罪悪感と疑念
「卑怯?」
命には楓佳が自分をそう称する理由が分からなかった。命から見た楓佳という人間は、優しく控えめで愛らしい大和撫子のような存在だ。それに加えて聡明で決断力もある強い少女。だからこそ命は楓佳を神子に選んだのだ。
そんな楓佳には到底似つかわしくない〝卑怯〟という単語に命が首を傾げたのは必至だった。
「私の父と母は恋仲だったのですが、父には親に決められた許嫁がいたんです。父は最終的におなかに私がいた母を選ぶことが出来ず、その許嫁と結婚しました。その頃私が母から産まれ、母は女手一つで私を育ててくれました。でも母は戦争の最中、魔国の攻撃によってその命を散らしました」
唐突に身の上話を始めた楓佳だったが、何の関係もない話を楓佳がするとは思えなかったので、命は黙って楓佳の話を聞くことにした。
戦乱の世で母一人子一人の生活がいかに過酷かなんて誰にだって想像できることだ。楓佳の父親はそれを分かっていながら楓佳の母親を選ぶことが出来なかった。
親に逆らうことが出来なかったのか、子供が出来たことで気持ちが冷めたのか。それを知る術は楓佳にも母親にもなかった。
父親に捨てられた楓佳の母親は最期の時まで楓佳のために藻掻き続けた。だが人の死なんてものは呆気なく訪れるもので、母親は一瞬でその命を散らしたのだ。
「母が死んでからしばらく経って、私は父親に初めて会うことが出来ました……同じ職場で」
「……なるほどね」
その言葉で全容を理解した命は納得したように呟いた。どうやって楓佳が密偵を抱き込んだのか。どうして楓佳が自分を〝卑怯〟と称したのか。
「私が抱き込んだ密偵こそが、私の父親だったんです」
父親の顔を知らない楓佳がその密偵を父親と判断する術はない。だが父親の方は違う。楓佳は母親と瓜二つだったのだ。
密偵として働く中、楓佳の姿を目にした父親はさぞ驚いただろう。死んだはずの母親と瓜二つの人間が若い姿で現れたのだから。
その反応一つで楓佳がその密偵を父親と判断するには十分すぎる材料だった。
「この戦争を終わらせるための計画を立てた際、私は父親にこう言いました。〝あなたが母を捨てなければ、あなたが母を守ってくれていれば、母は死ななかった〟と」
「……」
「もちろん逆恨みです。八つ当たりです。本気でそんなことを思っていた訳ではありません。ただ私は、彼の罪悪感を利用して、私の要求を呑ませようとしたんです」
「そっか……」
一度は本気で愛した女性の死を、楓佳の父親が何とも思っていない訳がない。そしてその死に対して父親が少なからず罪の意識に苛まれていることを楓佳は見透かしていたのだ。だからそれを利用した。
そんな風に責められれば父親は何も言えない。娘である楓佳の要求を断ることなんてできなかったのだ。
これが戦争が終幕を迎えるまでの経緯だった。
「母を守れなかったのは私です。私がもっとちゃんとしていれば母は今でも生きていたかもしれない。なのに私はあの人を責めて、利用して…………だから私は、いい子なんかじゃないんです」
楓佳は困ったように笑うと一筋の涙を零した。命はこれほどまでに美しい涙があるのかと、少々面食らってしまった。
楓佳は父親を恨むどころか、むしろ自責の念に駆られていたのだ。常に母親と共に行動していたのは楓佳だ。そんな楓佳は母親に守られるばかりで、守ることが出来なかった。心優しい彼女がそんな自分を責めるのも無理はない。
自分を責めているはずの彼女が、偽りの感情だったとしても父親を責めたことは事実だ。例え世界を救うための行為だったとしても、楓佳は自分を許すことが出来なかったのだ。
「神子ちゃん……神子ちゃんがしたことは、命から見ればただ娘が父親に駄々をこねただけだよ」
「えっ……?」
命の意見に楓佳の流していた涙が思わず止まった。
「だって、初めて会ったとしても神子ちゃんたちは親子なんでしょ?娘の本気のお願いを断る父親なんて普通いないよ。だから神子ちゃんのしたことは別に卑怯なことなんかじゃない。ただ娘が父親に駄々をこねただけだ。それに、神子ちゃんのお父さんは本当に罪悪感だけで要求を呑んだのかな?」
「え……」
「確かに罪悪感も少しはあったのかもしれないけど、命はただ、娘のお願いを父親として聞いてあげたかっただけなんじゃないかと思うんだ」
命は楓佳の呆けた顔を覗き込むと破顔した。瞬間、止まっていた楓佳の涙が再び止めどなく流れ出した。
一番罪悪感を感じていたのは楓佳自身だった。世界を救い、神子という立場にまで登り詰めた彼女は自分の行いを許すことが出来なかった。
どんなに人々に感謝されても、人ならざる能力を手に入れても、その行いのおかげで世界が救われたとしても、楓佳は罪悪感を拭うことが出来なかった。
楓佳は父親を利用した。そんな父親に対して心意を尋ねたりはしなかった。聞けるわけが無かったのだ。自分にそんな資格はないと、思い込んでいたから。
「み……命様っ……」
「なぁに?」
たまらず両手で自分の泣き顔を隠した楓佳は、震える声で命の名前を呼んだ。
「私は……私は、あの人のことを…………父と呼んでも、いいのでしょうか?」
「そんなの、当たり前でしょ?」
命が眉を下げながら断言すると、楓佳は叫び出そうな甲高い声を必死に抑えながら泣き続けた。
