彼女1
これの受け止めは、どうしたものか。
木崎真守は、自分の左腕を眺めていた。つい先ほどまで、彼女が腕を絡めていた場所だ。
彼女と会うのは五年ぶりのことだ。五年だぞ、五年。五年ぶりに会う同級生の腕と自分の腕を絡めるというのは、いったいどういう了見だ?まさかまさか、俺のこと好きだったとか?いやいや、待て待て真守、自惚れるな。そんなわけないだろう。
自分の頬を両手で音がするほどの強さで二回ほど叩くと、実家の玄関を開けた。大学の夏季休暇で一週間ほど滞在した以来の実家は、暮れの掃除も相まってか、少しだけ他所感を漂わせていた。
「早かったのね」
玄関が開く音に気付いた母親がパジャマに半纏姿で現れた。それは、受験の頃には何度も目にした光景のままだった。
「まあね。明日帰るやつらもいるし、仕事のやつもいるから」
そういう真守も、明後日には東京へ戻る。昼間の成人式を終え、夕方からの同窓会からの流れで行った二次会も、一番仲の良かった森田海斗がいなかったせいか、居心地がいいものではなかった。なんだか懐かしさに距離を感じ、早々と帰ることにした。
駅前の通りから一本入ったところにある居酒屋からは、五分も歩けば駅に着く。正月の喧騒も終えた駅周辺は、煌びやかなイルミネーションがまばらな人通りを照らしていた。
駅前の通りを渡る信号が赤に変わり立ち止まると、すぐ後ろに人の気配を感じた。
「マモ君、帰るの?」
振り返りながらも、その声が誰なのかわかった。五年経っても、耳元に残るその声は、いつまでも新鮮だ。
「うん。少し酔ったみたい。佐伯さんも?」
「うん。っていうか、酔ってないでしょ?そんなに飲んでないじゃん」
「バレてたか。なんかさ、違うかなって」
「わかる。違うんだよね、みんな。欲しいものが何一つなかったみたい」
「欲しいものがあったの?」
「過去。かな」
彼女が欲しかった過去がどんなものかわからず、首を傾げた。
「マモ君ってさ、私のこと佐伯さんって呼んでたの、一年の頃だけだったよね」
そうだ。佐伯百合子との出会いは、中学生になって初めて一年の教室に入ったその日だった。二つの小学校が一つの中学に行く地域で、彼女とは小学校が違った。親しさと疎外感をないまぜにした教室の中で、小学校の時にはさほど親しいわけでもなかった同じ小学校の子たちと、まるでもともと親友だったようにくっついていた。
最初の頃、本当に最初の頃だけそんな雰囲気があった教室で、互いに探り合うように言葉を交わすようになり、徐々に一つのクラスになって行った。
そんな中で、彼女がリリーと呼ばれていることを知り、そう呼んでいいか?という了承を得たことはなかったが、二年生でまた同じクラスになってからは、関係性が一段上がったかのように、新しい教室では自然とリリーと呼ぶようになり、リリーは俺をマモ君と呼ぶようになった。
「リリーも一年の頃には木崎君って呼んでた」
「そう。でもマモ君になってからは、ずっとマモ君」
それを聞いて、『佐伯さん』じゃなくて、リリーって呼んで欲しかったのかなと、そう思った。そして、そんな心の言葉にまるで返事をするかのように、彼女は言った。
「そう。リリーから佐伯さんに戻ってしまったその年月。欲しかったのは、たぶんそれ」
「それが、なかったの?」
「マモ君の、なんか違うかなっていうのと同じなのかもね。もう、渡ろうか」
青になり、赤になってまた青にと、幾度か繰り返したところでリリーが言った。赤で止まっていた車のライトがついて、それが合図になったようだ。
揃って駅前につくと、自然とタクシー乗り場の列に並んだ。並んだといっても、前に三人ほどいるだけだが。
「一緒に乗っていく?」
一応、聞いた。リリーの欲しかったものを少しだけでもあげられたら、違うと感じた自分の気持ちも少しは収まるような気がした。少しと少しで一つにできるような気がした。
「いいの?途中から方向が違うよ?」
「いいよ。欲しいもの、わかった気がしたから」
「なにそれ」
そう言って向けられた笑顔は、あの頃と同じように見えた。いや、あの頃より綺麗だった。
タクシーに乗りこんですぐ、リリーが言った。
「さっきね、万智と由美と亜美と話してたの。由美と亜美がね、去年、あっ、もう一昨年か。旅行に行った話でね、二人とも地元にいるでしょ?それでね、その流れで地元の話になって、そこにハッシーと祥太が入って来て盛り上がってたのね。みんな、由美とか亜美とかハッシーに祥太だったんだけどね、ハッシーと祥太が、私を佐伯さんって呼んだんだよね。中学の頃にはリリーって呼んでたのに」
「寂しくなっちゃった?」
「みんな、あの頃のままだったのに、私だけ違うみたいだった。私の知らない時間、みんなは知ってる時間になってて、なんだか急にみんな知らない人に見えちゃった」
「俺も、それ、知らない時間だよ」
「マモ君も、佐伯さんって呼んだ」
「ごめん」
「もう、埋められない時間だね」
リリーはそう呟いて、俺の左肩にその頭をもたげかけて、腕を絡めた。




