言葉にできない感情
「……よく分からねぇけど、そうすれば俺は強くなってナノを助けることができるのか?」
「うん、命が保証する」
下界の人間に命の話を全て理解することはほぼ不可能だ。だが、妹を救うために最短の道が何なのか、それだけならフックにも理解できたようだ。
弱いながらも妹のために心を奮い立たせたフックに、命は慈悲深い程の笑みを向ける。
「それなら頼む……俺を強くしてくれ」
「命がするのは前世の記憶を戻すことだけで、あとは君が勝手に強くなるだけなんだけどね……」
意思を持った強い瞳で命に懇願したフック。命はそんなフックの前世の記憶を取り戻させるために創造主の力を使う。
イメージは前世と記憶。この際、どの前世かという選択が大きな枝分かれになっている。全ての前世の記憶を取り戻してしまえば、フックは溢れかえる記憶の波に飲み込まれてしまい、まともな精神を保つことができなくなってしまうのだ。
なので命は、フックが男神だった頃の記憶のみに意識を集中させる。
創造主の力で記憶を取り戻したフックは、苦悶の表情を漏らした後どこか呆然としたように命を見つめ始めた。
「……どした?だいじょぶ?」
「…………あ」
呆けた面に何故か冷や汗をだらだらと流し始めたフックに、命は心配するように尋ねた。もし記憶を取り戻したことで精神に異常をきたせば、取り返しがつかなくなる可能性もあるからだ。
「新しい、創造主様?」
「うん、大正解」
だがその心配は杞憂に終わった。漸く前世の記憶を頼りに、命がどういう存在なのか理解したフックは呟くように尋ねた。命はその問いに素直に首肯する。
「も、も……申し訳ありま……」
「あぁ、いいからいいから。罰ならソヨちゃんが十分すぎるほどやったし」
ソヨに何度も脅された理由を漸く理解できたフックは必死に土下座しようとしたが、命はそれを制止した。ソヨはそんな命の隣で「やっと理解したのじゃ、この馬鹿者」とでも言いたげな顔をしていたがフックは動揺しすぎたせいで全く気付かない。
「結局其方はどの男神だったのじゃ?」
「え、えーっと。人間の容姿で金髪の……」
「おー!お主じゃったか!?なるほどなのじゃ。どことなく似ているのじゃ」
前世で男神だったのなら、ソヨの記憶にある男神のはずなので、特定するためにソヨはフックに尋ねた。前創造主が創造した神々は名前をつけられていなかったので、フックは仕方なく容姿の特徴を話した。
男神は女神よりも数が少なかったので、僅かな情報だけでもソヨはどの男神か見当をつけることができた。
「ちなみにわらわはうさ耳が愛くるしい女神じゃったぞ」
「は!?お前アイツなのか?」
「ソヨちゃんって前世ではうさ耳だったんだね」
ソヨが前世でも女神だったことを知らなかったフックは目を見開くと、記憶の中の女神とソヨを見比べる。一方、命はソヨが前世で半獣神であったことをここで初めて知り、興味深そうに呟いた。
「そうなのじゃ。丁度、ハクヲが人間っぽくなった時の兎バージョンだと思ってくれていいのじゃ」
「それはきっとうんと可愛かっただろうね。今度ソヨちゃんにうさ耳つけても良いかな?」
「もちろんなのじゃ」
現在存在する神々の中で獣神なのはハクヲだけである。そんなハクヲは耳と九尾を残した状態で人間の姿になることがあるので(主に命の欲望のために)命は半獣神の恐ろしさをよく知っている。
前世でのソヨの姿を想像した命は、人を殺すことも不可能ではない程の可愛さに胸を高鳴らせた。
「それよりもじゃ。其方、早く妹を助けに行った方が良いのじゃ。妹が売られてしまえば、居場所を特定するのは困難なのじゃ」
奴隷市場の場所は魔人たちやフックも知っているので問題ないが、もしナノが奴隷として何者かに購入され、奴隷市場から離れてしまえば妹を探す手がかりはほぼ無くなってしまう。
奴隷市場には購入者の情報も多少はあるだろうが、非合法な奴隷を購入するような人物は大抵用心深い為、嘘の情報を記入しているか、すぐに別の場所に拠点を移す可能性が高いのだ。
それを危惧したソヨはフックを急かした。
「あぁ、そうだな。魔人の皆……頼めるか?」
「えぇ。命様の要請とあっては断る理由は無いわ」
魔人たちを一度騙したことを負い目に感じているのか、フックは気まずそうに頼んだ。だがサランたちからすれば命からキチンと報酬を貰っているので何の文句もないのだ。
諸々の準備を済ませた魔人たちとフックは、命たちと一旦別れを告げザグナシア王国を後にした。
