貴方なんか大嫌いだけど大好きよ!
扉を開くと、そこには既に彼の姿があった。
「クロエ」
安堵する彼の姿に、私はドキリと胸を高鳴らせた。そして、彼は嬉しそうに瞳を細めた。
「首飾り、よく似合ってる」
「あ、ありがとうございます……」
視線を彷徨わせ、私は静静と彼の近くの席へと座した。
「あぁ、髪飾りも付けてくれたんだね」
「え、えぇ、そうですわね」
何で他人事なのですか!
自分で自分を叱咤する。
慣れとは恐ろしい。素直に彼に気持ちを伝える。そう決めて私はここに来たというのに、彼を前にすると、つい素っ気ない態度をとってしまう。
加えて言うと、とても恥ずかしい。昨日の今日だ。昨日、あんなに無防備にジルに好きだと言い募り、指とは言え彼に口づけまでしてしまった。何度思い出しても恥ずかしい。穴があったら入りたいと、仕事を済ませると早々にベッドに潜り込んだが、一向に眠気は来ず、朝から寝不足気味だ。
「少し、寝不足?」
「!」
何で分かりましたの?!
「少し目が赤いよ」
そんな馬鹿な! 目薬を差して、赤みは抑えられたはずなのに……。
私が信じられないと目を見開いてジルを見つめていると、頬を掻いて「ごめん、嘘。クロエは睡眠不足だと瞬きが多くなるんだよ」と言われ、そんな私自身が知らない癖まで知っていることに驚愕した。
「自分でも結構気持ち悪いって自覚はあるんだけど……、ごめん」
「い、いえ」
本気で恥じて、反省をするジルの姿は、何処か間が抜けていて、私は思わず笑みを溢した。そんな私を、ジルは何とも言えない複雑な表情で見つめ、最後には笑みを浮かべた。
「少しは緊張、解れた?」
「あ……」
ジルの言うとおり。先ほどまでの緊張は薄れていた。態とではなかったにしても、ジルのお陰で緊張は解せた。
ありがとう、と言うのもおかしな話なのだが、私が礼を言うと、やはりジルは複雑な顔をして見せた。
「ジル」
「は、い」
私が名前を呼ぶと、ジルの表情は緊張に満ちたものに一変した。私は震える唇を閉じたり開いたりを何度か繰り返し、私とジルの視線が交わると、意を決して言葉を発した。
「ふ、つつか者ですが、私で良ければ、貴方の、妻にしてください」
震える声は、部屋に静かに響いた。
あああ、言ってしまいました!!
震える唇を固く紡ぎ、交錯していた視線を外した。顔に熱が篭もる。顔どころではない。体中が、今にも発火しそうなほどの熱を発していた。
どれだけそうしていたのか分からない。一瞬だったのか、何分も過ぎていたかもしれない。彼の顔を見る勇気がなくて俯いていた顔を、意を決して上げて、ジルを見た。そして、私は驚愕に目を丸めた。
「ジル?」
ジルの頬を伝う雫。それが彼の涙だと分かるのに、時間は掛からなかった。
「ごめん……。嬉しくて、ちょっと、止まんない」
ボロボロと流れるそれを、ジルは手で拭い続ける。私はハンカチを取り出し、彼の目元をそっと拭った。
「クロエ」
「ジルの泣く姿を見るなんて、夢にも思わなかったわ」
クスリ、と笑う私に、ジルは微笑む。
「僕も、君にこんな風に涙を拭ってもらうなんて……。夢じゃないかな」
「夢じゃないわよ」
彼の頬間近に寄せたハンカチを持つ手を取ると、ジルは「抱き締めても良い?」と訊いた。ほんの少しだけ躊躇してから、私は頷く。それと同時に、ジルは私の身体を強く抱き締めた。
「大切にする、もう不安にさせない、君しかいない、君しか愛さない……!」
首筋にポタリと雫が落ちる。私はジルの身体に腕を回し、宥めるように背中を撫でた。
「私を捨てたら、シャーリーさまが許さないわよ」
そう伝えると、ジルは噴き出して「あぁ、それは怖いな」としみじみと呟いた。
「死ぬまで君を大切にする、愛してる」
「私も、この命が尽きるまで、愛してるわ」
そう伝えると、ジルは身体を少し離す。涙で潤んで赤くなった琥珀の瞳が私を捕らえて離さない。私も彼を捕らえて離さない。
