48. その眼に焼きつけろ
殿下が持ち出した提案、それは単純にして奇想天外な代物だった。
『敵が透明に紛れるならば、こっちは虚像を使うのさ』
襲撃者は完全に姿をくらますことが出来る、究極の隠密能力を持った存在だ。そしてその能力の代償として、おそらく姿を消している間は己の視界すらも闇に塗りつぶされる。
きっと襲撃者は馬車を取り残してきた川の中洲近くで姿を霧にくらませて潜伏し、こちらの出方をじっとうかがっているはずだ。そしてその最中では、聴覚こそが周囲の様子を知るための方法に違いない。
『奴の把握する状況を、現実からずれたものにする。安い猿芝居だろうと、奴の聴覚に虚像を作るには十分すぎる代物だ』
つまり、あえて相手に聞こえるような声でこちらの間違った状況を話し、それにより敵の耳を嘘の世界で塗りつぶすということ。
なんという博打に満ちた作戦だろう。現在の状況が、ただの潜伏上手な暗殺者に相対するものであれば選択肢にも上るはずがない。でも敵が文字通り姿を消すことが出来る始祖族であるからこそ、子供だましの悪巧みは強力な刺客を打破する戦略に成りえる。
『……じゃあ始めようか。ボクは陽動でツカサは急襲。ナインは、ツカサの補助を頼んだよ』
そうして作戦は開始された。無茶とも言える囮としての任務を言い渡され絶望する人間族の青年と、それを無慈悲に言い放ち意見具申されようと判断を変えることのない始祖族の戦士。そんな取ってつけたような立ち回りを、僕とカタリナ殿下は川のほとりで演じて見せた。
あえて聞こえるほどの声でやり取りを終えたら、震える足取りで僕は川の水を踏みしめる寸前まで歩き、直後にカタリナ殿下と入れ替わる。まさに"恐怖に怯える人間族"のようにわざと乱れた足取りで川を進む殿下を注視しながら、ナインを黒剣として実体化をさせる。
その結果、囮として丸腰で川を歩き続ける哀れな人間の青年と、それを後ろから見つめる始祖族という虚像が出来上がった。その実態はまるで真逆。敵が誘きだされる瞬間を待ち望んで黒紅の鉾槍を構えて中洲へ向かう殿下と、その襲撃が起きた瞬間に駆けつけるべく黒剣を構えて待ち続ける僕。
そして予想通り、敵は誘きだされた。必殺の初撃を鉾槍で容易く防がれた上に、お返しとばかりに至近距離から放たれた熱波によって奴の能力を維持していた魔術が霧散する。
霧の世界に浮かび上がる奴の姿。透明化を解除されながらも未だに不可視を維持している霊剣で、カタリナ殿下の鉾槍を受け止める若い男がそこにはいた。敵の位置はこれでもう間違えようもない――機は熟した。
「――それじゃあ紹介しよう。その眼に焼きつけろ、ボクの優秀な副官を」
水底を駆ける足はより速く、敵へ叩きつける剣檄はより正確に。殿下が作り出した好機を決して無駄になどできはしない。あの敵はここで無力化しなければならない。同じ手は、二度とは通用しないのだから。
「……人間が始祖族に立ち向かうなど、しゃらくさい真似を!!」
襲撃者が初めてその口を開いた。カタリナ殿下の鉾槍から逃れるようにして身を引いた敵が、とうとう僕と相対する。全身を瞬間的に殿下の炎に包まれて、その身はきっと万全ではないのだろう。それでも、なおも透明化を保ち続ける不可視の霊剣の脅威は変わらない。
全身全霊で打ち倒す。僕が出来ること、そしてやらなければならないことは、それが全てだ。己の足を包み込む魔力の膜が、この体に爆発的な加速を与える。
――それがあなたの力。同じ土俵ならば、あなたが負けるわけがない――
がむしゃらで無茶苦茶でも、自分が出来ることの全てを出しきる。例え両手に剣を構えて敵と戦う自分を真の自分と認められなくとも、今だけは生き延びてこの深層の森林を抜けるために信じ込む。僕は、この敵に勝つための能力を持っている。
例えそれが借り物に過ぎなくとも、そんなことはどうでもいい。僕はこの男を倒す、今はただそれだけなのだから。
