残されたエチュード〈3〉
白石退部の衝撃は結構なものだったようで、圭太は当初の目的をすっかり忘れていた。
すなわち、白石とは連絡を取らず。家に帰ってもファイルを捜索せず。
こうして二学期の美化委員に迫られているわけである。
「昨日探してくるって話だったよね」
「う……ごめん。ちょっと、いろいろあってさ」
「とか言って、忘れてただけでしょ」
「それは……まあ……」
ほぼその通りなので、これ以上弁解の余地はない。
新美化委員は「もう」と言ってから、考える素振りを見せた。圭太がダメだったので、さあ次はどうしようかと思案しているのだろう。
口調はきついが、本気で怒っている感じはない。これはクラスの女子全体に言えることだが、気が強い――というか男子視点で「こわい」子が多いのだ、このクラスは。
「もう一人の委員って、誰だっけ」
「え、あー……白石」
「じゃ、そっちに当たるから。圭太はもういいよ」
言い方もまた、ばっさりやられる感じだった。女子、こわい。
圭太はもう一度謝ってから、彼女を見送る。白石がファイルを持ってきてくれていたら良いなあと都合の良いことを考えながら。
「怒られてたなー」
「仕方ない。俺が忘れてたんだから」
「開き直るなよ」
伸のツッコミに軽く笑ってから、圭太は白石の席に視線を移動させた。ちょうど、美化委員となる女子が話しかけているところだった。
「あ」
「持ってるっぽいな」
伸が言うように、白石が机の中からファイルを取り出し、新美化委員に渡している。これまでの経緯に鑑みるに、あれは間違いなく美化委員ファイルだ。そしてその中には、きちんとすべての資料が綴じられていることだろう。
「セェーフ…………」
圭太は両手でセーフの合図を出す。
これで白石が持っていなかったら、十中八九あの女子は圭太のところにやって来る。そして何かしらの文句を言う。引き継ぎしてもらってないのに委員会に行かないといけないんだけどーとか何とか。白石には決して言わないことを、男子である圭太には言ってくる。女子、こわい。
「良かったな」
「ああ。マジ助かった」
自分の勝手な願いが通じたことに、圭太は感謝した。――もちろん、白石にも。
白石はぼうっとしているように見えるわりには、しっかり者だ。それは、美化委員の活動を通して、圭太がこれまでにちょくちょく感じてきたことだった。危なっかしい面があるので、こっちがしっかりしなくてはと思うのだが、今回みたいに結局圭太が助けられることもあった。
仮にも部長をやっているのだから、その自覚があるのだろうか。
そこまで考えて、圭太は無意識に頭の隅に追いやっていた事実を引っ張り出してしまった。
(って……部活、辞めたんだった)
白石が美術部を辞めたと言う話を、圭太は誰にもしていない。本人に訊くのも憚られるので、白石にもだ。それどころか、白石に会ったときに「部活」「美術」といった、それを連想させる語句は使わないようにしている。これでも、結構気を遣っている圭太だった。
(けど、このままっていうのもなぁ)
白石が美術部を辞めようとしていた――その前兆に全く気付かなかったのか、と言われれば、完全にノーとは言えない。クラブのことだという確信はなかったものの、何かを悩んでいるような素振りを見た……気がする。それも、何度か。
(どっかで話す機会があれば――……って、あるわけないか)
もはや美化委員での接点はなくなった。あとは個人的に話してみるかどうかの問題だ。
それはちょっと勇気がいるよなぁと、圭太は二の足を踏むのだった。
※
ところが、そんな圭太のもやもやを知って知らずか、白石の方から圭太に近付いてくることが多くなった。
例えば、休憩時間。
「友則くん。これ……」
白石が差し出したのは、圭太のノート。宿題で提出していたはずのものだ。
「え? なんで白石が?」
「準備室に行ったら、先生から渡しといてって言われたから」
「そっか。サンキュ」
