三十八話・なれ果ての剣を
「それは、その……私、煽り過ぎたんです。…………本当、ごめんなさい」
アッシュは驚いていた。
今回の討伐においては、あらゆる事態を想定してきたはずだったが……それでも、こんなアクシデントが起こるということに。
たとえば、突然書庫の床が抜けると考えぬように。
作戦において、落雷の懸念を考慮しないように。
ないと思っていたのだ。
魔王が自ら、外に出て戦うことなど。
「…………はぁ」
ため息を吐く。
何が起こったのかは分からないし、アリスが悪いとも思わない。
それでも、理不尽な現実にため息を漏らす。
「仕方ない。やろう」
ただいつまでも浸るようなことはない。
魔王の出現は感知できていたので、即座に行動を開始した。
山刀を抜いて、左手に構えて歩く。
「まず、できる限りの準備をしたい。策は戦いながら考える」
魔王戦に向け、色々と下ごしらえを続けてきた。
その大半は無に帰したが、使えるものも残ってはいた。
だから、細かい作戦はそれを形にした後でもいい。
全員の前に出て、足を止めた。
「キメラ、例の仕込みを頼めるか?」
「はい。すぐに!」
キメラが答えた。
廊下を横切り、ゴーストと共に書庫の一室へと駆け込んだ。
それを見届けながら、アッシュは『偽証』を使って廊下に足止めの障害物を造り続ける。
また、敵は盲目なので有効そうなトラップも織り交ぜた。
「クソ、なんだよ。なんだよ。なんだよ! 作戦……沢山あっただろ……! せっかく、用意してたのに! なんで今来るんだよ……!」
青ざめて、シドがそんなことを言う。
完全にうろたえている。
ノインが笑ってその肩を叩いた。
「詠唱をしましょう、シド様!」
「っ……ああ、もう分かったよぉ!」
やけくそ気味にシドが応じて、弱音を吐くのをやめた。
ノインは怯えてはいないようだった。
肝が据わったのもあるだろうが、あまりに意味不明なことが起こるから、もう馬鹿らしくなったのかもしれない。
そこに、サティアが声をかける。
「魔力回復薬よ。……ある分だけ、用意したわ、ケースに入ってる」
金属の箱を抱えてサティアが言った。
ノインへの言葉だ。
「ありがとうございます。持たせておきますね」
ノインは、ハーピィの死体を操ってそのケースを持たせる。
魔獣なら魔王にも狙われにくいし、必要とする者の元へと飛んで行けるからだ。
「飛んで」
そう語りかけると、ハーピィは空へと舞い上がった。
箱を抱えたまま、巻き込まれない場所で滞空する。
「あの……あの、あのぉ、本当に、本当に、ほんっとうに……ごめんなさいぃ…………」
アリスが声を上げた。
少し震えながら、泣きそうな顔で謝罪をしている。
やはり彼女が悪いとは思っていなかったので、短く言葉を返しておいた。
「いいよ」
それで、ようやく彼女も動き始める。
半泣きで、頭から突っ込む勢いでテントに入って行った。
杖を取りに行ったものと思われる。
「ねぇ、ことによると……これ、有利になったってことはない?」
サティアが言った。
障害物やトラップを用意しながら、無言で先を促す。
「敵は、書庫を壊すことができない……なら、部屋の中に隠れれば、相手は何も、できないでしょう?」
その可能性はアッシュも考えた。
破壊不能の室内に隠れて戦うことは。
しかし、おそらくそう簡単ではない。
手早く考えをまとめて答える。
「もし壊せないなら、魔王は外に出られない。あの扉は、獣化した状態で通れる大きさではないだろう?」
ついでに言うのなら、なにか破壊音がしてから魔王は出てきたのだ。
要は庭の入り口か壁を壊して出てきた可能性が高い。
暗にそう伝えると、サティアはくつくつと笑いを漏らした。
「なるほど。しかし、アリスったら……どんな煽りを、入れたのかしらね?」
法則が曲がるほどに怒らせたのがおかしいのかもしれない。
