 さらに氷の群れに隠すようにして、『風矢』まで仕込まれていた。

 全くの無詠唱だったところを見るに、どうやらギフトの効果はまだ続いているようだった。


「…………」


 しかし魔王は、黒の刃で魔術の群れを一息に薙ぎ払う。

 だが一撃で全てを相殺はできなかった。

 さらに赤と黒の軌跡が走り、剣が振られていく。

 双剣の剣舞によって魔術はことごとく切り落とされていった。


 だがそれでも、シドの攻撃には意味があった。

 魔王が魔術を叩き落としている間、アッシュたちには魔法が飛んでこなかった。

 つまり、近接の間合いに入ることができたのだ。


 先に刃が届く位置にたった、ノインが声を上げる。


「行きます!」


 言葉と同時に仕掛けた。

 そして、もちろんアッシュも踏み込んでいる。

 二人で挟み込むようにして強襲した。


 しかし、それでも魔王を殺せない。

 卓越した剣技で前後からの攻撃を受け流していく。

 だが状況は悪いとは言い切れなかった。

 仕留めきれなくとも、少なくとも防戦一方に追い込めているからだ。

 また、必殺の赤い刃もミスティアたちによる異形の殲滅で封じられていた。

 生贄に使う異形がもういないのだ。


「まぁまぁ手際いいじゃないですか」


 アリスがミスティアにそっけなく声をかける。

 が、本人はそれに答えなかった。

 腹を立てたのか、アリスの舌打ちが虚しく響く。


「…………」


 そんなやり取りをよそに、ノインと二人で着実に魔王を追い詰めてゆく。

 魔法を撃たせる隙を与えず、猛然と攻撃を重ねていった。


 だがもう少しというところで、ノインが崩されてしまった。

 魔王との技量の差が出たのだ。

 彼女は大剣の振り下ろしを受け流され、大きくよろめいてしまう。

 アッシュは、敵の腹に刃を叩き込んで止めようとする。

 だが止まらない。

 敵は腹を斬られながらも、捨て身の蹴りを繰り出してノインを吹き飛ばした。


「クソっ……!」


 思わず声を漏らす。

 狡猾な判断だった。

 斬るよりも蹴り飛ばすことを優先したのは、遠くに吹き飛ばすことで二対一の状況を解消するためだ。


 アッシュは一人になって、文字通り攻撃の圧力が半減した。

 そこで、隙を見て魔王が跳躍する。


「!」


 見失った。

 高く上へと飛んで行った。

 けれど、着地音によりすぐに居場所を察知する。

 そして魔王の姿を見て、アッシュは歯を食いしばる。


「……やられた」


 魔王が異形を捕まえていた。

 まるで背後から抱きしめるように、その細い首を左腕で挟んでいる。

 そうして捕らえた異形の喉に、紅く輝く処刑刀を当てていた。

 恐らくは高く高く跳躍し、吊り下げられている異形を直接捕まえたのだろう。


 生贄を止めるのは……もう間に合わない。

 脳裏によぎったのは、ストックの回復の可能性だった。

 さらに赤い魔法の脅威にも身構える。


 止めようと走り出すが、なすすべなく魔王は刃を動かした。


 しかし、それが止まった。


「『囚獄シャットダウン』」


 シドの声と同時に魔王の腕が止まった。

 続いて、彼は息が詰まったような声で語りかけてくる。


「……動きを止める……こう見えて、結構な大魔術だ」


 状況を理解した。

 彼はギフトを使い、大魔術を行使することで魔王すら完全に止めてみせたのだ。


 アッシュは走り出す。

 やがて魔王は動き出すが、手遅れだ。

 生贄に捧げる間もなく、アッシュの剣が異形の頭部を貫いた。

 殺した異形の魂を、魔王の目の前で奪ってみせる。


 するとまるで憤っているかのように、魔王が奇妙な呻き声を漏らした。


「……っ、ぉぁ」


 そのまま、両の剣で流麗な連撃を放ってくる。

 しかしそれは無駄だ。

 大振りの右の一撃が放たれる寸前、『偽証』で作った鉄の柱で腕を止める。

 剣であれば柱を切り裂いただろうが、腕を止められては斬撃を放てない。

 攻撃を中断され、敵が大きな隙を晒す。


 そして、一撃だった。

 戦線に復帰したノインが、背後から一撃で魔王の体を破壊した。


「…………」


 凄まじい勢いで吹き飛ばされ、肉塊になった敵の死体を無言で見つめる。

