二十一話・シリアルキラー
身体の違和感は走りながら調節する。
ぼやける思考を無理矢理に意思で埋め尽くす。
そうしている内に、やがて黒い魔力はアッシュの全身を覆い尽くした。
万全とは言い難いものの、ある程度の力を取り戻す。
そうして夕暮れの街を駆け抜けて、ダンに言われた辺りに辿り着く。
が、探すまでもなく惨劇の中心はすぐに分かった。
無惨にも斬り殺されたいくつもの死体、死体、死体。
兵士のもの女のもの子供のもの男のもの……その数は目に入るだけで二十を軽く超えていた。
無数の死体を前に立ち尽くしていると視界の端に何かが飛び込んでくる。
咄嗟に後ろに下がりその飛んできた物体を注視した。
「…………」
それは、人の頭部だった。
恐らくは若い女性のものであっただろう首は、およそ人間の所業とは思えないほどに冒涜され尽くしていた。
本来眼球があるべき場所には誰のものとも知れぬ指が何本も何本もねじ込まれ、口には顎が外れるほどにぎっしりと潰れた眼球が詰め込まれている。
花飾りのようにして頭に臓物が巻かれ、鼻を削ぎ落とした傷が紅い線のように刻まれていた。
アッシュにとってさえそれは見るに耐えない光景だった。
だから首から目を逸らし、投げた者の方へと目を向ける。
すると視線の先にはにやにやと笑う一人の男が佇んでいた。
「よぉ、中々いいオブジェだろ?」
夕日を背にくつくつと笑うそいつは、左手ですでに動かない血まみれの男を引きずっている。
色あせたジャケットも浅黒い肌も何もかもを血に染めて気持ち悪い笑みを浮かべている。
「ノルト……!」
ノルトはぐったりとした男を地に倒し、剣を抜いてそのまま突き立てる。
何度も何度も突き立てる。
「人間様の真似だ。げーじゅつって言うんだろ? 知ってるぜ。まぁ、別に楽しくもないんだが。……あ、でも、顔は笑えていたよな?」
言葉の意味はあまり分からなかったが、目の前の男が生きていてはならないということは十分に伝わった。
だからアッシュは何も言わずに剣を抜きノルトへと肉薄する。
「死ね」
一言だけ言って、人間には避けようのない速度で剣を振り下ろす。
が、しかし。
「おいおい、随分トロいな。……へばったか?」
剣が受け止められた。
信じられなかった。
ただの人間なら、どれだけ鍛え上げようが絶対に受け止められない一撃をいとも簡単に受けて見せた。
「っ……!」
だが予想外ではあっても動揺して隙を晒すほど柔ではない。
すぐに剣を引いて同じく構えていたノルトと打ち合う。
「いいねぇ。殺戮ってのにも飽きてたんだ。練習の成果を見せてやるよ」
そのまま数合斬り結び、剣を弾いたアッシュは首を狙って斬撃を放つ。
しかしノルトは首を引いて軽くかわした。
同時に蹴りの反撃を繰り出してくる。
アッシュは身をそらして避けて、その足にほんの少しだけ左手で勢いを足した。
するとノルトは声を上げて体勢を崩し、そのまま地に伏せる。
「うぉっ……!」
身体能力には驚かされたが、練度は決して高くない。
這いつくばるノルトに剣を振り下ろす。
すると相手も剣を出して盾にするが、アッシュからしてみればそちらこそが狙いだった。
そのまま思い切り剣を叩きつけ、ノルトの剣を砕く。
ただの鉄剣が、人外の力の領域でそう長く持つはずもない。
アッシュは剣を破壊し、そのまま敵の胸に刃を刺そうとした。
ノルトはなんとか身をよじって逃げようとしていたが、その程度の抵抗は問題にならなかった。
続く一撃で、容赦なく心臓を狙って剣を突き立てる。
が、アッシュはまた驚かされることになった。
ノルトの胸に剣が刺さらないのだ。
「…………!」
突き立てたはずの剣はジャケットの奥で止められた。
一寸たりとも動くことはなく、ただ込められた力にかたかたと震えるのみだ。
「……一つ、嘘をついてたな」
軋むような、音がする。
「俺は、もうノルト=セティアスじゃねぇし、人間でもねぇ」
表皮が引き裂かれ、現れる黒の甲殻。
骨格が醜く変形する。
そして溢れ、溢れ、溢れ、満ち溢れる脳髄。
「…………!」
見覚えがあった。
「お前……魔獣……?」
「半分は当たりだ」
突き立てていた剣が掴まれる。
そして強い力で押し返される。
「なっ……!」
なすすべもなく剣を持ち上げられ、がら空きになった胴に蹴りが一撃。
吹き飛ばされ、軽く咳き込んだアッシュは呆然とノルトを見る。
なんだこいつは?
