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勇者は婚約者が大嫌い!  作者: えあきる
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貴方なんて信じない!

 早朝ランニングに早朝鍛錬。一通りを終えた私は部屋へ戻り、シャワーを浴びた。汗ばんだ身体を水で流すと、侍女たちがやって来て、花の香りのする香油を肌に塗られた。胸当て、ショーツ、ストッキングにガーターベルト、と肌着を通すと、次はコルセット。キュッと少しだけ絞り込んだだけのウエストは細く、侍女たちは羨ましげに見つめた。ドレスを着る前に化粧と髪を結い上げられる。目の縁を彩るアイシャドウは、ラベンダー色。頬にはローズピンクの頬紅を添え、唇にはベージュピンクのルージュを引く。ドレスは私の瞳と同じ蒼。銀糸で描かれた模様は花のようであり、水の流れのようでもある。胸元に白薔薇のコサージュを付けた。

 今日は、シャーリーさまにお誘いいただいた茶会に参加する。都合よく、その日は私も休日だった。参加の旨を伝えると、シャーリーさまはとても嬉しそうに微笑まれ、ドレスを着用して来るように命じられた。

 あまり身に着けないドレスだが、侍女たちの腕が良いのだろう。普段は化粧っ気もなく、男性のようにパンツスタイルで過ごす私が、如何にもお嬢さまといった出で立ちになったのだ。鏡の前で感心している私に侍女たちは、やり遂げた気持ちで満たされているようだった。

 さて、ドレスを着込んでしまったので、遣れることも限られる。シャーリーさまが指定された時間まであと一時間ほどあるので、私は王宮にある図書室へと向かった。

 王宮には古くから保管されている図書も多くあり、私が長らく探していた魔法学の本も全巻揃っていた。一番上の兄が魔法学の権威者ということもあり、私も少なからず興味があった。加えて、魔王討伐で成長した私の魔力は、兄の目から見ても見張るものがあるらしく、時折兄に呼ばれては彼の調査の手伝いもしている。

 少しでも兄のためになるならば、と私もこうして独学で学んでいるのである。

「あら」

 図書室へ着いた私は、中にいた司書の方へ借りていた本を渡し、目当ての本がある本棚へと向かった。その本棚は、図書室の中でも奥まった場所にある。一番下の段に置かれていたと思ったのだが、借りようとしていた巻数が、ちょうど繰り越して隣の一番上の段に配置されていた。本棚は高く、目当ての本が配置されている棚までは、背伸びをしても私の身長では届かない。図書館では、本の保全のために魔法の私用を禁じており、部屋全体に魔法無効化の術が掛けられている。どうしても、自分の力で取らなければいけないのだ。仕方なく、踏み台を借りようとしたその時だった。

「これかい、クロエ?」

 行く手を阻まれたかと思うと、誰かの身体が私を覆うようにして立っていることに気付いた。目当ての本は、骨張った長い指先で本棚から抜き取られる。本を目で追うと、その男の顔が視界に入った。

「なかなか古い本を読むんだね、クロエは」

「……退いて下さらないかしら」

 私は、その男――ジルを睨みつけた。

 そのまま暫くは行く手を阻むと思われたジルの腕が退かされると、私はそのまま急ぎ足でその場を後にした。

「クロエ、本は」

「……」

 私は彼の言葉を無視して、図書室を後にした。

 何故、あの男が王宮にいるのかしら。

 ジルは騎士団の参謀を任されているので、いても特に不思議ではないのだが、何かが引っ掛かっていた。そして、嫌な予感もした。

 部屋へ戻るまでは絶対後ろを振り返らない、と足早に歩を進める。が、その途中、私専属の侍女スージィが私を呼び止めた。

「クロエさま、そろそろお時間ですわ」

「……そう。ありがとう、教えてくれて」

 ほんの少し安堵を感じて、私は溜息を吐いた。侍女は何かあったのだろうと察している様子だったが、口出しはしなかった。恐らく、私の苛ついた感情が表に出ていた為だろう。

 私はスージィを後ろに付け、シャーリーさまが待つ庭園へと向かった。

 シャーリーさまが指定された庭園は、王族と彼らが招待した者しか入れない庭だ。許可を得ず入ろうものなら、不敬罪でその場で捕縛され、幽閉される。それ故に、庭の周囲は王族の居住棟であるパラス並の警備体制が敷かれている。