耳の鼓膜が悲鳴をあげた。霧を晴らすかのような、とてつもなく甲高い音。眼前の不可視の霊剣に向けて魔力による身体能力強化をあわせた一撃を叩き込んだ刹那、剣檄の音が辺り一帯を支配した。
「な、んだっ……その、剣はっ!?」
敵の動きよりもその先に全身全霊で叩きつけた一撃で敵を封じ込め、直後に男の目付きが驚愕に染まった。この剣は、敵の霊剣に容易く引き裂かれたようなただの武器などではない。少なくとも二人の始祖族に打ち勝ってきた、ナインという不可思議な存在が顕現させたものなのだ。この世の常識で説明の出来ない代物が、この世の理に従わなければならない道理もない。
黒剣を更に不可視の刀身に向けて押し込んだ。男が両手で握りしめる姿の見えない剣に対して、どうすればその実体を脳裏に写すことができるか。答えは簡単だ。その剣の先端までの形を剣檄の中で推し量るのみ。
不可視の霊剣、その切っ先に向けて片方の黒剣を滑らせた。耳障りな軋みが鳴り響き、反撃の機を伺う敵の動きをもう片方の剣でぎりぎり押し止める。剣先までをなぞり終えた、たったのこれだけでその大まかな形状が頭に叩き込まれた。
「にん、げん……ッ!! 貴様は、一体何者――」
「そんなこと、僕が知るか。今は自分たちの身を守るために、お前を打ち倒すだけだっ!!」
敵の霊剣、それは剣先に返しもなにもない、本当にただ透明であるだけの長剣だ。その刀身は、敵が構えた直線上にしか存在しない。これならばたとえその刀身が目視を出来なくとも、敵を無力化できる。決して殺すことはなく、そして戦力を確実に奪う箇所だけを切り裂くことが出来るはずだ。
――敵の動きは精錬されてはないよ。つまり、視界のある中での戦いになれてはいない――
敵が能力によってその姿を消し去ることができるというのならば、僕は素早さによって己の姿を消し去ってやるまでだ。姿を消して視界外から音も無く奇襲することに特化し過ぎ、互いを目で見て戦うということにすら慣れぬ相手であれば、この僕にだってその眼を欺くのは不可能じゃない。
再び足元に、そして足全体を覆う魔力的な存在へと力を込める。ナインの剣を持つことで発動できる無理やりな魔術は、ヴァローナの街で起きた戦いの最中片足を焼かれたときとは異なり万全のものとして扱える。
敵の動きを封じ込めた黒剣から伝わる重さが僅かに軽くなった瞬間、両足へと込めた力を一気に開放する。それは眼前の襲撃者に向けてではなく、まったくの真逆。後方へと飛びのいた直後に、足を止めることはなく更に川底を蹴り出す。
しのぎを削っていた相手が急に身を引いたならば、きっとその動きを追おうと敵は視線を動かすだろう。だけど飛びのいたその先には、すでに僕の姿は無いはずだ。
敵の視界から逃れるために姿勢を限界まで低くして、その直度一気に横へと駆け出す。横の動きだけならばまだしも、加えて縦に大きく動いたならば人間というものはまるで視界から消え失せたかのように錯覚をする。極限まで素早く敵の死角へと動き、そして――
「ど、どこへ消え――」
あらぬ方へ向けられた霊剣とこちらを捉えすらしていない視線。その死角から、黒剣を構えて一気に飛び掛かった。狙うは霊剣で隠れてはいない、そして確実に戦う能力を奪い去る体の一部。始祖族の男がこちらをわき目で捉えるよりも早く、霊剣の届かぬ場所から滑り込む黒剣。
「――ッ、ア……ァああッ!!」
全力で振るわれた黒剣は、標的を何の抵抗も無く寸断を果たした。目標を穿ち抜き、そして黒剣を振り抜き切ったと同時に響くうめき声。黒い剣の通り道に残される赤いすじが白い霧の中に描かれ、うめき声が掠れた悲鳴へと変化を遂げる。
「……あ、あぁ……俺の、腕がぁ!!」
再び上げた視線の先で、その男は霊剣を構えるどころかとてもではないが臨戦態勢からはかけ離れた姿で立ち尽くしている。すでに霊剣はかき消したのだろう。小刻みに震える手で、もう片方の腕をきつく押さえつけている。そしてその腕は肘から先が消えて失せ、代わりにとめどなく鮮血が流れ出していた。