一方の命たちは下界ですることが無くなってしまったので、天界へと帰還しフックたちの様子を見守ることにしたのだ。
命たちがザグナシア王国を訪れている頃。特にすることが無かった未乃は液晶パネルでザグナシア王国の様子を覗いていた。
かつての部下たちが今もなおザグナシア王国で明るく健やかに過ごしている事実に、未乃は心底安堵したような相好を見せる。
「未乃さん、ザグナシア王国が気になるのですか?」
「っ……祈世殿か。あ、あぁ。まぁな」
後ろから突然祈世に話しかけられたことで、少々驚いたような相好を見せる未乃。平静を取り戻した後も、どこか気まずそうな未乃に祈世は首を傾げたが、すぐにその場を後にする。
「みーの。どうしたの?」
「……命殿。戻ってきたのだな…………羽に乗るのをやめてくれないか?」
祈世の背中を意味深な目で追った未乃の背後から、唐突に聞こえる命の声。未乃が振り返ると、そこには下界から帰還した命が自身の羽に凭れかかっていて、未乃は苦笑いを浮かべる。
未乃は一緒に帰還してきたソヨに助けを求めるような相好を向けるが、ソヨは知らん顔で下手くそな口笛を吹く。裏切り者がここに一名ほどいたらしい。
「祈世がどうかした?」
未乃の異変の原因が祈世にあることを見抜いた命は、単刀直入に尋ねた。
「いや……ただ、少し祈世殿のことが苦手なだけだ」
「……苦手なの?」
祈世のことを苦手と称した未乃に、命は何故か眉を下げて慈しむような相好を向けた。その表情に違和感を感じたのはソヨだけではなく、未乃もそれは同様だった。
「苦手というか、祈世殿を見ていると生きた心地がしないというか……表現が難しいのだが……命殿、何か知っているのか?」
祈世を目にした時の胸がざわつくような、息の根を止められるほど締め付けられるような、不可思議な感覚を明確に表現する言葉を未乃は持ち合わせていなかった。
だが命ならば、この感情についての正解を知っているのではないか?そんな予感が未乃の中を過ぎった。
「……うん、知ってるよ。未乃が苦しくて、辛くて、逃げ出したくて、でも嫌ではない……そんな感情を祈世に抱く理由」
未乃の予想は的外れでは無かったようで、命はそんな意味深な言葉を口にした。すると命はやはりどこか困った様な、未乃に対する愛しさを滲み出したような、そんな相好を向けていた。
「でもそれは、知りたいのなら、祈世と一緒に聞きに来てごらん?たぶん祈世も、未乃と同じことを考えてると思うから…………って、その必要なかったかな?」
未乃は祈世も自分と同じような感情を抱いているとは思わず、命の言葉に目を見開く。一方、未乃に諭した命は未乃の後ろに視線を向けていて、その先には祈世の姿があった。
「っ……祈世殿」
祈世は先刻の未乃の様子が気になり、戻ってきたのだ。振り返った先にいた祈世に、未乃はまたしても悲痛な表情を浮かべる。
祈世の方も僅かに歯を食いしばっていて、一見しただけでは両者の仲がかなり険悪なものに見えてしまうだろう。
だがこの二人の関係を、そんな安易な言葉でまとめることなどできない。
「祈世、命随分前に言ったよね。祈世には命と、神の皆がついてるって」
「えっ…………はい……」
それは命が初めてザグナシア王国を訪れ問題を解決した後、下界に帰還した際に祈世に言った言葉だった。
祈世は当時、命の言葉の意味を理解することができず様々な思考を巡らせていたが、今となっては偶に思い出す程度になっていたのだ。
「あれはね、今この時のことを想定して、保険をかけておいたんだ」
命の言葉にその場にいた全員が驚愕の表情を見せる。それも当然だった。命の話が本当ならば、その当時の命は何千年も先の未来を予測し、その時起こるであろう事態に保険をかけていたということなのだから。
「それは、どういうことですか?」
何故保険をかける必要があるのか?それは、そうしなければならない程の事態が、祈世と未乃の元に降りかかってしまうということと同義である。
祈世はその事態の正体を、意を決して命に尋ねた。その握りしめた拳は僅かに震えている。祈世にはもしかしたら、見当がついてしまったのかもしれない。
かつて己が、己のものではなくなってしまった時と、今の命が恐ろしいほど似ていたから。
「祈世、未乃。二人は前世で、恋人同士だったんだよ」
次は明後日更新予定です。
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