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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
一章・偽りの英雄
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六話・封印官(1)

 


 とつとつと足音が聞こえて、それからドアが開く。

 木製のドアから顔だけを覗かせたアリスは、瞬く間に顔をしかめた。


「ごめんなさい、入らないでほしいです」

「分かってる」


 自分でもなんとなく分かるが、恐らく今のアッシュはかなり血なまぐさい。

 その主張は正当だった。


「あなたの部屋に行きましょう」

「ああ」


 それから扉はばたりと音を立てて閉まり、アッシュは隣の部屋、つまりは自室とされた場所へと移動した。


 部屋に入る。

 空き部屋を割り当てられたのだから当然とはいえ、部屋の中は殺風景なものだった。

 だが、物はないがよく手入れされている。

 床もよく磨かれ、白の壁にはシミ一つない。

 装飾は、壁にかけられた青地のタペストリーくらいだろうか。

 壁にはめ込まれた鎧戸から月光が差し込んで、タペストリーの中の猛々しい老犬を照らしている。

 そして家具は机とその上のランプ。

 机の前の椅子。

 ベッドにクローゼット、あとは剣を立てかけるためと思しき台座が設置されている程度だった。


「入りますよ」

「ああ」


 アリスは入るなりきょろきょろとあたりを見回す。

 自室と何も違わないだろうに……と、思いながら杖を持った彼女を一瞥する。

 そして、それから床に腰を下ろして、手袋以外の上に着ているものを脱いだ。


 アリスもすたすたと歩いてベッドに腰掛ける。


「じゃ、始めましょうか」

「頼む」


 彼女は杖を持ち直して、その先端を座り込むアッシュの背の、丁度心臓の位置に押し付けた。


 そして、その杖が触れる背の左肩のあたりには魔術のルーンが刻んである。

 種類は二つで、片方は真円を描く『器』の基礎ルーン。

 さらに、ひしゃげて折れた塔のような形の『貪る者』の組み合わせだ。


 これらが全ての線の比率、深さに至るまで正確に刻まれている。

 そして体を巡る魔力によって魂を喰らうという効果を発動し続けたことで、二つのルーンはもう体内の魔力の流れに組み込まれてしまっている。

 だから、たとえ肩ごと腕を失おうとも効力は消えないだろう。


「ベッドか椅子か、もっと他の場所に座ればいいのに」


 そう口にするアリスに、地べたのアッシュは素っ気なく言葉を返す。


「泊まりもしないのに汚すことはないだろうと思って」

「なるほど」


 彼女は、人差し指を斜めに立ててうなずいた。

 そしてそんなやり取りのあと詠唱を始める。


「いと高きところにおわします月の瞳よ。どうか悪しきものを遠ざけ、貴い影を仰ぐ仔らに慈悲をお与えください。穢れを取り去り、全ての咎を沈めてください。我らここに魔力を捧げ、あなたの形をはんとします…………」