どちらからと言わず、顔が近づき、互いの唇が合わさった。
唇を合わせるだけだったキスは、ジルの舌によってその繋がりを深めた。唇をぬるりと抜けてきた彼の熱い舌は、私の歯をなぞった。おずおずと口を開くと、スキをつくように口内へと舌を滑らせた。ジルの舌は、私の舌と絡み合い、離れたかと思うと口の中を蹂躙する。
「ふ、っ……」
まだ二回目のキスだというのに、あまりに複雑な愛撫に、私は呼吸の仕方さえ忘れる。胸は高鳴り、脳は甘く痺れる。 ふと、口を離されるが、舌はまだ絡み合っている。思わず閉じていた瞼を薄く開くと、熱を孕んだ琥珀の瞳が目に入った。ぞくりと背筋が震えた。
「ふ、……っ、ぅん」
あぁ、食べられてしまう。
そんな事をふと思うと、再び唇を塞がれた。噛み付くようなキスに、私が感じたのは恐怖ではなく、甘美。
食べられても良い。そんな風に思うのは変だろうか。
私の口内を蹂躙する舌へ、私は自ら舌を絡ませる。そしてそのまま、彼の口内へ私の舌を滑らせた。彼がやったように、私は拙く口内に舌を這わせる。首筋にひんやりとしたものが流れる。どちらの唾液だろうか。
「はぁっ、は」
ようやく唇が離れて顔を見合わせる。私の唇に引いていた紅が、彼の唇に移っていた。お互いの顔は、激しいキスに紅潮していたが、見合わせたことにより首筋まで真っ赤に染まり上がってしまった。
「ひゃっ」
ジルの顔が近づいたかと思うと、首筋へと移動し、先ほどまで感じていた熱い舌が首筋を舐め上げた。
「ごめん……、唾液が流れてたから……」
瞳を伏せて、ジルはそう呟いた。伏せられた瞳は、未だ熱を孕んでいる。
あぁ、キスをしてしまった。ファーストキスではないけれど、キスとは、こんなに深くて情熱的で、気持ちの良いものだったのか。
踏み込んだ事のない、大人の階段を登ったことを理解する。
高鳴る胸は止まらない。離れた唇は冷えてきて、舌は物足りなさを感じていた。私の身体に巻き付く腕は熱く、強く私を離さない。私の腕も、それが自然であるかのように、彼の身体から腕を離すのを躊躇った。
「ごめん」
「え?」
ほんの少しだけ、ジルの腕の力が弱まる。そして、申し訳なさそうに「がっつき過ぎた」とポツリと言う。
「まあ、ファーストキスを無理矢理奪った方の言葉とは思えませんわ」
そう応えると、ジルは言葉を詰まらせ、「悪かった」と花が萎れたように肩を落とした。
「あの時は、呪いが解けたばかりで、君に僕の気持ちがようやく真っ直ぐに伝えられると思って、浮かれてた。しかも、君に勝てば僕のものに出来るし、あぁ、しかも君に勝ったと思ったら目を閉じるから思わず……、勝手に勘違いして……。本当にごめんなさい」
両手で顔を覆い、とうとうその場でしゃがみ込んでしまった。何だか、逆に私の方が申し訳なってしまう。
「もう良いですわ。あの時の仕返しはその場で返させていただきましたので」
そう言うと、ジルはビクリと身体を震わせた。そして、小さく消え入りそうな声で「もう無理矢理しません」と呟いた。しょげてしまったジルの頭を撫でる。
いつも目上にあった、初めて見るその頭頂を思わずまじまじと見る。その頭頂が、ヤケに愛おしい。
私は、これから先ずっと、普通では見れない彼を見ることが出来ますのね……。
彼の額に唇を寄せる。チュッとリップ音が鳴り、それに驚いてジルの顔が上がった。唇が戦慄いたかと思うと、ガバッと抱きつかれた。ギュウギュウと苦しい位に抱き締められる。そして「もうしません」ともう一度震えながら言うので、私は「信じますわ」と頭を優しく撫でて、安堵に微笑むのだった。
◇
その後は、トントン拍子で事は進んだ。
デヴェリア家とシャフト家にそれぞれ挨拶し、王族に挨拶をして、半年後には結婚式を挙げる手筈となった。王族側は、勇者の結婚式なのだから華々しくやろう、と言うのだが、それを嫌った私は頑なに拒否をした。それは、件の試合の記憶が強く残っているためだった。
