十九話・冷たい記憶
その後、アッシュはなすすべなく投獄された。
そして放り込まれた牢は、また輪をかけて手の込んだ場所だった。
魔物の無力化のため、最高位の封印を幾重にも張り巡らせているのだ。
用意の周到さが伺える場所で、全身を拘束されて這いつくばる。
それから、アッシュに仲間を殺されたと主張する人物に引き会わされた。
「で、お前はこのアッシュ=バルディエルに仲間を殺されたと?」
衛兵が連れてきたのは、一人の若い男だった。
使い込まれた剣を腰に下げ、長身に褪せた茶色のジャケットを身につけている。
格好からして冒険者だと察せられた。
「そうだ。……俺の二人の仲間は、こいつに殺された。確かに、目の前で見たんだ」
吐き捨てて、男は激しい憎悪を向けてきた。
射殺さんばかりの表情で睨みつける。
けれど、それにアッシュは戸惑うしかない。
この男とその仲間には心当たりがないのだ。
「……お前、は?」
舌が回らない煩わしさの中で聞く。
すると男は名乗った。
「ノルト=セティアス。お前が殺した冒険者パーティーの生き残りだよ」
「俺が、殺した?」
ノルトという男をまじまじと見つめる。
彼はがっしりとした長身で、どこか軽薄そうな顔立ちをしていた。
しかしやはり見覚えがない。
浅黒い肌と、赤の短髪。
金の瞳も、その全てに見覚えがなかった。
会ったことなどないと断言できる。
しかしそんな記憶とは裏腹に、ノルトはまるで断罪するかのように指を突きつける。
「そうだ! 俺はお前が惨たらしく殺した、二人の冒険者の仲間だ!」
「馬鹿な……」
否定の言葉を絞り出す。
すると、鉄格子の向こうから煮えた湯が浴びせかけられる。
全身に痺れるような熱が駆け巡った。
アッシュは小さく呻き声をあげる。
「白々しいぞ!! お前の剣の刃が被害者の傷と合致したんだ。それに、他にも腐るほど証拠は挙がっている!!」
鉄格子の向こうで怒鳴ったのは、いまだに名の知れない神官の男だ。
自分たちで仕組んでおいて、本当に信じているかのように声高に叫ぶ。
「…………」
恐らくはその証拠とやらは捏造だろう。
だが捏造にしても、ノルトとやらの証言に背を押されて始まった可能性が高い。
都合のいい証人の、証言に帳尻を合わせる形でだ。
そうでなければ、仮にも勇者に手を出すような……危険な橋は渡らないはずだった。
「おまえ、何が、目的だ……」
だからそう言った。
ノルトを睨みつけていると、また熱湯が浴びせかけられる。
「貴様、まだ言うか! 教皇様の裁きを受け、首をはねられるまでは黙っていろ!」
怒鳴り散らしているのは、やはり神官の男だ。
怒り狂っていると言ってもいい。
アッシュはそれを見て、気が遠くなるような気分だった。
「お前、状況が分かっているのか? 俺が死んで、これから魔獣にどう対処する?」
現在、世界には二人の使徒が確認されている。
【魔術師】シド=テンペストと、【戦士】のガルム=バステリア。
勇者と【治癒士】がいない世界で、現存する使徒はたった二人だ。
そんな中でアッシュを失えば、戦力の天秤は大きく魔獣側に傾くだろう。
だが神官は素知らぬ様子で鼻で笑う。
「人殺しが、抜かすな。それに、貴様は人造勇者なのだろう? だったらまた造ればいいだけの話だ」
アッシュは、頭が割れるような気分になった。
たとえ戯れでも、その言葉は決して口にしてはならないはずなのだ。
灰色の石の壁。
狭くて薄暗い場所。
鉄の扉。
開かぬと分かってそれでも爪を立て、何度も何度も血を滲ませた。
喉が潰れるまで泣いて叫んだ。
罪のない子どもが殺し合った。
それを繰り返せというのだ。
そんなことを、こいつは簡単に言ってのけたのだ。
「…………」
自分がどんな顔をしているのかは分からなかった。
ただ信じられず、神官の男を凝視している。
するとその視線に神官が怯んだ。
「…………ッ。と、とにかく。お前はもう終わりだ。貴様を勇者にしたお義父上……カイゼル=バルディエルも失脚は免れられまい」
どこか余裕のない様子で捨て台詞を吐いた。
そして、ノルトと連れの衛兵に声をかけて男は去る。
そしてこの場にはアリスだけが残った。
そう、彼女もいたのだ。
最初から。
「命令しないんですか? 助けろと」
無関心な瞳を向けて問いかけてくる。
だがアッシュは無視した。
いや、答えられなかった。
少し待って、何も答えないことを悟ると、彼女も黙って踵を返す。
「…………」
やがて、その後ろ姿も牢獄の外に消えた。
誰もいなくなった独房で、惨めに這いつくばってアッシュは考える。
自分は命令をしないのではなく、できないのだということを。
もしアリスに命令できれば、都合よく運ぶことは多かった。
だがそれでもできない。
命令しようと思う度に、壁に、地面に、あるいは虚空に。
幾つもの視線が現れてアッシュを睨む。
お前がそれをするのかと。
かつて縛られていたお前が、そのために全てを失ったお前が、あんなものを使うのかと。
アッシュは、いつもその視線に耐えることができない。
そして、言おうとしたはずの命令を飲み込んでいた。
ただそれだけの話なのだ。
「…………」
怖いなと、アッシュは思う。
こうしていればやがて夜が来るだろう。
アッシュは、それが恐ろしくて仕方がない。
暗い部屋にじっとしていると、いてもたってもいられなくなる。
悪夢に苛まれ、眠ることもできない。
剣を傍に、敵を殺していないと安心ができない。
それは病のようなものなのだ。
「……クソ」
小さく悪態を吐く。
拘束された四肢を動かして、苦労して仰向けになった。
すると、小さな窓の光が目に入る。
もう日も沈みかけなのか、ほんのか細い光であったが。
「…………」
アッシュは深くため息を吐いて、その沈みゆく光を見つめ続けていた。