 唱えるのは教会のものである聖典詠唱で、なおかつ封印の術として知られる魔術である。

 そしてそれは魔物の侵食を抑えるための手段であり、故に彼女は封印官なのだ。


 だが少しすると詠唱の調子が変わる。


「背く者を穿つ加護の矢を」

「殺す気か」

「目の前の快楽的殺戮者をドブに沈めてください」

「……真面目にやってくれ」


 最初のは聖典における『射手』の詠唱で、次のはよく分からないが……恐らくはただの悪態である。


「あのね、私を延々詠唱続けなきゃならんようなヘボと一緒にしないでくださいよ」


 居直ったか、アリスは妙に偉そうになる。

 アッシュの背に触れている杖をぐりぐりとねじりながら押し付けた。

 そんな彼女に苦り切ってアッシュは頭をかく。


「…………」


 杖とは触媒の中でも最も柔軟で強力なものである。

 アッシュのメダルのようにあらかじめ形を刻んだものとは違い、杖の先端にある触媒を介して任意の形を形成することができる。

 そして訓練された使い手なら詠唱もなしに簡単な魔術を使ったり、難度の高い魔術でも短縮した工程で行使したりもできる。


 なので熟達の魔術師なら軽く詠唱して後は適当に維持、のような事も確かに可能ではあるのだが……それにしてもあんまり雑な気もして納得しがたい。


「…………」


 しかし言い返す言葉も特に見つからないので黙り込む。代わりに、前々から少しだけ気になっていた問いを投げかける。


「……君はどうして喪服を着ているんだ?」


 仮の宿とは言え、自室の中にいても喪服で過ごしているのだ。

 年中鎧姿のアッシュが言えた義理ではないが、少しばかり変わっている。


「んー、気になります?」


 思案するような声で言うアリスの杖が、くすぐるように背を這う。

 アッシュにとっては封印は命綱だった。

 だからふざけないでほしいと思ったが、口は下手なので無視して続ける。


「……別に、気になるというほどではない」


 事実、そこまで気になっていた訳ではないから正直に言う。

 するとアリスは鼻で笑って拒否した。

 ひねくれ者なのだろう。


「なら教えない」

「そうか」


 それからは二人とも話すこともなく夜に相応しい沈黙があたりを包む。

 親しくもなければ特にそうなるつもりもない二人なので、それはそう気まずくもないことだった。


「…………」


 魔物とは魔獣とは異なる存在である。

 つまり、通常の生物が魔力の過剰摂取を通じて変異した怪物だった。


 その、魔力の摂取で一番身近なのは、おそらくは魔力の回復だろう。

 人間は魔力を使う。

 その後、大気中にただよう魔力を取り込み、消費した分を回復している。


 しかし、実は魔力を使用しなくても生物は少しずつ魔力を取り込んでいる。

 だから、大気中の魔力濃度があまりにも高いと魔力を過剰に取り込んでしまうケースがある。

 それにより歪な進化を遂げたものが魔物と総称されるのだ。


 歪な進化について語るのなら……まず、明らかなのは食料の変化だろう。

 魔物は過剰に取り込んだ魔力を消費するために、栄養の代わりに魔力を消費して生きるようになってしまう。

 最初は食事の量が減る程度だが、魔物化が進んでより栄養に依存しなくなると、大気からの吸収だけでは生命を保てなくなる。

 するとその魔物は凶暴化して他の生物の血をすすり、その血の魔力を直接奪って生き永らえ始める。


 そして、魔物であるアッシュも食欲の減退はよく感じていた。

 食べてもあまり感動のようなものはなく、ただ自分を人につなぎとめるために栄養をとるような意味合いが強くなっていた。


 だがそんなことより、人につなぎとめるために最も必要なのが封印だった。

 なのて彼女の仕事は、アッシュにとって本当に大切なことだった。


「終わりましたよ」

「……ああ」


 魔物のことについて考えていたので、少しだけ返事が遅れた。

 しかしいつものことながら体が動かない。

 恐らくはすでに半身である魔物を封印したことが影響しているのだろう。


「服着たらどうです? って動かないんでしたっけ。…………それなら今だったら簡単に殺せたりしそうですね」


 その言葉がどこか真剣で、殺される理由に心当たりもあるから嘘でも動くと言っておく。

 実際動かないことはないのだ。

 這う程度なら。


「一応動くが、少し気分が悪い。それに、動かない方が回復が早いからな」

「ふーん」


 弱々しく掲げた腕を握って見せながらそう言うと、つまらなさそうに答えて背後でベッドに倒れ込んだ。


「帰らないのか?」

「もうすこし観察が必要だと思って。観察、研究、それから殺害。ついでに埋葬」

「勘弁してくれ」


 そこそこ真剣に口にすると、アリスは楽しげに続ける。


「葬式はどんな形式が好みですか? 喪主兼神官役はお任せください。いつでも喪服ですし、準備万端です。というかむしろそのための喪服だった」

「殺されてやる気はないぞ」


 アッシュが語気を強めても、アリスはお構いなしだった。


「いや、どうしましょうかね。スタンダードに聖教国(うちの国)式? それとも東国の鳥葬がお好みですか? まぁ昨今では魔獣葬になりそうですけどね。でも死んでも大好きな魔獣と一緒ならいいじゃないですか。それに多分、あなたを食べたら食当たりしますよ。死んでも一矢報えますよ」

