アリアナの心意
「恋、人?」
未乃の疑問の声も、ソヨの当惑気味の相好も、命の全てを見据えたうえでのその瞳も。
今の祈世には全く感じ取ることができなくなっていた。命のあの一言で、全てを理解してしまったから。
何故命が、あんな保険をかけたのか?未乃が魔王だった頃、神に転生させるという約束をした時、何故祈世にあんなことを言ったのか?
何故、未乃を目の前にするだけで、こんなにも息苦しいと感じてしまうのか?
その全てを理解してしまったのだ。
「アリ……アナ?」
一言。その名前を祈世は呼んだ。前世の記憶の中で、最も呼んだその女性の名前を。その瞬間、未乃は何の前触れもなく唐突に、一筋の涙を流した。
まるでその名で呼ばれることを、遥か昔から待っていたように。そんな未乃の表情は、泣いているというのにどこか晴れやかで、全てに納得してしまったように感じられる。
「カ、ミロ……?」
未乃がその名前を祈世に向かって読んだ瞬間、祈世だけではなく命までもが目を見開いた。それは本来、今の未乃が知っているはずのない名前であり、記憶であり、感情だったからだ。
一〇〇〇〇年以上前。祈世は前世の記憶を取り戻したことにより、その精神を乗っ取られ己の力を制御できなくなったことがある。
祈世の魂を乗っ取ったその人格の名前は、カミロ。この世界の不条理に絶望し、世界への憎悪を募らせた哀れな男だ。
世界が終わる――命が創造主になるより昔。カミロとアリアナは恋に落ちた。だがそんな二人の幸せな暮らしはいとも簡単に、呆気なく崩れ去ってしまった。
自分の親の仇がアリアナの父親だと知ったカミロは、理性を失い仇の息の根を止めようとしたが、誤って愛するアリアナをその手で殺してしまったのだ。
その時のカミロの感情を一言で言い表すことなんて、祈世にだって出来ないだろう。
カミロにとってアリアナは、誰よりも愛する存在であり、自分という人間を変えてくれた存在であり、自らの手で殺めてしまった存在。
アリアナにとってカミロは、誰よりも愛する存在であり、初めて一目惚れした相手であり、同時に己の息の根を止めた存在。
そんな二人が今いくつもの生を超えて、魂の再会を果たしている。
「未乃……思い出したの?」
「……全てではない。だが……俺は確かに、知っているんだ」
創造主の力も、ソヨのように魔法を使ったわけでもない。だが未乃は前世での名前を呼ばれただけで、記憶の一端を思い出したのだ。
それは創造主である命でさえも予想していなかったことで、もちろん当人の未乃も当惑している。
「カ……祈世殿。逃げないで、聞いてほしいことがある」
前世の記憶と今世の人格が混在してしまっているのか、未乃は祈世のことを一瞬、前世の名で呼ぼうとした。だがすぐに我に返り、小刻みに震えている祈世を呼び止めた。
「俺は…………アリアナという、俺の記憶の中にある前世の人格は、カミロという男に対してどこまで行っても尽きない様な、罪悪感を抱いている」
「……ざい、あくかん?」
未乃から聞かされた予想外の言葉に、祈世は思わず片言のように尋ねた。罪悪感を抱いていたのは当然カミロの方で、被害者であるアリアナがそんな感情を抱く理由など皆目見当がつかなかったのだ。
「カミロが、父を殺そうとした時」
「っ……」
単刀直入に、祈世がずっと気掛かりにしていたことを口にした未乃。祈世は思わずビクッと震え、心臓を強く打ち鳴らしながら俯いてしまう。
「あぁ……カミロが自分の代わりに父を殺してくれるかもしれない。そう思ったんだ」
「……未乃?」
「一瞬でも、そんなことを思った自分が許せなかった。そして、自分がそんなことを思ったせいでカミロが人殺しになってしまうのではないかと思い、言いようのない恐怖に襲われたんだ」
アリアナの知らざる胸の内を知り、祈世は言葉を失った。
だが、祈世はアリアナが抱えていた心の闇を確かに知っていた。アリアナは、己の自由を、信念を妨げる父親の存在を疎ましく思っていたのだ。そして同時に、父親は愛するカミロの家族を殺した存在だった。
そんな父親がカミロに殺されることを、一瞬でも望んだ自分にアリアナは酷く嫌悪感を抱き、同時にカミロの手が汚れてしまうことを恐れたのだ。
「そして気づくと、カミロに刺されていた。同時に、理解できた。自分は一番愚かなことをしてしまったのだと。この傷は、カミロの傷なのだと」
未乃は、アリアナがカミロに刺された腹部を摩りながら伏し目がちに呟いた。その時初めて、祈世はアリアナが死の間際に呟いた謝罪の意味を理解し、自然と涙した。
あの謝罪は、アリアナがカミロという男の心を殺してしまったことに対する懺悔の言葉だったのだ。
「前世の人格は、私ではなくて。でも記憶がある以上、私はずっとあの忌まわしい前世の出来事を頭の隅で思い続けるのだろうと、そう思っていました」
「祈世殿……」
「でも、今。未乃さんから、アリアナの気持ちを聞いて、なんだか少し楽になれた気がします」
祈世の素直な胸の内に未乃は眉を下げながら破顔する。どこか困ったようにも見えるその笑みに、祈世も鏡のような笑みで返す。
互いに前世で負った傷を。負わせてしまった傷を共有することができ、二人は互いを互いに救うことができたのだ。