 その庭の入り口は、真っ赤な薔薇で飾られたアーケード。そのアーケードを抜けた先に、庭園はある。

 木々に囲まれた小さな庭園は、様々な色の花々で彩られていた。その庭の中心にはガゼボがある。そこがお茶会の席だ。シャーリーさまは既にいらっしゃって、私の姿を見るとニコリと微笑まれた。

「クロエ、いらっしゃい。こちらに来るのは初めてだったかしら?」

「えぇ、シャーリーさま。警備に当たったことはありますが、こうして来るのは初めてです。本当に、素敵なお庭ですわね……」

 花と緑の匂い、鳥の囀り。まるで森の中にいるようだ、と荒んだ心が癒やされる。

「気に入ってもらえて良かったわ。さあ、こちらへお座りになって」

 私の手を取ると、シャーリーさまに導かれるまま、私は席へついた。私が座ったことを確認すると、シャーリーさまは「あと一方、お招きしているの。もういらっしゃると……」と薔薇のアーケードへと視線を向けて、言葉を止めた。どうやら、そのもう一方がいらっしゃったらしい。

「お招きに預かり光栄です。シャーリー殿下」

 その声に、私は勢い良く背後を振り返った。フフ、と笑ったのはシャーリーさま。

「お待ちしておりましたわ、ジルさま」

 この瞬間、ハメられたのだ、と私はようやく理解した。


 ◇


「では、後はお二人でごゆっくり」

 そう言い残すと、シャーリーさまは席を立たれた。

「シャーリーさまっ?」

 慌てて呼び止めるが、シャーリーさまが席へ戻られる様子はない。

「クロエ、ジルさまとお話しなさい」

「嫌です! シャーリーさま」

「許しません。命令ですわよ」

 命令。そう告げられ、私は反論する余地を失った。相手はシャーリーさまなのだが、思わぬ状況に、私は不服を訴える目つきで唇を噛んだ。

 シャーリーさまは「ごめん遊ばせ、クロエ」と悪戯っぽく笑み、次にジルへと視線を移した。

「ジルさま、先日のようなことをされましたら、流石の私も黙りませんわよ。よろしくて?」

「はっ」

 ジルは、胸に手を当て敬礼をする。その様子を見納めると、シャーリーさまは薔薇のアーケードへと進んだ。立ち去ろうとするシャーリーさまを、ジルは呼び止めた。

「何かしら?」

「この場を設けていただき、感謝いたします」

「活かすも殺すも、貴方次第でしてよ」

 そう言い残し、今度こそシャーリーさまは薔薇のアーケードを抜けて立ち去ってしまった。

「さて、では話そうか。クロエ」

 ガゼボへ足を踏み入れたジルは、私の隣へ腰を下ろした。

「……貴方と話すことなど、ありませんわ」

 抑揚なく返して、ツンと顔を反らす。

「僕にはあるよ」

 ジルは私の手を掴んだかと思うと、一気に私の傍まで近寄った。腰と腰が密着し、顔はすぐ目の前にまで差し迫った。

「は、離してください!」

「嫌だ」

「なっ!」

 ジルの琥珀の瞳に、私は捕えられる。逃げられず、私は戦慄く唇を叱咤して言葉を発した。

「……い、嫌がらせならもう充分じゃありませんか。大嫌いな私の婚約者になってまで、貴方は何をしようと言うのですか!」

「嫌いなわけがないじゃないか。嫌いな人間の婚約者になれるほど、僕は出来た人間じゃない。それに、僕は君をたくさん愛して甘やかしたくて仕方がないんだ」

「言ってる意味が分かりません! それも何かの嫌がらせですか?! そんな事せずとも、どうせ破棄する婚約ならさっさと破棄すれば良いでしょう!」

「破棄なんてしない。するわけがないじゃないか」

「はっ?」

 破棄をする気がない?

 では何故私と婚約したのですか? 生涯かけて嫌がらせを続けると言うの?

「あっ、愛のない結婚など、私はしたくありません! 貴方のような、私のことを愛さない人の妻になど、なりたくありません!」

「愛ならある。僕は君を愛してる」

 蕩けるような眼差しと言葉を向けて、その手にある私の手を掬い上げると、ジルは私の指にチュっと口付けた。

 指に感じるその感触を、覚えている。忘れるわけがない。初めてだったのだから。

 目頭が熱くなる。気を少しでも緩めると、泣いてしまいそうだった。

 何で、私はこんなにこの人に振り回されなければならないの。

「貴方が分かりません! 今までの貴方の態度は何だったと言うの?! 散々嫌いだと言われ続けた私の気持ちも知らないでっ!!」

「それは……。うん、ごめんなさい」

「……え?」

 琥珀の瞳に、初めて影が差す。しおらしい声で謝罪するジルを、私は信じられずに見つめた。

「君を傷つけたくないなら、本当は近づかなければ良かったんだけど、どうしても少しでも君に会いたかったんだ」

 だからごめんなさい、と。自らの罪だ、と彼は悲しい顔をして、深々と頭を下げた。私の頭は混乱していた。

 何なんですの、この方は!? 本当にジルですの? まるで別人でありませんか! 私に一度も謝罪なんて口にしなかった、あのジルが謝罪だなんて……!

