鼓舞
「これは、予想以上に酷いかも」
黒衣の魔女が漏らした本音に、俺は無言を貫くことで返事をする。王都を旅立って最初の2日は特に問題はなかった。
3日目に立ち寄った村で、ドラゴンの噂を聞いた。辺境で暴れているらしい、この辺りも危ないのではないかと宿の女将が呟く。4日目の村で足の無い男に出会った、ドラゴンに街が襲われた時のドタバタで、失ったらしい。5日目の町で目立ってけが人が増えだした。
そして6日目の街は地獄の一歩手前であった。多くの人々が竜から逃れる為に、命からがらやって来て。金も、食べ物も、住む場所もなく街の外で固まって過ごしていた。
最初のうちはどうにか街の人も彼らを助けようとしたのだろう。
村の祭りで使う屋根付きのテントや、余った板材を辛うじて屋根を組もうと努力した後が見えている。けれど何もかもが根本的に足りていない。
「……妾が話を聞いた時よりも、随分と」
「つーか、これだけ被害が出てるのに国は何もしてないってのか?」
「お前さん方も、あのドラゴンを倒して名を上げるつもりの冒険者かね?」
よろよろと、ぼろきれを纏った老婆が俺達3人に寄って来る。栄養失調で倒れそうな、それでも目玉だけはギラギラと歪んだ輝きを讃えている。
「だったら何だっていうんだ?」
「やめておけ、あれは本物だ!」
彼女はカっと目を向いて、口を開いて叫ぶ。手はわなわなと、体はぶるぶると震え。俺に縋りつきながら、その細腕からは想像も出来ない力で俺の腕を掴んで来る。
「ああ! そうだ! この辺りで一番の冒険者があっという間に殺された! 領主様が率いる騎士が10人集まって! それも1週間で蹴散らされた! 女子供を守ろうと立ち上がった男たちが、何人も、何人も、何人も! 挑んで皆殺されたんだ!」
その言葉で、ブリキの人形を抱いた子供が泣き出した。夫を失ったであろう妻が嗚咽を漏らす。もうどうしようもないんだと片手を失った男が漏らした。100人に迫る故郷を追われた避難民達が忘れようとした絶望を取り戻し、涙と諦めを口にする。
「――妾の声を聞け! 顔を上げる力があるのならその目で見よ!」
街の外側、その広場に押し込められた人々がアリアに目を向ける。いや、ただの一声で街の方からも人が何事かと駆けて来る。凛とした彼女の声が未だ日の高い午後の空に響き渡った。
「妾の名はアリア、元は家名を持っていたが今はない! ただのアリアだ!」
風に揺れる彼女の髪は光輝き、碧眼はどこまでも透き通り。まるで彼らの為に舞い降りた天使と見まごうばかりである。
「……ただの、小娘に何が出来るっていうんだ」
うつむいたままの男が吐き捨てる。今この場所にはなにもない、辛うじて絶望が微かに積み重なっているだけだ。
「とりあえず、ワイバーンの首は落せた」
その言葉に群衆が騒めく。ワイバーンはとりあえず倒せるものではない。それこそ倒せれば一流と呼んでも差し支えの無いモンスターである。オーガやサーベルタイガーに匹敵すると言えばその強さが伝わるかも知れない。
「だから、ドラゴンも倒せるってのか?」
「ああ、挑む! お前達もドラゴンが居なければ、どうにでもなるのだろう!?」
ドラゴンが居なければ、その一言で場の空気が変わった。
「ああ、まだ畑はある。あの土地は肥えている。明日明後日にドラゴンを倒せれば、どうにかなるだろうが…… 無理だろうそんな事は!?」
「明日明後日では無理だな。だがあと1週間待て」
もう一度、空気の温度が変わる。ガヤガヤと残った絶望が希望に切り替わっていくのが分かる。
「そんな事、信じられるか!」
「そうだ、そうだ……! それが、どうにかなる証拠があるのか!」
希望が生まれたからこそ、より絶望が際立って。アリアに向けて強い怒気を向ける。だがそれに対して彼女は一歩も引かずに言葉を返す。
「ある! 私はただのアリアだが! この男は違う!」
やれやれと、こちらを見上げる老婆の手を優しく握って、一歩下がる。出来る限り不敵な笑みを浮べて、辺り一面から向けられた視線に対し可能な限り不敵な笑みを返す。
「この男は竜殺し、辺境の英雄、王国1の剣士。オーガとの一騎打ちに勝利し、エルフの姫君をモンスターから助け出し、シキガハルの戦いを単騎で駆け抜け和平交渉を成立させた。冒険者の中の冒険者! グレック=アーガインだ!」
まさか、と誰かが呟いた。いやあの顔は見た事があると、誰かが返す。ざわめきの質が完全に切り替わる。絶望から希望へ。ああこれは裏切れない、そもそも裏切るつもりもないが。
「その彼が、勝てるといった。それが証拠である!」
その一言で歓声が上がる。俺はここまで口が回らない。態度と行動で示すのが精いっぱいだ。けれどアリアによって、俺の正しいかどうかも分からない経歴が。誰かの希望になるのなら、それはそれで良い事なのだろう。