呑気に笑う彼女には共感する気になれず、アッシュは軽く受け流しておく。
「さぁな」
と、言ったところで。
巨大な魔力が近づいて来ていると分かる。
続いて重々しい足音が聞こえた。
すでに近くまで来ているらしい。
「キメラ、まだか!」
アッシュは声を張った。
廊下の向こうにもう魔王の影は見えている。
怒りのままに障害物を引きちぎりながら進んでいた。
なので要であるキメラを呼ぶと、声が返ってくる。
「あと少しです!!」
時間稼ぎが必要だと判断する。
アッシュは障害物の生成をやめて、『偽証』で灰を生み出した。
右腕を運用するための準備である。
それをしながら、アッシュは暫定の作戦を伝えておく。
「サティア、俺はここで戦おうと思う。移動はしない」
「どうして?」
「ほかの衛兵に、鉢合わせたくないからだ」
移動して、衛兵に会えば完全体の魔王が衛兵を引き連れることになる。
それだけは避けたかったのでそう言った。
すると、すぐに飲み込んでサティアが頷く。
「分かったわ」
「ありがとう。……俺は少し、時間を稼いでくる。ここは君に任せた」
十分な灰が作れたのだ。
前に出ようとすると、ちょうどアリスが戻ってきた。
走ったのか、少し息を切らしている。
「援護します……!」
「ああ、頼んだ」
短い会話のあと、肩に影の蟲が這う。
アッシュは黒炎を使い加速した。
一瞬で魔王の前に出る。
「……『焼尽』」
さらに加速し斜め上に飛び上がる。
すれ違いざま、左脇に刃を入れた。
背後、上空から黒炎の弾丸を放つ。
「避けるか」
魔王は弾丸を避け、アッシュに向き直ってきた。
それからふと山刀を見ると、無惨にも刃が溶けている。
敵が纏う炎の魔法に焼かれたか。
「…………」
空中で、落ちながら魔王を観察する。
その姿は、身の丈四メートルほどの獣人である。
直立したシルエットは人に近くも見えるものの、近づけばすぐに誤解は解ける。
まず目を引くのは、異様なまでに隆起した筋骨だ。
骨格に力を無理やりねじ込んだかのような肉体は、生物としての均衡を完全に逸脱している。
だが、それすら些細な問題に過ぎない。
細部へと視線を走らせれば、底の知れない醜悪さが次々と露わになる。
闇に溶け込む黒の獣毛、その奥に覗く肌はくすんで爛れた病の温床だ。
さらに顔貌も醜く、獅子と猿を無理やり合わせた形に、殺意を研ぎ澄ましたような鋭牙が並んでいる。
加えて、盲目の眼窩は手荒く抉り取られたかのように、赤く虚ろで。
直視すれば、正気が削れるような悪寒が背筋を這い上がる。
だが。
なにより歪なのは、両腕だろう。
過度に肥大した筋組織は、魔王の巨躯にすら不釣り合いなほどで。
しかも、腕の先……その手だけは獣のものではなかった。
腕よりもさらに大きい、真白い人形の掌が不格好に縫い付けられているのだ。
あるいは、それだけでも人の形を偽ろうとしたのか。
真意は分からない。
ただ、その存在のすべてが狂い、歪み切っていることだけは確かだった。
邪悪に満ちたおぞましい姿で、獣の魔王は燃え盛る真紅に抱かれ、吠える。
「……黙ってろ、害獣が」
鼓膜が破れんばかりの声量に悪態をつく。
アッシュは空中で黒炎を操り、機動した。
直後、立っていた場所が赤い波動に呑み込まれる。
「っ……」
召喚獣の目を通しての感覚とはまるで違う。
空間を削り取られる、という超常は肌が粟立つような危機感を掻き立てる。
ぞっと背筋を凍らせていると、影の蟲を通じてシドの声が聞こえた。
『二層魔術『天弓』』
雷に覆われた氷の矢だ。
しかも数が多く、追尾までする。
廊下を曲がりながら氷雷の雨が降り注いだ。
魔王は反応こそしたものの、その動きが止まる。
『……アッシュ様、あたしも手伝います』
ノインの声だ。
見れば、炎の中位魔獣……メダクを宿したオークたちが、魔王の足にしがみついている。