魔獣のような人間。
いや、人間のような魔獣だ。
「…………」
しかし、ノルトが魔獣だったのなら全てに説明がつく。
警備隊だけが皆殺しにされていたという件も殺人鬼の話もなにもかも。
こいつはロデーヌを追い詰めるために難民を増やし、そしてアッシュを陥れるために殺人を犯したのだ。
そしてそればかりではなく、今日の救出作戦だって仕組まれたものなのだろう。
つい先日のレイスの報告ではそんなものは聞かなかった。
であるならば、ノルトが何かをして助けに行かなければならない状態を作り出した。
それでアッシュとアリスを、戦力を分断してみせたと考えるのが自然だった。
だが言葉を操り人並みに企みを張り巡らせる。
そんな魔獣は見たことも聞いたこともなかった。
「お前は……なんだ?」
アッシュの問いに、ノルトは嗤う。
「俺か? そうさな、俺はお前の敵だ」
そう言ってノルトが右腕を振ると、手の先からまるで剣のような骨が表皮を突き破り現れる。
「さぁ、第二ラウンドと行こうか」
地を蹴って先程とは比較にならない速さで接近してくる。
そして振り下ろされた異形の右腕をアッシュはいなす。
が、その一撃は、衰弱した身体にとってはあまりに重かった。
「…………っ!」
受け流しながらも、わずかに体勢を崩した。
さらに追撃が重ねられる。
左胸、心臓への突き。
続けて足を狙った斬撃。
流れるように繋げられた斬り上げ。
そして、隙間を縫って放たれた左手の裏拳。
その全てを回避してアッシュは距離を取る。
さらに追撃の構えを取るノルトに魔術を撃ち込む。
「射抜け『炎矢』」
『射手』の詠唱から速射の効く魔術……炎の矢をばらまくが、それでもノルトは防御の構えすら取らずに肉薄してくる。
「効かねぇよゴミが!」
叫ぶノルトの右腕が、雷を帯びて妖しく輝く。
そして同時に左腕からは風の塊が放たれた。
全くの無詠唱の攻撃を受けて、アッシュは軽く吹き飛ばされた。
近くにあった家の壁をぶち抜いて倒れ込む。
これは、どうやら魔法だ。
「…………」
ルーンは人が神に与えられた魔力を使うための道具だ。
しかし規則でもある。
教会によれば、神のしもべの人間はルールを守って正しく魔力を使うのだという。
だが魔獣や魔物はそれを平然と無視する。
彼らは魔力をそのまま力に変え使役し、あらゆる魔術使いを凌駕する。
そしてその業は魔法と呼ばれている。
「おい、骸の勇者。こんなものか? ならもう、俺は仕事に戻るぜ。街を死体で埋め尽くさねぇと」
ノルトがそんなことを言いながら笑い、こちらに歩み寄ってくる。
アッシュは、突っ込んで派手に壊してしまったクローゼットから背を離した。
膝を立て、テーブルに手をついて立ち上がる。
あまり気分も優れないため、本当はアリスが戻ってきてから袋叩きにしようかと思っていた。
だが、やはりこいつは今すぐに潰しておくべきだと考えを改める。
瓦礫の中から歩み出て、アッシュはノルトに相対する。
そして地面に剣を突き立て、空いた右手で心臓に爪を立てた。
「……『魔人化』」
纏っていた黒い魔力が揺らぎ、熱を持ち始める。
そして次の瞬間にはそれは黒い炎に変わった。
波打つ炎が生み出す、幻の熱に身を焦がされながら、自らの内に棲む魔物を解き放つ呪いを口にする。
「殺戮器官解放――――『偽証』」
そうして、やがて猛り狂う黒炎の内から現れたのは……見るもおぞましい怪物だった。
まるで燃え殻のような人形……いや、言葉を選ばないのならば、それには焼死体という形容こそが相応しいだろう。
黒く焼け尽きた肌に、さらに酷薄を増した本能的な恐れを植え付ける紅い瞳。
纏っていた魔力は消え、代わりに濃密な殺意が空間を圧し殺す。
「…………」
魔人は今にも風に散り崩れ去りそうな指を確かめるように握り、地に突き立てた剣を引き抜いた。