第1話ー①
――――この世は舞台であり、すべての男女は、その役者にすぎない。それぞれの舞台に登場してはまた退場してゆく。人は一生のうち幾つも役を演じるさだめである。―――
ウィリアム・シェイクスピア
永遠に終わらないような蝉の大合唱が、静かに暮れゆく大気を震わせていた。
【新沢千塚古墳群公園】
龍のモニュメントのある広場を抜け、展望台ミグランスを越えた先。
屋上庭園の柵にもたれながら、久米香月は七月の夕暮れに沈みゆく街を見下ろしていた。
熱と湿気を孕んだ風が、部活終わりの身体にまとわりつく。
遠くの国道では、帰宅ラッシュのヘッドライトが流れ星の列のように連なり、規則正しく東へ、西へと消えていった。
ふと、翼をはためかせた一羽の鳥が、久米の頭上を横切る。
その姿は、降りてくる夕闇に溶けるように見えなくなった。
夕日が葛城の山の稜線に沈むまで、久米はそこを動かなかった。
やがて、小さく息を吐き、額に滲んだ汗を拭った。
そして、制服のズボンのポケットから、スマホを取り出した。
開会式のあと。
学校でこっぴどく叱られた。
母には、すでに連絡が入っていたのだろう。
「受験もあるんやから、本当に心配かけんといてや」と、その程度の小言で話は打ち切られ、父のことを切り出しても、「そうなんや…」とそれ以上、話を続けさせてもらえなかった。
木之本は、いつもと変わらない顔で接してくれていた。
――そう、演じてくれていたのかもしれない。
ただ、正式に野球部のマネージャーになったことを、嬉しそうに語る姿だけが、やけに胸に残った。
変わったのはきっと自分と縄手先生。
コール音が止む。
ディスプレイには【斎部優耳】の文字が浮かぶ。
「こんにちは。久米です。」
「はい。もう聞いてらっしゃるのですね。」
「はい。自分なりにケリはつけたつもりです。」
夜を告げる風が虫たちの歌を拡声する。
「わかりました。はい。」
「縄手先生を斎部さんから奪って見せます。」
「はい。正々堂々と。」
「はい、では失礼いたします。」
夏の大会。
受験勉強。
そして、好きな人と一緒にいたい気持ち。
高校生として迎える、最後の真夏が始まろうとしていた。
今、やらなければならないこと。
今しか、できないこと。
経験を積んできたわけじゃない。
誰にどんな助言をもらっても、どこか腑に落ちない。
だから――後悔を誰かのせいにしないために。
自分の目で見て。
耳を澄まして聞いて。
肌で感じて、選ぶ。
視線を上げた先から吹いてくる風は、まだ向こうがあることを、確かに教えてくれた。
小さく頷いた久米は、ベンチに置いていた重いバッグを、軽々と肩に担ぎ上げた。
ーーーーーーーーーーーーー
クーラーの効いた小会議室に、久米と母親、スクールカウンセラー、縄手を含む数名の教員がテーブルをはさみ座っていた。
久米が校舎三階の窓からの転落事故を起こしてから、教育委員会との連携が図られ、定期的に心のケアが行われていた。
教員で構成された危機対応チームに縄手が参加しているのは、担任教師がゲートキーパーとして強く推薦したためだった。
カウンセラーが久米に最近の調子を伺うように、夏大会開会式の話題を切り出す。
母親が父親の存在について、長年隠していたことが発覚してから、久米本人の気持ちの揺れ動きは言うまでもなく、ケア対象は家庭環境も含めることとケース会議で決定していた。もちろん、セクシャルマイノリティであることや、それについて母親が否定的であること、さらに久米の話題がネットで取り沙汰されていることも視野に入れてである。
その為、やはり学校側も教育委員側も注目されている事案として、慎重にならざるを得なくなっていた。
久米が東京へ父親に会いに行ったこと。
父親が特定の相手とパートナーシップを結んでいたこと。
そして、久米が想いを寄せる教員と一夜を共にしたという噂まで――
無責任な憶測と好奇心が、ネットの向こうで勝手に増殖していた。
その影響か、久米と縄手の関係を探ろうとする取材の申し込みが、学校に届き始めていた。
近況を聞かれた久米は「面倒臭せーぇ。」と声にはせず
「試合に向けて、みんなで頑張ってます。」
元気いっぱいに答えて見せた。
だけど、少し離れた斜め前に縄手先生が座り、自分を見守ってくれていると感じるだけでも、こんな状況でも悪くないと思えていた。
誰にも言っていないことがある。
縄手先生がLIKEじゃなくLOVEに近いかもと言ってくれたこと。
そして、縄手先生の体温を直に感じていた東京の朝。
