第九節
これまでに無かった初めての経験だ。
今まで、僕はたくさんの人や動物を殺して過去に遡ってきた。
眩暈を堪えて瞬きをした後、僕は確かに過去の世界に立っていた。
だけれど、それは僕は遡った直後に必ず起きている状態だったからこそだろう。
いや、言い方が悪い。
僕はこれまで、眠っている瞬間へ遡る事がなかった。
これまでは運良く、僕は起きている瞬間へ遡る事ばかりだった。
本当に、一度たりとも眠っているその合間に遡る事は無かった。
故に、僕は眩暈を堪えて瞬きをすると、次の瞬間には過去の世界に遡っていた。
考えてみればおかしな話で、なぜそんなにも都合良く、僕が遡った先の僕は眠る事なく意識が覚醒した状態だったのだろうか。
そんなこと、僕にはわからない。
現に、今回みたいに夢を見ている最中へと遡らなければ、僕はこんな事象が有り得るのだと知る由も無かった。
なぜ今までこの状況に遭遇しなかったかの理由など、わかるはずもない。
初めての出来事に困惑する僕が目を覚ましたのは、冬の寒さに毒された酷く暗い自室だった。
携帯電話に表示される日時は十二月二十八日の午後十一時。
だいたいで三日か四日ほど遡っている事になる。
だが、重要なのは何日くらい遡ったのかなどという点ではない。
同日の同時刻。
僕はこんな夢など見ていなかったという事の方が重要なのだ。
これまで、僕は必ず過去に経験した場面のどこかに遡っていた。
だから、いくら夢の中とはいえ、経験した事のない場面に遡った事に僕は酷く混乱している。
今まで一度も経験していなかった場面にも混乱しているし、なぜ今こんな経験をしたのか、なぜ今になってこんな場面に遭遇したのか、それらの何一つわからない。その事実に一層強く混乱する。
焦燥感にも似た感覚を誤魔化すべく、僕は冷蔵庫からスミノフを取り出そうと台所へ向かった。
何度となく触れた白い冷蔵庫の取っ手を握り、その扉を開く。
そこには買い置きしてあるモンスターとスミノフ、あとはペットボトルの水がずらりと並んでいる……はずだった。
黄色がかった照明に照らされた冷蔵庫内は空っぽで、そこには何一つとしてものが存在していなかった。
いや、何一つと言う表現は語弊があり、冷蔵庫内には炭を利用した消臭剤が置かれているだけだった。
「おっかしいな。買い置きも全部飲んだっけ?」
いつも冷蔵庫の中身を消費したら必ず補充するのにな。と首を傾げつつ、買い置きを保存しておく事にも使っているクローゼットを開ける。
だが、モンスターの買い置きもスミノフの買い置きもペットボトルの水の買い置きも、そのどれ一つもクローゼットの中に無かった。
もう僕には何が何だかわからなくて、とにかく今日は一旦眠って明日の朝にでも考えようと想って布団に潜り込んだ。
ふわふわと僕の体を温める毛布。
それが、”僕の使っていたものと異なっている”事に気がついたのは大晦日の夜。
加奈に指摘されて初めて気がついた。