 続けて、ノインに視線を向けて一度だけ頷いた。

 だがそこで心臓の疼きが激しくなっていることに気がつく。

 その苦しさを、小さく咳をして紛らわした。


 早く決着をつけなければ、じきにアッシュは自我を保てなくなるだろう。


「……来るぞ」


 つぶやいた。

 知らせるため、というよりは自分の気を確かに持つために口を開いた。

 魔王をじっと見つめる。


「…………」


 白黒の視界の中、赤だけが鮮明に写り始めていた。

 あるいはそれは、血を求める魔物のさがなのかもしれない。


 再生した魔王は先程と同じく、背の左側から黒い翼を伸ばしていた。

 そして隙のない二刀の構えを見せて、こちらへと一息に踏み込んでくる。


「……速い」


 しかし見える。

 今のアッシュにはその動きが見えた。

 ノインにも確認をする。


「見えるか?」

「な、なんとか」


 答えを聞き届け、敵を二人で迎え撃つ。

 もう脆いのだから下がっていろ、などとは言えない戦況であった。

 必死に二人で食い下がっていく。


「っ……!」


 死闘だった。

 今の二人でさえ、戦況は拮抗が良いところだった。

 だが、それを崩すために『魔術師』がいるのだ。


 魔王が剣を振る瞬間に、必ずいくつもの『氷矢』が飛来する。

 敵が攻撃に意識を傾けると、防ぎにくいタイミングで援護の魔術が放たれるのだ。

 地味な手だが、魔王に対して着実にダメージが蓄積されていった。

 すると双剣の太刀筋が徐々に乱れていった。


 だがやはり魔王の剣は尋常ではない。

 再生能力があるとはいえ、損傷を受けながらも瀬戸際を守り切っている。

 どうしても攻めあぐねていると、不意にノインが視線を鋭くした。

 こちらに視線を向けてきたから目が合う。


「…………」


 一瞬だけ視線を交わすと、彼女は凄まじい勢いで突撃していった。

 アッシュもそれに動きを合わせる。


 強引に踏み込んで、大剣の一撃を叩き込む。

 アッシュも背後に回って、ほぼ同時に横薙ぎを放つ。


 だが二人の攻撃は、双剣によりいなされてしまう。

 さらに、防ぐと同時に魔王が飛び退いた。

 距離を取った魔王は、どうやら魔法を使おうとした様子だった。

 だが、シドが無数の『氷杭』を放って魔法を使わせない。


 とはいえ『杭』は当たらなかった。

 双剣が躍動し、全ての魔術が危なげなく撃墜されていく。

 しかしそこで、ノインがおもむろに大剣を投げた。


「なっ……」


 アッシュは声を漏らす。

 魔王も流石に不意を突かれたか、刃を交差して受けたがよろめいてしまう。


 すると、追撃にノインが動いた。

 炎の翼をはためかせ、半ば飛ぶように魔王の前に立つ。

 素手のままで。


「…………」


 アッシュには分かっている。

 最初からこれが狙いだったのだ。


 武器を持たない敵対者に、魔王は鋭敏に反応する。

 赤い瞳を光らせ、無防備なノインへと大振りな一撃を放とうとする。


「…………」


 彼女は静かに立っていた。

 刃を振りかぶる魔王を前に、まるで剣を握っているかのように構える。


「お前! なにしてる!」


 シドが叫んだ。

 彼から見ればまさにノインは気狂いだろう。


 だが死に至る前に、ノインの手に剣が現れた。

 アッシュが作ったのだ。

 彼女はそれを、躊躇なく振り下ろす。

 油断して、防御を捨てていた魔王には反応できなかった。


 大剣の横薙ぎで頭を潰され、力なく地面に倒れる。

 すると、ノインがこちらを向いて表情を明るくした。

 彼女はアッシュが大剣を作り出したことが、意図が伝わったことが嬉しかったのかもしれない。


 だが、まだ油断しないように伝えておく。


「油断はするな。剣を拾っておいてくれ」


 アッシュが作った剣は、質量を持つ幻のようなものだ。

 だからそう言うと、表情を引き結んで本物の方の大剣を拾いに行った。

 そして、アッシュの隣に戻ってきた。

 少し迷って、彼女に称賛を送る。


「今のは……よかった。ありがとう。だが、慎重にな」


 緩み続ける理性の鎖をなんとか抑えつつ言った。

 続けて、アッシュはシドに一つ頼む。


