42. 西の森に向けて
「さて諸君。旅程を確認しようか」
両腕にのし掛かるのは、多量の乾物を詰め込んだ麻袋だ。干し芋に魚の干物、味よりも保存の効きやすさを目指した食糧である。そんなものをせっせと馬車に詰め込むなかで、その馬車の屋根に腰かけた人物から声がかかる。大事な話なのは分かりますがせめて後でしてくれませんかねという本音も、この人相手にはぐっと飲み込むしかない。
「……また後程じゃ駄目ですか」
しかし淡い桃色頭の少女は僕よりも勇気があった。そしてもしかしたら常識が少し足りていないともいうかもしれない。野宿用の装備を荷台に押し込んだナインは、声の主――カタリナ殿下へと少しばかり鋭い視線を向けた。
「別に良いだろ。君らは荷物を運んでるだけだし、何しろボクは待ってるだけで退屈してるんだ」
まるで聞き耳持たずといった有り様。こっちが夜が明けて間もない中で王都へと旅路に向けた最終準備をしているというのに、まったくもって良い身分だ。
無論、ここらはイーリスに率いられた何人かの兵の目がある以上、王女殿下である彼女が一緒になって力仕事をするのは威厳に関わるなんてのは分かってる。だからせめて、こっちの仕事が一段落するまで威厳を保ちつつ静かにしてもらいたいものだ。
「……ったく、何が陸路を使えだ。しかもろくに宿場町の無い行路を指定しやがって」
これから乗り込むことになる馬車に詰め込まれた物資の数々をみて、殿下は視線を険しくして吐き捨てた。彼女がここまで刺を含ませるのも、これから行く道を考えれば納得だ。
ここ城塞都市ヴァローナから王都サンクト・ストルツへと行くには、普通ならば陸路と海路を織り混ぜる。中継地である港町クアルスに向かう道は交易の要だけあってか通行しやすく、更には港から王都へと船も出ているという。実際に、カタリナ殿下がヴァローナへと来たときはこの経路で来たらしい。
しかしこの経路の難点は、時間がかかる上に到着時期も不透明だということ。海路を使う以上直線的な行き方ではなく、南からの暖流の影響が多い初春の時期は南方の王都に向けた航行は気候に左右されやすい。
それを考えれば、内陸を通って直接ヴァローナからサンクト・ストルツへ行くのは、一見して合理的に思えるかもそれない。道順だけ見れば確かにほぼ直線的な移動だし、何より海路を織り交ぜないから単純な行き方に見える。しかし、こちらのルートには一つ重大な問題がある。
「第一の目標、それは中継地点であるリーベンハイム伯爵領まで無事に到達すること。ただ時間がもったいないから王族としてではなくただの旅の一行としていくよ。だから大規模な補給は望めない」
目的地まで最速で到達するためには、地方領主に顔を見せて回るわけにはいかず、当然道中での補給作業もなるべく減らす必要がある。だからこうやって馬車に物資を万歳にしているのだ。でもこれよりもずっと、旅路を困難にする要素が控えている。
「……そんでもって第二の目標。この道における最大の難所、リオパーダの踏破だ」
深層の森林地帯リオパーダ。その名前は僕も知っていた。王国の南西部と北東部を寸断するようにして広がる、ひたすらに広大な森林。ナインを連れたってクアルスから逃げ出した時に、より情報が得られるであろう王都ではなくヴァローナを選択した元凶でもある、旅人にとって過酷な空間だ。
僕自身、体験したわけじゃないから詳細については知らないことばかりだ。しかし聞こえてくる話は、どれ一つとっても眉を顰める代物だった。広大な森林ゆえに宿場など皆無であり、闇夜のように鬱蒼と茂る森の中僅かに残された街道もいつ木々に飲み込まれるか分かったものじゃない。そして規模そのものが非常に大きいために並の行軍速度では一日で踏破など出来ず、ちんたらしてると宿場のない中で夜を明かす必要がある。そして中でも最たるものが――
「チッ、"オオカミ"退治なんて、今回はそんな暇も無いだろうに」
心底面倒そうに、殿下は吐きすてるように言った。オオカミ、そう表現されたものがただの野生で暮らしているような狼の群れというわけでは無いことを、僕は知識として知っている。
「ツカサとナインは聞いたことがあるかい? リオパーダは連中が数多く住まう魔境だ。それでもって、今年はまだ近衛隊による魔獣漸減作戦も行われてはいない。だからその中を通ってこいなんて、普通に考えりゃ正気の判断じゃない」
リオパーダに広がる森林は、決してただの木々の集合体ではない。始祖族の振るう絶大なる力の源である魔素、そんな得体の知れないものが満ちているのだ。今なお成長を続けているという無数の巨木たちによって排出されるそれらは、その場所にいる生物たちにすらも影響を与える。
この森林を通過しようと試みる旅人たちにとって最大の障害となるのは、森そのものよりも魔素によって変異を遂げた狼たちの群れだと聞いたことがある。通常の野生動物たちとは違い、比較にならないほどの大きな体格や身体能力を持ち、その上表皮は鎧のように堅牢という。