炎の中位魔獣であれば、魔王の炎にもある程度は耐えられるようだった。
シドの魔術が命中し、魔王は血を噴き出して咆哮する。
「いい援護だ」
大気を揺らすような悲鳴の中、感謝を伝えた。
それからアッシュは次の方針を伝える。
「これから、俺は距離を取って戦う」
その意図は、敵に魔法を使わせるためだ。
逃げ回って黒炎で射撃戦を挑めば、敵も炎の魔法を使う。
もしそうなれば、炎が効かないアッシュには有利だ。
それだけで倒せはしないが、時間稼ぎはできるはずだった。
と、いうことを伝えるとサティアから返事が来る。
『了解。あなたが一番速いから、そこは任せるけど……こちらでも、支援はするわ』
「ああ、十分だ。敵の足を鈍らせてくれ」
これは一時の遅延でしかない。
アッシュに炎が通じないと分かるまで、それまでの時間を稼ぐ。
「『焼尽』」
右腕の力を使った。
高速機動で縦横無尽に跳ね回りながら、危機感を煽る程度に黒炎を放つ。
その間、サティアが音操作で支援してくれた。
アッシュの音を全て消し、別の場所で音を立てる。
盲目には効く撹乱だろう。
さらにそれだけではなく、ノインが血液を操っていた。
魔力を含む血液をちらつかせて、敵の魔力感知を鈍らせているのだ。
そしてこのおかげで、ずいぶん動きやすくなったことが分かる。
廊下を埋め尽くす規模の火炎を平然と受けて、アッシュは黒炎の弾丸を放った。
命中する。
しかし。
「……流石に、硬いな」
歯噛みした。
黒炎は確かに魔法の鎧を破り、魔王の肉を貫いた。
しかし肉体の靭性が異常で、針ほどの穴しか開けられなかった。
そんな傷では、瞬く間に塞がれてしまう。
『焦っちゃだめよ。時間稼ぎだからね』
サティアが言った。
手短に答える。
「分かってる。大丈夫だ」
それから、一分ほど時間を稼いだ。
敵は魔法を乱れ撃ったが、ことごとくアッシュには通じない。
シドやアリスの援護も加わり、危なげなく生存することができた。
しかし。
それでも限界はある。
魔王が気がついてしまったのだ。
アッシュに魔法が効かないことを。
「――――――――ッッッ!!!」
一層強く叫び、魔王が地を蹴った。
書庫の床が粉々に砕け散る。
異常なほどの速度でアッシュに近づいてくる。
「速い……!」
決戦時のミケリセンに迫るほどの速度だ。
つまり、今のアッシュでは対応できない。
空間削りの右腕が唸る。
「もういい、下がりなさい」
しかし、危ういところでサティアが間に合った。
竜化して槍を振るい、魔王の腕を上手く逸らす。
さらにアリスの竜が足に食らいついた。
アッシュの左、ほんの数センチ先の空間が削れるも……無事で済んだらしい。
「みんなで戦いましょう」
「……まだ」
「いいから。魔法を……使わなくなっただけで、十分だから」
そうだ。
彼女の言う通り、今の撹乱は魔法を封じる布石でもあった。
この狭い廊下で炎の魔法を撒き散らされれば、アッシュ以外は簡単に死ぬ。
無駄と思わせることで使わせない、あるいは頻度を減らすことが必要だった。
『アッシュ様! 戻ってきてください!』
ノインの声が聞こえた。
同時に、五体ほどのハーピィの死体が飛来する。
それらはリザードマンやワーウルフを抱えていた。
接近したところで、その死体が魔王へと飛びついた。
焼かれ、崩れた瞬間に……爆薬に引火して魔王が顔を背ける。
「…………」
したたかな手だった。
ミケリセンから学んだのだろう。
彼女はいつも必死に学び進もうとする。
苦悩しながらも前に進む姿には、勇気には、いつも眩しさすら感じていた。
「……分かった。そちらに戻る」
黒炎を使って機動する。
サティアは今のアッシュほど速くないので、歩幅を揃えつつ撹乱をした。
敵の動きは飽きるほど見ていたので、二人ならなんとか、猛攻をかわしながら進めた。
さらにアリスからの支援もある。
巨大な吸血蝿が無数に飛び交い、魔王の意識を上手くそらした。