式も披露宴も身内のみと決定したが、ここで思わぬ横槍が入った。
何と、シャーリーさまも結婚するというのだ。相手は神官長。確かに、シャーリーさまは神官長とよく話されていると思っていた。しかし、それは巫女と神官長という間柄故だと思い込んでいたため、私は驚きを禁じ得なかった。神官長は、自身の能力でその地位まで登り詰めた素晴らしい方だが、後ろ盾の全くない彼が王族になるのを嫌う者も少なからずいた。だからと言って、他に有力候補者がいるかと言われると難しい。何より、この国に伝わるジンクスとして、神官長と巫女が結ばれた時代はその後繁栄すると言われていた。巫女が現れたのは過去五回だけだが、その五回とも神官長と結婚し、そして国は大いに繁栄していた。たった五回だが、一度の例も漏らさずに結果が出ていては反論する余地もない。結果、大多数の承認を得て、婚約の運びとなった。
そこまでは良い。シャーリーさまが幸せになるのは、何より私の喜びだ。会う度にお祝いを述べていたが、そのシャーリーさまからとんでもない提案を受ける。
「同じ時期に結婚するんですもの。凱旋パレードを一緒にやりましょう」
シャーリーさまはにこやかに、神官長は申し訳なさそうに、ジルは口元を引き攣らせ、私は無表情になった。シャーリーさまの有無を言わさない提案は、その一時間後には「私たちの結婚式の方が後だから、それから一ヶ月後にやりましょう」と実施が確定したことを告げられた。
シャーリーさまは、その見た目から儚く弱い姫として捉えられがちだが、実際の彼女は豪胆だ。やると言ったらやる、有言実行者だ。彼女こそ、まさに王族の中の王族と言るのではなかろうか。
凱旋パレードのスケジュールも進む中、とうとう今日は、私とジルの結婚式である。
総レースでできたAラインのドレス。髪は綺麗に纏めあげられ、銀のティアラが乗せられている。端に白百合が刺繍されいるヴェールは、白百合騎士団の団員が一人一人刺繍したものだ。先日渡され、あまりの嬉しさに泣いてしまい、翌日は顔を合わせるのが少し恥ずかしかった。胸元には、ジルが贈ってくれた首飾りを付けている。
「お綺麗ですわ、クロエさまっ!」
涙ながらにそう言ってくれるのは、先日退職したばかりのスージィだ。今日のクロエのためだけに嫁ぎ先から馬車で三日掛けて来てくれたのだ。
「ありがとう、スージィ。今日も来てくれて本当に嬉しい。貴女には感謝してもし切れないわ」
「そんな、もったいないお言葉です」
「いいえ。貴女があの時、私の背中を押してくれたから、今の私がいるのよ。本当にありがとう」
そう伝えると、スージィはボロボロと大粒の涙を流して「クロエさまがお幸せになられて、スージィも幸せです」と嗚咽混じりに言う。私とスージィのやり取りに、他の侍女たちからすすり泣きが広がる。冷静だったのは侍女長だった。
「皆、泣いては駄目よ! クロエさまに感染ってしまうわ!」と慌てて泣き始めてしまった侍女を部屋から追い出した。そして、念の為に、と残った侍女たちで目元の化粧を直すと、「クロエさま、お時間ですわ」と侍女から知らせが入る。
待合室から王宮内にある教会の扉前まで向かう。教会までの道のりは王宮内を歩くことになるため、人目についてしまうのだが、私の顔を覆うヴェールと侍女たちの壁によって、それは未然に防がれた。
教会の扉前に着くと、そこには正装姿のお父さまがいらっしゃった。
お父さまは私の姿に瞳を潤ませ「寂しくなるなあ」と呟く。そして、「幸せになりなさい」と私へ手を差し出し、私はそれに「はい」と頷いてお父さまの手に私の手を重ねた。
扉が開く。