今、こんな状況下でも思い出すと、股間に血液が集まり始める。
二人だけの秘密というウルトラレアな宝物。
それを手に入れた幸福感が、毎日を少しだけ特別なものにしてくれていた。
「頑張れるって素晴らしいよね!久米くんのファンクラブもできてるって聞いてるよ。」
「いやーーーーー。どうなんっすかね…。」
若干ニヤついてしまいながら、頭をかく。
隣に座る母親の久米香織は満面の笑顔で、会話に合わせながら頷いているだけだった。
「じゃあ久米くんは、今は野球に一生懸命なのかな?」
「まあ、はい。受験とかもありますけど。今は。」
パイプ椅子の座り心地の悪さに、背筋を伸ばしてみる。
「野球部のみんなと遊んだりはするのかな?」
「・・・いや。特には。はい。」
「幼馴染みのチームメイトもいるのかな?」
「そうっすね。はい。」
「あーいるんだね。どんな人かな?」
しらける質問に、出そうになるため息を押し殺しながら、
「リトルリーグの時から一緒の人と、後は中学校の時のクラスメイトがマネージャーにいます。」
口角を上げた笑顔で答えた。
「リトルリーグの時から一緒のチームメイトってなると、もうお互いの野球の癖とか、やっぱりわかってるものなのかな?」
目の前に座るスクールカウンセラーは、まるで自分を小学生か、幼い子供に話しかけるように、幼稚な口調で言葉を選びながら発していた。
馬鹿にされているようで気に入らなかったが、早くこの場をやり過ごしたかったので、心をさらけ出したような笑顔を向け、適当に返事を繰り返した。
きっと野球部の話を続けているのは、犬猿の仲になってしまった葛本との関係を詳しく聞きたいのだろう。
事故の原因を、ゲイであることを罵った葛本にあるものだとされていたため、今後の対応の参考にしたかったはずだ。
確かに、彼の事は好きではないが、家で受けている、コントのような虐待なのか、よくわからない場面を知ってしまってからの同情もあり、悪くも言えなかった。
「じゃあ、野球以外で困っている事とか、ひとりでは難しいかなっと、少しでも感じてることはないかな?」
カウンセラーが話題を移す。
久米は、まだ続くのかと小さくため息をつき、縄手の方に一瞬視線を動かした。
目と目が合う。
縄手が僅かに頷いた。
見逃さなかったカウンセラーは口を開いた。
「今でなくてもいいから、自分から伝えておきたいこととかあれば、何でも相談してくださいね。」
聖母であろうとするのか、嫌味なくらいの笑顔で久米に微笑みかける。
「はい。いや・・・・あの・・。」
暫く考えるように俯きながら、
「すいませんでした。色々ご心配かけるようなことばかりしてしまって。」
上目遣いに対面に座る方々を見ながら、頭を下げた。
「久米くんがセクシャルマイノリティであることに、何の問題もないからね。」
・・・・・・・・・・
『来た。その話題をここで出すのかよ。』頷いたふりして、俯き見えないように眉をしかめ、つぶやく。
「LGBT理解増進法が成立してから、性の多様性への理解もかなり進んでいるし。」
カウンセラーは安心を促すように笑顔を向ける。
『なんで弱者にしたがんだよ。上から目線で。面倒臭い。』首元までで声を止めながら、笑顔で「ありがとうございます。」と返す。
「でも、もういじめとかないです。もうみなさん知っての通り、応援してくれる人がこんなに沢山いることに本当に感謝しています。」
マイノリティである前提で話される雰囲気に、抵抗するよう言葉に出しながら、縄手に視線を送る。
目が合った縄手は首筋を搔きながら、微笑み目を逸らす。
そんな姿に久米も照れ笑いが漏れる。
気を緩めていたわけではないが、全く注意をそちらに向けていなかった。
「この子は今病気なんです!!」
それまで静かに頷いているだけだと思っていた母が急に大声を張った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本作は『トゥルーカラーズ=僕らの家族スタイル SEASON1~十七歳の夏空』の続編して連載しています。
SEASON2はボーイズラブ要素だけではなく、奈良県橿原市にちなみ太古の歴史上の人物の転生色も多く取り入れてます。
SEASON1と同じ雰囲気ではありませんが、引き続き楽しんでもらえたら光栄です。
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それでは、次回もお楽しみいただければ幸いです。




