貴方なんか✕✕✕!
勇者選定の日。
その日、僕は王都に来ていた。勇者選定の儀が執り行われる式に参列するためだ。
王都にいる貴族らと各部族から選ばれた数名が参列することになっており、バルゲンシャ族からは僕が選ばれた。それは、魔王討伐の部隊には勇者の他に各部族の戦士が一名ずつ参加することになっているのだが、バルゲンシャ族からは僕が選ばれたためだった。
どんなやつが勇者になるんだろうか。
選ばれる勇者も楽しみだったが、それ以上にクロエから離れなければならない事実がとても辛かった。けれど、彼女を守るためにも、絶対に魔王討伐は成功しなければならないので、そう考えるとやる気が出た。
そして始まった勇者選定の儀。儀式は、アナスタシア王国の王族である姫巫女シャーリー殿下によって執り行われた。
神への祝詞を捧げ、勇者に呼び掛ける言葉を口にし続けた。そんな中、身体を屈めて、今にも倒れそうな様子の女性が僕の目の前にいた。
クロエだった。
僕は、崩れ倒れそうになる彼女の身体を支えたが、まるで炎に触れたかのような熱さに思わず手を離しまうと同時に、不安が過ぎった。
まさか――。
疑いと戸惑いの中で彼女にもう一度触れようとしたその瞬間、彼女の姿は消え、その代わりに頭には久方ぶりの声が響いた。
『貴様の番が勇者に選ばれた。あの番と共に魔王を討伐した暁には、お前の呪いを解呪してやろう』
白昼夢のような感覚にぼんやりしていると、シャーリー殿下がいた舞台の上に皆の視線が集まっていることに気付いた。
そこには、シャーリー殿下に対して傅くクロエの姿があった。
どこまでが呪いで、どこまでが神の選定で、どこまでが偶然なのか。
クロエが選ばれたのは、僕の呪いのせいなのか、神の選定なのか。
前者ならば、僕はどう償えば良い?
呪われた僕は、彼女を守ることができるだろうか。
「我が身はアナスタシア王国のために。我が身はアナスタシア王国の民のために。我が忠義はアナスタシア王国にあり! 必ずや、災厄を打倒して、アナスタシアに安寧をもたらしましょう!」
不安に苛まれる中、クロエは飽くまで取り乱さず、凛とした声でそう宣言した。彼女の言葉に、参列者たちは拍手と歓声を贈った。彼女の意思に従う、と。その拍手は盛大に鳴り響いた。
◇
「そして、君は魔王討伐を見事果たした上に、間接的だけど僕の呪いも解いてくれた。おかげで僕は、君に愛を伝えられるし、君を抱きしめることもできる」
「ま、待って! 待って!!」
ゆっくりと迫るジルを抑え、私は慌てて抗議した。
「貴方が呪われていたことは、理解したわ。えぇ、それならば、確かに天変地異が起きたような貴方の態度の変化にも頷けます。それは良いですわ。いえ、本当はよろしくないのですが、それよりもですよ? 貴方が私の事を、す…………なのは分かりましたが、私の気持ちも知ってますわよね? 私はあなたのことは好きではありません、と何度も伝えてますわよね?」
「うん、そうだね。でも、それが嘘だってそとも知ってるよ」
「嘘じゃないわ!」
何故だか自信満々に言うジルに、私は悲鳴のような声を上げた。
「いいや、嘘だね。君が僕のことを好きだって叫んでるの、聞いたからね。この間」
「……き、いた?」
私の顔は、さあっと青褪めた。否定ができなかったのは、身に覚えがあったためだった。
それは、ジルが私の婚約者となってしまった日の翌日まで遡る。
私の心は、荒んでいた。鬱憤が溜まっていた。
勝手に告白されたこと。
勝手に婚約者にされたこと。
勝手にキスをしたこと。
私のファーストキスを奪ったこと。
私は悲しかった。何故なら、それら全て彼にとってはただの悪戯であり、嫌がらせなのだと知っていたからだ。
トボトボとある場所へ向かっていた。
そこは、王宮の中でも殆どの人が訪れない、昔々に掘られた井戸。今はもう使われておらず、中は干上がって、ロープや木の桶などが取り外されていた。早朝ランニング中に見つけたこの場所を思い出したのは、溜まった鬱憤を大声で吐き出したかったためだった。
周囲に防音魔法を張る。範囲の調整が難しく、私の場合は半径五米ほどの範囲まで狭めるのが精一杯だった。建物の影に隠されたその井戸へ顔を覗き込ませ、私はスゥと息を吸い込んだ。
「ジルの馬鹿ーーー!! 人の気も知らないで、キスなんてしないでよ! ファーストキスを何だと思ってるのよー! 貴方なんか、貴方なんか、大好きなんだからーーー!!」
それから暫くも色々と叫んで、ストレス発散した私は、防音魔法を解除して、自室へと気分良く帰って行った。
この井戸の横の建物は、他国や他地域からやって来た要人が病に臥せった際に利用される塔だった。王宮には高位治癒術師も医師もいるため、余程の大怪我でない限りは滅多に使用されないのだが、その日は前日に勇者の剣で全治二週間の深手を負ったジル本人がその場にいたのだったと言う。クロエには運悪く、ちょうどその井戸の目の前の部屋に……。
「聞いて、しまったのですか?」
「不可抗力だよ。怪我のことなんて忘れて、君の傍に駆け付けたくて堪らなかったほどだよ。お陰で三日も早く完治できた」
今ならば、顔で湯が沸かせるに違いない。それ程に顔が熱を帯びているのを感じた。そんな私の様子に、クスリと微笑し「かわいい」とジルは愛おしげに呟いた。彼の大きな手が、ゆるりと私の頬を撫でる。ひんやりとした手の感触が心地良い。
ではなく!