「…………万が一死んだら魔獣葬で頼む」

「やっぱりぶっ壊れてますね、あなた」


 べらべらとまぁよくも悪態が続くものだと半ば感心しながら、うんざりしたアッシュはため息を吐く。


「楽しそうでなによりだ」

「ええ、とっても楽しいですよ。この街も気に入りましたし」

「それもよかったよ」


 アリスは通常の神官とは異なる非常に特殊な身分だ。

 まず、彼女は稀有な才能を持った魔術師である。

 具体的に言えば、世界で唯一の召喚術の使い手であり、希少な空間魔術の使い手であるのだ。


 そして次に、彼女には恐らく人としての権利がなにもない。

 それも、きっとかなり前からそうなのだろう。

 彼女はまるで、聖教国では廃止されたはずの奴隷のように自由意思を許されないまま生きてきた。


 その原因はアリスの首につけられた首輪。

 すなわち『隷属の首輪』と呼ばれる魔道具である。


 魔道具とはそれ自体にルーンが刻まれた道具のことだ。

 ルーンがすでに完成しているため、一定の魔力を注げば効果を発揮することができる。

 そして、この首輪には『支配』と重ねていくつかのルーンが刻まれている。


 この首輪をつけられた者は、対となる『支配の腕輪』を持つ者の言葉に逆らえなくなる。

 逆らえば激痛が走り、反抗の意思はなすすべもなく削られる。


 だが支配の腕輪の効果は声の範囲のみと限定的であり、たとえ「耳を塞いではいけない」と命令していたとしても少々使い勝手に欠ける。

 そこで「逆らってはいけない」と命令した相手を多く配置し、彼らを予備の主とすることで完全な支配を実現するのだ。


 そしてアッシュもアリスに命令できる人間の一人だ。

 この行為に思うところがないわけではないが、封印官であり貴重な人類の戦力でもある彼女を手放すことはできない。

 だから、アッシュは彼女になにか情けをかける気はなかった。


「自由に外出したことなんてありません。ずっとずっと檻の中ですよ。私はね、ほんとにずっとそんな風にして生きてきたんですよ。……外に出られて、感無量というものではありませんか?」


 随分としおらしい声だが、これは恐らく演技だろう。

 これでアッシュの腐り果てた良心が痛むとでも思っているのだ。


「俺は君が魔獣を蹴散らしてくれるのなら後はなんだって構わない。……支度金も、好きに使うといい」


 突き放すようにそんなことを言うと、アリスの声がばつの悪そうなものに変わる。


「ああ、気がついてましたか……。へぇ……」


 一応勇者であるアッシュには支度金と銘打って軍の方から相応の金銭が支給されている。

 都合がいいからと空間魔術による収納が可能なアリスに預けておいたが、使い込まれることは織り込み済みだった。

 むしろ、一銭も使わないアッシュに持たせるよりは良いだろうとさえ思っている。


 彼女に持たせておけば少なくとも経済が回る。


「まぁ、構わないならいいんですよ。私はもう帰ります」


 そそくさと身を起こして、彼女はそんなことを言う。


「枕裏返しといたんで嗅いでも女の子の匂いはしませんよ。それじゃまた」

「ああ、またな」


 アリスが足早に立ち去るのを見届けたあと、しばらくしてようやく身体が動くようになったことに気がつく。


「…………」


 だから立ち上がり、装備を身に着けながら思う。


 アリスがアッシュを殺せば彼女の近くにはもう彼女を縛る者はいない。

 上手く行けば、そして事前に与えられていた命令に穴があるなら逃げ出すことも可能になるだろう。

 だから殺したいと思うのはよく分かるが、それでも大人しく殺されてやる訳にはいかなかった。


 アッシュにはまだやるべきことがある。


 鎧を身につける手を止めて、戯れに長手袋を外してみた。

 常に隠している右腕は醜く痛々しい火傷で覆われている。


 変わることなく。

 多分これからも、ずっと。


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結局魔獣はなんなんだ
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