楓佳の父親は確かに母親を捨てた存在だ。だが楓佳は父親のことを恨んではいなかった。父親にも事情があったのかもしれない。もしかしたら母親が何か愛想をつかされるようなことをしたのかもしれない。
今となっては簡単に確かめる手立てが無くなってしまったが、全てが父親一人のせいだなんて楓佳は思っていなかったのだ。
そんな父親の罪悪感を利用したような卑怯な自分には、父と呼ぶ資格なんてないと楓佳は思い込んでいた。例えそれがあったとしても、自分自身が許せなかった。
だが今、命がそれを当然のことのように許してくれた。楓佳のことを孫娘と呼んでくれた命が、許してくれたという事実は楓佳にとって大きな救いになったのだ。
「私……あの人に……父に会いに行こうと思います」
「そっか」
しばらくして泣き止んだ楓佳は空を見上げるとそんなことを口にした。命の言葉で決心がついたのだ。
「忙しいので難しいかもしれませんが、ちゃんと謝ってあの人の言葉を聞きたいんです」
「うん、神子ちゃんのしたいようにするといいよ。……神子ちゃん、神子ちゃんには命たちっていう家族もいるってこと、忘れないでね?」
「っ……はい!」
命は楓佳の鼻先を人差し指で突きながらそんな風に励ました。例え楓佳の父親と上手くいかなかったとしても、神子の彼女には神々という親が、そしてその神の親である命がいる。それを命に指摘された楓佳は心底嬉しそうな笑顔を見せた。
そんな楓佳の笑顔を命は優しげな瞳に焼き付けていた。絶対にその笑顔を忘れないように。
「命様。少し相談があるでありんす」
「なに?誘惑相手なら用意しないよ」
「違うでありんす!」」
楓佳が神子になってから天界では一月が経っていた。
その間楓佳は父親と再会したらしく、彼の罪悪感を煽ったことを謝罪したところ、逆に父親に土下座されたらしい。
楓佳の父親は母親ではなく許嫁を選んだことをずっと後悔しており、楓佳と職場で出会った時は息もできない程驚いたらしい。
そして楓佳が協力を要求した時に、せめて娘である楓佳のために自分にできることは何でもしようと決断したのだ。
父親は楓佳が責め立てたことなんて全く気にしていなかった。むしろ責められて当然だと思っていたぐらいなので、そんな自分が娘に協力したことで戦争を終わらせられたことを大いに喜んでいたそうだ。
楓佳からこの話を聞いた廻伝いに知った命は随分と安堵したものだ。
神子としての仕事に楓佳が慣れ始め、炎乱にも平穏が訪れ始めたその日。神妙な面持ちで話しかけたルミカに命は素っ気無く返した。
だが今回は先日のどうでもいい悩みとは違うらしく、命はルミカの話を真剣に聞くことにした。
「実は廻のことで……」
「廻?廻がどうかしたの?」
「廻というか、廻と神子のことなんでありんすが……」
煮え切らない態度を取るルミカに命は首を傾げた。廻は神々の中でデグネフに並ぶ程真面目な男神だ。そして今炎乱にはこれといった問題が起きていない。この状況で何を相談することがあるのだろう?と命が思うのも無理はなかった。
「あの二人、怪しいんでありんす」
「……怪しいって、もしかして二人が恋仲かもしれないってこと?」
ルミカは突然ドアップで命と視線を合わせると、そんな曖昧な表現で相談内容を口にした。超至近距離にあるルミカの顔を見つめたまま、命は自分の推測を話した。
「……そうでありんす」
ルミカは自分の曖昧な表現であっさりと理解してしまった命に驚愕してしまい、呆けた顔でそれを肯定した。だが命が相手の考えを読むことが出来るのをルミカは知っているので、そこまで不思議には思わなかった。
まぁ、この時命はルミカの心を読んでなどいなかったのだが。
「それで?」
「それでって……何とも思わないでありんすか?」
命の返答にルミカは更に驚愕したような表情を見せた。神である廻と神子である楓佳が恋仲かもしれない。これは一般的に考えて大問題だったのだ。
「神子だとしても一人間にすぎない楓佳に神が恋情を抱いているかもしれないでありんすよ!」
「うん。別にいいんじゃない?恋愛なんて眩しいぐらい青春じゃん。若くていいねぇ」
一人慌てふためているルミカとは対照的に、命は能天気な声で中年のようなセリフを吐いた。そんな命の対応が衝撃的すぎたのか、ルミカは開いた口が塞がらなくなった。
ルミカがここまで驚くのは当然のことで、異常なのは命の方だったのだ。
神という存在は森羅万象における絶対的強者である創造主に不変の忠誠を誓い、尽くし、世界を管理する存在だ。そんな神が世界の住人相手に恋情を抱くというのは禁止するまでもない程にありえない行為なのだ。
何故なら、神々にとっての最上の存在は創造主でなければならないからだ。神が創造主以外の存在に親愛に似た感情を抱いてしまうと、それは世界の歪みの原因になってしまう。
神に創造主以上の存在が出来てしまえば、その神が創造主を裏切る可能性が出てくる。
前創造主が一人の女神に裏切れた理由がそれだとは限らないが前例がある以上、廻が命のことを裏切らないという保証がないことはアランから前世の話を聞いた命が一番理解していた。
廻が楓佳へ恋慕の情を抱いているかもしれない事実を、神々へ惜しみない愛情を注いでいる命が承認したことはルミカをフリーズさせるには十分すぎる材料だったのだ。
次は明後日更新予定です。
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