白石に提出遅れがバレてしまった、と圭太はきまりの悪さを感じながら、それを受け取った。
ほかにも、昼休憩。
「友則くん。これ……」
白石が差し出したのは、物理の教材。最初は「ん?」と思った圭太だったが、すぐにあっと声を上げた。
「物理教室に忘れてたよ」
それは、机の中に入れておいた図説だった。
授業で図説を開けと言われたときにも、指示に従わずに机の中に入れっ放しにしていたため、教室に持って帰ることも忘れていたようだ。直前まで居眠りしていたせいで、何ページを開けば良いかわからなかったことが、そもそもの原因である。
白石に居眠りがバレてしまったかもしれない、と圭太はやはりきまりの悪さを感じながら、それを受け取った。
そして、放課後。
「友則くん。これ……」
白石が差し出したのは、宿題のプリント。今日の授業中に先生が、「昼休憩までに宿題用意しとくから、あとで係は取りに来いよー」と言っていた。そういえば、まだ配られていなかったことを思い出す。係が忘れていたのだろう。
しかし、白石は係ではなかったはずでは? と思い、それを口にしたところ、
「でも、宿題がないと困るから」
と、さも当然のように言われ、これまた意識の低さを指摘されたような気がして、圭太は三度きまりの悪さを感じながら、それを受け取った。
――とまあ、こんな感じである。
白石ってこんなにクラスのことに積極的だっけ? と、圭太は首を傾げる。
(てか、なんか前よりも話す機会増えてないか?)
以前は、何も用がなければ一日中会話がない、ということもあった。しかし二学期に入ってみると、接点はなくなるどころか、むしろ増えているような気さえしてきた。
そして今日も、圭太は部活動から帰っている途中で、白石の姿を見かけた。
ここ最近、帰りの時間がぴたりと一致する。聞いた話によると、白石はどうやら自習室で勉強しているらしく、下校時間ぎりぎりまで学校に残っているようだ。
「白石! 今日も勉強?」
校門をくぐろうとしていた圭太は、伏美行きのバス停に向かう白石に声を掛けた。
毎日校門付近で顔を合わせるのに、こうして声を掛けるのは久々だ。今日はたまたま、良彰が「塾の宿題やってない」という理由で自転車を飛ばして帰ってしまったため、一人だったのだ。
白石は突然の声に驚くことなくゆっくりと振り返り、小さく頷いた。
「偉いなー。中間までまだまだあるのに」
「来週から試験週間だよ」
「……そうだっけ?」
「うん」
この前課題テストが終わったばかりなのに、もう中間試験が始まるのか。
げんなりした圭太に、白石は珍しく口元を緩めた。
「テストばっかりだね」
「白石もそう思う!? やっぱ多いよなー。この前課題テストやったばっかなのに、またテストかよーって……そう思うよな?」
興奮気味に話す圭太に、白石は首の動きだけでそれに同意した。
「あーっ! ってことは、来週から部活禁止かぁー」
圭太はその事実に気付き、がっくりと肩を落とした。
部活命! というタイプではないが、勉強オンリーというのは最悪だ。成績が良ければまだ救われるのだろうが、今となっては中の下どころか下位層に突入しそうな彼では、モチベーションも上がらない。
もうちょっと真面目にやっとくんだったなぁと、いつもの反省をしたところで、圭太はあることに気が付いた。
(やばっ! 「部活」……!)
恐る恐る白石の方を見る。
彼女は西日から顔を背けるようにして歩いている。難しそうな顔をしているようにも見えるが、単に眩しいだけ、とも取れる。表情からは、圭太の出した禁句に反応しているとは思えなかった。
白石がバス停の方をちらりと見る。
訊くなら今しかない。このタイミングを逃すと、あとはどんどん訊き辛くなるに違いない。
圭太は慎重に、しかしあまり深刻にならないように、努めて「話の流れ」的な風を装って、それについて尋ねることにした。
「そういやさ」
白石は歩調を緩めずに、顔だけを圭太の方に向けた。
「部活、辞めたって聞いたんだけど」




