自己紹介ターン
宿の一階へ行くと居間へ人や鬼が集まっていた。
飛び降りがあった事を水鏡に聞いたようだが、深刻な顔をしている者はほんの一部で、殆どの客は他人事のようにそれを聞いていた。
「水鏡さん」
「あら、お客様」
「ここにいる方々で全員ですか?」
雪羅と時雨と微々の傍らに部屋に戻っていたはずの輝夜もいた。
輝夜はつまらなそうに、天井を見上げながら壁に寄りかかっている。
「はい、全員です。飛び降りされたお客様は勿論いらっしゃいませんが」
水鏡の今の台詞はブラックジョークなのか天然なのか判別が付かなかった太都は苦笑いを返した。
「何かわかりましたか?」
「いえ、状況が整理されたぐらいです」
自ら残って調べたいと申し出て置きながら何も得られなかった事に恐縮した様子で、太都は額を掻いた。
「誰かが突き落としたとかそう言った事はなさそうなのですね?」
「そうですね。現段階では……」
飛び降りがあった部屋は戸は内側から閂が掛けられており破壊しなければ中へ入る事は不可能、隠し扉や隠し部屋の存在は確認できず、唯一の脱出口は崖に直面した突き上げ戸のみ。自殺以外には考えられない。
「全員集まっているんだ。自己紹介しようじゃないか」竹千代がその場に集まった一同に向かって大声を掛けた。「俺は竹千代だ。旅の途中で一人でこの宿に泊まった」
竹千代に続いて誰から声を上げようかと隣同士顔を見合わせ、互いに遠慮し合っている。ならばと太都が二番手に声を上げようとしたところ別の場所から手が上がった。
「私は檀、見ての通り鬼族よ。これでいい?」
檀と名乗った鬼は、黒く長い髪を腰まで伸ばし、キツそうな顔立ちの美人だ。化粧で派手に飾っているが年齢は四十前後といったところだろうか。
「飛び降りた狂人がいたってだけでしょう。私は部屋へ戻るわ」
檀はそう言い捨て、二階へ向かう階段を上がっていってしまった。
残された者たちは少し気不味い空気に晒されながら、無言で彼女を見送った。彼女を止めるものは誰もいない。
そんな空気を払拭するように太都がゆっくりと手を上げた。
「えーっと、俺は逸見太都と言います。旅人です。そこにいる彼女達と旅をしています」
「雪羅だ」
「時雨です」
微々は輝夜の肩に乗って、無言で皆を見つめている。輝夜はそんな微々の代わりに「この子は微々」と紹介した。そして、ゆっくりとした動作で胸へと手を当てる。輝夜の銀髪がサラサラと動き、金の瞳が強い眼力を持って周囲を引き付けた。
「私は輝夜……と呼んでください」
輝夜の美しさはこの場にいる誰よりも抜きん出ており、おそらくこの宿に限定しなくても同じなのだろう、皆人間鬼男女問わず輝夜の美貌から誰もが目を離せずにいた。
静止したような空間の中、竹千代が隣にいる太都にこっそりと耳打ちをする。
「女ばっかじゃねーか」
「あはは……偶々です」
「末恐ろしいねぇ」
竹千代は太都の頭をくしゃっと撫でた。竹千代の太腕はかなりの腕力があり、太都の首は大袈裟に左右に揺れた。
「次、よろしいかしら?」
気品のある老婆が手を上げた。彼女は人間だ。
「私は、紅葉と言います。こちらは用心棒の英一郎です」
老婆の横には大柄の竹千代よりもさらに一回りは大きい仏頂面の男が立っていた。
色黒く筋肉質な人間の男は名前を紹介させると大きく一礼をした。
次に、座布団に正座しお茶を啜っていた女性が、茶を置いて立ち上がった。
その女性は鬼族の四十半ばだろうか。白髪混じりの髪の毛を頭の上でまとめていた。
「私は山名。さっき上へ行ってしまった檀の従姉です。檀が失礼いたしました」
山名は深々とお辞儀をした。態度が丁寧な割に声に感情が篭っていない。
客の自己紹介はこれで終わった。ここからはこの宿のスタッフだ。
「私は水鏡。この宿の女中でございます。宿の主はここにはおりませんので、実質私が中心になって切り盛りしております」
水鏡は女らしいしなやかな動きで一礼した。
そして、太都にだけ伝わるように、ほんの一秒にも満たない程の短い間色目を向けた。
女性経験の浅い太都は、その色香に照れ思わず水鏡から目を逸らしてしまう。
太都は心中もしや自分に特別な感情を抱いているのではと勘違いしそうになるのを抑え、初な自分が揶揄われているのだと言い聞かせた。
「太都、水鏡相手に色気付いているのか?」
雪羅が揶揄うように太都を小突いた。
時雨がその横で「最低ですね」といつものように太都に冷たい視線を浴びせた。
そんな下らないやり取りに花を咲かせていると、水鏡の後ろからひょいと少年が顔を出した。
この場に居た事に誰も気が付かなかったため、誰もが驚きの表情を浮かべた。
彼は太都と同い年かもう少し上くらいだろうか。中性的な顔立ちに細い手足。仮に女の格好をしていたら男だと気が付かずに太都はときめきを覚えていたかもしれない。
二次性徴を迎えた男がこの繊細さを保っていることは奇跡に近いだろう。
「僕はミコです」
彼はそれだけ言うと水鏡の背後へ下がってしまった。
ミコの代わりに水鏡が彼の紹介をする。そんな彼女は今までの雰囲気とは違う世話の焼ける弟の世話をする姉のようだった。
「彼と私の二人で切り盛りしています。橋が落ちなければ他にも働き手がいたのですが……」
「困った時はお互い様だ。俺も出来る事は手伝おうじゃないか」
竹千代が水鏡とミコへ、腰に手を当てながら宣言した。
「お、俺も、手伝います」
太都も竹千代の後ろで控え目に手を上げた。水鏡は嬉しそうに笑顔を作って太都に返事をした。
「それでは、私は檀が気になるので」
場の空気がひと段落ついたところで、山名が一礼をし部屋へ戻るためその場を去った。
彼女が階段を登り切ったのを合図に思い思いに全員が動こうとした時、山名の叫び声が聞こえた。
叫び声に釣られ、その場にいたもの達が続々と二階へと上がった。
二階の廊下で尻餅をついた山名が震えている。
彼女の指先には、部屋で首を吊って死んでいる檀がいた。




