文化祭〈2〉
「ゴミの分別に、ご協力をお願いしまーす」
文化祭当日。
クラスの模擬店を抜けてきた圭太は、ゴミステーションの前を通りかかる。
決められた時間に、決められた場所にやって来た他クラスの美化委員は、サボることなく真面目に業務をこなしていた。
「割りばしはこっち、トレーはこっちでお願いします」
「ペットボトルは、キャップとラベルをはがしてから捨てて下さい」
ゴミステーションに近付いて来た女子生徒に、指示を与える二人。
あれが一時間後の自分の姿か、と思いながら、圭太は手を振る。他クラスの美化委員は、やる気なさそうに手を振り返してくれた。
ゴミステーションを抜けると、グラウンドには食品関係の屋台が並んでいた。煙が出る類のものは、基本的に屋外のテントで販売される。
風によって運ばれてきた焼き鳥の香りに、圭太は思わず唾を飲む。昼時にはまだ早いが、教室で風船を膨らませる作業をしていたせいで、地味に体力を消耗している。そろそろ小腹が空いてきたかな、という頃合いだった。
まだ、金券は残っている――というか全く使用していない。美化委員の仕事が始まるまでに、一時間もある。
焼き鳥を買うには何の問題もない。
香りに誘われるように、圭太はふらふらとテントに近付き、行列の最後尾に並ぼうとして――。
「圭太ー!」
突如呼ばれた声に足を止めた。
声のした方を向くと、紫色の浴衣を着た夕季が、手を上げているのが見えた。
「佐浦」
そこで、当初の目的を思い出す。つまり、二組の模擬店を見に来たのだということを。
「結構早かったね。クラスの方はいいの?」
下駄を鳴らしながら駆け寄ってきた夕季は、圭太の少し手前で止まった。どうやら、屋台から流れてくる煙を避けようとしているようだ。
「ああ。なんか、意外と文化部の奴ら、クラスの方に入れるみたいでさ。三十分早く交代できた」
「へー。じゃあ、あとは美化委員だけって感じ?」
「そんなとこ。だから、昼からは暇なんだよなぁ。逆に、午前がハードでさ」
「いいじゃん、それ。後でゆっくりできるんだから。午後が暇なら、軽音のステージでも見てきなよ。八木が出るからさ」
「らしいな。そのつもり」
同中の八木からは、見に来てくれとは言われていないが、最初から行くつもりではいた。高校になってクラスが離れてからは疎遠になっていたが、こういう時くらいは応援したい。
「せっかくだから、やってくでしょ?」
夕季に連れられて来た先には、懐かしさを覚えるビニールプールがあった。
中に浮かんでいるのは、色とりどりの水風船。いわゆる「ヨーヨーすくい」というやつだ。
「あ! 圭太ー! 来てくれたんだぁ」
そこで店番をしていた一人――友則千遥が、圭太を発見して立ち上がる。ちょうど、受付は手が空いているようだった。
「あんま、人いないんだな」
「そういうこと言わないでよ。さっきまで、お客さんいっぱいいたんだよ?」
ぷう、と頬を膨らませて抗議の目を向ける千遥。
悪気があっての発言ではないが、来て早々失言だったかもしれない。
圭太は素直に謝った。
「うん。でもまあ、圭太が来てくれたから許してあげる」
「そりゃ、来るだろ」
「あはは。うん。そだね」
千遥は何が可笑しいのか、にこにこと笑っている。
来てくれた、と彼女は言ったが、元より「行かない」という選択肢は、圭太にはなかった。何故なら、千遥と夕季の二人から「絶対来て!」と強く言われており、しかも時間まで指定されていたからだ(その時間に当番に入っているから、らしい)。これでドタキャンなどしようものなら、高校生活が終わるまで――下手したら一生、ぶーぶー文句を言われるに決まっている。
焼き鳥に吸い寄せられる前に夕季に見つかって、ある意味良かったのかもしれないな、と圭太は思った。
「というわけで、はい」
「ん?」
渡されたのは、ヨーヨーすくいに必要な釣り針。
「取れるかなー?」
「余裕だって」
「じゃあ、波たてちゃおう」
「それ反則だろ!」
圭太は長袖のワイシャツを捲り上げる。