「シド、開幕に一撃……とっておきを叩き込んでくれ。始末できるかは分からないが、まだ強くなるのなら、手傷くらいは負わせたい」

「……分かった」


 答えた声には、もう慢心は滲んでいない。

 それを純粋に喜ばしく思う。


 やがて、すぐに魔王が立ち上がろうとした。

 アッシュはうんざりする。

 殺しても殺してもキリがないからだ。

 それと、魔王が血を流しているのも理由だった。


「……どうかしてる」


 呟いた。

 本当に、どうかしている。

 あの魔王が流す血にまで()()()()()とは。

 本当に、魔物の本能とは狂っているとしか思えない。


 そこでシドの声が聞こえた。


「幾分小規模だが……『崩雷ジェノサイド』を使う。ノイン、お前なら分かるだろ。魔王に近寄るなよ」


 詳細不明の魔術について語られた。

 するとノインはわずかに顔を青くする。

 アッシュの腕を引いて、なぜか必死に下がろうとする。


「…………」


 特に近づきたいでもなかったので、素直に彼女に従った。

 知らない魔術だが、恐らくは危険なのだろう。

 しかしどこかで、遠目にでも見たことはないのだろうかとも考える。

 だがもう深く物事を考えることができなくて、思い出すのは断念した。


 そして、アッシュたちが十分に距離を取った瞬間。

 再生する魔王の頭上に、見たことがないほどに巨大な雷の球が生成される。

 息を呑んだ。

 これが『崩雷』の正体なのかと思っていると、その雷球からとめどなく巨大な魔力の槍が降り注ぎ始める。


「これは……」


 確かに、危険だ。


 槍が降り注ぎ続ける。

 それらは地に衝突するたびに地面を揺らし、爆風と衝撃、閃光を撒き散らす。

 破壊の余波が絶え間なく吹き荒ぶ。


 もっと速く使ってほしかったと思うが、恐らく『薄氷』と同じく、簡単に扱えるものではないのだろう。

 納得して、降り注ぐ雷の雨の中に意識を集中する。


 そしてやがて雨の勢いが弱まり始めた時、シドが鋭く合図の声を上げる。


「今だ! 行け!!」


 ほぼ反射で、アッシュとノインは走り始める。

 爆発により煙が立ち込めているのは良くなかった。

 しかしこれもすぐにシドが晴らしてくれる。


「…………」


 急速に開けていく視界の中、アッシュは爆心地にいるであろう魔王の姿を探す。

 敵はすぐに見つかった。

 生きてはおらず、焼け焦げた死体の姿になっていたが。


「死んで……」


 足を止めたアッシュの隣で、同じく足を止めたノインが何かを言おうとする。


 しかしその言葉は、最後まで語られる前に凍りついた。

 魔王がかすかに動いたからだ。

 焼け焦げてなお剣を離さぬ指が、確かにぴくりと動いた。


「シド。また『崩雷』を撃てるか?」


 返ってきたのは沈黙だった。


「…………」


 納得したアッシュは、短く言葉を重ねる。


「すまない。なら……援護を頼む」

「了解した……」


 返すその声は悔しげだった。

 だが、彼はまだ子供だ。魔力も育ちきっていない。

 むしろよく、これだけの大魔術を立て続けに行使してくれたものだと思う。

 しかしそれでも、悔しそうにしている。


「う……ああ、アアアアアアア! ガァァァァァァァッッ!!! アァァァァァァァァッッッッ!!!」


 完全に再生した魔王が咆哮する。

 すると左の翼が大きくなった。

 それだけではなく、魔王の体を赤黒い魔力が覆っていく。


 ……いや、あれは既に、覆ったなどという生ぬるいものではないのだろう。


 恐らくは溢れているのだ。

 最早、魔力が肉体に収まりきれないのだ。


「ひっ……」


 ノインが、怯えるような声を漏らしたような気がした。

 今しがた聞こえるようになった幻聴がちょうど重なったので、実のところ定かではなかったが。


「…………」


 毒々しいまでに強まった紅蓮の光と、一切の光を絶ち切る黒の闇。

 魔王は、対象的な力を纏う二刀を十字のように交差させた。

 それから深く腰を沈め、低い姿勢で改めて剣を構え、力強く地を蹴って走り出す。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