どういう事ですの? どういう事ですの?! 私はジルが嫌いだけど好きで、ジルは私を嫌いだと思ってたらそれは呪いで私が好き?! あら、逆だったかしら? 呪いで私を好きになって今は私が嫌い??
「ジルは、私が嫌い?」
「……何でそうなるの」
はあ、と大きく溜息を吐かれた。ムッと怒る余裕もなく、パチクリと瞬きを繰り返してジルを見た。
ジルは私が好き。私もジルが好き。ジルは私の婚約者。結婚相手。
「えええ?」
自分の中で構成された常識を覆され、頭が熱暴走しているようだ。
無理ですわ。これ以上考えられません。帰って寝ましょう。
「クロエ?」
ジルの手を振り解いて、すくっと立ち上がった私を訝しげに見るので、私は無気力に「帰って寝ます」と告げた。
「体調でも崩した? ならば送って行くよ」
慌てて、本当に心配をするジルの様子に、私は意味もなく笑いが込み上げてきた。
「あ、はは……。大したことありませんわ。大丈夫です。なので帰ります」
「駄目。君にもしもの事があったら、僕は生きていけない……」
逃げようとする私の手を、再び掴む。ギュッと掴まれた手首は痛み、そして熱かった。ジルの熱っぽい琥珀が、私を捕らえる。
「そ、そんな、大丈夫ですわ……。私など居なくとも、貴方には好いてくれる方も多くいらっしゃいますわ。私のことなど、すぐに忘れられます」
あぁ、何故私は彼の言葉に律儀に返しているのですか。
彼の手を振り解くだけ。彼を押し退けて部屋へ帰るだけ。
たったそれだけの事が出来ない。
「そんなこと、あり得ない。僕は君以外を愛さない。愛しているのは君だけだよ、クロエ」
愛おしげに見つめられたかと思うと、身体が密着するほどに迫られて、気づくと彼の腕の中に抱き上げられていた。
「じ、じるっ?! 離してください!」
「暴れないで。あと、危ないから腕を首に回して」
有無を言わさぬ顔で言うジルに、私はまたも律儀に頷いて、両腕を彼の首に巻き付けた。渋い顔をするクロエに対し、幸せに満たされた笑顔のジル。初めて見る顔に、クロエは幻でも見ているようだった。
貴方、そんな表情もされるのね……
「うん? 何か言った?」
「い、いえっ!」
頭で思っただけのつもりだったが、気付かず口に出てしまったようだ。
真っ赤になった顔を極力合わせないように、と私は顔を俯かせる。
ジルはゆっくりとガゼボを離れ、薔薇のアーケードを抜ける。無言が続くかと思いきや、ジルは積極的に私に話し掛けてきた。
「そのドレス、とても似合うね」
「はぁ、どうも」
「君はいつも団服姿で、凛々しい姿の君も美しいけれど、ドレス姿の君はとても可愛いね」
「かわっ?!」
「おわっ!」
ジルの口から発された言葉に、思わず腕を離して身体をたじろがせた。私のせいだと言われると解せないが、バランスを崩した私の身体を慌てて抱き直した。
「っと……、危ないから。ほら、首」
体勢を整えたジルは、私が腕を首へ回すまで待っている。なので、慌てて腕を回して顔を俯かせた。
あぁ、ジルの言うとおりにするしかないなんて……。しかも、こんなに身体を密着させて……、胸だってこんなにドキドキとうるさいのに、聞こえてしまうじゃない……!
「クロエ、どっちへ進めば良い?」
「あ……っと、左へ」
いつの間にか、王族居住塔のパラス近くまで着ていた。と言うより、ちょうどパラスに着いたところだった。
「はぁ。噂には聞いていたけど、凄いなあ」
入門口に立つ門衛に「体調が優れないようなので、彼女を部屋まで送りたい」と、自身の身分証を見せた後、立入りを許可されたジルはパラスへと入り、そわそわと辺りを見回しながら私の部屋へと向かった。
「本当にね。勇者に選ばれたからと言って、こんな……。場違いよ、私には」
思わず溢れた、ぼやくような呟きだったりそれに、ジルはキョトンとした顔をした後、私を安心させるような笑みを浮かべた。
「そう、かもね。でも、深窓の令嬢よりも、剣を携えて人のために頑張る君の方が、僕は好きだな」
「すっ! ……さ、先ほどから思っていましたけど、そんな言葉、軽々しく言うものではないわ」
「何故? 好きな人に好きというのは当然だろう?」
「けれど、でも、だって……」
戦慄く口では、もう何も言えなかった。ジルも、言葉を失った私に遠慮したのか、しかし嬉しそうな顔で、私の様子をチラチラと窺っていた。
「ここですわ。下ろしてくださいませ」
自室の前へ辿り着くと、慌てた様子で侍女のスージィがこちらへ向かって来た。
「クロエさま?! どうかされたのですか?」
「少し体調を崩したようだ。休ませてあげてくれるかい?」
そう言って、私をゆっくりと下ろす。
「ジル、……あの」
「体調が落ち着いたら、また会ってくれるかい?」
愛おしげなその瞳に、私は知らずにコクンと頷く。破顔したジルは、最後に手の甲にキスを残して、去って行った。
暫くの間、その場から動けなくなった私を、涙目になったスージィが必死に部屋へと引っ張って行くのだった。