「ごめんね。祈世、未乃。命、知ってたのに黙ってて」
腕を後ろで組んだ命は困ったような顔で陳謝した。
命は最初の最初から知っていたのだ。初めて魔王ザグナンに出会った瞬間から。その魂の前世を見た瞬間から。
ザグナンの前世がアリアナだということも。そんな前世を持つザグナンが今後神に転生し、祈世と出会うことも。
「ようやく、あの時命殿の言いかけた言葉を理解できた」
「ん?……あぁ」
未乃の言う命の〝言いかけた言葉〟が何なのか一瞬分からなかった命も、すぐに思い出したように呟いた。それは未乃がずっと思考していたにも拘らず、正解に辿り着けなかった事案だ。前世に関わることなので当然と言えば当然なのだが。
『貴殿は神よりも尊い創造主なのだろう?俺のことなど気にせず無理矢理神にすることだって簡単にできるはずだ。貴殿になら俺を殺すことなど、赤子の手を捻るようなことだろうし、殺さずとも今すぐに神にすることだってできるはずだ。それなのに何故俺の意思を尊重する?』
『だって君は……』
『俺は?』
『………………なんでもない』
――だって君は、愛する祈世が前世で愛したアリアナだから。
これが、あの時命が言いかけた言葉だったのだ。この時命は、神に匹敵する魂を持つザグナンを対処するために、ザグナンを神にして世界への影響を減らそうとした。
あの時のザグナンが言ったように、彼の意思を尊重せず神にすることだって簡単にできた。それをしなかったのは命の依怙贔屓であり、愛情だったのだ。
「命、結構ずるくて、酷い奴だからね」
「そんなことはない……こうして俺たちを救ってくれたではないか」
「そうです。命様はいつも私たち神々と、世界の住人のために精一杯のことをしてくれます」
祈世と未乃に前世のことを隠し、個人的な感情でザグナンのことを気にかけていた命はそう自嘲した。そんな命の自虐を否定した未乃に同調する形で、祈世は命に救われたあの日から思い続けている気持ちを打ち明けた。
「今、ヒューズドの青年のためにも命殿なりの助力をしているのだろう?」
「まぁ、あれはそうすることで命にも利益があるからね」
神々のためだけではなく、ただの下界の住人にも命がその慈悲を分け与えているのは事実だ。だが未乃は命の言う利益が何なのかも理解できたので、困ったように破顔する。
「彼の前世の記憶はもう戻ってる。この件が解決すれば、前創造主を裏切った女神についての情報を手に入れることができるかもしれない……恩は売っといて損はないってね」
「そこも命殿の魅力ではないのか?」
「えー、そうかなぁ?」
命は包み隠すことなくフックを助けることでの利点を語った。だが未乃にはそんな命の素直なところも好ましいと感じられたようだ。
「さて……魔人の皆と人間くんたち、上手くやってるかな?」
命は液晶パネル越しにヒューズドを見下ろすと、不敵な笑みと共に今後の展開を予想し始めた。
その頃。フックと魔人たちはバルン王国の奴隷市場に足を踏み入れようとしていた。バルン王国を訪れたメンバーはフック、サラン、ミーディグリアの三人に魔人の精鋭一〇名を加えた計一三名だ。
全ての魔人がバルン王国を訪れてはザグナシア王国の警備を蔑ろにしてしまうので、少数精鋭で向かうことにしたのだ。
「人間、緊張してるの?」
「当たり前だろ……奴隷商人がどれだけ強いか知らないほど馬鹿じゃねぇんだから」
僅かに身体を震わせているフックに気づいたサランは心配するわけでも、失望するわけでもなくただただ確認した。
前世で男神だったと言っても、記憶を取り戻したことによる強さの変動を自覚していないフックからすれば、己と妹の身を危惧してしまうのは当然のことだった。
「前世で男神だったんでしょ?それなら……」
「でも強くなった実感なんて……」
「違うわ。私が言っているのはそういうことじゃない」
フックはサランの言葉を最後まで聞かず、己の解釈で話を進めようとした。だがそれを遮ったサランにはサランなりの考えがあったようで、少々不機嫌そうな相好を見せる。
「命様はどうやら前世で神だった者を探しているそうよ。以前魔王様が仰っていたわ。だから命様にとってあなたは貴重な存在。あなたに危機が訪れない限り手は出さないでしょうけど、本当に危ない時は救ってくださるはずよ。それに命様はお優しい方だから、自分にとって関係のないあなたの妹のことも気にかけてくれるはずよ」
「……そうか。サンキュな、少し緊張がほぐれた」
サランは純然たる事実をフックに伝えた。命にとってフックの存在は前創造主を裏切った女神に辿り着くための重要な情報源だ。なのでそう簡単に死なれては困る存在。なのでサランの推測は的を得ていたし、命もフックに命の危機が訪れたなら救う気満々なので大正解なのだ。
サランにそのつもりが無くとも、フックは破顔一笑できる程に緊張をほぐせたので素直に礼を言った。
こうして、フックと魔人たちの戦いが幕を開けるのだった。
次は明後日更新予定です。
この作品を「面白い!」「続きが気になる!」と思ってくださった方は、評価、ブックマーク登録をお願いします。
評価は下の星ボタンからできます。