 言いたいことも纏らず、私は口をパクパクと動かした。

 混乱している私を見兼ねたのか、ジルは口を開いた。

「僕はね、呪われていたんだ。バルゲンシャ族が奉る精霊にね」

「……呪い? 精霊?」

 突然の単語に、私は混乱を極めた。ジルは、ゆっくりとした口調で説明を始めた。

「魔王が復活する前の年だったかな。幼い頃にね、悪戯をしたんだよ。精霊アルティと、その番の精霊ルーナーの再会を祝する夜に」

 精霊アルティと精霊ルーナー。

 彼らは、アナスタシア王国に伝わる神話に出てくる精霊だ。アルティは太陽に仕える精霊、ルーナーは月に仕える精霊。二人は番だったが、太陽は朝昼に世界を照らさねいけないのに対し、月は夜に世界を照らさねばならなかった。故に、アルティとルーナーは滅多に逢瀬を重ねられなかったが、唯一新月の夜だけは、逢瀬を交わすことができた。

 アルティとルーナーとが出会う新月の夜は、月が消える終わりの夜であり、新たな月が生まれる始まりの夜であった。

 その日を祝するために、バルゲンシャ族は、毎月の新月の夜には祈りが捧げられた。

「ある新月の夜、僕は出来心で悪戯をしたんだ。祈りで使われるルーナーを模した像、それを隠したんだ。大人は大慌てで探していて、それが幼い僕にはとても愉快だった。無知で愚かだろう? 絶対見つからない自信だけはあったから、眠たいのを我慢してずっとその様子を眺めていたんだ。そして朝を迎えて、探索に疲れ切った大人の目をかいくぐって、僕は像を人の目につく場所へ置いた。像が見つかって安堵した一族は、その夜に祈りを捧げた。一族は祈りが出来て満足していたけれど、それじゃあ駄目だった。もうその日は、新月ではなかったから。一晩中起きていた僕は沈むように眠っていたんだけどね、夢を見たんだ。祈りの儀で使われるアルティの像に似たものが現れた。その顔は、にこやかに微笑む像と同じ顔だったけれど、表情は怒りに満ちていた」

『貴様は私の番を隠した! 貴様にとっては、たった一度のことだろう。しかし、私にとっては唯一無二の一度なのだ! この怒り、この悲しみ、この寂しさ!! 貴様にも味合わせてやる! 貴様に番が現れた時、それから私が許すまでの間、お前が番を愛することを禁じる!!』

「当時は、只々アルティの怒りがとても恐ろしかったけれど、所詮は夢、朝起きても特に何もなかった。だから、ただの夢だと思ってそのまま過ごしていた。それから何年か経って、夢も忘れ掛けていたある日、王都で君と出逢った」

 悲しげな顔をするジルの表情が、ほんの少し更に曇り、私の手を握る力は強まった。

「出逢った瞬間、君に一目惚れした。剣を握る君は勇ましく、凛と佇む姿は美しく、微笑む表情は愛らしく。君を知れば知るほど好きになった。けれど、そう、君と出逢ったその瞬間から、呪いは発動してしまった」

 彼の話を聞く最中、ジルとの初対面の時を思い出した。

 それは、暖かで穏やかな春の一日だった。花々が咲き乱れる中の茶会で、私はジルと初めて出会った。

 実を言うと、私も彼に一目惚れしていた。蒼穹を彷彿させる髪の色と相まって、優しげな琥珀色の瞳は太陽のようだと思った。

 けれど、彼の口から発された言葉で、私の思いは打ち砕かれた。

『君なんか大嫌いだ』

 そう言い捨てて去って行った彼の背中を見つめて、私は静かに涙を溢した。

「君と逢瀬を重ねる度に、心とは正反対の言葉ばかり出てしまう。とても辛くて辛くて、今でも幼く馬鹿な自分の行いを後悔するほどだ。そんな日々が続いた数年後、君は勇者に選定された」

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