バージンロードを挟んだ両隣にある席には、それぞれの親族が並ぶ。お父さまのエスコートの元、私は先に居る婚約者の元へ進んだ。空色の髪は普段と同じように結われているが、その飾りは細工が施それている、普段とは違うもののようだ。白のタキシードを着たジルは、とても穏やかに微笑んでいた。
緊張くらいすれば、良いのに。可愛げのない。
結婚を申し込んでいた時は、あれほど可愛らしく見えたジルだったが、その後は別人かと思うほど落ち着いて余裕のある態度を見せた。
演技だったのかしら。
そう疑心暗鬼になって、悪戯に「ジルなんて嫌いよ」と言ってみたところ、物凄い勢いで顔を青褪めさせ、冗談だと言っても信用して貰えず、説得するのに三日も費やした。二度とやらないと誓った、ほど疲れた。
彼のあの余裕は私への信頼故だ。そう思うと、それはそれで愛おしい、なんて思ってしまう。ただの惚気だ。
お父さまからジルへと受け渡される。ジルは真剣な眼差しで敬礼し、お父さまはそれを見届けると後ろへ下がって行った。
「では、始めましょうか」
にこやかにそう告げるのは、クレス神官長。彼とは魔王討伐の旅でも一緒で、それより前からも親交があったので、ジルと共に仲良くしてもらっている。しかし、最近は顔を合わせる度に「君が女性で本当に良かった」としみじみ言われるので、いい加減どういう意味なのか説明して欲しい。
「ジル・ゲン・シャフト。貴方はクロエ・フォン・デヴェリア・アナスタシアを妻にすることを、神と精霊に誓いますか?」
「誓います」
「クロエ・フォン・デヴェリア・アナスタシア。貴方はジル・ゲン・シャフトを夫にすることを、神と精霊に誓いますか?」
「はい、誓います」
「それでは、指輪交換をしてください」
そうして差し出された指輪は華美なものではなく、私の物に少しだけ細工が施されたシンプルなものだ。お互い騎士団に身を置く者なので、普段付けるならばあまり飾り気のないものが良いと私が伝えたためだ。
ジルから私へ、私からジルへ、指輪を交わす。
「最後に、神と精霊の前で誓約の口づけを交わしてください」
ジルと私、それぞれ向き合い、ジルは私へヴェールアップする。ヴェールに覆われた顔が顕になると、ジルはゆっくりと屈んで、私の唇へ唇を重ねた。
結婚を決めてから、幾度となく交わしたキスだが、儀式とは言え、流石に人前でするのは恥ずかしい。だから、触れるだけのキスにしようとジルには言っていた。
だと言うのに、触れ合うだけのキスだった筈なのに、なかなかジルの身体が離れない。無理矢理身体を離そうにも、肩を掴まれていて身を捩っても逃げ出せない。ジルの舌先が唇の間をすり抜けるが、断固としてそれ以上の侵入を許さず、歯を強く噛み合わせた。
流石に長過ぎると「お二方、あのそろそろ……」なんて、クレスが言葉を掛けてきた。それに伴い、親族席もややざわつき始めた。
私は空いている自身の手でジルの胸を叩き、それでも離れてくれなくて、終いに私は彼を押し飛ばした。
「ジル!」
場を弁えずに思わず怒鳴ると、ジルは悪戯っぽく「僕を嫌いだなんて言った、その仕返しだよ」と私にしか聞こえないほど小さな声で微笑んだ。
「なっ」
茫然とした顔でジルを見る。
ちょっとしたハプニングはあったものほ、ひとまず結婚式の儀式は終了したため、参列者に見送られ、私はジルと共に教会を後にした。
そして待合室にて。
「何であんな恥ずかしいことをするのですか!」
戦慄く唇でジルを叱る。ジルは意地悪く笑み「意地悪に意地悪で返しただけさ」と言う。
そう言われると、私も弱い。確かに意地悪をしたのは事実。
けれど、ですが……!
戦慄く唇では、上手く言葉を紡げない。歯噛みをしていると、ジルの顔が近付き、唇に軽くキスをされた。
「クロエ、愛してる」
こんな時に言うなんて、卑怯ですわ……!
「ジル……なんて大嫌い、だけどそれ以上に大好きよ!!」
最後までお読みいただき、ありがとうございました!