その危険さは王国も頭を悩ませているようで、毎年春には始祖族を主体とする討伐隊が組織され、これでようやく街道としての体を成しているほど。そして僕たちが行こうとしているのは漸減作戦が実行される前の、リオパーダが最も危険な時期だ。これらをすべて踏まえれば、殿下がいらいらとした雰囲気を隠そうともしないのも納得だ。
「――殿下、準備の方は完了されましたか」
「ああ。ヴィンター卿、彼らがせっせと働いてくれたからこっちは万端だ。すまないね、緊急時とはいえ馬車を拝借することになって」
そんな悶々とした空気は、馬や兵を連れたったイーリスが来たことで一旦はなりを潜めた。兵たちが四頭もの馬を馬車に括り付けていく傍らで、イーリスは若干険しい表情で僕たちを見つめていた。今回の王都に向けての旅路に参加をするのは、当事者である殿下とその副官である僕とナイン、そして後は馬車を操作する御者だけだ。王族の旅路にしてはかなりの小規模。何せ同行する兵士はおろか、護衛さえも付けないという徹底ぶり。
「……過酷な旅路になるでしょう。本当に兵を付けなくともよろしいのでしょうか」
「要らないよ。下手に人員が増えれば余計に踏破が難しくなる。それに、ボクや彼らが戦った方がよほど戦力になる」
驕ったようにではなく、至極当然のことだと言わんばかりに彼女はイーリスに言い放った。あなたの所の兵はいらない、それは受け取り様によっては侮蔑になりかねない。しかし一方のイーリスや作業を終わらせた兵士達は、当然赤面するようなことも無く彼女の発言を受け入れたように頷いた。
「……戦姫様に加えて、始祖殺しとその相方。確かに、何も知らずに襲い掛かるような輩は死にに行くようなものでしょう」
淡々としたように彼は言うが、その名で呼ばれるこちらとしてはあまり心地の良いものではない。始祖殺し、それも実際に始祖族の将をこの手で殺めた存在。彼の隣で姿勢を正してこちらを見つめる兵士の視線は、もはや場違いなところに居る一般市民を訝しむような類のものじゃない。
まるで歴戦の戦士を前にしたかのような反応は、傭兵か何かだったかもしれない僕自身の過去を覗き見られているようで、ありていに言えば気分が悪かった。
「ただ、当然ですがくれぐれも油断はなさらぬよう。かの地の過酷さは殿下も理解されているとは思いますが、想定を超える事態は何時だって起こりうる。それらを跳ね除けて無事に到着されることを、この地から願っております」
全ての準備は完了した。これから十日を優に超える長旅に耐えられるほどの物資、そして賊や獣の襲撃に備えた予備の武器。馬車に繋がれた四頭の馬は出発を今かと待ちわびて鼻先から熱い白息を吐き出す。馬車の屋根から飛び降りたカタリナ殿下は、出発を見届けるべく整列した兵たちの先頭に立つイーリスの前に立った。
「たったの数日だけど、君たちには世話になった。ボクの代わりの将官補佐が正式に配備されるまで、そっちも戦の種火には気を付けろよ」
「こちらこそ、殿下に訪れていただき光栄でした。ここは北辺の要衝、再び殿下が訪れるような事態にならぬよう、このイーリス・ディ・ヴィンター、押し寄せる戦火から国をお守りしましょう」
固く握手を交わす彼らを、兵士たちと共に黙って見つめる。あんなに別の世界の話だと思っていた始祖族や戦争という物に、これからさらに深くかかわっていくのだ。一見して神秘的にすら見えたその世界、この旅路はそこへ飛び込む第一歩となることだろう。
「そしてツカサ、そしてナイン。殿下の矛となりそして盾になり、君たちの中に見た光が幻ではないことを証明して見せてくれ――総員傾注!! 殿下の旅路の成功へ向け、我らヴァローナの民はこの北辺の地からお祈りしています」
彼の言葉と共に、全ての兵士が一斉に足を打ち鳴らして直立する。鎧と剣がこすれる音が一瞬だけ響き渡り、後に残るはイーリスの宣言の残響のみ。その多数の視線を背後に受けながら、カタリナ殿下へ続いて馬車へ乗り込む。御者が鞭を打ち鳴らす音と共に景色が動き出す。まだ夜が明けて間もない街並み、そして城門の外側へ向けて動き出したのだ。
たった数日間、それは人生の長さを考えたら一瞬のような短さだ。しかしこの街で刻み込まれた記憶と経験は、そう簡単に消え去るようなものではない。砦から城門まで続く大通りを走る最中で、中央広場に降り注いだバリスタの矢の群れを幻視する。これからは、きっとさらに戦乱の中へと赴くことになるのだろう。このヴァローナで直面した以上のことがきっと待ち受けている。それでも、立ち止まるわけにはいかない。
己の過去を取り戻すその日まで、死んでやるわけにはいかない。この旅路を乗り切ることがまずはその第一歩目なのだ。未だに武装蜂起の痕跡が残る中央広場から視線を外し、まだその姿も見えない深層の森林地帯がある方角に向けて、意味がないと知りながらも睨みつけた。