夕季もやって来て、千遥と一緒にビニールプールの横にしゃがんだ。
「…………なんか、そうやって見られてたら……」
釣り針を持つ圭太の手が、わずかに震える。
「あ、緊張してるー?」
左には、千遥。
「余裕なんじゃなかったの?」
右には、夕季。
二人分の視線を感じ、圭太の手は自然と重くなる。これで失敗したら、二人にいいネタを提供しただけで終わりになりそうだ。
先ほどは大口を叩いたものの、そのことを想像すると、少しは慎重にならざるを得ない。出来るだけ取り易そうなのを選ぼうと、身を乗り出した。
色は特にこだわらない。輪ゴムが水面に近くて、周りに風船が密集していないものが良い。
そう思って、対象を探していたはずだったが、
(あ……)
中央よりやや奥に浮かぶ、透明の風船。
一つだけ色の違うそれは、ただ他のものと異なっているという理由ではなく、別のことで圭太の目を惹いた。
(「友則くん」)
透き通るような声が、脳内でリピートされる。
掴みどころがない、不思議なクラスメート。
最初の頃は「変わった奴」という印象で、実のところ今でも、それは変わっていない。けれど、今はそこに「面白い奴」という評価が加わって、彼女との会話を楽しんでいる自分がいたりもした。
そんな彼女のことが、なぜか圭太の頭をよぎった。
「これが欲しいの?」
「え?」
ぼうっとしていたのは圭太を引き戻したのは、千遥。
何が? と圭太が訊くよりも早く、千遥はプールの中に人差し指を入れる。彼女が一つだけ残っている透明の風船をちょんと押すと、それは静かに圭太の目の前までやってきた。
「ちょっとだけサービス」
小声で言ったつもりだろうが、夕季にはばっちり聞こえていたようで、隣からは「へー」という声と、意味深な視線が向けられた。千遥は途端に慌てて、「そんなんじゃないよ!」などと必死に反論していたが、夕季の視線は変わらない。
何やってるんだ? と、ぼんやりと二人を見ていた圭太は、千遥が両手をぱたぱたとやっているのを見て――正確には、彼女の袖が揺れているのを見て、あることを思い出した。
「その浴衣……」
圭太の呟きに、袖が急に大人しくなる。
千遥の浴衣は薄い水色を基調としたもので、所々に朱色の金魚が泳いでいる。初夏に相応しい涼しげなデザインで、彼女によく似合っていた。
しかし、圭太があっと思ったのはそれだけではない。
「見覚えある?」
千遥が両腕を軽く上げると、浴衣の模様がいっそうよく見えるようになった。
「花火大会の時に着てたやつ……だっけ?」
「当たりー!」
弾んだ声と、ぱちぱちと手を叩く音。
千遥は両手を胸の前で合わせたまま、圭太の顔を覗き込んだ。
「すごい、よく覚えてたね!」
「や、何か見たことあるなって」
二年前の出来事なので、そう古い記憶ではない。
確か、当初は同中の仲良し四人組で行ったはずが、途中でやはり同中の友人に会い、結局十人くらいでぞろぞろと行動した記憶がある。
一度思い出してしまうと、連鎖的に様々なことが想起され、しばらく圭太の持つ針が止まった。
「……今年も花火大会、あるね」
ぽつりと呟かれた声に、圭太は顔を上げる。
千遥も千遥で、その時のことを思い出していたのだろう。ぼんやりと、揺れのなくなった水面を見つめていた。
何を言えば良いだろうかと、考えたのは一瞬のこと。
受付の方から「夕季か千遥ー! 受付手伝って!」という女子の声が聞こえ、夕季は千遥よりも早く立ち上がった。
見ると、団体客が列をなしている。
「ごめん、今行く!」
受付へと走っていった夕季を追うように、千遥も立ち上がる。
その瞬間、膝がビニールプールの端に当たり、小さく揺れた。
「あ、ごめん! また、向こう行っちゃった」
透明の風船は、ゆるやかに元あった場所へと帰っていく。輪ゴムも再び水中に沈められた。取れるものなら取ってみろ、と言わんばかりの絶妙な配置である。
「いや、いける」
「本当ー?」
頭上から注がれる、疑わしそうな視線。
それを受けながら、圭太は親指を立ててみせた。