こうした支援を活かして、サティアと共に後方まで戻る。
「流石に、強い……わね」
かすかに息を乱しながら、サティアが言った。
金色の瞳は、危機にあてられてか瞳孔が開いている。
答える間もなく魔王が突っ込んできて、日輪のように巨大な火球を解き放った。
「!」
ほぼ予備動作なしで、ここまでの炎を放つとは。
アッシュは即座に前に出る。
黒炎の弾丸で魔法を撃ち抜いた。
手前で炸裂させられたが、余波までは防ぎきれない。
ハッとして背後に振り向く。
直後、冷気が吹き荒れた。
「舐めるなよ……魔王! 余波程度で、殺れると思うな……!」
シドだ。
ギフトを使ったか、金色のオーラを揺らめかせている。
詠唱を破棄して極大の氷雪魔術を出したのだ。
シドの魔術が、火球の余波を完全に払い除けた。
サティアが賞賛の言葉をかける。
「見事ね! お薬も……ジャンジャン、使っていいわよ!」
「ああそうか! ありがとな!」
魔力回復薬を受け取りながら、やはりやけくそ気味にシドが答えた。
戦闘を継続する。
そしてアッシュは、少しずつ動きを最適化する。
他の人間がどう動いているのかを見る。
「…………」
それぞれが何が得意で、何が苦手なのかを思い起こした。
自分がどう動けば完璧になれるのかを導く。
それでようやく、生存が安定し始める。
連携の練度が上がり始めたところで、ちょうどキメラの声が聞こえた。
「できました、完璧です! 勝ちましょう!!」
キメラが入っている部屋に目を向ける。
ドアをこじ開けるようにして、次々と上位魔獣の死体が出てきた。
それらは全て特別性だ。
炎の中位魔獣を六匹、氷の中位魔獣を二匹、それぞれに体内に飼っている。
炎の魔法に適応して生存できるだろう。
そしてさらに。
ダメ押しの切り札がやってくる。
部屋の中から肉塊が投げ入れられた。
地下の隠し書庫にあった沢山の椅子や机に覆われた、異様な形の肉塊である。
それを見てアリスが苦笑した。
「……来ましたね。外道・元カレ・痴話喧嘩戦法」
その言葉の意味は分からない。
すっかり元気を取り戻しつつあることだけは分かった。
しかし。
ともかく、その肉塊は再生を始める。
「――――――ッッ!!!」
魔王が吠えた。
まるで、憎悪と恐怖をないまぜにしたような声だ。
狂乱する獣の先で、肉塊は急速に形を取り戻す。
「…………」
まず、手足が生えた。
復元した胴に鎧が、罵詈雑言を記した鎧が張り付く。
首無しの身体が立ち上がった。
空間がひずみ、そのひずみに手を突き入れる。
折れた剣を引きずり出した。
最後に潰れていた頭部が再生し、醜い黒ウサギの顔が露わになった。
そう、これは……例の黒ウサギの騎士だ。
椅子や机が体に食い込んだ状態の。
この書庫の全てに仇なす、裏切り者の騎士。
「仕上げです。寄生体を起動します」
その言葉と同時。
あらゆる属性の、ありったけの寄生体が起動する。
騎士の不死性を鑑みて、負荷は一切考えていない。
混沌の魔力に包まれた騎士は、さらに変化した。
内からあふれ出た触手が、身体に食い込んでいた椅子などを絡め取る。
そして、首の周り……すなわち、唯一の弱点の周囲へ、破壊不能オブジェクトを厳重に固定したのだ。
「さぁ、これでっ! 不死身にっ!!」
改造マニアの血が騒いだか。
キメラが誇らしげに、高ぶった声で叫んだ。
魔王を見つけ、黒ウサギの騎士が吠える。
残り全ての寄生体を身に宿し、キメラの支援と改造をも受けたのだ。
その動きはすでに、以前とは比にならない。
まさに、最強の刺客だ。
「―――――ッッ!!」
呪わしい咆哮と共に。
騎士は異次元の速度で駆け出した。
それは奇しくも、かつて勇者になろうとした幻影だ。
書庫を去り、成れずに、堕ち果てた黒いウサギが。
その折れた剣を、高らかに、獣の魔王へと振りかざした。




